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日記・コラム・つぶやき

2017年12月11日 (月)

縁側で、遊びに来た人からお金もらうわけいかないでしょう。

いま、那須高原の山小屋に縁側を作っている。

一般的にはテラスというべき、ウッドデッキに、まずは屋根を付ける。

それだけだと面白くないので、冬場は取り外しの出来る透明のポリカ平板の雨戸を付ける。
さらに、可動式の畳を敷いて、こたつを設置することも考えている。

屋内の読書空間と合わせて、この山小屋を『那須の縁側』と名付けることにしました。

ブックカフェにしようかとか、会員制のライブラリーにしようかとか、悶々としてたけど、そんな小金稼ぎやってるより、少しでもいろんな人が集まってくれる方が、たのしいので、『那須の縁側』として、来年オープンします。

縁側で、遊びに来た人からお金もらうわけいかないでしょう。
お茶とお茶菓子くらい出すので、まあ、ノンビリしていって下さいというポリシーで行きたいと思います。

ぼくの『那須の縁側』に近い感覚で、「住み開き」を実践している場所を取材してまとめたのがアサダワタルさんの『住み開き』。アサダワタルさんは、建築のプロだったりしないので、フラットな目線で空間を見ているから、読者もすうっと入ってゆけて、気持ちのいい本なのです。

むしろ、ぼくなんかアサダさんの言う「リノベーション馬鹿」なんだろうなあ。そもそも、山小屋をセルフビルドで作っているわけだし、まあそれも好きでやっている訳で、たった一度の人生なんだから、好きなこと、トコトンやって後悔しないようにしたいと。

まあ、人生の残り時間を計算しながら、そんなことを考えています。

最近、プチ・マイブームの尾崎亜美。デビュー曲の「瞑想」の時から知ってるのに、自分の同い年の大天才の存在に、最近やっと気がつきました。

年齢を感じさせない彼女の歌声に、魅了され、元気づけられ、いつまででも聴いていたい。

2017年11月 5日 (日)

パソコンに向かう必要もなく、どこでも思いついたときにやれるから、そんな素朴な方法が 一番自分に合っていると思う。

10月はまるまる、ブログを休んでしまったなあ。こんなの初めてだ。
10月は国政選挙があったので、ブログを書く時間も惜しんで、Twitterばかり見ていたような気がする。無党派層だから、各党の主張をしっかり見極めないと、投票にも行けないのだ。
政局がらみで、次から次へと、耳を疑うような出来事が報道されて、落ち着かない一ヶ月だった。

それはさておき、25年前に作り始めた那須の山小屋は、来春の完成に向けて、インテリアの設計作業に取り組んでいる。
取りあえず住めるように、内壁や階段を付けたところで、力尽きていて、この20年近くの間、セルフビルドはあまり進展していなかった。

山小屋の使い道について、方向性が見えてきたので、やっと重い腰を上げて、最後の仕上げに入ったところ。
ここ数年、小さな家具を作ってきたことで、技術的にも、ちょっとだけ進化したから、やれそうな自信も芽生えた。

それから、孫が生まれたことも大きい。
もともと那須の家は、アウトドア好きな息子が思い切り遊べる場所を作ろうと、近所の仲間と一緒に始めたプロジェクトだったので、孫が生まれたことで、当初の志を取戻しつつある。
息子が小さいころ、よく読んでいた絵本とまちや住まい作りを結びつける延藤安弘さんの本を再び手に取るようになったのも、そんな背景があるように思える。

また今回は、外壁補修などの費用もかさんで、プロに頼む予算がなくなってしまったので、設計から何から、自分の手でやっているんだけど、それにしても、設計作業って、楽しい。
設計士のように、他人の家を設計するのは、楽しいだけじゃすまないのかもしれないが、ボクの場合は、全て自分で決めて、結果も自分に跳ね返ってくるので、素直に楽しい。

4Bの鉛筆でノートに絵を描く。
それを、製図用の三角スケールを使って、図面にしてゆく。
ヒマさえあれば、そんな作業の繰り返しで、消しゴムが、どんどん減ってゆく。
パソコンに向かう必要もなく、どこでも思いついたときにやれるから、そんな素朴な方法が
一番自分に合っていると思う。

そんな作業をやっているときの、BGMはたくさんあるけど、登場回数が多いのはこれかな。
大貫妙子・坂本龍一「3びきのくま」

2017年9月25日 (月)

子ども時代にLEGOブロックで、毎日飽きもせずに、おうちを作ったり、壊したりしていたのと何ら変わらず、結局「三つ子の魂百まで」って、昔の人は上手いことを言うなあと、今さらながら、感心している次第です。

どんどん、ブログ更新の頻度が落ちてるなあと思いつつ、9月最初のブログ更新です。

7月に還暦を迎えてから、いろんなコトをリセットしてみたくなって、長年身についた様々なモノやコトを一から見直してみよう。まずは身の回りの整理から始めよう。
こうして、何もかも、変えてしまいたくなって、ひとり文化革命ですね。

その中でも一番大きいのは、自宅の書籍の半分以上を那須の山小屋に移動して、新たな読書空間を作ろうとしているっていうこと。
すると、否応なしに、いままでずっと封印してきたデザインや設計することが習慣になって、ガラガラな通勤電車の中で、毎日のように絵を描いたり、妄想に耽ることが多くなっている。
おそらく、ブログで文章を書くことよりも、読書空間を作ることが最大の自己表現の手段になっているのかもしれない。

という感じで、人生最初で最後の、空間設計に挑んでいる訳です。
といっても、人様の金で、人様が使う建物を作るような設計家のような立派な仕事をしているんじゃなく、自分が遊ぶ場所を作っているだけだから、子ども時代にLEGOブロックで、毎日飽きもせずに、おうちを作ったり、壊したりしていたのと何ら変わらず、結局「三つ子の魂百まで」って、昔の人は上手いことを言うなあと、今さらながら、感心している次第です。

プロの設計家じゃないから、デザイン下手です。
現場に行っても、ささいなことで、一時間も、二時間も考え込んでしまうことも、しょっちゅうです。
それでも、もっと歳をとって、後ろを振り返った時に、60歳で本気になって、空間設計をやったことが、かけがえのない思い出になると思います。

誰のタメに設計しているかというと、もちろん上記の通り、自分のタメでもあるんだけど、去年生まれた孫を喜ばしたいと考えていることに、ふと気がつきました。
25年前に、息子を遊ばせようと、作り始めた山小屋なのに、いまは息子の息子のタメに作っている自分を発見して、進歩のなさと、歩みの遅さに苦笑してしまいます。

とはいえ、今までのような悠長なことを言ってられないのも、事実。

来年には那須高原で、ユニーク読書空間をオープンさせるために、精魂傾けてゆきます。

あまり意味はないんですが、最近気に入っているクラムボンの「yet」を。

2017年8月14日 (月)

従米保守のアベ政権が何をしてきたのか、アメリカ及び日本のハイソサエティ層と一般の日本国民、どっちを向いて仕事をしてきたのか、そろそろ結論が出てきたところで、今年の8月15日を迎えることに、大変奥深い意義を感じる。

小学生のころ、プラモデルで、第二次世界大戦で戦った戦車や軍艦、戦闘機や爆撃機を、たくさん作って遊んだ。
どこの国かは関係なく、日本、アメリカ、ソ連、ドイツ、イギリス、いろんな国の兵器の模型が狭い家の中にぎっしりと集まって、さらに映画『トイストーリー』に出てくる兵隊のプラモも大勢駐屯していて、ずいぶん勇ましい風景だったっけ。
そんな状況でも、絶対に買う気にならなかったのが、B29のプラモデル。
東京大空襲で、自分が育ったまちを焼き払ったこの飛行機だけは許せなかった。
コックピットが機体に埋まったデザインも、ヘビの頭みたいで、気持ち悪かった。

そもそも、当時はあまり売っているのを見かけなった気がする。
東京大空襲や原爆投下から20年くらいしか経過していない時期だから、見るのもイヤだと思う日本人も多かったのかもしれない。

昨日NHKで放送された
BS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」
は見応えのあるいい番組だった。

アベ様のNHKとバカにされていたNHKの底力を見せつけられたいい番組だった。
極めて冷静に、技術的に空爆を解説していて、納得がいった。
何しろ、高射砲の届かない高高度から爆弾を落とすB29の爆撃精度が酷いモノだとよくわかった。
よくアメリカがキリスト教施設は爆撃しないように、避けていたとかいう伝説があるが、
そんなのたまたま命中しなかっただけだろうって、よくわかる。
深川にある東京大空襲資料館で見た写真には、実際に空襲で上智大学のチャペルが破壊された写真もあったしね。アメリカの空爆を美化したいための、戦後作られた伝説だと思う。

従米保守のアベ政権が何をしてきたのか、アメリカ及び日本のハイソサエティ層と一般の日本国民、どっちを向いて仕事をしてきたのか、そろそろ結論が出てきたところで、今年の8月15日を迎えることに、大変奥深い意義を感じる。

第二次大戦のコトや日本のこれからの立ち位置について考えるのに、いい本を見つけたのでリンクを張ります。

それにしても、小林よしのり。最近キレッキレです。
いわゆるリベラル派だけの意見だけだと、深みがない。
中江兆民『三酔人経綸問答』のような、複線的なものの見方を提供してくれる本を探していたので、これは良かった。

わあ、ここまで、かなりマジメに、柄にもなく天下国家のコトを書いてしまったので、疲れました。

最後は気楽に矢野顕子ね。
最近、矢野顕子がマイブームで、懐かしき未來的観点から見て、やっぱりこの人は天才だったと痛感してます。

2017年8月 5日 (土)

例えば「老老介護」なんて言うと、暗ーくて、地味な気持ちになるけど、年齢に関係なく、元気な人が近くにいる元気じゃない人の面倒をみるんだと思えば、ごくごく自然なことで、地域だの、コミュニティといった抽象的な言葉より、ボクの心を打つ。

ぼくは人と協調しながら仕事をするのが苦手だとわかったから、ちょっと前まで、「まちづくり」とか「地域おこし」といった言葉には偏見を持っていて、そういった活動ではなく、製作の全てのプロセスを自分ひとりでできることをやろうと、数年前から小冊子づくりを始めた。

とは言いつつも、自分の住んでいる所や、関わりのある町は気になってしまう。
自分も老境に入っているから、友達や親類も高齢化しているってことに、初めて気づいた。
ふと足元を見まわすと、宮澤賢治のこんな詩

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

「雨ニモマケズ」(青空文庫より引用)

にも似たような状態で、老人と病人が多いことに唖然としてしまう。
だけど、まあ、長く生きていれば、誰でも病気の一つや二つは抱えるのが自然で、
杉浦日向子の名言「どうせ死ぬまで生きるんだ」から、老い+病気=死なんて、いくら考えても、寿命が延びるハズもなく、そんなモンは、物置の奥にでもしまって、その日、その日を、明るく、楽しく、元気よく暮らすには、どうしたらいいんだろうって、考えるようになった。

例えば「老老介護」なんて言うと、暗ーくて、地味な気持ちになるけど、年齢に関係なく、元気な人が近くにいる元気じゃない人の面倒をみるんだと思えば、ごくごく自然なことで、地域だの、コミュニティといった抽象的な言葉より、ボクの心を打つ。

そうなると、一時期見向きもしなかった「まちづくり」関係の本が気になりだす。

例えば、山崎亮さんと國分功一郎さんの『僕らの社会主義』

松村秀一さんの『ひらかれる建築』


大月俊雄さんの『町を住みこなす』

最近出版されたこんな本を読んでいると、未来が開けてくる気がする。

昔は人気がありすぎて、ちょっと敬遠していたけど、髪が薄くなっても、おなかが出ても、年齢に関係なく、ぶれずにロック少年のままでいるニールヤングは、100%信頼できる数少ない存在で、ここ数年大好きになってしまった。

ぼくもこんな老人になりたい。

これは1971年、人気絶頂期の弾き語りライブ。
いま聴いても新鮮で、気絶するほどいい。

2017年7月22日 (土)

「音楽に政治に持ち込むな」なんて、とんまなセリフを、大真面目に叫ぶ輩が、大手を振って歩いている昨今だけど、1970年前後のあの時代、確実にロックは時代をリードしていた。

還暦になって、初めてのブログ更新です。
仕事帰りに、iPhoneで音楽を聴くのは、以前からの習慣なんだけど、
ここ数年はまったりとジャズを聴くのが好きで、ロックはほとんど聴かなくなっていた。

ところが、なんだろうストーンズの『メインストリートのならず者』を図書館で借りて、
iPhoneで聴いたら、もの凄くよくって、いまのストーンズには興味ないけど、ミック・テイラー時代のストーンズを、チェックしていたら、すっかりハマってしまいました。

「音楽に政治に持ち込むな」なんて、とんまなセリフを、大真面目に叫ぶ輩が、大手を振って歩いている昨今だけど、1970年前後のあの時代、確実にロックは時代をリードしていた。
ロックから派生した様々なカウンターカルチャーが時代を引っ張っていた。
いまのようなコンピュータで作る音楽じゃなく、人力の、手づくり品のようなロックには、DIY作業に通じる現状変革のエネルギーがあったと思う。

リンクをはったのはストーンズの「ギミーシェルター」
まだ少年のようなミック・テイラーに煽られる感じで、熱い演奏をしていた、若きストーンズの面々が、輝いて見える。


それともう一曲「悪魔を憐れむ歌」
ロックのルーツはアフリカにあるわけで、これもまた時代を感じさせる。

現在のストーンズのギタリスト、ロン・ウッドという人は、あまり関わりのなさそうなザ・バンドの『ラストワルツ』にも、顔を出していて、きっと人柄がいい、世渡り上手な人なんだと思うけど、ふだん会社員の世界でそんなタイプの人とばかり接しているから、職人気質のミック・テイラーを見るとホッとして、嬉しくなる。

還暦を過ぎたら、一番好きな時代の、一番好きな音楽に戻ってゆくのかな。

そんな気がしてきた。

2017年6月17日 (土)

戦前の家父長制大家族とは異なる、21世紀型の大家族があるんじゃないかと、個人的には感じている。

ことしもあっという間に、もう6月後半だ。

ウィークデイは毎日激しく仕事をして、家に帰ると寝るだけの生活で、行き帰りの通勤電車だけが、じっくりとモノを考えたり、読書したり音楽を聴いたりする携帯空間になっている。

それにしても、電車内で新聞を読んだり、本を読んだりしている人が減ったことに、驚く。
若い人はスマホでゲームというのが、いまのスタンダード。
ゲームで暇つぶし出来るほど、暇がない貧乏な年寄りは、今の世の中にはついていけないのかなあと、ため息ばかり。

そして、とうとう自由社会に対して、とどめをさされた感のある、共謀罪成立。
20世紀を代表する経済学者にして、知の巨人ヨゼフ・シュムペーターが言ったように、経済発展の本質は「イノベーション」にある。

自由闊達な人と人との交流から、新しい経済の仕組みが生まれるわけで、野山でキノコ狩りをしたり、カメラや地図を持ってウロウロするのも、命がけの国では、イノベーションによる経済発展が存在するはずもなく。
この5年間、海外に展開する大企業ばかりが優先され、日本経済の足腰が確実に弱っていて、そこに少子高齢化が追い打ちをかける。

それでも、DIY出版の青空公房を始めて、未来への希望を拾い集めて、「懐かしき未来」というブックレットを作っている。
最近、リンダ・グラットンのベストセラー『ライフシフト』を読んだ。

おそらく、そこに書いてあることは、ぼくが「懐かしき未来」に書いたことと、どこかで通底していると思う。それは、この50年で一般的になった、誕生から就職まで、終身雇用、引退後死ぬまでという3ステージ型の職業人生が過去のものになっているということ。

その最大の原因は寿命が延びて、引退後のステージが長くなり、年金や貯蓄で賄えなくなっているということ。
そんな時代だから、ひとそれぞれ多様性のある生き方が必要になってきたし、社会が安定し始めた江戸期から、戦後の高度経済成長以前まで、僕たち庶民はどんな暮らし方をしてきたのかを知ることが、未来の生き方を考える上でも、重要になっていると思う。

それについて、書き始めると本が一冊出来ちゃうくらい、言いたいことは山ほどあるんだけど、一つだけ例をあげると、家族のあり方を21世紀バージョンにアップデートすること、どんなスタイルの家族を作っていくべきか、知恵を絞ってよく考えることが、はじめの一歩かなあと思う。

上野千鶴子の『近代家族の成立と終焉』という20数年前に読んだ本が面白くて、影響も受けたが、それももう古い。戦前の家父長制大家族とは異なる、21世紀型の大家族があるんじゃないかと、個人的には感じている。

そこから、住宅のモンダイ、職業のモンダイ、お墓や死後のモンダイ、子女や自分の教育のモンダイ、僕たちの暮らしを取り巻く、さまざまなモンダイに対して、解決の糸口が見つかるように思う。
実は、お友達のカフェと地域ガイドだと思われがちな「懐かしき未來 その1」だけど、ぼくが一番言いたかったことは、そのことだったなあと、『ライフシフト』を読了した今頃になって気づいた。

そこをスルーして、高度成長期の核家族を唯一のモデルにして、枝葉のモンダイを、ワアワアやっていれば、それぞれの思いがすれ違うばかりでしょう。

ひとまず、今日はこの辺りで、終わりにします。

今日の一曲はそれほど、大ファンではないのに、ときどき激しく聴きたくなるローリング・ストーンズ。
とくに、こんな日はこの曲がいい。

強欲なグローバルキャピタリズムから身を守り、消費しなくても豊かに暮らすためのシェルター。
全体主義国家から身を守り、心安らかに暮らすためのシェルター。
そんなシェルターが欲しいから。

2017年5月 1日 (月)

大量生産多量消費のスタイルに疑問を持つ、ありとあらゆる分野の人たちが、住まい作りをテーマに集い、交流すること、あるいは交流する場所を作ること、それが結果的に「地域住宅工房のネットワーク」になってゆくのかなと、ふと思いました。

この数日間、建築家、宮大工、工務店社長と立て続けに三人の建築人と話す機会があり、建築や住まい作りについて、いろいろ考えてみた。

まず、最初に言えるのは、住まいを美しくすることは誰にでも出来る自己表現だということ。
建築は総合芸術だからね。しかも、ほとんどの人にとって、住まいは人生最大の買い物でしょう。

それなのに、なんで産業化されたハウスメーカーとやらの言いなりになって、数十年間の住宅ローンという重荷を背負ってしまうのだろう。ぼくには不思議でならないのです。

それでも、かつての日本のように終身雇用が保証された安定した世の中なら、まだわかる。
いまは、むき出しのグローバルキャピタリズムが最後の力を振り絞って、投資先を求めている時代。金融機関の口車に乗って、個人が重いローンなんて、抱えてはいけない。
そんなもん、無視して、好きなように家を作ったらいい。

すっかり消費者気分になって、洗脳されているコリコリの頭の中を、柔らかくしてくれるのが石山修武『セルフビルドの世界』。

石山さんは「まえがき」でこんな風に書いてるので、抜粋してみます。

ここに御紹介する、自分で、あるいは自分たちで何モノかを作ろうとする人間たちは、皆、皆さんと同類の人間たちなのです。皆さんの気持ちの中にもこんな情熱が実は眠ったままにあるのです。
生活することは実ワ、表現する、モノを作るのと同じです。

セルフビルドは(中略)日々の生活の中に常に自己表現の方策をつくり込もうという方法です。できるだけ消費のサイクルから自律を具体的に求めようとすることでもあります。

大量生産、大量消費の生活スタイルはすでにイデオロギー化しています。誰もが逃げられない教条として繰り返し繰り返し作り続けられています。その考え方そのものが、もうコレワ、大消費教という悪しき新興宗教のようなものなのです。

しかるに、それに対する生活スタイル、例えば少量多品種の生活像を描くのはなかなかできまいまんまです。
その解答のすべてではないが、明らかな一つの方法としてセルフビルドはあります。つまり少量多品種型生活の一つの生活像がここにあるのです。

自己表現としてのセルフビルドが二十一世紀の市民社会を構成する一助となるという、サンプリングモデルなのです。

どうでしょうか。ここに流れている考え方は、ぼくが「懐かしき未來」冒頭の「シリーズ懐かしき未來へようこそ」に書いたことを同じだと思うのですが。

セルフビルドというのは、広義に解釈した方がいいと思います。
建て主自ら工具を手にして、DIY作業をやるのはセルフビルドだけど、建て主自ら、家作りという人生最大のプロジェクトのリーダーになって、主体的に楽しみながら、自己表現としての家作りをするのも、セルフビルドに間違いありません。

もちろん、今すでに住んでいる古い家を、住みやすく作り替えるリノベーションだって、セルフビルドです。

今回、市川と那須と黒磯で、三人の建築人と話していて、亡くなった大野勝彦さんという建築家が「地域住宅工房のネットワーク」と言っていたことを思い出しました。

自分の空間を作りたい住み手、建築家、研究者、棟梁、それだけだと、今はもうダメ。
さらには工芸家や芸術家やデザイナー。手仕事が好きな個人。手作りを楽しむ個人。

大量生産多量消費のスタイルに疑問を持つ、ありとあらゆる分野の人たちが、住まい作りをテーマに集い、交流すること、あるいは交流する場所を作ること、それが結果的に「地域住宅工房のネットワーク」になってゆくのかなと、ふと思いました。
はたして「懐かしき未來」で、何かできるのか、知恵の出し所ですね。

懇意にしている川嶋工務店さんの那須ベーススタジオ で、ゆったりとくつろいで、話をしながらそんなことをぼうっと思い浮かべた。

          

2017年4月23日 (日)

かつて「資本主義の手先」やら「国家権力の犬」やら叫んで、成田辺りで暴れていた人が、いまは体制側に回って、政権を批判した者に対して「反日」とレッテルを貼る。 こんな窮屈な日本社会に、元気な若者がニョキニョキ育つわけもなく。フェンスの向こうのアメリカはヒップな生活革命だ、ポートランドのクリエイティブシティだ、メイカームーブメントだと、時代を逆走する日本をあざ笑うかのように、どんどん走り去ってゆく。その距離は開くばかりだ。

沖縄県にはベトナム戦争の頃、戦略爆撃機B52が北爆に出撃したアメリカ空軍の嘉手納基地がある。
Wikipediaによればスペックはこんな感じ。

総面積は約19.95km2。3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。また、在日空軍最大の基地である。
滑走路においては成田国際空港(4,000mと2,500mの2本)や関西国際空港(3,500mと4,000mの2本)と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということになる。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。

日本最大の空港より2倍も大きな空軍基地が、細長い沖縄本島の中央部にどっかりと存在していて、周囲をクルマで走ると、フェンスは果てしなくどこまでも続いている。
23年前、沖縄に旅行した時、この嘉手納基地の大きさに驚き、そして、フェンス中の世界と外の世界の風景の違いにショックを受けた。
ぼくが何か書かなくても、嘉手納基地を検索して、Googleの航空写真で見れば誰でも分かる。
ビバリーヒルズのような基地の中の世界。基地の外にはウサギ小屋のような小さな民家が軒を接している。
この重い事実を、本土のひとはどれだけ、わかっているのかな。

練馬に住んでいた少年時代にも、似たような風景を見たことがある。
いまは光が丘のニュータウンと呼ばれる田柄町の辺りは、グラントハイツという米軍住宅地だった。セキノ君という級友の小さな家のすぐ脇に広がる芝生が目にまばゆかった。
東京近郊では立川やら、厚木やら、本土の米軍施設が次々と返還され、今は大半が沖縄に集中しているという。
沖縄の人が毎日見ている風景は、ぼくの世代が、かろうじて既視感を覚える風景で、ぼくよりも若い人たちには、想像する気持ちすら呼び覚まさない、何の興味も、関心も持てないのかもしれない。

最近よく、日本人が右傾化していると言われる。笑わせるな。
いま日本で起きているのは、右傾化なんていう高次元な話ではなく、圧倒的多くの庶民が考えることをやめてしまっただけでしょ。
大きな声で叫ばれる、単純なコトバで、何か分かったような気がしてるだけ。
昔もあったよね。「資本主義の手先」とか、とか「国家権力の犬」とか。
警察官の家の子どもだったから、大人達からそんなコトバでレッテルをはられ、いじめられた。

かつて「資本主義の手先」やら「国家権力の犬」やら叫んで、成田辺りで暴れていた人が、いまは体制側に回って、政権を批判した者に対して「反日」とレッテルを貼る。
こんな窮屈な日本社会に、元気な若者がニョキニョキ育つわけもなく。
フェンスの向こうのアメリカはヒップな生活革命だ、ポートランドのクリエイティブシティだ、メイカームーブメントだと、時代を逆走する日本をあざ笑うかのように、どんどん走り去ってゆく。その距離は開くばかりだ。

歌手の古謝美佐子のお父さんは嘉手納基地で働いていて、彼女が3歳の時に米軍車両に轢かれて亡くなったという。彼女の歌には、そんな自分史や沖縄社会の重みが感じられる。
だから力強いし、風雪に耐えて、いつまでも残っていくのだとおもう。
戦争に負けたこと、アメリカと日本の関係、極東情勢、現在の複雑な状況や歴史のコンテクストを考慮しながら、沖縄と本土が仲良く共存できるような日本人の叡智が必要な時代になっていると思う。
○じゃなきゃ、×。白じゃなきゃ黒。そんな単純な思考で乗り切れるほど簡単な設問じゃないよ、たぶんこれは。
間違いなく、ひとつだけ言えるのは、バナキュラーな周辺文化を軽蔑し、東京の価値観一色に染め上げるような態度からは、何も生まれてこないということ。これだけは言っておく。
周辺文化への眼差しを、いまだからこそ、柳宗悦に学びたいと思う。

2017年4月22日 (土)

昨晩までは那須に行くつもりだったけど、それは諦めたから、せめて駒場の日本民藝館に行こうと意気込んでいたのだが、それすら諦めて、午前中はまったりと菊地成孔&南博のアルバム「水と花」を聴きながら、読書。

前回のエントリを書いた翌日から体調を崩して、電車で倒れたり、食中毒になったり。
もういい加減、休憩しろって、たぶん神様が教えてくれているんだろうって、忠告をありがたく受け取って、本日の予定は病院のみにした。

昨晩までは那須に行くつもりだったけど、それは諦めたから、せめて駒場の日本民藝館に行lこうと意気込んでいたのだが、それすら諦めて、午前中はまったりと菊地成孔&南博のアルバム「水と花」を聴きながら、読書。
それもめったにない、肩から力の抜けたお楽しみのための、まるでお趣味のような読書。

本の内容はイマイチだったから、特に紹介しないけど、アルバムはよかったなあ。
いままで、どうも個人的にあと一つ突き抜けられない感のあった菊地成孔が、自分の中でブレイクした瞬間。
気持ちのいい演奏に時間を忘れて、いつまでも聴いていたくて、三回も繰り返して聴いてしまった。


思えば、父親が亡くなってから、ずっと休みなしで、昨日まで走ってきたような気がする。
「懐かしき未來」を完成しても、ホッとする間もなく、バタバタと駆けずり回って。

だから今日(4月21日)は数ヶ月ぶりの完全オフ。
病院にいったら、病人扱いされて、CTだの心電図だの脳波だの、人生初の点滴まで打たれてしまったからもう、なすすべもなく。
何も出来ないから、ベッドの上でひたすらじっとしているのも、初めての経験だったけど、たまには悪くない。

落ちのないエントリだけど、ま、それだってたまにはいいでしょう。

何しろ今日は完全オフなんだから。

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