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芸能・アイドル

2011年12月 4日 (日)

昭和に育ってよかったね。

ひさしぶりに三郷に行った。

歳末商戦で賑わう中、人ごみをかき分けてイトーヨーカドー二階の本屋にたどりついて、ひまを潰してたら、「こころ」っていう文芸雑誌を見つけた。

版元はぼくの好きな平凡社。

文芸雑誌は自分が関係したもの以外は、荷風さん関係情報が充実している「三田文学」くらいしか買わないようにしているのだが、平凡社の雑誌だし、特集が「岩谷時子の歌の世界」とある。

昭和の歌謡曲マニアとしては、立ち読みするだけではおさまらず、つい買ってしまった。

ぼくが物心ついてから、小学生の頃までだろうか。

作詞家岩谷時子の黄金時代だった。

岩谷時子というと、加山雄三のイメージが強かったのだが、今回改めて見ると、越路吹雪を世に送り出し、その後の和製ポップスとよばれたアイドル歌手たちの歌を一手に手がけて、日本で最初の女性作詞家として新しい時代を切り開いた人だったことを知った。

越路の『愛の讃歌』を皮切りにザ・ピーナッツ『恋のバカンス』『ふりむかないで』や加山雄三『君といつまでも』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』なんてまだ序の口で、質量ともに昭和中期の歌謡史に名を残す人だと思う。

よおく、考えると『恋のバカンス』の歌詞なんて、昭和30年代の日本じゃ、ものすごく過激なことを歌っている。

それなのに、ちっとも汚らしくないのは、ザ・ピーナッツの歌唱力もさることながら、岩谷時子のセンスの良さだろうな。

ピーナッツの初期の作品なんか全部よくって、紅白で唄った『ウナセラディ東京』をユーチューブで聴いていたら、思わず目が潤んでしまった。

数ある岩谷作品の中でもピカ一は園まりの『逢いたくて逢いたくて』だと思う。

園まりって、他にもいい曲はたくさんあるけど、この曲だけがダントツに光っている。

この曲を録音したとき園まりはおそらく二十歳か二十一歳くらい。

ちょっと信じられないほど成熟している。

原曲はザ・ピーナッツの7枚目のシングル「手編みの靴下」なので、そっちも聴いたけどピーナッツバージョンはイマイチで、園まりが唄ったから、名曲になった。

「心の糸が結べない 二人は恋人」って部分、何度聴いてもゾクゾクする。

今の若い歌手も上手な人、大勢いるけど、園まりのように日本語を美しく丁寧に、しかも艶っぽく唄える若い子はいるのかなあ。

以前息子に聴かせたことがあるが、今の若い子の耳には、この曲は演歌にしか聴こえないみたい。

おれたち昭和に育ってよかったね。

2011年5月 8日 (日)

やっぱり歌謡曲大好き!

疲れてボーっとしたりしたい時、園まりの名曲「逢いたくて逢いたくて」を聴きたくなるので、ユーチューブで見ていたら、大学生の時分、集中的に歌謡曲を研究していた時期があって、シングル盤を年間百枚以上買っていた頃を思い出した。

当時はいまのJ-POPのことをニューミュージックと呼んでいて、世間一般の「若者なら当然ニューミュージックでしょ。」

という風潮が気に入らず、スタジアムジャンパーを着て、ラケットを持ち、ハマトラの彼女を連れて町を闊歩するようなクラスメートたちの笑いものになっても気にせず、あえて時代遅れの歌謡曲を楽しんでいた。

高校3年まで、いまならカサンドラ・ウィルソンが歌うようなディープなアメリカ大陸のルーツミュージックを聴いていたのに、突然歌謡曲を応援しだした自分の心境の変化がいまでも不可解だなあ。失恋してホンネで生きることにしたということだったのだろうか。

ホントは今、西洋人が浮世絵を見るのと一緒で、アメリカン・ルーツ・ミュージックを聴くのと同じ西洋人の耳で、日本の歌謡曲を聴くと面白いって感じたからなんだけど、まあそんなの今更どうでもいいや。

ところで、その時分大好きだった歌は、和製ポップスから演歌まで、いろいろあるけど、中でも一番好きだったのが、いしだあゆみの「大阪の女」。

いしだあゆみはその頃すでに歌手ではなく、俳優としての仕事が多かったので、TVで見たこともなく、どこでこの歌を知ったのか全く思い出せないが、今聴いてもゾクゾクするほどいい。

ザ・ピーナッツのオリジナルも大好きだし、園まりやテレサ・テンのバージョンも名唱だけど、

いしだあゆみのハスキーな歌声はそれ以上に魅力的だし、シングル盤のジャケット写真も超がつくほどの美人だから、このレコードは隅から隅まで、全部大好きだった。

ウィキペディアあたりで作った曲の一覧をみるとわかるけど、橋本淳ていう作詞家は阿久悠以上に日本歌謡史に残る人物だと思う。

土曜日の深夜、ウィスキーの水割りでも飲みながら聴くには最高の歌ですよ。

2011年4月24日 (日)

ジューシィ・ハーフを見つけた。

スーちゃんの死去で、少し落ち込んで、ユーチューブで名曲「なみだの季節」なんか見て、しんみりしていたんだけど、(近田春夫流に言うと地味な気持ちになっていた。)
たまたまジューシィ・フルーツのイリアこと奥野敦子が、ドラムの高木さんと一緒にジューシィ・ハーフとして活動を再開したことを知って、めちゃくちゃ嬉しくなった。
イリアは近田春夫と関係が深くて、僕は近田春夫のオールナイトニッポンの大ファンだったから、大学生時代一度ニッポン放送まで行って、守衛に頼んで、近田春夫に差し入れと手紙をわたして、サークル紹介文を放送中に読んでもらったことがある。
アシスタントがコッペという女性シンガーで、谷啓なんかと一緒に活動していた素敵な人だった。
そんな事情があったので、イリアがジューシィ・フルーツでデビューした時から大ファンになった。
女子美術大学を卒業しているので、今は幼稚園でアートを教えているということ。
多少ふっくらしたけど、ミニスカートが似合うカッコイイ女性で、今のほうがいい表情している。
なんかうれしいなあ。同い年の女性が、今でもキラキラしているのがすごくうれしいなあ。

既製の歌謡曲を独自の視点でアレンジして、新しく命を吹きこんで作品に仕立てる彼女の才能に敬服していたし、ファッションセンスもサイコーだった。

ひょっとしたら、プリンセス・プリンセスも森高千里も、イリアが在籍したガールズやジューシィ・フルーツがいなければ、出てこなかったかもしれない。

30年前はハマトラなんていう保守的な女性ファッションが女子大生中心に大流行していて、僕の通う大学もそんな女子大生のメッカのひとつだった。

当時の大学生の様子を知るには、田中康夫の「なんとなくクリスタル」がいい。

僕のような貧乏学生とは無縁の世界で、ハマトラの彼女など見つかるはずもなかったけど、逆にセンスをお金で買う世界が僕にはちっとも面白いと思えなかったし、彼女たちに興味もなかった。

イリアみたいな個性的な女性を彼女にしたかった。
だけど、あんな三拍子揃った人はなかなか身近にはいなかったね。当たり前か。

で、ユーチューブを見ていて何が一番面白かったかというと、弘田三枝子が歌った「夢見るシャンソン人形」の替え歌「夢見るシェルター人形」っていう曲がものすごい歌詞で、こんな時期だから、アップしていいのか複雑な気持ちになるけど、これこそが東京のロックだって言いたい。
大正時代の演歌師添田唖蝉坊から、ずうっと流れる反骨精神が粋だ。

牽強付会って怒られるかもしれないが、江戸期の浮世絵や戯作者気分まで漂っている。
ひねくれ者なので、反原発やラヴ&ピースを叫ぶより、こんな曲の方がぐっとくる。
そういえばジューシィ・ハーフのライブも、原発反対デモも高円寺だった。
イライラしながら通勤客が行き交う最近の中央線沿線は苦手だったけど、渋い古本屋がある高円寺という不思議な町は、ちょっと好きだった。
こんど、遊びにいきたいな。

最近の高円寺でのライヴ

30年前のイリア。いま見てもカッコイイ。

2010年8月 3日 (火)

おいらいちぬけた。

野田市を中心に活動する劇団彩が「山中直治物語」という芝居の公演をやるので、見に行ってきた。

僕の姪(弟の長女)が女優デビューするというおまけもついて、ちょっと照れくさいが、一族揃って出かけた。

実話とフィクションが入り交じり、ちょっとどうかなという部分もあったが、全体的にはとても楽しく、見られた。

演出の梅田宏さんはさすがに芸達者で、校長先生の役が堂に入っているし、パンフレットを含めたビジュアルの質も高いので、改めて感心した。

それにしても、山中直治って、全然知らなかったけど、僕はとても興味を持ってしまった。

1906年野田の梅郷生まれで、1937年に31歳で亡くなった、童謡の作曲家だという。

童謡「かごめかごめ」を採譜して全国に広めた人物というが、志半ばにして病に倒れたってことだろう。

もう少し早く生まれていれば、大正時代に間に合ったのに。

鈴木三重吉が児童文芸誌『赤い鳥』を創刊したのが1918年で、廃刊が1935年だから、児童文学や童謡が軍国主義に押しつぶされてゆく時期に亡くなった。

だから、僕たちもこの人のことを知らないのは当然だろう。

最近、小川未明の「赤いロウソクと人魚」を読んだ。

松岡正剛の「日本流」では野口雨情について、学んだ。

戦前の童謡は、現代人には概して暗い歌詞に聞こえる。

野口雨情のちょっと怖い不思議な美意識は、今も残っているのだろうか。

2年前にブログでこんなことを書いた。

雨の夕暮れの屍のような美意識

田中優子は「日本流」の解説で1960年以前に生まれた日本人までは残っていた感覚がいまは、失われたと説いている。

すべての人が、いつでも、明るく、プラス思考で、前向きに、アメリカ人のように!

そんな社会は、なんだか薄気味わるいし、嘘くさい。

おいらいちぬけた。

2009年10月24日 (土)

加藤和彦の死について考えた

体調が悪くて、ブログの更新が2週間も途絶えてしまったが、この2週間でいろいろあった。

まず、ショックだったのは加藤和彦の自殺。

中学生の頃、クラスメートから顔が加藤和彦に似ていると言われて、意識するようになったが、この人の音楽的な方向性はなんとなく他人じゃない感じがしてきた。

大ファンではないが、ミカバンドも、「パパ・ヘミングウェイ」も、そのあとのヨーロッパ風のアルバムも、僕の愛聴盤だ。

世間のイメージを気にせず、好きなことを、好きなだけやっていた人(どちらかというと荷風に似たタイプ)だと思っていたので、衝撃が大きい。

ただ、今になって思うのは、この人は、どこまでも徹底的に都会人で、自分の中に自然で癒される仕掛け(あまりうまく言えないな)を持っていなかったんじゃないかっていること。

自殺した軽井沢という場所も立派な都会である。

天才であるがゆえに、衰えてゆく苦悩を処理することが出来なかったんだろうって、思う。

同じように天才だった荷風が最後に住んだのが、東葛飾の市川だったという事実は、僕にはとても重いのだ。

戦後、自由な社会になり、荷風は大好きなパリでも、どこでも好きな場所に住むことが出来たはずなのに、14年間も市川に住んだ。

多くの評伝を読んだが、だれも納得の行く説明をしてくれていない。

古い東京の街を想起させる緑豊かな丘や、江戸川や真間川を中心とした水景に癒されたことは間違いない。

でも、市川じゃなくちゃいけない理由がもう一つわからない。

「断腸亭日乗」にも書いていない何かがあったはずなのだ。

あくまで推理の世界だが、僕は松戸の戸定邸の存在も関係しているような気がする。

そして、戊辰戦争時には国府台に幕臣が集まって、決起した歴史もある。

文庫化のなった川本三郎「荷風と東京」を読んでいたら、荷風という人は崖の上から遠くを見るのが自分のスタイルだったという記述を見つけた。

戦後出来た新政府が、愛する江戸東京を舞台にどんなことを行うのか、緑豊かな江戸川のこっち側の崖の上から、見届けてやるぞという決意だったのかもしれない。

加藤和彦の話が、いつの間にか荷風になってしまった。

とりあえず、この辺で終わり。

2009年8月12日 (水)

明け方まで「雑居時代」を見てしまった。

ブログに「雑居時代」のことを書いてから、急に気になり始めて、ユーチューブで「雑居時代」の動画を見ていたら、とまんなくなっちゃって、明け方まで見てしまった。(眠い)

だって、今見ても、石立鉄男と大原麗子の会話はすごいんだから。

軽快なテンポで、繰り出される会話の妙は、よくできた新作落語を聞いているかのようで、こりゃ何度見ても飽きない。

笑えて、ほろりとさせて、なおかつハラハラさせる。

この前の「パパと呼ばないで」も、このあとの「気まぐれ天使」もよかったけど、石立鉄男は、大原麗子とからんだ、この作品が多分ピークだったような気がする。

最近ドラマ見ないので、もし「雑居時代」のリメイクを作るとしたら、いまこの二人のようなやりとりを出来る役者さんているのかしら。

石立の十一の役は大泉洋あたりかな。(ちょっと器用すぎてつまんないけど)

大原麗子の役を出来る俳優って、いるのかね。

同じようにサントリーのウィスキーのCMに出てるけど、小雪じゃ線が太すぎるし、上手すぎる。

決して何でもこなせる器用な役者じゃない二人が、全盛期に出会って作った作品が「雑居時代」だったから、時代を超えて心打たれるものがある。

芸達者な大坂志郎や富士真奈美がいるから、また二人の存在が光る。

いいものを思い出せてくれて、もう一度大原麗子に感謝したくなった。

2009年8月 9日 (日)

大原麗子の訃報に思う

荷風の死に方についてブログで書いたら、大原麗子が荷風と同じように孤独な死をとげたと報道された。

大原麗子といえば僕には「雑居時代」だな。

テニス部を辞めて、勉強も最悪で、家でロック聞くだけのまるでダメ人間だった高校一年のころ、このドラマを見るのが楽しみだった。

大原麗子演ずる勝ち気で、気っぷのいい夏代という女性が素敵だった。

毅然としたたたずまいが美しかった。

そのイメージは後年、あの「すこし愛して」のCMに引き継がれて、その魅力が遺憾なく発揮されることになる。

2回離婚してひとりになって、ずっと病気と戦って、痛みに耐えて、孤独に死んでいった大原麗子は、荷風みたいでかっこよすぎる。

「ちょっと寂しくて」なんて言って、麻薬に手を出したり、病気を苦に自殺したりする人間が多い世の中だ。

持田叙子が荷風の死について言った言葉。

「グッド・ジョブ」を大原麗子に捧げよう。

そして「ありがとう」

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