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音楽

2017年2月 5日 (日)

1ケース分のワインを飲んでも、私は一人で立っていると言い放つ絵描きの女性が、かっこよくて、まるで映画の1シーンを見ているような爽快感があります。

最近、寺尾紗穂という若手のシンガーソングライターを知って、その才能に舌を巻き、ブログで紹介したくなりました。

すでに結構な数のアルバムを発表しているのに、今まで全く知りませんでした。
文筆家としても活躍する彼女の作る歌詞も素晴らしくて、はっぴいえんどの歌詞のように、ずしんと心の奥に響いて、いつまでも記憶に残ります。

その中でも白眉は、この曲。



「オレって北極星みたいじゃね?」などとほざくナルシストな彼氏に向かって、「バッカみたい。あたしはバーにいるから」と言い放ち、そのバーカウンターで故郷の地図と彼氏の似顔絵を、コースターの裏側に落書きする。ジョニ・ミッチェルの歌には、何気ない言葉やどうでもいいような行動の下にも、ワインのように濃く赤い人間の血が流れていることを教えてくれます。作品の形態はまったく違いますが、向田邦子の描く世界に近い。

ハチさんという人のブログ無人島258日目 に載っていた解説がおもしろかったので、転載しちゃいました。
1ケース分のワインを飲んでも、私は一人で立っていると言い放つ絵描きの女性が、かっこよくて、まるで映画の1シーンを見ているような爽快感があります。
ハチさんの解説を読んだら、すごく久しぶりに向田邦子を読みたくなってしまいました。

楽しみの為の読書って、普段ほとんどしませんが、永井荷風と岡本綺堂と向田邦子の小説はいいなあ。
いまやっている仕事が終わったら、向田邦子ですね。

2015年11月20日 (金)

何をやってもダメなのは、42年後の今も変わらないのは残念だが、海で死にかけたり、鬱病になりかけたりしながら何とか生きのびてきた今日は、こんな風に、ぼうっと音楽を聴くする時間だって、とても有意義な時間に思える。

歯が悪くなって、今日は仕事を休んだので、期せずして4連休になってしまった。

夕食の支度の合間に、ソファに腰掛けて、ちょっと前に買って、
放りっぱなしにしていた松本隆の作詞家生活45周年記念アルバム
『風街であひませう』を聴いた。

修復した歯で煎餅をパリパリかじりながら、お茶を飲んでいると、
高校1年生の頃、先輩のいじめが許せず部活をやめ、
あまりの不勉強ゆえ学校帰りに教わっていた家庭教師にも見放され、
陽の高いうちに家に帰ってぼうっと、今日の自分と同じように煎餅なんぞかじりながら、
松本隆がいたバンド「はっぴいえんど」のアルバムを
毎日のように聴いていた日々が心の中に蘇ってきた。

当時は、何をやってもダメな自分を責めながら、無駄な時間を過ごしていると思い、悶々とした心境で松本隆の歌詞を聴いていた。

いまでこそ本好きだが、少年時代の読書習慣は中学二年生の時に途絶え、教科書以外の本をまったく読まない日々が、3年続いた。
堰を切ったように小説を読み始めたのは、日本文学史に目覚めた高校3年生になってからだったと思う。

何をやってもダメなのは、42年後の今も変わらないのは残念だが、海で死にかけたり、鬱病になりかけたりしながら何とか生きのびてきた今日は、こんな風に、ぼうっと音楽を聴くする時間だって、とても有意義な時間に思える。

そう思えば、馬齢を重ねた42年間もまんざら無駄ではなかったのかなと、ちょっとうれしくなった。

そのアルバムの中から一曲。

草野マサムネの「水中メガネ」

2014年12月23日 (火)

なんだかんだ言っても、僕は『ひこうき雲』でデビューしたときからユーミンの大ファン。 FMラジオから流れる『ひこうき雲』を全曲通しで、聴いたときの衝撃は40年以上経ったいまでもはっきりと覚えている。

会社の帰りにふらっと寄ったブックオフで「ミュージック・マガジン 特集ユーミンの40年」を発見し、いそいそと購入。
なんだかんだ言っても、僕は『ひこうき雲』でデビューしたときからユーミンの大ファン。
FMラジオから流れる『ひこうき雲』を全曲通しで、聴いたときの衝撃は40年以上経ったいまでもはっきりと覚えている。
二枚目の『ミスリム』が発売された日に、明治大学生協に走ったのに、友達に先を越されて買えなくて、悔しい思いをしたことも、いまは懐かしい思い出だ。
輸入盤は価格がまちまちだったけど、当時、国内盤のレコードを2割引で買える店は、明治大学生協くらいしかなかったから、そこで買い逃したら、もう買えないということだった。
そんな感じで、ユーミンを追いかけていたが、三枚目の『コバルト・アワー』に入っていた「ルージュの伝言」がヒットして、テレビで歌う姿を見て、急激に醒めてしまった。
歌詞も曲も歌声も神がかり的な才能だと思っていた荒井由実が、誰でも作れるようなオールディーズっぽい曲に合わせて、ツイストを踊りながら歌うのは見たくなかった。

大好きだったユーミンが、遠くに行ってしまった気がした。
今回買った『ミュージック・マガジン』にはファンクラブ創立メンバーの沼辺さんという人の文章が載っていて、共感を覚えることが多々あって、嬉しかった。

メジャーな存在になってからも、いい曲は山ほどあるし、好きなアルバムも沢山あるけど、
そんな事情もあって、自分にとって初期の二枚は別格。
一曲一曲に思い出が詰まっている。
例えば「海を見ていた午後」を聴くと、横浜の山手を一緒に歩いてくれた女の子のことを思い出し、何百回聴いても、グッときてしまったりとか。
いまは、12月だから、この曲がしっくりくる。確かこの曲で、レコードデビュー前の山下達郎や大貫妙子を知ったんだよね。

2014年7月21日 (月)

細野さんのバックでコーラスをつけた大瀧詠一さんが亡くなって初めての夏は、この歌もまるで鎮魂歌のようにきこえてしまう。

毎年、夏が来ると、この曲が聴きたくなる。
はっぴいえんどの「夏なんです」

このブログでも、何度も登場しているような気がする。
まあ、MY歳時記ってことで、ご了承ください。
これ、聴かないとぼくの夏が来ないのです。

たしかはじめて聴いたのが、はっぴいえんどが解散した年。16歳の夏だったと思う。
そう考えると、もう40年以上も聴いているのか。

子どもの頃、夏休みになると茨城の田舎で一ヶ月以上過ごした。
この歌を聴くと、そんな子ども時代の夏休みの光景が心に浮かんで、切ない気持ちになる。
松本隆が描く心象風景が見事。

霞ヶ浦の上空には、「もんもんもこもこの入道雲です」

細野さんのバックでコーラスをつけた大瀧詠一さんが亡くなって初めての夏は、この歌もまるで鎮魂歌のようにきこえてしまう。

もうすぐ、「ぎんぎんぎらぎらの夏なんです」

2013年10月14日 (月)

連日30度を超す暑さがおさまったと思ったら、秋の花粉症に悩まされて、鼻と目がぐずぐず。

連日30度を超す暑さがおさまったと思ったら、秋の花粉症に悩まされて、鼻と目がぐずぐず。
それでも、じっとしているのはつまらないから、那須高原に出かけたら、道路も観光スポットも大渋滞。
忙しない都会のリズムに疲れて、自然の中に入っていきたいのに、ここも同じリズムでは意味が無い。
二日間滞在する予定を一日で切り上げて、早々と帰宅した。

こんな時は、家で物思いにふけるのもいい。

秋は内省的になるにはちょうどいい季節。
自分の内なる声に従って、魂の放浪の旅に出よう。

ハーブの世話をしたり、本を読んだりするのもいいが、ライブを見たり、「のだめカンタービレ」の旧作DVDを見ているうちに、音楽の楽しさを再発見した。

以前から好きだったリッキー・リー・ジョーンズの最新作Devil You Knowと、最近気になりだしたフジ子・ヘミングのアルバムが、最近のお気に入り。


こんなへんてこりんな「ザ・ウェイト」聴いたことない。
でも、重荷を下ろせ、自分を解放しろって歌うこの曲。
リッキー・リーの解釈が、案外的を射ているような気がする。
ギラギラとテンション高く、声高に自己主張するような暑苦しい季節が終わって、
ふと気がつくと、昔からなじみのリッキー・リーがいた。

フォークでもない、ジャズでもない、ロックでもない。

ジャンルなんか関係ない、彼女だけの独特な世界だ。

2012年6月30日 (土)

この『三絃の誘惑』を読んでいると、自分がすこしかじった近代の精神史と小島さんや佐藤さんの音曲の世界が地下水脈のように、深いところでつながっていることがわかる。

まだ読みかけだけど樋口覚『三絃の誘惑』人文書院を、ゆっくりと読み始めている。

松岡正剛の「千夜千冊」で見て、気になって購入したのだが、多分読み始めたら

ハマり込んで、抜けるのに時間がかかりそうな本だから、諸事情を考慮して後回しにしていた。

最近、日本の音曲に詳しい小島豊美さんや佐藤錦水さんを知るにつけ、さあ読むかという

気になった。

松岡正剛の千夜千冊「三絃の誘惑」

これは久々の名著だなあ。

どれくらい久々かというと長谷川堯『都市廻廊』中公文庫以来だから、多分10数年ぶり。

知的興奮で、頭をグラグラ揺さぶられる感じ。

逆立ちしてもこんな本は書けるはずもなく、脱帽モノの名著なのだ。

『都市廻廊』が建築を中心にすえて、文学史、社会思想史、都市史、美術史といった分野にどんどん越境してゆくタイプの本だったのに対して、この本は広がりを持ちながらも文芸批評の枠内にとどまりながら、細かく個々の文学者たちの心のヒダまで入り込んでゆく。

松岡正剛はこのように書く。

明治の連中は、自身の存在と仕事の総体にぎりぎりの荷重をかけておいて、その荷重に劣らぬ音曲感覚をもって義太夫や常磐津に聴き惚れていた。それがけっこう壮絶なのだ。

ぼくもわずかながら、樋口一葉が娘義太夫の大ファンで、『たけくらべ』もミュージカルのような小説だという程度の低いレベルの認識はあった。

けれど、この『三絃の誘惑』を読んでいると、自分がすこしかじった近代の精神史と小島さんや佐藤さんの音曲の世界が地下水脈のように、深いところでつながっていることがわかる。

そして、その同じ場所に、驚いたことに岡倉天心や中江兆民が立っていることもわかる。

こうして視野が広がってゆく。

2012年3月18日 (日)

ユーラシア大陸の見知らぬ町に住む音楽家の奏でる音楽を聴いていると、 ちょっとだけ自分の狭い世界が広がったような、ゆったりした気持になる。

松戸のボックスヒルがなくなり、アトレに名前が変わって新装オープンするというので、

行ってきた。
ほんとは「くまざわ書店」に行きたかったのだけど、くまざわ書店とユニクロのフロアだけ、オープンは4月末だというので、ちょっとがっかり。
仕方がないので、良文堂に行って、前から手に入れたかった雑誌「SWITCH TRAVEL ISSUE」を買った。
最近、この雑誌は毎度毎度、こっちのツボにずばっと切り込んでくる特集を組む。
今号では女優の山口智子が世界中の音を紹介する特集。
ヨーロッパの古いケルト文化に詳しい鶴岡真弓も紹介されている。

この人好きなんだよなあ。三年くらい前に松戸に来て「東葛出版懇話会」で話をしてくれたのに、行けなかったのが、いまでも悔やまれる。

万難を排して行くべきだった。

真間の手児奈の勉強をきっかけに縄文文化に興味を持ち始めたら、世界中の先住民文化がとっても親しく思えてくる。

岡本太郎のこともちょっとだけ理解できたように錯覚してしまう。

「SWITCH」は、のっけからジプシーの楽団の紹介で、ワクワク。
世界旅行をしている気分になる。
日頃はアメリカやイギリスのロックばかり紹介しているけど、ホントは情報が乏しいワールド・ミュージックといわれるような世界中の音楽が大好きなのだ。

ロックは70年代に入って徐々に産業化してゆき、どんどんつまんなくなって、袋小路に入っていったように思える。

それに対して、ユーラシア大陸の見知らぬ町に住む音楽家の奏でる音楽を聴いていると、

ちょっとだけ自分の狭い世界が広がったような、ゆったりした気持になる。

「SWITCH」の中で、トルコの音楽家ファジル・サイが吟遊詩人アーシュク・ヴェイセルに影響されて作った「ブラック・アース(黒い大地)」という不思議な曲が紹介されている。

クラシックや民族音楽の境を超える「宇宙と地球を結ぶ美しい言葉」をどうぞ。

2012年1月28日 (土)

ロックが新しい時代を切り開いた瞬間を記録した「ライク・ア・ローリング・ストーン」

ボブ・ディランが1966年に行ったイギリスのライブが「ロイヤル・アルバートホール」というライブアルバムになっていて、1998年になってリリースされた。
「ライク・ア・ローリング・ストーン」という曲の最高バージョンが入っているこのアルバムはぼくの愛聴盤だ。
なぜ最高バージョンなのか、ちょっとイメージがわかない人のために、ウィキペディアから、その演奏が始まるまでの緊張感あふれる状況を紹介しよう。

ディランの1965年9月から1966年5月のワールド・ツアーは、前半はアコースティック・ギターの弾き語りによるフォーク、後半はバック・バンドのホークス(後のザ・バンド)とのエレクトリック・ギターロックというステージ構成をとっていた。そのため旧来のフォークを好むファンから、後半の演奏に野次やブーイングの批判的な態度が各地で見られた。この録音では、最後の「ライク・ア・ローリング・ストーン」の演奏の前に、聴衆との次のやり取りを聴くことができる。

聴衆の一人が "Judas!" 「ユダ!」(「裏切り者」の意)と叫ぶと、それに続いていくつかの拍手が起こる。さ らにもう一人が "I'm never listening to you again, ever!" 「お前なんか、今後二度と聴かないぞ!」と叫ぶと、ディランは、 "I don't believe you." 「お前のことは信じない。」しばらく沈黙した後 "You're a liar." 「お前は嘘つきだ。」 と言い、バックのバンドに向かって "Play it fuckin' loud." 「めちゃくちゃ大音量で演奏しろ。」と話し「ライク・ア・ローリング・ストーン」の演奏が始まる。

バックは後のザ・バンドなんだけど、ドラムだけミッキー・ジョーンズっていうバカでかい音で叩きまくるドラマーが入っている。

じゃあレボン・ヘルムはどうしたのかっていうと、どこに行ってもブーイングの嵐で、命の危険まで考えて、一時的にバンドを抜けていた。

実際、1966年といえばケネディやマルコムXの暗殺から数年後、この2年後にはマルティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディが暗殺されている。

それくらい命がけのライブなのだ。

そして、このライブではミッキー・ジョーンズの起用が、すごくマッチしている。

攻撃的で、ギスギスしたドラミングが、バンドに破壊的なエネルギーを注入している感じで、いいなあ。

大阪の宮本さんていう音楽評論家の方もブログで書いてる。ディラン断唱「ロイヤル・アルバートホール」

今聴くと音なんかスカスカで、ちっともキレイじゃないけど、これを見てしまうと、ロック史上に残る最高のライブを見てしまった感激で、どんなにデカイ音を出したとしても、これ以降のどんなロックも甘い感じがしてしまう。

昨日は過去との惜別を込めた「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」を聴いてもらいました。

今日はロックが新しい時代を切り開いた瞬間を記録した「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴いてください。

2012年1月 9日 (月)

だから金町のお祭りは気合が違う。

しばらく地元のローカルな話題を書いていない。
このところ近場を散歩してないから仕方ないよなあ。
だから今日は松戸に寄ってから東金町の葛西神社に初詣に出かけた。
新年になって初めてのまともな外出。
あちこち行ったけど、食事はやっぱり松戸駅前の軍次家にした。
ファミレスでも和風定食なら千円以上するのは当たり前の時代に、ここの千円のランチはお値打ち品。
ベタベタしない接客も気持ちいい。常連もぼくのような年数回しかいかない客も分け隔てないのがうれしい。

千円でものすごく贅沢な気分になれる。

ビルの二階のひっそりとした店だが、いつ行っても、必ず何組かお客がいる隠れた人気店だ。

軍次家

帝釈天に行って、柴又の有名店で食べようかと思ったけど、どの店もハッキリ言って、高くてまずい。

営業努力なんてしなくても、全国から観光客が、観光バスに乗ってやって来るのだから、リピート客なんてどうでもいいってことだろうね。
柴又は観光客にお任せし、松戸で食べて、葛西神社にお参りってのは、我ながらいいチョイスだったと、自画自賛。

松戸宿の商店街があと少し、魅力アップしてくれれば、松戸だけで完結する松戸神社~坂川周遊コースもおすすめ。

もうひと頑張りを期待したい。

葛西神社は帝釈天のように有名ではないけど、旧武蔵国葛飾郡では大変由緒ある神社で、東京の神社で聴かれるお囃子は葛西囃子がルーツだと言われる。

だから金町のお祭りは気合が違う。


おみくじを引いたら「大吉」だった。

気分がいいので、こっそりとっておいた昭和歌謡史に残る隠れた名曲いしだあゆみ「夢でいいから」聴いてください。

明日は仕事だ。

そろそろいい夢みたい。もうお休みなさい。

いま、再び、ロックのようなカウンター・カルチャーを時代が必要としている。

あまたあるロック・バンドの中で、どれが一番好きかというと、ビートルズもビーチボーイズもストーンズも好きだけど、最高峰はロビー・ロバートソン在籍時のザ・バンドだと思う。

(80年代以降にデビューした新しいバンドのことは知らない。
ぼくはロックという音楽自体が、ザ・バンドの解散した70年代で終わってしまったと思っている。
いま若い人がやっている大きい音の商業音楽は単なるポップスでしょう。)

リチャード・マニュエルが自殺する前(多分)のライブを観たことがあるが、何か気の抜けたサイダーを飲んでいるような、物足りなさを感じたことを思い出す。

ザ・バンドによく似たバンドが、真似して演奏しているような不思議な感じだった。

かつて、1968年から76年まで、たったの8年間、この5人のうち一人欠けても作り出せない世界があった。
食べるためにコソ泥までやっていた荒くれロックンロール野郎たちが、ディランと初期のプロデューサーだったジョン・サイモンによって、どんどんアーティストに変化してゆく。
そのプロセスをロビーが自ら語ったのが「ラストワルツ」という映画だった。
ぼくは好きなアルバムだったけど、4枚目のアルバム「カフーツ」の評判が悪かったのが、バンドにとって致命傷になったような気がする。
評判のよかった「南十字星」も含めて、キャピトルから出した最後の3枚のアルバムはつまらなかった。
昨夜、エリック・サティのことを書いた後、思い出したのが「ラストワルツのテーマ」。
映画を最後まで観た人しか知らない曲。
曲名は忘れたけど、サティのCDに、似たような曲があった。
僕はこのシーンが一番印象に残った。
アメリカン・ルーツ・ミュージックしか知らないような男たちが、奏でる不思議なメロディ。
「ロックの面白さ、ザ・バンドの面白さって、これだよ。これ。」なんてつぶやいてしまう。

ディランとザ・バンドが暗殺される恐怖と闘いながらアメリカ南部をツアーしたように、保守層の無理解と対峙したロックは可能性を秘めた音楽だったと思うけど、商業主義の音楽へと拡散して消えていった。

「ラストワルツ」という映画は、ロック最期の日を記録した映画だったとも言える。


でもね。時代は変わった。
いま、再び、ロックのようなカウンター・カルチャーを時代が必要としている。
年寄りのぼくは音楽も芸術も作れないけど、時代の閉塞感を打ち破っていくために必要なのは、1960年代のように若い力がジャンルを問わず、ニョキニョキ出てくることなんだと思う。
ガンバレ。

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