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2017年3月25日 (土)

3.19那須町にミラクルな風が吹いた一日(後編)

で、3.19ですが、まずはこの画像を貼ります。

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栃木県の地方新聞下野新聞の記者渡辺さんが、記事にしてくれました。

発行元「青空公房」の名前が載っていないのが、チョイと残念ですが、栃木県の読者には版元など、どこでもいいわけで、こうして那須町で「懐かしき未來」が町の人に愛され、育まれてゆくことが大切なコトで、版元冥利に尽きるんです。

取材の内容は、上記の記事にある通り。

取材が終わると、ブックデザインもやってくれたアーティスト大平夏澄さん、菊地さんご夫妻と、持ち寄り形式で、ささやかな出版記念パーティになりました。

ぼくが持って行った獺祭の一升瓶は、やがて空になり、八海山が登場したところまでは、明確に覚えているのですが、床についた時の記憶はハッキリせず、それでも悪酔いもしなかったのは、よほど楽しい宴だったということかなあと、みなさんに感謝しています。
もしかすると、3.19は長い間の夢がかなった、人生最高の記念日のひとつになってゆくかもしれませんね。

まあ、3.19はこんな気分ということで、名作「雨にスーダラ節」を。

3.19那須町にミラクルな風が吹いた一日(前編)

先週も那須町に行った。
いろいろな人に会うのが目的だったけど、それぞれみんな素敵な人たちで、夢見心地の気分で過ごした、生涯忘れられない一日になった。

那須には数え切れないほど沢山の温泉があって、どこも大好きだけど、一番和むのは那須塩原市の板室温泉グリーングリーン。公営なので、いつでも500円で入れるのが嬉しい。
小原庄助のように朝風呂に入って、そのまま火照った体で、板室街道を南下し、一路黒磯の街の中に入ると、有名なSHOZO CAFEがある。
そのSHOZOの手前角の、一見普通の民家風建物がおいしい薬膳の白牡丹。

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料理もデザートも絶品。店主の金井ひかりさんが、健康的で、笑顔が輝いていて、薬膳の効果を自分自身で体現している。
もちろん、「懐かしき未來」の販売店さんである。

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そこから那珂川を越えて、那須町に入り、4号国道をどんどん走って、約20分で建築工房槐(えんじゅ)の中島睦巳さんの工房にお邪魔する。

京都の出身で、いまは那須に拠点を構える宮大工。
芦野のお祭りで、出会って、少し話した時に、なにか惹かれるモノを感じたので、じっくり話をしたいと思って、訪ねた。
1時間余り、いろいろ話をしたのだが、YouTubeに中島さんの人となりがよくわかるインタビュー番組があったので、リンクをはっておきます。

ぼくにとっては、初めて聞く話と、初めて見る道具類で、大変いい刺激を受けた。
建築の世界の奥深さを教えてもらった気がする。

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2017年2月18日 (土)

都内を転々とした、ふるさと喪失者のボクにとって、那須町はいくつかあるふるさとの一つになり始めている。「ありがとう黒田原」

ずっとお知らせしている「懐かしき未來 その2那須町できものの風が吹き始めた」が完成して、20日に発行されます。

最初にDTPでこういう本を出そうと考えたのが、WIN95が出てすぐだったから、1996年頃だったかな。
いまは恥ずかしいと思うけど、当時はいいと思ったタイトル「はっぴい愚連隊」という冊子造りが最初のチャレンジ、これは未遂に終わって、「はっぴい愚連隊」の残党で、一号だけ作ったのが「わがまま生活」。
「農薬をなめたらあかんぜよ」とか、ばかばかしいタイトルの記事を、考えてはボツにし、誰が読者になってくれるのか、わからないお馬鹿なリトルマガジンは、自然消滅した。

その後も、メンバーを集めては失敗し、また再起しては失敗し、途中で諦めて、郷土史研究や、産業考古学や小説書きに手を染めたりして、もの書きに専念しようかと考えた時期もあったけど、やっぱり、エディターというか本作り職人になる希望は捨てられないと思い直し、おととし暮れに企画から、原稿執筆、編集、印刷、製本、販売まですべて自分一人の作業で通した「懐かしき未來 その1」を出して、きっかけをつかめたように思う。

「はっぴい愚連隊」から、ここまで、どれだけ長い道のりだったんだろうって思うし、今回のこの本でも実際最後の最後まで、いろんな苦難が続き、漫画スラムダンクの桜木花道じゃないけど「神様、そんなに私のことがお嫌いですか」とつぶやきたくなるような事態も、散々くぐり抜けてきた。

けれども、山登りで頂上まで上り終えた気分とでもいうか、終わってしまうとスッキリ、この20年間で楽しかったことしか思い出せない。

いまは、ひとまず、ありがとう黒田原!と言いたい。
黒田原と芦野の間にある富岡の新文化人村に仲間と合宿して、那須高原まで通って、山小屋を作った。
黒田原の室井金物店さんに寄り、砂利や砂の配達を依頼したり、駅前のセキスーパーでラム肉を買って、北海道生まれの友人とジンギスカン鍋をやったり、いま思うと、そのころから黒田原、芦野という那須町の中心地との縁が始まっていたように思う。

そして今、黒田原の「那須きものスタイル」の菊地厚子さんという望みうる最高の伴走者との出会いがあって、一緒に本を作ることが出来た。

黒田原といえば、こんなエントリに反応してくれたUさんからの連絡も嬉しかった。

ちょっとショックだったのは黒田原駅近くの商店街を車で通ると、古い木造のいい感じの郵便局など、震災の爪痕が生々しく残っていて、首都圏では考えられないくらいひどくやられて、放置されたままになっていること。

それもこれも、みんな黒田原という町との関わりから始まっている。
深い、えにしを感じる。
少年時代、都内を転々とした、ふるさと喪失者のボクにとって、那須町はいくつかあるふるさとの一つになり始めている。「ありがとう黒田原」。
山小屋に帰ってきて、一人で酒を飲み始めたら、そんな言葉が自然と頭に浮かんだ。

気がつくと、長いエントリになっていた。
ここらで音楽に行こう。

文章を書き終えた瞬間に頭に浮かんだのが、この曲。
那須町によく似た環境のアメリカのウッドストックという町を代表する名曲。
リック・ダンコの『スモール・タウン・トーク」

2016年5月22日 (日)

沖縄で、今回のような悲惨な事件が起きる度に不毛な基地論争が起こる。 こんな時期だからこそ一人でも多くの人に、戦前の柳宗悦の仕事を知っていただき、「琉球の富」って何なのか、ひいては「日本の富」って何なのか、考えてみたい。

先週も忙しくて更新をサボってしまったので、2週間ぶりのブログ更新。
ヒマがないから、ちょっとヒマが出来ると本ばかり読んでいて、どうもあんまり活動的とは言えず、何のために仕事しているのかわからなくなる。そろそろ那須に逃げなきゃいけないかもしれない。

そんな忙しない中、かみさんが、初孫のために息子の兜を押し入れの奥から引っ張り出したら、兜の中に何と、1994年にかみさんと当時8歳の息子と、なけなしの財布をはたいて家族三人で行った、最後の家族旅行「沖縄の旅3泊4日」のパンフレットやチケットがワンサカ入ったクリアファイルが転がり落ちてきた。

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当時はもの凄いビンボーだったし、スマホなんてモノもこの世になく、ろくなカメラも持っていなかったので、写真はほとんど残っていない。
文章を書く習慣もなかったので、手帳に記録するという発想もなく、記憶をたどるしかなかった沖縄旅行が色鮮やかに蘇った。

沖縄で一番記憶に残っていることは、初日の晩。
かみさんが一人で企画した旅行だったから、事前準備も何もせずに行き、タクシードライバーの喜屋武さんの説明もうわの空で聞いて、何も頭に入らない。
これじゃつまないなあと思って、たった1冊、何か役にたてばと思って、旅行カバンの奥に放り込んだ柳宗悦『民芸四十年』の中の「琉球の富」という一章を貪るように読んだ。

60年近い人生で、あれほど精神集中して本を読み、読み終えた瞬間に、劇的に自分が生まれ変わったように感じた体験は、他に記憶がない。
それくらい柳宗悦の「琉球の富」は圧倒的だった。
しかもその文章が戦前昭和14年に書かれているって、すごい。
長い引用だけど、大事な文章なので、所々端折りながら、載せてみる。

沖縄は地理的にはむしろ大和の本土よりも、支那の福州に近いので、さぞ支那の影響が大きいだろうと想像されるかも知れませんが、事実は逆で、その言語も風俗も建築もほとんど凡てが大和の風を止めているのです。
それ所ではなく、日本の何処へ旅するとも、沖縄においてほど古い日本をよく保存している地方を見出すことは出来ません。
粗忽にも沖縄を台湾の蕃地の続きの如く思ってはなりません。

(中略)

ですからもう一度新しくまた正しく沖縄を見直すことは大切なことのように思われます。
それに私たちが親しくその地を踏み、眼に耳に口に様々なものを味わうことが出来てから、沖縄を語ることに特別な意義や使命を感じ出しました。
なぜなら私たちには予期だにしなかった驚きが次々に現れて来たからです。
私たちは如何に感謝を以てそれらのことを迎えたでしょう。
私たちは沖縄で学ばねばならぬことが如何に多いかを知ったのです。
そうしてこんな土地がこんな状態で今なお地上に残されていることを奇蹟の如くに感じました。
ですがそれらのことについては、今まで誰も充分に語ってくれてはいないのです。

(中略)

不幸にも私たちは余りに長い間、沖縄の貧しさについてのみ聞かされて来ました。
こんな小さな貧乏な島はなく、島民は文化に立ち後れて、逼迫した生活に悩んでいることを聞かされていました。
そうして当事者の努力はどうしたらこの島々を貧窮から救うことが出来るかということに注がれて来ました。

(中略)

ですが私たちからすれば、まず以て沖縄が有つ富について考えないわけにゆかないのです。
人文的に見るならば驚くべき財産を有つ国とより思えないのです。
なぜこれらの富を守り栄えしめることによって、沖縄の運命を切り拓こうとしないのでしょうか。
貧しい一面よりも富める一面をよくよく理解することが、真に沖縄を救う道ではないでしょうか。

平成ジャパンのおバカになる一方の日本人の横面を張り倒すような、柳宗悦の今読んでも生々しく胸に迫る文章に、ぼくはノックアウトされた。だから少しでも多くの人に読んで欲しい。

今は青空文庫で無料開放されているから、ネットに繋がっている人なら誰でも読める。
真の愛国者が弾圧を恐れずに書いた魂の一文が、ここにある。
権力を笠に着て、安全な場所で吠えている自称作家たちには、一生かかっても書けないような心を打つ文章がここにある。

沖縄で、今回のような悲惨な事件が起きる度に不毛な基地論争が起こる。
こんな時期だからこそ一人でも多くの人に、戦前の柳宗悦の仕事を知っていただき、「琉球の富」って何なのか、ひいては「日本の富」って何なのか、考えてみたい。

たくさんのバージョンがあるスタンダード曲だけど、ユスー・ンドゥールをフィーチャーしたアレンジが抜群にカッコイイ、坂本龍一の「安里屋ユンタ」を今日の一曲に

2016年5月 4日 (水)

近頃、那須から戻ると、一日二日、調子が悪いのは、きっと時差ボケに違いない。那須にいる間は、江戸期と同じように不定時法で暮らすために、iPhoneアプリの「あけくれ」という和時計を使って、時刻を見ていたのも、影響しているかもしれない。

那須町から東葛飾に戻ってきて、どうも体調がすぐれず、ぼうっとしている。
最近はいつもそんな感じで、帰ってくるなり、不適応症状が出るのか、旅の疲れが出るのか、どちらかわからないけど、なんだか変なのだ。時差ボケとでもいうのかな。

那須で最後に寄ったのが「隠居の間」という、民家を改造したカフェ。
立派な古民家というより、どこにでもある田舎の家という風情が郷愁をそそる。

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時間を忘れるような不思議なカフェで、肩から力が抜けてゆくのがわかる。

杉浦日向子にこんな作品があったことを思い出した。

中にこんな一文があった。

江戸への「移行時」には、もう何の抵抗もないが、江戸からこちら側へ戻ると、着衣のまま湯へ入ったような違和感が一時的に残る。いわゆる時差ボケだが、自分の場合、一方向間だけのものだから、ちょっと問題だ。

やはりそうか。那須から戻ると、一日二日、調子が悪いのは、きっと時差ボケに違いない。那須にいる間は、江戸期と同じように不定時法で暮らすために、iPhoneアプリの「あけくれ」という和時計を使って、時刻を見ていたのも、影響しているかもしれない。

日向子さんのこの本はかなり気合いの入ったイラストに、江戸期の具体的な地名が入っていて、ぼくたちが江戸の町を散歩しているような気分になる。
こういう作品を創れる人って、これからもう出てこないような気がする。

っていうのも、江戸期の暮らしの流儀(way of life)の残り香が、明治半ばに生まれたじいちゃん・ばあちゃんを通して、微かに漂っていた社会を覚えているのが、日向子さんやぼくの世代が最後だと思うから。

それはさておき、那須の古町の暮らしのリズムが体に入ってしまうと、どうも抜けるのに時間がかかるようになっているらしい。30代の一時期、かかった沖縄病みたいだ。

そう言えば、沖縄病にかかっていた当時、一番好きだったのがこの歌「テーゲー」
平成ジャパンのリズムを、少しだけでも、自然なリズムに戻すには、この曲が有効でしょう。

2016年3月12日 (土)

 芦野をめぐる長くて大きい、様々な物語が、西行や芭蕉、あるいは長谷川櫂や隈研吾といった天才たちの力を借りて、自分の中で着実に醸成され始めている。

正月からイベント続きで、疲れ切っているみたい。
この所、ずっと体の調子がイマイチで、体が動かないから、休日でも本ばかり読んでる。

それに、いまの職場は田舎町だから、大きな本屋さんも図書館もないので、
本を買うのはAmazonでばかり。
Amazonがない時代なら、どうしてたんだろう。

そんなAmazon漬けの日々で、今週読み耽った本は先週に引き続いて長谷川櫂の『古池に蛙は飛びこんだか』と『和の思想』。
それと隈研吾『建築家、走る』『自然な建築』

偶然にも『和の思想』は隈研吾の建築を紹介しているのが面白い。
それ以上に、面白かったのが、この二人とも、若いときに那須の芦野を訪れていて、そこで貴重な体験をしているということ。どういうことのなのか、詳しくは、二冊の本を読んでいただきたい。

こうして、本を読んでいるうちに、那須町芦野がぼくにとって、特別な場所になってきた。
芦野をめぐる長くて大きい、様々な物語が、西行や芭蕉、あるいは長谷川櫂や隈研吾といった天才たちの力を借りて、自分の中で着実に醸成され始めている。

和とか、日本という言葉に、このところ辟易していたぼくが、久々に気持ち良く読んだ『和の思想』のあとがきにこんな言葉があったので、長いけれど最後に紹介したい。

和の力とはこの空白の島々に海を越えて次々に渡来する文化を喜んで迎え入れ(受容)、そのなかから暑苦しくないものを選び出し(選択)、さらに涼しいように作り変える(変容)という三つの働きのことである。和とはこの三つが合わさった運動体なのだ。
ところが明治維新を迎え、近代化(西洋化)の時代が始まると、和が本来、躍動的な力であったことは忘れられ、たとえば、和服、和室、和食などというように和を固定したものとしてとらえるようになる。
このような偏狭な和はしばしば弊害をもたらす。ひとつは日本人のよりどころである和を矮小なものにすることによって日本人を自身のない人々にしてしまうこと。もうひとつは和が偶像とされ、神話となって狂信的なナショナリズムを生む土壌となること。相反するかにみえる、この二つは実は表裏の関係にある。いつの時代、どこの国でも、偏狭なナショナリズムは人々の自信から生まれるのではなく、追いつめられた人々の不安や恐怖から生まれる。熱狂的なナショナリズムの仮面をはぎとると、そこには必ず自信を喪失した人々の不安な顔がある。

ぼくは、現在の為政者が煽り立てる偏狭なナショナリズムではなく、長谷川氏の言う躍動的な和の力を信じたい。

最近知った若いシンガーソングライター寺尾紗穂の「私は知らない」。
ここにも、すごい和の才能があるのを発見して、嬉しくなった。

2016年2月14日 (日)

そんな芦野だが、いま「那須きものスタイル」というグループが日常生活できものを着る活動していることを知った。

プライベートでいろいろと変化があり、仕事もたまっていたので、忙しさにかまけて、ブログの更新が一週間抜けてしまった。
今日は少し、暖かくなったので、髪を切ったり、仕事を片付けたり、気持ちにゆとりが出来たみたい。

そんな忙しい中、3年ぶりに那須の芦野に行けたことは、大変な収穫だった。

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それにしても、芦野はいい。

最近は那須高原に行くと、道路の渋滞でウンザリするので、裏道を走るのだが、長い連休の時は、裏道も渋滞しているコトが多くて閉口してしまう。イライラしっぱなしで、心が安まらないことが多くなってきた。

芦野には、高い建物も、コンビニも、ファストフード店もない。
夜になると、本当に静かだけど、それでいて江戸期以来の宿場町だから、町の人たちがさばけていて、閉鎖的な感じがしないので、空気が軽い。
身も心も、リラックス出来る。

そんな芦野だが、いま「那須きものスタイル」というグループが日常生活できものを着る活動していることを知った。

昨年4月に開催した トークセッションの様子をレポートした「今、きものがおもしろい」という小冊子を出していて、最後まで読んだら、こんな記述に出くわしてドギマギしてしまった。

それはきものが人々に着られなくなってしまった理由を書いた箇所で

    おばあちゃんと一緒に住んでいるとか、そういうことがあったら、日常的に、日常の環境の中にきものがあるんですよ。だから、何となく知ってる。ちゃんとは 教われないんだけども、何となく見たり、聞いたりしている。ところが、核家族になったことによって、分かれた若夫婦がきものを持って行かないとか、実家に 置いておくとか、そういうことがおきてしまって、そこで分断されてしまったんです。(中略)

    この核家族化が、きものの伝承やきものの業界にとっては、非常にもったいないことだったなあと思います。

「懐かしき未来 その1」では、近代的な核家族の時代が終わって、新しい21世紀なりの幸せな家族のスタイルがあるんじゃないかと考えて、一つの提案をしてみた。

この小冊子には共感する点がいろいろあるけど、「懐かしき未来」の編集者としてはこの部分に激しく共感を覚える。

3月末にはきものまつりというイベントも準備しているという。
今から待ち遠しくなってきた。

1979年の No Nukes concert から、ブルース・スプリングスティーンとジャクソン・ブラウンの共演で"STAY"

2016年1月31日 (日)

「物欲の世界」にいると、お店が沢山あって、買い物が出来るのが便利な町で、繁栄しているように見える。けれども、いったん物欲が消えてしまうと、見える世界が変わってしまう。

今日は朝からずっと自宅ベランダのペンキ塗りだった。
リフォームの予算が足りないので、始めたペンキ塗りだけど、慣れてくると結構楽しい。
傷んだ材木をチェックしながら、塗装するのは、木が喜んでいるようで、嬉しくなる。

もう少し暖かくなったら、書庫の整理が始まるだろう。
それまでは、買い物をしても、家が狭いので、置く場所もない。
午後から、近所のショッピングセンターに行ったのに、買いたいモノが何もないことに気づく。

先週は去年一度読んだ菅付雅信『物欲なき世界』を再読した。
朝刊の新聞広告によると第4刷が出来た話題作というコトらしい。

自分でも、物欲が減退したと感じるが、それは歳をとったせいだけじゃない気がする。
それは、昨年、ZINE「懐かしき未来 その1」を作っている時から感じていた。
そして、21世紀の今、むしろ物欲があると幸せになれないって、事実に気づいてしまった。

「物欲の世界」にいると、お店が沢山あって、買い物が出来るのが便利な町で、繁栄しているように見える。

けれども、いったん物欲が消えてしまうと、見える世界が変わってしまう。
例えば、いま関心を持って見ている那須町芦野を、思い浮かべる。
クルマで30分ほどかけて、黒磯まで行かないと、大きなお店はない、ある意味では辺鄙な町。
ところが、「物欲なき世界」では、お店がないコトが弱点どころか、むしろ強みに転じる可能性がある。

なにしろ、古代からの道がいまでも、壊されずに残っている。
今となっては、鉄道が通らなかったことが、この町に幸いし、芭蕉や西行が見た景観が奇跡的に保存されている。
芭蕉の時代どころか、昭和時代まで生きていた文豪の痕跡すら消えているのが、今の東京である。
数年前に芥川龍之介の旧宅を探して、田端を歩いたが、北区が設置したプレートが建っているだけで、住居の痕跡は何一つ残っていなかった。
芥川賞に名を残す、日本近代を代表する文豪の家にして、こんな有様である。

それを思えば、芦野がどれだけすごい、日本の宝か、わかるでしょう。
景観だけではない、いま町では古い日本の文化を継承するために、3月には「きものまつり」というイベントを行うという。
この町で、「物欲なき世界」の楽しさを、じっくり体験してみたい。

今日の一曲は、毎年、この時期になると聴きたくなるサー・ローランド・ハナ・トリオの「スケーティング・イン・セントラルパーク」

2016年1月11日 (月)

この3年間で、アシノビトは、さらなる進化をとげて、芦野はどんどん面白くなっている。

3年前に頻繁に那須町に通った時期がある。

芦野のような古い建物のある町で、斬新なデザインの那須歴史探訪館に入館し、座布団に座って、絵や庭を眺めていると、時間がゆっくりと流れてゆくのがわかる。

その中でも上記のリンクの通り、江戸期からの宿場町芦野で活躍するアシノビトというグループの活動は興味深くて、注目していたのだが、久しぶりにメンバーの大平さんから、便りをいただいた。

この3年間で、アシノビトは、さらなる進化をとげて、芦野はどんどん面白くなっている。
地方の古い町というと、懐かしい里山風景とか、長閑な農村風景といった、ありきたりな言葉で語られがちだけど、この町はいわゆる「ムラ」じゃなく、古代からのマチだ。

そして、面白いのは、その古代からのマチの骨格もディテイルも、21世紀の現在まで、あまり手を加えられることなく、残っていること。

首都圏の多くの町は、明治から大正時代にかけて蒸気機関車が通って、町の骨格が変わり、さらに、関東大震災と空襲を体験しなかった町でも、この30年間開発ラッシュが襲って、古い町が壊された所も多い。

芦野は、それら全ての変化をくぐり抜けて、江戸期の面影を残して、たたずんでいる。
コンビニとマンションがない町の居心地の良さは、行って見なければわからない。

そんな、芦野には、ここ数年若いクリエーターが集まりはじめていて、「きもの」がブームになっているという。

そんな話を聞いて、買ってから5年間、ずっと積ん読になっていた本を読み始めた。

田中優子さんの『布のちから』

積ん読になっていたのは、「きもの」や「布」のことをじっくり考える暇もなく、バタバタ走ってきた5年間だったからかもしれない。
ちょどいい、今年はスローダウンして、きものや江戸に取り組んでみよう。
それが、シリーズ「懐かしき未来」の次の展開につながっていくような気がする。

休日の最後の夜は、前にも紹介した曲だけど、なんとなく芦野の雰囲気に似合うと思う青葉市子の「3びきのくま」

2015年11月 1日 (日)

やがて、その沖縄への興味は、沖縄学創始者の伊波普猷が引用して琉歌にしたニーチェの箴言「汝の立つ所を深く掘れ 其処には泉あり」に導かれて、江戸東京学の嚆矢とも言える永井荷風の『日和下駄』との出会いをもたらし、このブログ「新葛飾土産」にたどり着くわけだが。

まだ30代の頃、家族で沖縄旅行に行ったことがある。
翌年には犬を飼い始めたので、いま思うとあれが最後の息子と一緒に行った家族旅行だった。
沖縄で、見たこと、聞いたこと、何もかもが新鮮で、毎年行きたいくらい沖縄が好きになったけど、それ以来一度も行くことが出来ず、21年も経ってしまった。


それまで全く関心がなかったのに、旅行初日、ホテルの部屋で柳宗悦の『民藝四十年』に入っている「琉球の富」というエッセイを読んで、一夜漬けの勉強をした途端、沖縄が大好きになった。

そのあたりの経緯は「沖縄病のなおし方」という風変わりな私小説に書いた。
未発表だから、バージョンアップして、どこかで発表してもいいかなと思うけど、それはさておき、沖縄という日本の外れにある島に触れることで、僕の中で何かが変化して、それまで閉じていた脳の回路が開けたことは間違いない。

どうして、こんなにも惹かれるんだろう。
次々と心の奥底から泉のようにわき上がってくる沖縄への興味。

やがて、その沖縄への興味は、沖縄学創始者の伊波普猷が引用して琉歌にしたニーチェの箴言「汝の立つ所を深く掘れ 其処には泉あり」に導かれて、江戸東京学の嚆矢とも言える永井荷風の『日和下駄』との出会いをもたらし、このブログ「新葛飾土産」にたどり着くわけだが。

自分の住んでいる町への関心と同時に、いまでも沖縄への関心は持ち続けている。
その中でも沖縄の音楽が特に好きだったから、初代のネーネーズのアルバムは、マイナーレーベルから出たファーストアルバムも含めて、すべて手に入れた。
そのネーネーズの4人のうち、3人が集って、「うないぐみ」として蘇った。
ものすごく嬉しい。この素敵な曲を今日のテーマにしよう。

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