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2023年11月16日 (木)

地元の出版社がある幸福や安心感は、崙が消えて初めて分かった。

11月12日の朝、朝刊を開いたら、ちば版のページに「ひとりの出版社 世界を変えたくて」と見出しが目に飛び込んできて

堀郁夫さんという若手の編集者が流山で出版社を立ち上げたという記事を発見した。

郷土出版の崙書房出版が消えて4年あまり、地元の本屋や古本屋も次々に閉店している。

コロナ禍が始まってからは、東京に行くのが億劫になり、サラリーマンを卒業して定期券もないので、池袋ジュンク堂通うこともなくなった。

そうだ!応援する会メンバーとして経営会議にも参加していた那須ブックセンターも2021年末に閉店したんだった。

ぼくが那須から引き上げたのは、それも大きな理由のひとつ。

先日、参加した東葛出版懇話会では、暗い話題ばかりで、ため息をつく老人の会といった雰囲気が漂う。

こうして、ぼくの回りの本を取り巻く状況は、寂しくなるばかりだ。

そんな状況だっただけに、流山おおたかの森で図書出版みぎわさんが開業したというニュースに心躍った。

記事によれば、今後は千葉や流山に関する本の出版も計画するという。

図書出版みぎわ

試しに、3冊ネット上のみぎわ書店から購入したら、「こんな本が作りたい!」リストがあって、僕の好きな本も2冊選ばれている。

そして、本の装丁のセンスがいいことに驚いた。

Photo_20231116182101

平野甲賀が大好きで、大枚をはたいて彼が開発したコウガグロテスクまで購入したくらい、ぼくは装丁にこだわりが強いのだ。

ぼくの私設図書館本とカタツムリでは、これから図書出版みぎわさんの本はすべて、読めるように揃えてゆきたい。

自分なりに応援はしていたけれど、ぼくたち読者(著者でもある)が崙書房出版を守りきれなかったことを、いまも後悔している。

地元の出版社がある幸福や安心感は、崙が消えて初めて分かった。

だからこそ、今度は後悔しないように、みぎわさんを応援してゆきたい。

今日はロックロックした曲が聴きたいので、だいぶ古いけど、ザ・ローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」

 

 

 

 

 

2023年7月15日 (土)

ちば文化資産の追加選定に「流鉄の景観」が選ばれました。(その2)

6月下旬、たまたま、流鉄沿線風景を調べるために、流山駅を訪れたところ、隣接した場所にmachiminという空間がありました。

2018年に出来た当初、中をのぞいたことはあるのですが、何人かの若いお母さんと子どもがいて、ぼくのようなオヤジが立ち入ってはいけない場所のように感じて、すぐに立ち去ったような記憶がありました。

今回は取材モードで訪れるので、遠慮せずに、店番をしている女性に声をかけました。

その方は、佐藤恵美さんといって、「散歩の達人」4月号でも紹介されていた「本みりん研究所」の調理担当の方でした。

最近、みりんについて調べていて、その雑誌も読んでいたので、いろいろと話も弾み、ぼくの頭の中で、machiminを運営するWaCreationや代表の手塚純子さんが紹介されていた大西康之『流山がすごい』に繋がってゆきました。

そして、手塚純子さんの著書『もしわたしが「株式会社流山市」の人事部長だったら』を買って帰り、読んでいるうちに、気がついたのです。

流鉄に不足していた

③新たな視点を加えたものか⑤保存・継承する取組がされているか⑥見聞・体験できる機会が確保されているか

は、machiminの登場によって格段にパワーアップしたことを。

machiminに行けば北野道彦『総武流山電鉄の話 「町民鉄道」の60年』が読めます。

大きな半円形の窓から車庫で待機している電車を間近に見ることが出来て、洗車する様子まで見られます。

ふつう、電車はブラックボックス化していて、運行していない時の電車をみることは難しいですよね

もちろん、オリジナルの流鉄ノベルティグッズだって、買えます。

そして、景観という点なら、アーティストインレジデンスと言って、英国のアーティストクレア・ウォーレスさんが流山にホームステイして描いた「約100メートルの流鉄壁画」は、流鉄周辺の新風景と言えます。

 

ちなみに千葉県のウェブサイトに載っていた「流鉄の景観」のキャプションは以下の通りです。

流鉄は白みりんの醸造などで栄えた流山本町とJR常磐線の馬橋駅を繋ぐ5.7kmの鉄道です。大正2年(1913年)に流山の商人らが中心となって発起し、住民等が出資して出来た鉄道です。単線を2両編成の電車が走行する沿線は、昔は雑木林や農地が広がっていましたが、現在は宅地化が進みました。

これは、どう読んでも、沿線の景観を評価したとは思えないでしょう。

選考して選ばれた「銚子電鉄」「いすみ鉄道」「小湊鐵道」はマスメディアにもしばしば取り上げられるほど、

③新たな視点を加えたものか⑤保存・継承する取組がされているか⑥見聞・体験できる機会が確保されているか

の三点について、さまざまな取り組みを行っていることは、ご存知の方も多いと思います。

今回、ちば文化資産に選ばれたことで、「流鉄の景観」を存続させることは、周辺住民のミッションになったような気がします。

ぼくは以前に、流鉄の沿線をレポートした本を執筆したことがあります。

個人的にも、これからやるべき、たくさんの仕事を見つけてしまいました。

ひとつずつ、地に足をつけて、取り組んでゆきたいと思います。

 

本日のミュージックはトム・ウェイツの"ol'55"です。イーグルスもカバーした名曲だけど、聞き比べるとやっぱりオリジナルの出来がすさまじい。もし、居酒屋で飲んで、酔っ払って流山駅のホームで電車を待っている時に、この曲が流れたら、不覚にも泣いてしまうかもしれないな。

ちば文化資産の追加選定に「流鉄の景観」が選ばれました。(その1)

今年の3月、千葉県誕生150周年を記念して、2018年に111件選定されていた「ちば文化資産」に39件を追加選定したそうです。

その中には、ぼくの家の近所を走る「流鉄の景観」が含まれています。

「流鉄の景観」ってどういう意味なんでしょうね。

ひとまず流鉄及びその沿線風景と推測して、馬橋駅から流山駅まで線路沿いに歩いてみました。

実は15年前にも、歩いたことがあるのですが、当時はまるで深い森に入ってゆくような雰囲気だった鰭ヶ崎駅から平和台駅の間の風景消えました。すっかり宅地化して、新たな道路も開通し、流鉄の存在感が霞んで見えます。

人口が急増して、開発ラッシュの流山市内のエリアでは、仕方ないことかもしれません。

松戸市内の13号踏切から小金城趾駅方面を望む風景は変わらず、線路沿いのひなびた田園風景といったら、ここくらいしか見つかりませんでした。

ということで、「流鉄の景観」の意味が分からなくなったので、なんとなく分かったつもりになっていた、文化資産って、どういう意味なのか調べてみました。

『広辞苑第7版』を調べると、「文化遺産」や「文化資本」という言葉はありますが、「文化資産」はありませんでした。

そこで、千葉県の「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」のサイトの「ちば文化資産とは」を見てみます。

「県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。」

 

これでも、抽象的でなんだか分かりませんね。

さらに、調べてゆくと、追加するちば文化資産を選定する際の評価について、以下の6つの視点があることが分かりました。

①ちば文化の魅力を特徴づける優れた文化資産であるか
②次世代に継承する価値があるか
③新たな視点を加えたものか
④伝統的に受け継がれてきたものか
⑤保存・継承する取組がされているか
⑥見聞・体験できる機会が確保されているか

実は千葉県内の有名なローカル鉄道である「銚子電鉄」「いすみ鉄道」「小湊鐵道」はすでに、2018年の111件に入っており、

我らが流鉄だけが後れをとっていたのです。

ここからはボクの私見ですが、上記の3者は6つの視点を満たしていると評価され、流鉄が選ばれなかったのは、①、②、④は良いけれど、③、⑤、⑥あたりが、少し弱いと見られたのではないかと思います。

流鉄は、TXの開通以来、利用客が減少するなか、懸命な営業努力をしてきました。

③、⑤、⑥への取り組みも行ってたこともボクは知っています。

ただ、流鉄単独の取り組みでは、限界もあったと思います。

それでは111件が選定された2018年と、5年後のいまとは何が違うのだろうと、考えてみましょう。

 

 

 

2022年5月 7日 (土)

奥市川Tree-Bさんとコラボで、新しいリトルプレスを作ります。

那須高原で、今夏「きつねまちとしょかん」を始めることにした矢先、近隣の那須塩原市高林という町で、閉店した駄菓子屋を復活させて、ロッカーサイズ4個分の小さな空間を貸し出すので、お店を出さないかとの話が舞い込んできました。

「きつねまちとしょかん」は別荘地のルールで、営利目的の活動は出来ないから、その場所をライブラリーショップとしようと決めて、5月から開店しました。図書館が開館するまえに、ライブラリーショップだけ、一足先に開店するわけです。しかも、クルマで15分くらい離れた、場所です。日本初の分離派図書館と、ひとまず、言っておきます。日本初じゃなかったら、ごめんなさい。

ということで、「きつねまちとしょかん」の開館向けて、いろいろ準備中ではあるのですが、地元の松戸市を含む奥市川エリアにオープンして、12年目になるカフェTree-Bさんから、以前作ったリトルプレス「懐かしき未來 その1」が完売したので、増刷して欲しいとの、ありがたいオファーをいただきました。

 

増刷は、大変ありがたいのですが、刊行後6年経過して、版元も青空公房からオオコバコに名前が変わって、少しだけど実績を積んでいます。

そして、何よりも主役のTree-Bさんや、そのTree-Bさんを取り巻く環境が、大きく変化しており、全面的に内容を見直す必要を感じます。

 

そこで、Tree-Bの星さんご夫妻と、久しぶりのコラボで、改訂版というよりも、新しいリトルプレスを制作することになりました。

一昨日、目の前で最後の店頭在庫が売れましたので、ボヤッとしている暇はありません。急ピッチで仕事して近々に発表します。

どうぞご期待下さい。

 

下の写真は、江戸川沿いの空き地にある「サクラベンチ」。

何気ない日常風景が、ちょっと見方を変えるだけで、生き生きしてくる。

Tree-Bさんらしい発見です。

この桜もリトルプレスで紹介するかもしれません。

Sakura-bench

今日の1曲は、自分と同年代のロックヒーローポール・ウェラーが、1980年代に作ったスタイルカウンシルの”My Ever Changing Moods”

還暦を過ぎても枯れない姿に、心打たれます。

 

 

 

 

2021年9月20日 (月)

新しいことが始まるときは、何故だか、必ず聴きたくなるザ・バンド「ザ・ウェイト」を本日のテーマ曲に。

この3ヶ月ほど、いろいろあって、久しぶりの投稿になってしまいました。

いままで、長い間、ダブルローカルで、首都圏に仕事と生活の場を置きながら、

那須高原での活動を拡大してきました。

サラリーマン卒業後は、仕事も生活も那須高原に完全に軸足を移す準備を続けていたのですが、実際にサラリーマン卒業が迫ってきて、いま目の前にある現実を見ると、那須への「ほぼほぼ移住」もそう簡単ではないことも分かってきました。

ダブルローカルの状況は変わらなくても、首都圏で仕事の場所を確保することの大切さに気づかされました。

いくつになっても、勢いだけで進んでしまう自分の計画性のなさに、愕然としていて、

多くの方々に迷惑をおかけしていることを、恥ずかしく思います。

 

そんな経緯があって、自宅から車で30分以内で行ける場所で、仕事の拠点になる場所を探した結果、市川市の北部で、地域ゆかりの古本を中心とした店舗を始めることが、ほぼ決まりかけています。

店舗の形態や、詳細な業務内容など、まだまだ関係する皆さんと協議中なので、いまは発表できませんが、来年、春のプレオープン、夏のオープンを目指して、動いています。

ブログのタイトルも、永井荷風が戦後の市川市を描いた随筆「葛飾土産」にちなんで名付けた「新葛飾土産」を復活させて、那須高原を表す「面白い人が作る街は面白い」とのダブルネームとしました。

長い間、焦点が定まらず、ブログタイトルも数回の変更を経て、やっと方向性が定まりましたので、今後は着実に仕事を進めてまいります。

このブログを引き続き、ご支援よろしくお願いします。

新しいことが始まるときは、何故だか、必ず聴きたくなるザ・バンド「ウェイト」を本日のテーマ曲に。

 

 

2021年6月 4日 (金)

ということで、湯本の鹿の湯温泉街は、「奥那須」エリアの入り口ということになります

国道4号線の西側から那須岳にかけて、大きく広がる那須高原。

けれども、この前の記事に書いたように、那須高原はどんどん南下しながら、範囲を広げてゆきます。

広谷地が中心て書いたけど、それすらもう古くて、もしかしたら那須塩原駅や黒磯駅が那須高原の入り口ってイメージなのかもしれません。

そこで、ボクは、那須湯本温泉街や平成の森や那須岳やどうぶつ王国を含むエリアを「奥那須」と、勝手に名付けました。

奥日光から連想した言葉ですが、ネットで検索すると板室温泉あたりを奥那須と言っているようで、気分はよく分かります。

ぼくも板室温泉が好きで、通ったことがありますから。

でも、「奥那須」は、もっと広いエリアで使いたい。(キッパリ!)

那須平成の森や、那須岳(茶臼岳)の頂上、さらに映画『テルマエロマエ』に登場した北温泉こそ、奥那須らしいスポットと言えるのではないでしょうか。

いま思えば、ぼくはオオコバコが出来るまで、民宿街と同じくらい、奥那須エリアの国民休暇村を定宿として使っていました。

那須高原に行くっていうことは、限りなく那須岳に近づくことだったのです、

ということで、湯本の鹿の湯温泉街は、「奥那須」エリアの入り口ということになります。

那須高原の一番の奥から、奥那須エリアの入り口へ。

一気に湯本温泉街の位置づけが変化しました。

通り過ぎる場所ではなく、正式な玄関口として。

奥那須と勝手に名付けたのは、ボクの勝手な意見ですが、湯本温泉街の仲間達が奥那須エリアの魅力をどんどん発信してくれています。

すでに、昨年12月のフードコート「風の杜まど花」の登場、宵の散策イベント、そして、民宿街のライトアップなど、明るい未来を予感させる出来事が続いています。

近い将来、さらに魅力的なスポットが出来るはずです。

まだ詳細は書けませんが、ぼくもそのために全力投球でがんばります。

 

 

ベロベロに酔っ払って、一升瓶を抱えて、鹿の湯の脇の坂道を転げるように、民宿街に走ったこともありました。

最近、那須高原の中でも、特に湯本の温泉街の人たちと話をすることが多くなって、分かってきたことがあります。

昭和の末期、30年数前に那須高原に通うようになった時分、鹿の湯や殺生石のある湯本の温泉街は、那須高原の賑わいの中心でした。

那須街道沿いは、いまでは考えられないほど寂しくて、商業主義の匂いが感じられないエリアだった記憶があります。

それが、平成に入って、みるみるうちに、新しいスポットが出来て、那須高原の中心地は小さな湯本温泉街から、那須街道と横断道路がクロスする広谷地交差点を中心とした広いエリアへと南下したのです。

もしかしたら、最近の観光客にとって、湯本の温泉街は那須高原の中心ではなく、一番奥の突き当たりの小さな集落といったイメージなのかもしれません。

実際に、町を散歩すると、そこそこ賑わいはあるものの、閉店した古い個人商店も目に付きます。

一方、那須高原では個人で始める素敵なお店が次々と誕生しています。

グーグルの住所データを入力してもたどり着けないような、隠れ家的な場所に店が出来て、しっかりとお客さんがつく。

そんな事例が増えてきました。30数年前は食べるところを探すのも大変だったので、それはとっても嬉しいんです。

だけどね。ボクにとって、こういうお店が決定的に物足りないのは、上にも書いたように、歩いて回れないこと。

温泉に入って、体がホカホカになって、ちょいと、アルコールが入って、町をぶらぶらするのが楽しみなんだよね。

ベロベロに酔っ払って、一升瓶を抱えて、鹿の湯の脇の坂道を転げるように、民宿街に走ったこともありました。

那須高原では、数少ない歩いて楽しい町が、今のまま忘れられてしまうのは、もったいないなあ。

さらに、奥の細道の旅で、松尾芭蕉が訪れ、千年以上の歴史をもつ温泉神社や九尾の狐の伝説がある町。

郷土史家の端くれとしては、周辺は美しい大自然に囲まれ、歴史と伝説のある町が那須高原の中心じゃなきゃおかしいでしょうって、想いがふつふつと湧き始めたのです。

そして、ボクはとうとう「奥那須」を発見したんです。

 

2020年7月24日 (金)

多くの方の善意で、ヤマネのポストカードが、世に出たことを、深く感謝しております。

今年の1月に那須高原で結成した制作者集団コバコの作品第1弾が発売されました。

メンバーの絵本作家しのづかゆみこさんの描いたイラストが入ったポストカードで「ヤマネとサラサドウダン」です。

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現在、那須高原の以下のスポットで販売中です。

那須ブックセンターさん

那須平成の森さん

ペンションLuaさん

民宿藤田屋さん

えほんの家MURMURさん

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こういった、多くの方の善意で、ヤマネのポストカードが、世に出たことを、深く感謝しております。

特に、那須平成の森と那須ブックセンターには、大変お世話になり、ありがとうございました。

 

 

 

2020年6月21日 (日)

真鶴出版同様、小さな出版社ミルブックスが作った相場正一郎『山の上のイタリアン』が面白いです。

那須ブックセンターで買った真鶴出版の『小さな泊まれる出版社』について、先月書きましたが、その後、那須ブックセンターに行って見つけたのが相場正一郎『山の家のイタリアン』という本。

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なんとなく、その名前が記憶にあったので、調べたら筑摩書房から出版された『世界でいちばん居心地のいい店のつくり方』を書いた人でした。
『山の家のイタリアン』(ミルブックス)は代々木の人気レストランLIFEのオーナーシェフが、東京と那須高原との二拠点生活を始めたいきさつについて書いた本です。

Shozocafe
そこで、ほとんど読まずに積ん読だった『世界で』を改めて読み返すと、相場さんご夫妻は、二人とも栃木県生まれで、SHOZO CAFEの菊地省三さんに深く影響されたということで、那須に来るのは、自然な流れだったのかもしれません。
真鶴出版同様、ちいさな出版社のミルブックスですが、調べると藤原康二さんという方がひとりでやっている出版社で、なんとなく真鶴出版と共通する匂いがして、面白いのです。

ミルブックス主宰:藤原康二さん


こうして、那須ブックセンターのお陰で、またひとつ、ミルブックスという発見がありました。
面白い本を見つける、谷店長の嗅覚、いつも驚かされてばかりです。

今日はニール・ヤングが聴きたくなったので「アウト・オン・ザ・ウィークエンド」などどうでしょう。

 

 

2020年5月24日 (日)

宮崎龍介・柳原白蓮夫妻が終生の住まいとした上り屋敷にクララ社があったことを知り、一瞬、息を呑みました。

子どもの頃、西武線の豊島園駅から電車に乗って池袋に向かう途中、椎名町という駅を越えると少し、長い距離を走って、池袋に到着するのですが、なんとなく、駅間が長すぎる気がして、数年前に調べると、そこには、昭和20年代まで「上り屋敷」という駅があったことが分かりました。

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左側が昭和6年の地図(アイランズ編著『東京の戦前 昔恋しい散歩地図』)です。右側はグーグルマップに重要なポイントをプロットしたものです。自由学園明日館が当時の場所にありますが、成蹊高等女学校は戦後、吉祥寺に移転し、成蹊学園と合併したようです。

この中で、気になるのが「柳原白蓮旧居」ですね。そして、その右上、公園の隣にあるハートマークが、坪田譲治の旧宅・びわのみ文庫です。

「児童文学散歩ミニガイド」というウェブサイトには

「坪田譲治が自宅の一角を開放して、子供のための児童図書館「びわのみ文庫」を開館したのは1961(昭和31)年。翌年には坪田が主宰する童話雑誌「びわの実学校」を創刊し、執筆活動と次世代の児童文学の芽の育成に携わる生涯をおくった。」

とあります。ぼくは練馬区に住んでいた小学生時代に、近所にあった子どものための私設図書館「ムーシカ文庫」に通うことになりますが、この辺りから、西武線に乗って、児童文学や漫画やアニメの文化が伝搬していったのではないかと、にらんでいます。

話を白蓮に戻すと、白蓮と宮崎龍介が駆け落ちした白蓮事件に深く関与していたのが、宮崎龍介の親友で、吉野作造の娘婿だった赤松克麿です。そして、その赤松克麿の著作を出版していた出版社がクララ社なのです。

芝の友愛労働歴史館で、事務局長の間宮氏からクララ社の本を見せていただいたときに、奥付を見ると、高田町上り屋敷1771と書いてあります。

まさに、宮崎龍介・柳原白蓮夫妻が終生の住まいとした上り屋敷にクララ社があったことを知り、一瞬、息を呑みました。

クララ社を創設したのは小池四郎・元子夫妻で、出版業の他に、クララ洋裁研究所という洋裁学院を経営していました。

その姪が作家の故矢川澄子と、無印良品のボードメンバーでキュレーターの小池一子さんの姉妹です。

その辺りの事情は「出版・読書メモランダム」というブログの「小池四郎とクララ社」に詳述されています。

だいぶ長くなったので、今日はこれくらいにしましょう。

今日のミュージックは、最近、ちょっとはまっているトムトムクラブの”Genius of Love ”です。

若い頃、好きだったバンドですが、いまだに現役で、年齢を気にせず、派手にやっている姿がかっこいいと思います。

 

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