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学問・資格

2014年4月14日 (月)

思えば、今から9年前に大塚で「江戸を楽しむ会」を作ったけど、力不足で自然消滅してしまったから、出直しの意味もあるなあ。

休日に、いざ、本棚の整理をと、意気込んで始めた途端、腰がぴきっとなって、体が固まってしまった。
ううう、10年以上腰痛と無縁だったのに、悔しい。
仕方なく、仕事を休んで、家でゴロゴロ、日がな一日向上心のない時間を過ごす。
幸い、俗事に惑わされず、時間を使えるから、こんな時は、ずばり江戸趣味でいきたい。

昨日に引き続き平賀源内で、本日は「萎陰隠逸伝」(なえまらいんいつでんと読む。萎にはやまいだれが付く)を読む。

もったいぶったタイトルに見えるが、内容はちょーくだらねえの。

だって、「なえまら翁の一生」だよ。

現代語訳の一部を紹介しよう。

いかなる詩人だって、偉人だって、その功のかなうかなわぬと関係なく、男の果てはみなインポなりで、いつかはなえるのだ(野坂昭如訳)

眠れば夢に遊び、醒めては世知辛い現実に嘆息を繰り返し、にこにこ食べては、しかめ面で排便し、たまの夜には一瞬のはかない快楽を味わい、そんなこんなで、ふと死ぬるその日まで、お目出度くも生きているよ。(杉浦日向子訳)

こんな源内の世界観、人生観が、日向子さんに流れ込んで、珠玉のエッセイになった。

オリジナルは、ちくま日本文学全集の「岡本綺堂」の解説だが、死後まとめられたエッセイ集『うつくしく、やさしく、おろかなり』の表題作として収められた。

このエッセイを読むたびに、難病で死を身近に感じていた当時30代の彼女の気持ちに思いをはせ、心が震える。

なんのために生まれて来たのだろう。そんなことを詮索するほど人間はえらくない。

三百年も生きれば、すこしはものが解ってくるのだろうけれど、解らせると都合が悪いのか、天命は、百年を越えぬよう設定されているらしい。なんのためでもいい。とりあえず生まれて来たから、いまの生があり、そのうちの死がある。それだけのことだ。綺堂の江戸を読むと、いつもそう思う。

うつくしく、やさしく、おろかなり。そんな時代がかつてあり、人々がいた。そう昔のことではない。わたしたちの記憶の底に、いまも睡っている。

「うつくしく、やさしく、おろかなり。」という言葉を思い出す度に、佐賀純一さんの『霞ヶ浦風土記』や『田舎町の肖像』の中で、自分の生きてきた体験を語る茨城の明治人たちを想う。

あるいは金子光晴の『日本人の悲劇』の中で、明治になっても江戸を引きずり生きていた人々を想う。

さらに、永井荷風『すみだ川』の主人公長吉の叔父俳諧師松風庵蘿月が印象深く、思い出される。

明治人の父祖達を身近に育ち、オリンピック準備のために、町並みや暮らしのスタイルが失われる前の東京を記憶しているのは、日向子さんやぼくの世代が最後だろう。

この秋から、土浦という微かに江戸の香りを伝える町で、仲間を集めて、明治を、大正を、そして地続きの江戸人の暮らし方を楽しみながら学んでみようと準備している。

思えば、今から9年前に大塚で「江戸を楽しむ会」を作ったけど、力不足で自然消滅してしまったから、出直しの意味もあるなあ。

150年前の江戸を振り返ってみることによって、80数年後に来るであろう22世紀の未来を想像してみるのもいいかもね。

だから、いまは、久しぶりにワクワクしている。

今宵は荷風が好きだったドビュッシーの「月の光」

2010年5月 9日 (日)

あめゆじゅとてちてけんじゃ

宮沢賢治には「春と修羅」という詩集があって、その中に「永訣の朝」という作品がある。

高校時代国語の授業で習ったような気がするが、昨日文章講座で取り上げるまで内容はすっかり忘れていた。

だいたい宮沢賢治の詩は有名な「雨にも負けず」は別として、難しくて何言ってるんだかわからないから、敬遠していた。

タイトルの「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は、高熱にうなされて、危篤状態の妹とし子の言葉で、花巻地方の方言で雨雪をとって来て下さいの意味だという。

ふーーーーん、そうなのなんて、クールに山本先生の話を聞いていたんだけど、岩手県北上市出身のIさんという女性が岩手の正しい読み方で「あめゆじゆとてちてけんぢや」を発音してくれた時、なんだか自分の中に衝撃が走った。

その言葉の響きの美しさが尋常ではなく、岩手の言葉が神々しく聞こえた。

私と同じように、何かを感じたらしい教室内の女性の数人が、小さく感動の声を上げた。

千昌男のしゃべる「田舎のズーズー弁」という失礼なイメージは、一瞬にして消え失せ、高度に発達した縄文文化の香りを残す、美しい響きで、上品なフランス語のように聞こる。

この感覚、久しぶりだよ。

あれは、16年前に沖縄に行ったとき、閉店間際のホテルの売店で、女子店員が私服になって、三線を弾いて、その音色が店内に鳴り響いたときの、衝撃に似ている。

心の深底の根っこの部分を直撃された。

沖縄の時は茫然自失になってしまい、しばらく沖縄病にかかってしまったのだが、今度は違う。

すこしはこっちも利口になっているので、Iさんと話をすると、やっぱり出ました日高見国の話。

私は中津 攸子『みちのく燦々』新人物往来社を読んで、日高見国と東北の消された歴史を知った。

興味のある人は図書館でも行って読まれるといいとおもうけど、昨日の感動はそれだけでなく、頭で理解しようとしても、ちっとも理解できなかった縄文のリズムとでもいう感覚を心の奥底で感じることが出来た喜びなのだ。

ああ、こういうコトを文章にしても、内容がスカスカで、伝わりにくいな。

やっぱり音じゃなきゃだめなのである。

とにかく我々の知っている頭でっかちな知の体系とは、まったく違う五感を研ぎ澄ませなければ理解できない縄文の知の入り口に、小学生だったある時期に縄文人の感覚を失ってから、数十年かかって、魂の拠り所をもとめて、ワールドミュージックを聴いたり、沖縄に行ったり、あちこちさまよい歩いて、やっとのことで、たどり着いた。

宮沢賢治だけでなく、いままでいくら読んでも理解できなかった本がすうーっと体に入ってくるだろう。

例えば鶴見和子、南方熊楠、柳田國男、鶴見俊輔、山口昌男、折口信夫、中沢新一、その他たくさんの本が新たな出会いを待っている。

そして、岩手だけでなく我々の住む葛飾にも多く残る縄文文化の痕跡をこれから紹介していきたいと、願っている。

いままでの話がちょっと、小難しい話に見えたら、私の文章力不足なのだ。

顔を洗って出直してきます。

2009年5月 4日 (月)

産業考古学という不思議な世界がある

なぜだか、若い頃から古道具が好きだ。

間違っても、お宝なんて呼ばれる書画骨董ではなく、そこらで誰かが日常的に使っていた道具に惹かれる。

家が狭いので、最近は行ってないが、以前は近所の古道具屋さんでよく買い物をした。

最近読んだ、平井 東幸他『産業遺産を歩こう―初心者のための産業考古学入門』東洋経済新報社という本は面白かった。

産業考古学というあまり一般にはなじみのない学問分野があるという。

鉄道廃墟や、赤線跡も、ある意味では産業遺産といえるのかもしれない。

(もちろん 軍艦島もそうだよね。あとペンペン草さんの川崎銀行も

素人の好事家の趣味だと思っていた世界が、気がつくと立派な学問分野になっているというのがいい。

そして、本には大学の講座数が減って…。

などと書いてあったが、産業考古学は既存のアカデミズムの中ではなく、在野のアマチュアたちが研究する民間学として発展した方が魅力的だ。

東葛飾には案外、産業遺産が残っていて、松戸・流山の運河や閘門、野田の醤油醸造施設など、見所も多いという指摘には、我が意を得たりという思いである。

そう考えると、自分の中では産業遺産の面白さって、古道具の面白さと共通だということに気づいた。

これから、しばらくこの産業考古学の世界で遊んでみよう。

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