所属する団体と仲間たちのリンク

無料ブログはココログ
フォト

日記・コラム・つぶやき

2017年3月18日 (土)

いまの茶の湯の世界には「貧の茶」「平常の茶」があるのかしら、最近気になってしかたがない。

「懐かしき未來 その2」を作っているウチに、30代の頃、熱中した柳宗悦への関心が復活してしまい、その熱中度合いがとうとう永井荷風愛を上回ってしまったので、ブログの看板も「新葛飾土産」から「青空公房のブログ」に変えることになってしまった。

そこで、久しぶりに『民藝四十年』を読み返した。
この名著の中でも一番、今回感慨深く読んだのが「利休と私」という罪作りなエッセイ。
そこにはこんなコトが書いてある。

利休というと「茶」では神様のようにいう人が多い。近頃学術的な研究も盛んになったが、初めから鵜呑みに無批判に有り難がっている人々が多い。

だが、どういう道を通って、利休はその位置を得たか、利休の生涯を見ると、彼は転々として、当時の権門に仕えた。始めは信長に仕え、次には秀吉に侍り、その他の諸大名、諸武将、さては豪商と歩き廻った。

純粋に茶の道が立てられたというより、権門を利用して「茶」を栄えさしめ、また「茶」を利して権門をあやつったともいえる。かくて「茶」は政治的にまた経済的に活用された。

かかる「茶」は「民衆の茶」ではなかった。常に権力とか金力とかの背景を求めた。大名とか武将とか豪商とか、それらの人々を忘れずにかついだ。またそうすることで「茶」を拡めた。「わび茶」とはいうか、一種の贅沢な派手な「茶」で、主として富や力にものをいわせた。

もしも、権勢に媚びず、もっと民間に「貧の茶」、「平常の茶」を建てたら。茶道はずっと違ったものになったと思われてならぬ。「わび茶」は貧を離れては、よもや徹したものとはなるまい。力や金を利用したことで「茶」が普及したともいえるが、そこに早くも「茶」の堕落が兆したともいえる。今も「茶」は貴族的な「茶」に落ちがちであるが、一度は金力を茶から追放すべきである。金力があってもかまわぬとしても、金力に敗れるような「茶」は、「茶」たる資格を持たぬ。

これを読んで、利休を神のように慕うヒトたちの中に入っても、自分の居場所はないと思った。その後、利休について少し勉強し、赤瀬川源平の『千利休無言の前衛』はとても面白い本だったので、愛読書になったが、それでもぼくの利休嫌いは、訂正されることはなく、今に至る。

そして、柳は、民間に「貧の茶」、「平常の茶」を建てることなく、モデルを示すこともなく、世を去った。いまだに「茶」に入門することも出来ず、悶々としていたところ、「和楽」という雑誌で「茶の湯レボリューション」という特集を組んでいる。柳宗悦にも言及しているというので、期待して買ったけど、利休を神格化してチェ・ゲバラと並ぶ革命家だという???の内容だった。

逆風の中、ひとり巨大な力と戦いながら、道なき道を歩んでゆくのが、革命家たる所以でしょう。ちょっと無理があるね。
「懐かしき未來 その2」では、贅沢品としてのきものではなく、普段着としてもきものにスポットライトを当ててみた。
柳が亡くなって50年以上経つが、いま、茶道が廃れていると聞いた。
昔は茶道か華道が花嫁修業の必須科目だったイメージがあるが、いまの茶の湯の世界には「貧の茶」「平常の茶」があるのかしら、最近気になってしかたがない。

今日の一曲は、ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」。
ディランのライブの中でも一番有名な、伝説的な場面なので、下記のようにWikipediaに説明があった。
それまで誰も聞いたことのない新しいロックを創造する中で、ブーイングに耐えられず、ツアーのバンドメンバーが次々と離脱する中で、残った5人のメンバーと奏でるロックは、どんな大音量のロックよりも激しく心を揺さぶられる。
ドラマーのレボン・ヘルムが耐え切れず、一時的に離脱したので、ドラムだけがのちのザ・バンドじゃないのだが、このパワーだけドラマーがこのときのライブには、あまりにもマッチしていて、嵐のようなサウンド作りに貢献している。一期一会の奇跡的ライブだと思う。

聴衆の一人が "Judas!" 「ユダ!」(「裏切り者」の意)と叫ぶと、それに続いていくつかの拍手が起こる。さらにもう一人が "I'm never listening to you again, ever!" 「お前なんか、今後二度と聴かないぞ!」と叫ぶと、ディランは、 "I don't believe you." 「お前のことは信じない。」しばらく沈黙した後 "You're a liar." 「お前は嘘つきだ。」 と言い、バックのバンドに向かって "Play it fuckin' loud." 「やかましく演奏しよう」と呼びかけ「ライク・ア・ローリング・ストーン」の演奏が始まる。

2017年2月 4日 (土)

いろんなモノや想いが交錯し、共感し、時に火花を散らし、関係するみんなの想いがリフレッシュされて、さらに次のステップに向かってゆく。本はそれら沢山の物語を格納する器だ。

一月もあっという間に終わり、もう一年の12分の1が経過して、本年2回目のブログ更新。
年内に出す予定だった「懐かしき未來 その2 那須町できものの風が吹き始めた」も、どんどん延びたけど、前回報告した通り、2月20日発行で落ち着くと思います。

ひとつの仕事をこれだけ、手間と時間をかけて、やるのは出版関係では初めてかな。
自分の人生を振り返っても、25年前の那須高原のセルフビルド以来という気がする。
それだって、輝かしい経験を持つ建築家の小須田廣利さんが、お膳立てしてくれたステージの上で、バタバタ忙しく走り回っていただけで、自分が舞台演出したわけじゃない。

今回の充実感は尋常ではなく、長いこと乗り越えられなかった、、大きな壁を乗り越えたような感じだ。

いまは表紙のデザインの最後のツメをやっている。

そこにも様々な想いが交錯して、時空を超えたコラボレーションもうまくいきそうで。
無印良品のというより、日本を代表するグラフィックデザイナー原研哉が、『なぜデザインなのか』という本の中の対談で、「ポスターはコミュニケーションが行われた痕跡」だと言っている。本も一緒だ。

いろんなモノや想いが交錯し、共感し、時に火花を散らし、関係するみんなの想いがリフレッシュされて、さらに次のステップに向かってゆく。本はそれら沢山の物語を格納する器だ。

谷中でカフェをやっていた娘が、谷中の茶屋で働いていた笠森お仙を描いた鈴木春信と、コラボレ-ションするという、不思議な縁だってある。それも一つの物語。

繋ぐ。

つなぐ。

人と人を繋ぐ。

それが江戸から22世紀まで、生活文化をつなぐことになってゆく。

ぼくたちの時代で、バトンを落とすわけにはいかないでしょう。

そんな不思議な縁を感じる作品に仕上がりつつあるから。きっと。

Osen_at_the_kagiya_teahouse_by_the_

やっぱりこの二人の共演はいい。
どことなく、ジェイムス・テイラーとキャロル・キングの共演を思い出す。

杉浦日向子が亡くなった早朝の病室の様子を描いたような曲だと、実兄が書いているのを読んで、さらにこの曲が好きになった。

2017年1月22日 (日)

一年近くかかったけど、やっと「懐かしき未來その2 那須町で、きものの風が吹き始めた」が発行される予定が立ちました。

あ、遅ればせながら、今年初めての投稿です。
約ひと月ぶりの投稿で、2008年に「新葛飾土産」を始めてから、これほど間が空いたことはありませんでした。

その間、何をやっていたかというと、土日は「懐かしき未來」の仕事にどっぷり。
一年近くかかったけど、やっと「懐かしき未來その2 那須町で、きものの風が吹き始めた」の発行される予定が立ちました。

現在のところ、2月20日発行の予定です。
A4サイズで全68ページカラー印刷。
さらに小冊子のおまけ付きで、定価は1000円になる予定。

ひとまず報告です。
シリーズ「懐かしき未來」は、出版して終わりというのではなく、これからの活動の道しるべになるテキストを目指しています。
那須町を中心に、共感の輪が広がって、新しい共愉的な活動を始めたいと願っています。具体的な活動の中身については、徐々に形になってゆくはずです。

これからファーストロット300冊の印刷製本です。
忙しくなります。

編集作業中一番、何故だろう。YMOをよく聴いてました。

散開直前の時期に出たアルバムに入っていた曲。

カセットテープに入れて、切ない気分にひたって、よく聴いたのがこの曲でしたね。

2016年12月23日 (金)

まだ母と出会う前の、自分が知っている小太りの父の姿とは全くちがう やせた青年だった父の写真と対面したとたん、なぜか号泣してしまった。

同居していた父が、自宅で急死して10日たって、ブログには書ききれないほど、
その間もの凄くいろんなことがあって、気持ちの方が先走っていて、
頭の中が整理できてなくて、
こういう時は、本を読んでも、全く頭に入らないので、毎日音楽ばかり聴いている。

父は老衰で88歳で亡くなったから、急死にはあたらないかもしれないけど、
亡くなる二日前まで、普通に生活していて、その日の晩は、深夜も寝ないでワアワアしゃべって、母を困らせていたら、翌日意識を失って、あっけなく死んでしまった。

ずっと前から覚悟はしていたけど、いまひとつ、気持ちの上で、父の死を受け入れられないのかもしれない。

ブログを書くことで、頭を整理しようとしているのに、いかん。
余計にザワザワしてきた。


歌はいらない。言葉はムナシイ。ピアノの音色が心にしみる。
父の葬儀に間に合うように、大急ぎで「父と東京」という小冊子を作った。
葬儀屋さんの世界では、こういうのを「栞」というらしい。

父が亡くなっても、全然、涙も出ないし、平常心で受け止めていたのに、
この冊子を作るときに、父が24歳の時の写真に出会ってしまった。
いままで見た記憶はないが、見逃していただけかもしれぬ。

まだ母と出会う前の、自分が知っている小太りの父の姿とは全くちがう
やせた青年だった父の写真と対面したとたん、なぜか号泣してしまった。

前回のエントリで書いたトレーシー・ソーンの歌声のような清々しい、イノセントな感じの写真がまぶしすぎる。

だから、この写真を表紙に使うことにした。

Photo_3

もしかしたら自分でも解明不可能な、言葉では表現できない、心の奥底に横たわっている感情が爆発したのかもしれない。

Photo

出来上がった栞は棺の中に入れてあげた。
父は湿っぽい話が嫌いだったので、これでもうおしまいにしよう。

そうだ、小学校5、6年のころ、父と二人でたくさん洋画を観に行ったことを思い出した。
「ローマの休日」や「アラビアのロレンス」のリバイバル、確か新作の「2001年宇宙の旅」も観た。その中でも一番印象的だったのがアラン・ラッドの「シェーン」。

東銀座にあった東劇でワクワクしながら観た。
古き良き時代だったね。

 

2016年12月11日 (日)

固い殻が壊れてゆくのが面白くて、自分のことなのに、妙に客観視して見ているオレがいる。 その結果、すね者のアンダーグラウンドなメディアだった「懐かしき未來」が、那須町の小学生にも読んでもらうような健全な本として、世に出ようとしている。

ひと月ぶりのブログ更新。少しの時間でも、PCに向かうと、「懐かしき未來」の仕事をやっているので、仕方ないか。

最近ひとりで、ぼうっとして、物思いにふける時間が増えた。

この半年間、本を作りながら、ずいぶん、いろんなことを考えた。
中でも面白かったのは、学校の先生と一緒に仕事をして、初めてうまく行っているってこと。

東京下町の古風な花街で育ったオレは、引っ越し先の練馬の上品な幼稚園で、行儀よくお遊戯をするのは決まり悪くて、反抗的だった。当然先生にも嫌われて、叱られてばかりいた。

こうして幼稚園でつまずいて以来、高校卒業までずっと、学校の先生とは相性が悪くて、反体制、反権力のロック少年として育ってしまったから、サラリーマンを何年やっても、周囲の社会と馴染めず、アンダーグラウンドな人間として、一生を終えると思っていたから、エラい人、マジメな人、中でも学校の先生とは組んで仕事をしないことにしていた。

だから、ZINEとかリトルプレスって、どこかマイナー指向で、すねた気分があって、読んで欲しいけど、あまりたくさんの人には読んでもらいたくないような、アンビバレントな気分を抱えながら「懐かしき未來 その1」を作った。そういう意味では、ひとりぼっち史上最高傑作だったのかもしれない。

そんなオレが、偶然が重なった結果、現役ではないにしても、18年間も小学校の先生だった人と一緒に仕事をしている。
先生はオレの周りに50年かかって出来てしまった固い殻をガシガシ壊してゆく。
固い殻が壊れてゆくのが面白くて、自分のことなのに、妙に客観的に冷めた目で見ているオレがいる。
その結果、すね者のアンダーグラウンドなメディアだった「懐かしき未來」が、那須町の小学生にも読んでもらうような健全な本として、世に出ようとしている。

長年親しんだ自分の固い殻だから、殻が壊れるのは寂しいし、ちょっと心細い。

だけど、自分が始めたDIY普及活動を青空公房と名付けたのは、幅広く「自分で出来ることは、自分でやる」DIYスピリットを、一人でも多くの人と共有したいと思ったから。
青空公房の本来の目的にかなった方向に向かって進んでいるんだろうな、多分。

気合いを入れるのは、苦手だけど、2017年はそろそろ本気になる時かな。

そうしないと、一生本気にならずに終わっちゃうかもしれないし。

ひとまず、アンダーグラウンドと言えば、ヴェルベット・アンダーグラウンドの名曲をカバーしたトレーシー・ソーンの「ファム・ファタール」が、やっぱり今の気分。

何度聴いても、清々しくて、イノセントな感じで、ハッとするような輝きがあるからね。



2016年11月 3日 (木)

菊地さんとはある種の想いを共有している部分があって、それが「懐かしき未來」を作っているモチベーションになっている。 どんなものかは今回の「懐かしき未來 その2」を読んでいただくしかない。

親の介護やら、何やらで、フィールドワークどころか、ちょっとした外出も計画できない状況で、自宅でできることをやってみようと始めたシリーズ「懐かしき未來」の仕事だが、そのお陰で、いままで積ん読だった本も含めて、たくさんの本を読む機会に恵まれたのは、思わぬ喜びだった。
その中でも最高の出会いは、田中優子『鄙への想い』と、志村ふくみ・鶴見和子『いのちを纏う』かな。

それはさておき、ひとまず、編集作業がほぼ終わって、一番感慨深く思うことは、今まで長い間ずっと望んでいた伴走者とのコラボレーションによる本作りが初めて、理想的な形で実現したこと。
これはひとえに、菊地厚子さんという極めて優秀なパートナーとの出会いの結果なのです。

菊地さんは、150キロも離れた那須町に住んでいて、ふだん顔を合わせることもなく、知り合ったばかりで、どういう人かもよく知らないのだが、こういう適度な距離感と緊張感が制作チームには必要なのかもしれないと、初めてわかった。
今まではいつも、仲良しの友達を集めて、いろいろやろうとしたけど、ことごとく失敗してきた。

ただし、菊地さんとはある種の想いを共有している部分があって、それが「懐かしき未來」を作っているモチベーションになっている。
どんなものかは今回の「懐かしき未來 その2」を読んでいただくしかない。

今日は一日中、昼寝もしないで朝から夜まで、仕事をして疲れたから、そろそろ眠ります。
眠りのお伴は疲れた身体をほどよく癒やしてくれるビル・エバンスとジム・ホールの「スケーティング・イン・セントラルパーク」。
これもまた、二人のクリエーターによる閃きが、随所に感じられる名曲だよね。


2016年10月23日 (日)

青空公房の出版活動を通じて、どうやったら、みんなが希望を持って、幸せに暮らせるのか、みんなで一緒に考える機会を作ってみようと考えている。

この前のブログ更新が9月18日だった。
完全に、ひと月空いた。
でも、このひと月は、暑い時と違って、すっかり元気になったので、
「懐かしき未來」の仕事が忙しくて、ブログを書くヒマもなかったというのが
実情なのです。
新しく読んだ本はないけど、田中優子『鄙への想い』という本を再読して、
「都の思想・鄙の思想」に目覚めたりして、なかなか刺激的な日々でした。

そして、本日脱稿して、ひとまず一区切りです。
とは言っても、編集、校正、印刷、製本、販売まで、全部自分でやるので、
まだまだ忙しいんだけど、書き手としては、少しホッとしているところです。
二月頃から構想を練り始めて、手探りで書き始めたから、うまく書けるかどうか不安でたまらなかった。
サブタイトルっていうか、実質的なタイトルは「那須町で、きものの風が吹き始めた」にした。
もちろん今から変わるかもしれないけど。

ただ、今回から固定した部分もあって「懐かしき未來」の前に「生活世界を作り直すための 」って、枕詞を付けたこと。
「等身大の生活世界」っていう言葉があって、ぼくが一番影響を受けた玉野井芳郎という経済学者の著作集のタイトルだった。
なんか、難しいこと言ってるみたいだけど、全然そんなことなくて、茨城の農夫だったじいちゃんの時代なら、当たり前だった手作り感満載の暮らしぶりを、ちょっとでもいいから取り戻して、現金収入は少なくても楽しく暮らすための参考書にしたいっていうこと。

きものに入門するのも、かつての「気持ちのいい生活」を取り戻すための、ツールになることを、今回取材した菊地厚子さんから教えてもらった。

こんなとき、うちのじいちゃんが生きてたら、なんて言うだろうって、いつも考えている。
菊地さんも自分のばあちゃんのスタイルが根っこにあるという。

昔の年寄りの考えが、全て正しいなんて言うほど、ノスタルジーべったりな人間ではないけど、高度経済成長期以降の50年間、あるいはプラザ合意以来の、この30年間で、日本はどれだけ暮らしにくい国になってしまったんだろうって、よく考える。

小林信彦か誰かが言ってたけど、江戸期以来続いていた生活文化があっという間に消えて、等身大の生活世界が、この50年間で大きく変貌したのは間違いなく、その変貌が大きな会社を富ませて、都会の会社勤めの人々を物質的に豊かにしただけで、日本人全体が幸せに暮らすためのものではなかったことが、ますます明白になってきたのが、平成ジャパンだったと思う。

いまならまだ間にあう。きっと。
青空公房の出版活動を通じて、どうやったら、みんなが希望を持って、幸せに暮らせるのか、みんなで一緒に考える機会を作ってみようと考えている。

寺尾紗穂「夕まぐれ」

2016年9月18日 (日)

長い時間をかけて、日本人が培ってきた「手の知性」って、ほとんど失われて初めて、大変な日本の財産だったんだって、気づいた。

いかん。ブログの更新間隔がどんどん開いている。
さぼっているつもりはないし、書くことがないわけじゃないけど、パソコンの前に座る時間がほとんど取れていない気がする。
たぶん、仕事の疲れで、平日の夜はもちろん、休日もソファでiPad持って、ごろごろして。
長時間椅子に座って、パソコン作業するのも結構パワーがいるんだって、初めて知った。
ユーチューブで音楽を聴くことも、面倒くさくて、死んでた。
読書以外に、何もやる気が起きず、テンションが上がらず、悪循環の日々。
もちろん、お盆休み以降、一度も遠出をしていない。
一番遠くまで出かけたのが、市川国府台のTree-Bだもん。

ていうことで、やっと涼しくなって、迎えた三連休なので、久々ブログ更新となった。

この間、何を考えていたかというと、「手の知性」という言葉。

『クリエイティブリユース』という本のなかで、著者の大月ヒロ子さんが使った言葉なんだけど、ここ数年あれこれない知恵を振り絞って考えて、自分が言わんとしてきたことが、この言葉一つで、言い当てられてしまったような気がして、ドッキリしたのだ。
どんな意味で使っているのかは本を読んでください。
そして、その言葉についてあれこれ、さらに考えていたら、ふと思い出したのが、今はだれでも知っているブロック玩具「レゴ」のこと。

おもちゃの遊び方に正解なんてないから、どのように遊んでもいいと思うが、昭和39年にABS樹脂で出来た美しい色彩のブロックを初めてみて、一瞬にして魅せられた7歳の少年はとにかく、手でこのブロックをいじり回して、はめたり、はずしたり、色彩の組み合わせや、手触りを楽しんだ記憶がある。
やがて、そんな手遊びをやっていると、心の中にふとひらめいた形が見えて、なんとなく、テーマなど考えず、何かを作り始める。
出来上がるまで、いや、出来上がっても、それが何であるのかなんて、どうでもよくて、もちろん実用的だったりする必要などなくて、当時はそんな言葉があることを知らなかったけど、オブジェのような作品を、毎日せっせと作っていたような記憶がある。

レゴも時代の変化には逆らえず、倒産寸前になって、ウィキペディアによれば、

2014年現在、「スター・ウォーズ」や「レゴムービー」など、何らかのストーリーに沿って開発された「プレイテーマ」が年間400近く開発され、その新商品の売り上げが年間収益の約6割を支えている。

のだそうで、レゴもいまや手を使って遊ぶというより、決められたストーリーと設計図に従って作るプラモデルとあまり変わらないモノに成り下がってしまった。それでも、コンピュータゲームだけやっている子供よりは、レゴを組み立てている子供のほうがまだマシなのかもしれない。

子供の世界の変化とレゴの現状は、世の中全体の縮図のように感じる。
最初から見知らぬ誰かが作った設計図通りに、作って満足する。
体で感じる知性を軽んじて、頭だけで考えているから、政治も経済も世の中全体が窮屈で、小粒になって、とんでもなく面白いモノが出てこない。
またまた偉い先生に牽強付会って、怒られるかもしれないが、長い時間をかけて、日本人が培ってきた「手の知性」って、ほとんど失われて初めて、大変な日本の財産だったんだって、気づいた。

そういえば昨日、家の近くを歩いていたら、ちょっとうれしくなるような落書きを発見した。

Photo

この通りを全部、子どもの落書きで埋め尽くしたら、どんなにワクワクした通りになるんだろう。アメリカのポートランドにあこがれてる場合なんかじゃないぜ。

2016年9月 4日 (日)

いまはもっと切実で、『人間復興の工芸』というテーマが老若男女を問わず、みんなの課題になりつつあるから、ぼくはDIY普及プロジェクトの青空公房を始めて「懐かしき未來」を、作っていることの意義に、気づかされた。

いま、奥付に1990年発行と書いてある柳宗悦『手仕事の日本』を読んでいる。

30代のころ、那須町に通い始めた当時、手を動かしてモノを作る愉しさを知り、柳宗悦に共感を覚え、『民芸四十年』というアンソロジーをボロボロになるまで読んだ。

さらに家族旅行で行った沖縄のホテルで「琉球の富」というエッセイを読んで、グローバル経済システムに対抗するローカルな社会や経済システムを柳の思想から学んだけど、どこか違和感を感じる部分もあって、やがて関心が薄れてしまった。

この本も買ってすぐに目を通して、読む価値なしと判断して、放り出して、四半世紀の歳月が流れている。そのときは、理論的な柳の本と違って、具体的な事例を紹介することが目的の本だから、取り上げている事例が古くて、利用価値が低いと判断したんだと思う。

戦後すぐに出版されたから70年以上前の本だ。当然、紹介された工芸品で消滅したモノや、産地も多い。

そんな積ん読組の代表選手だった『手仕事の日本』なんだけど、いま読むと戦前の工芸史の本として、読みごたえがあるし、繰り返しが多くて、読み疲れてしまう工芸理論の本より、読みやすく、分かりやすく、実例に則して居る分だけ、突っ込み所満載で、一気に愛読書の仲間入りしてしまった。

柳の工芸理論って、見本を示すべき作家と、それ以外の無学な工人の格差が大きくて、愛のない冷たい理論だなあって思っていたけど、『手仕事の日本』では、長い冬場の農閑期に、室内で一生懸命手を動かす農家の人たちを温かい目で見守っている心情が伝わってくる。

ぼくが柳宗悦や民芸に興味を失ってしまったのには、いくつもの理由があるのだが、そんなボクの不満を一気に解消してくれたのが、出川直樹『人間復興の工芸』。

詳しくは読んでいただくしかないのだけど、内田雄造さんという方が書いている解説に共感した。
そこに書かれたことは、19年後のいま読むと、まだまだ世の中が安定していた古き良き時代の解説だったなと思う。
いまはもっと切実で、『人間復興の工芸』というテーマが老若男女を問わず、みんなの課題になりつつあるから、ぼくはDIY普及プロジェクトの青空公房を始めて「懐かしき未來」を、作っていることの意義に、気づかされた。
ちょっと長いけど引用します。

「市民に開かれた工芸活動を」

特に本書では、出川が市民に対してはつくる喜びと人間性回復の場として手工芸を位置づけると主張している点が注目される。自由時間の増大と高齢化社会の実現の中で、市民、特に高齢者の生きがいをいかに保証しうるかが今日問われている。福祉や南北問題といった社会的な活動、市民農園やクラインガルデンの耕作といった自然との関わりとならび、手工芸もこれから市民の自己実現の有力な有力な分野となろう。
 以前、私の母は、東京郊外の駅の近くで手工芸品のブティックを開いていた。ここでは出品者が自らの作品に値段をつけ、母は一定の手数料をいただくというシステムであった。定常的な出品者は百人を越え、作品の質も高く、出品者が同時に顧客であり、常連客のサロンとして、そこではさまざまな情報交換がなされ、ささやかではあるが地域の文化の拠点になっていた。私はこの母の試みから、きたるべき社会における一つのモデルを見た思いであった。

この一文を読みながら、ぼくは「懐かしき未來 その1」で取り上げた国府台Tree-Bを思い出していた。
今年の春先からずっと、きものと手仕事をめぐる長い旅をしている。
出川直樹さんのこの本に出会って、まるでパズルのラストピースを見つけたような気分だ。
爽やかな秋風が吹き始めて、本作りも、そろそろ大詰めかな。

チベット出身の女性歌手alanの「懐かしい未来」を。

ぼくの本は「懐かしき未來」だけど、細かいことは、まいっか。

2016年8月21日 (日)

西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていたとき、日本を野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国とよんでいる。 天心が亡くなって100年、そろそろ、目覚めないと、天心に叱られるぜ。

「あのね、寅さんが日本人にしかわからないとか、その心情が日本的だとか思うのは日本人だけだからね」
今朝の朝日新聞のコラム「日曜に想う」にこんな言葉が載っている。
フランス人の日本美術史研究家クリストフ・マルケさんの言葉だという。

近頃流行の日本礼讃とは全く方向の違う、奥深い言葉に心を打たれた。

昨日、1年ぶりに菅付雅信さんの『物欲なき世界』(平凡社、2015)を読みかえした。
「懐かしき未來」を作り始めたころに読んだ本だ。

先進国の中でもっとも早く資本主義の限界に突き当たって、しかも、唯一の被爆国で、なおかつ福島の原発事故を体験した日本は、資本主義とは異なる21世紀の新しい定常型社会を作ってゆく上で、世界をリードする立場にいるのに、古くさいマインドセットにとらわれているから、それに気づかない。

茨木のり子が言ったように

それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして
一人と一人のつきあいが
小さなつむじ風となって

新しい定常型社会を作る「一人」の事例を見つけたくて、「懐かしき未來」を作る活動を始めたのだと、改めて気づかされた。

そして、ぼくは菅付雅信さんが書いたことの、その先に行ってみたいと思う。
それはいま作っているきものに代表される日本文化のコト。

「フイナム アンプラグド01」という雑誌が手元にあって、Magazine for the Hip とあるから、ヒップなライフスタイルマガジンという訳で、装幀もセンスいいし、よく出来た雑誌なんだけど、アメリカ発の消費文化から一歩も踏み出していないから、何も心に残らず、読み飛ばしてしまう。

2年前にこのブログでも紹介した佐久間裕美子『ヒップな生活革命』は、アメリカの新しい潮流を捉えた、しっかりした本で、なかなか読ませるのだが、読んだ当時とちょっと違う感想がある。

黒船以来のアメリカ文化と日本文化の関係は、ぼくたちが思いこんでいるほど、一方的なものじゃなくて、双方向で影響を与えあっていて、それが特に、Hip なんて領域になると、もしかすると日本の方が世界をリードする立場なんじゃないか、ということ。

そして、死の商人やハゲタカファンドのような守銭奴だけがアメリカ人じゃなく、ラジカルなユニテリアンのエマソンやソーローやその末裔たちが作っているアメリカもあるってことを、今のような時代だからこそ、強く意識する必要があるんじゃないかな。

上記のエントリに書いた『グレイト・ウェイブ』の主人公は、岡倉天心だ。
そして当時、西洋文化礼讃の時代に、東洋の理想を説き、時代遅れと笑われ、排斥されて、自然と戯れ、一人淋しく亡くなった天心の先見性に思いをはせる。

『茶の本』にこんな印象的な一文がある。

西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていたとき、日本を野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国とよんでいる。

天心が亡くなって100年、そろそろ、目覚めないと、天心に叱られるぜ。

わずか45年前まで日本語でロックを歌うと笑われた時代があったことを知らない若い人たちに、捧げます。

はっぴいえんど「抱きしめたい」

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

最近の記事

最近のコメント

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31