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住まい・インテリア

2018年9月 8日 (土)

ハウスメーカーが作るブラックボックス化した建物にお金だけ払い続けるなんて、自分には耐えられない。

先週は那須まちづくり広場で上野千鶴子講演会を聴いてきた。
上野さんは若い頃の作品『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』だとか、サントリー学芸賞を受賞した『近代家族の成立と終焉』に影響されて、「家族」を見る視野が大きく広がったけど、それ以上の興味は持てず、最近はすっかりご無沙汰していて、あまり期待せずに出かけた。

上野さんの話は、事前の予想とはかなり違っていて、社会学の理論というよりも、もっと切実な独身者である自分が、自己決定権をもって病院ではなく在宅で死にたい。
そのためには、具体的にどのような環境を整えればいいんだろうという強い関心から発している。

だから問題意識が明確で、誰にとっても共感を覚える内容だった。
そして、上野さんが抱える問題意識は生活文化のあらゆる領域に共通するもので、ぼくにとって一番の関心事である、住まい方にも深く関わっていると思う。
ぼくは不思議なのだ。
住まいよりずっと安価な車を買うときだって、相当いろいろ情報を集めて、あれこれ検討して購入に至ると思うのだが、なんで多くの人がハウスメーカーにお任せになってしまうのか。
病院にお任せにせず、自己決定権を手放さないで、在宅で死ぬためには、様々なネットワークや協力体制を構築する必要があるけど、住まいづくりだって同じくらい、努力をして初めて満足のゆく結果になるわけで、ハウスメーカーが作るブラックボックス化した建物にお金だけ払い続けるなんて、自分には耐えられない。
上野さんの戦いの方法は、住まい方を考える上でも、とても参考になるような気がしている。
那須で内装工事のハードワークをしている時に、この人の音楽が流れていると、疲れが癒やされる。
小野リサの「シ・ア・ワ・セ」

2018年8月12日 (日)

みんな感覚が麻痺しているかもしれないけど、通勤電車って強力な、ある種の文化発信媒体だと思います。

最近わかってきたこと。
会社の仕事が、どーの、こーのよりも、通勤電車に乗るのが辛いんです。
「働き方・住まい方」の中間にある通勤電車がくせ者で、これをなんとかしないといけない。
みんな感覚が麻痺しているかもしれないけど、通勤電車って強力な、ある種の文化発信媒体だと思います。
車内の広告や液晶パネルに映し出される動画を見ていると、知らず知らずのうちに、何でもお金で買うことが当たり前だという、大量生産・大量消費・大量廃棄文化を受け入れてしまう。
言っとくけど、そんなの全然当たり前じゃなくて、50年くらい前までなら、都市の一部のサラリーマン社会にだけ通用する常識だったんだぜ。
それを言いたくてシリーズ化したのが「懐かしき未來」なのですが。

Photo

以前、沖縄に行ったとき、沖縄の人々の時間感覚がユニークなのは、通勤電車がないからじゃないかと、真剣に考えたこともあった。
『遅刻の誕生』という本があって、明治から大正にかけて、鉄道の発達とともに、変化していった日本人の時間感覚について書いてあります。
ただね。
最近那須町に通うようになって、気がついたのは、首都圏とは全然違う時間感覚が健在だっていうこと。
那須の人は、仕事に行くのに、あんまり電車を使わないからかもしれない。
そんな感じで、連休一日目の土曜日は、時間意識を正常な状態に戻すことから始めてみよう。
そこから、ゆっくりと次の段階へと進んでゆく。
ゆったりとした気分で、久しぶりに聴きたくなった坂本龍一の「KOKO」

2018年1月28日 (日)

モンゴルのパオや、アフリカのサバンナのように、プライバシーを守るために家を作るんじゃなく、公共空間としての家が、かつては日本にもあった。

いつからなのかわからないくらい、長い間体調がイマイチでしたが、完全に復活しました。
やったことは、とにかく体を温めること。特に首回りを暖めると、眼の疲れ、肩こり、背中のハリも解消されて、すこぶる調子がいい。
最近は夏でも、首は冷やさないように気をつけているんだけど、それでもおかしくなった。
永井荷風が、冷たい飲み物を絶対に飲まないようにしていると、どこかで読んだことがあるが、身体を冷やさない工夫だったのかなと思う。

それと運動不足。先週は毎日雪かきで、体じゅうがいたいけど、この寒さの中、血圧も日を追うごとに、下がっていて、夜は熟睡出来る。
年齢のせいで、体力が低下していたと思いこんでいたが、体調不良の原因は運動不足と身体の冷えで、その2点を改善してから、体が元にどった感がある。

たった10日前まで、休みの日は何もやる元気がわかず、長いトンネルがどこまで続くのか悩んでいたのがウソのよう。
ことしはブログの更新回数も増えるかもしれない。

ところで最近はまっているのが『養老孟司の幸福論』

いままで、ぼくは養老孟司のいい読者ではなかったのだが、この本を読んでかなりインスパイアされて、目から鱗が落ちた。
さらに余勢を駆って再読したのが隈研吾との対談『日本人はどう住まうべきか?』

この本の中ですごく大事なことを言っている箇所があって、要約すると

モンゴルのパオではどうやってプライバシーを守るのかというと、パオの中が公共空間で、プライバシーは外にあるという。
また、アフリカのサバンナでも同様で、土と動物の糞を固めてできた小さな小屋の中で、30人~40人が寝起きするのだが、屋外の生活が豊かで、そこにこそ文化があるというのだ。

以前、読んだ本なのに、読み飛ばしていた箇所だ。
隈研吾も大発見だと言っているけど、ぼくにとっても、これは大発見なのだ。
長い間、もやもやしていた、祖父や祖母の時代の茨城の生家の暮らしが快適だった秘訣がやっとわかった。

モンゴルのパオや、アフリカのサバンナのように、プライバシーを守るために家を作るんじゃなく、公共空間としての家が、かつては日本にもあった。

確かに、祖父の時代は、冠婚葬祭、すべて家で行ったし、朝から他人が家の中をウロウロするような、賑やかな公共空間で、それが当たり前だと思っていた。

じゃあプライバシーはどこにあったのかと想像をめぐらすと、おそらく祖父にとっては、誰もいない早朝の霞ヶ浦で舟に乗って漁をしつつ自然と触れあっている時が、趣味と実益を兼ねた最高のプライベートな時間だったと思う。
いま思い出したが、以前母から聞いた話では、霞ヶ浦がもっと綺麗だった時代、祖父は、歯磨きも、朝ご飯を炊くのも、湖上で行っていたという。
舟の上が最高の贅沢なプライベートルームだったんだろうって思う。

何か大きな発見をしてしまった、そんな気がしてならない。

日曜日の朝は、タジ・マハールとライ・クーダーの「ステイツボロ・ブルース」。
オールマン・ブラザーズ・バンドで有名な曲だが、こっちの方が全然いい。
こんなに、ノリのいい曲だったとは。
最近の細野晴臣の世界に似ていると思った。

2017年12月29日 (金)

場所が縁側だからこそ、肩肘張らずに自然に始まる楽しげな合奏は、どんな曲が奏でられるんでしょう。

今年は振り返ると、いろんなコトがあったなあ。
去年の暮れに、父が他界して、バタバタとしているうちに、年が明けて。

2月の終わりに「懐かしき未來その2」が出て、下野新聞に載って、5月に那須のアースデイに店を出して、それだけでも一年分以上の仕事をしてしまった感じだ。

本の仕事が一段落したので、張り切ってDIY作業を始めたら、無理がたたって体調を崩してしまって、夏からは低空飛行のまま、年末を迎えてしまった。

前半の勢いからすると、冴えない一年だったようにも思えるけど、ここらで一度スローダウンするのもいいかもしれない。

すこしづつ肩から力が抜けて、還暦を期に心境の変化もあって、新しく生まれ変わる直前っていう半年間だったような気もする。

60過ぎたら好みのストライクゾーンが広くなって、今まで嫌いだったモノが好きになって。
その一方で、アクシデントがあって、あれほど好きだったお酒を止めることして、体が楽になった。

一年の最後に考えてみると、目下最大の関心は住まいだね。やっぱり。
住宅建築のことだけじゃなく、家族の問題、まちを住みこなすこと、職業と住まいの関係、ホームレスや貧困と居住権のこと、高齢者や障害者が暮らしやすい家、などなどテーマは無尽蔵にあって、いくら勉強しても、したりないほど。

その中でも、最大のテーマは縁側です。
自分は小さい頃、茨城県の生家で見たような縁側空間が欲しくて、那須の山小屋を作ったことに気がつきました。

そのことについては、追々ブログで取り上げて行きますが、まずは大好きな鈴木春信の錦絵から、こんな作品をひとつ紹介します。

Couple_playing_a_duet_on_koto_and_s

音楽で遊んでる感じが、いい雰囲気で、素敵だ。

場所が縁側だからこそ、肩肘張らずに自然に始まる楽しげな合奏は、どんな曲が奏でられるんでしょう。

今ならこんな感じかな。女性同士だけど、絢香と上原ひろみのコラボは、最近見た動画では出色の楽しさでした。

 

2017年12月24日 (日)

そこに立っていると、茨城の生家で、祖父や祖母が、ときには仲間達と語らう場として、ときには作業場として、縁側をあらゆる目的に活用していた50年前の日常の暮らしが、一瞬鮮やかに蘇った。

デザイナーの原研哉さんの名著に「美意識がつくる未来」というサブタイトルがついた『日本のデザイン』という本があって、震災直後の2011年10月に発行され、その内容に深く共感し、日本のモノづくりの方向性は、ここに書いてある通りに進んで行くのだろうと、希望を抱いた。

それから6年たって、世の中はどう変わったかと言えば、原さんの考えた方向とは真逆にひた走り続けて、大きなモノづくり会社では不祥事ばかりが目立ち、新幹線の安全神話も崩壊し、武器輸出で食べて行くような、がさつな国になりはてた。

ものづくりに必要な資源とはまさにこの「美意識」ではないかと僕は最近思いはじめている。これは決して比喩やたとえではない。ものの作り手にも、生み出されたモノを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそものづくりを継続してゆくための不断の資源である。しかし一般的にはそう思われていない。資源といえば、まずは物質的な天然資源のことを指す。
(中略)
「中国、そしてインドの台頭はもはや前提として受け入れよう。アジアの時代なのだ。僕らは高度成長の頃より、いつしかGDPを誇りに思うようになっていたが、そろそろ、その呪縛から逃れる時が来たようだ。GDPは人口の多い国に譲り渡し、日本は現代生活において、さらにそのずっと先を見つめたい。アジアの東の端というクールな位置から、異文化との濃密な接触や軋轢を経た後にのみ到達できる極まった洗練をめざさなくてはならない。
技術も生活も芸術も、その成長点の先端には、微細に打ち震えながら世界や未来を繊細に感知していく感受性が機能している。そこに目をこらすのだ。世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる。

長くなったけど、序章からの引用がこの文章。

さらに、原さんが第3章「家」で書いている自分の身の丈にあった「住まいのかたち」と自分にとって一番大事な暮らしの「へそ」は何だろうって長い間、探してきたような気がする。
そして、最近これだという手応えを感じている。
僕にとって一番大事な暮らしの「へそ」は、おそらくきっと「縁側」だったということ。

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ウッドデッキが傷むので、仕方なく屋根を取り付けることにしたのだが、地元の棟梁川嶋満さんのお陰で、地域産品である八溝杉の美しい風格のある屋根がついて、この新しく生まれた空間が、自分がイメージしていた以上に深い意味を持ち始めたことに気づいた。
屋根が付いただけで、デッキの上が、ものすごく暖かい。これってあの幻になった俺の原風景縁側じゃねえか。

いつまでもここで日向ぼっこをしていたい。

そこに立っていると、茨城の生家で、祖父や祖母が、ときには仲間達と語らう場として、ときには作業場として、縁側をあらゆる目的に活用していた50年前の日常の暮らしが、一瞬鮮やかに蘇った。

ザ・キンクスの邦題が傑作だった名曲。
「日向ぼっこが俺の趣味」

 

2017年12月17日 (日)

特に沁みたのが「伝統を生かしつつ「現代を」少し付け加えるという作業」という部分。

音楽家の細野晴臣さんに、インタビューした「仕事力」という朝日新聞4週連載記事がすごく良くって、
長いけど、一部を紹介しちゃいます。

 それは言わば古典落語に似ている。伝統を生かしつつ「現代を」少し付け加えるという作業をやらないと、老若男女に喜んでもらえない。
(中略)
 僕は、今の時代がなかなか息苦しい要因として、「あなたはどう考えるか」「あなたは何を選ぶか」といった
自分の意思を絶え間なく問われる現状があると思う。
やりたい仕事は自分で決めようと言われるし、広告や雑誌などはターゲットをとことん細分化して自分に迫ってくる気がします。
いつも、どんな時でも、もっと言えば音楽の趣味も「あなたは何が好きか」と個人の答えを強いられていませんか。
 これでは、地域や家族といった社会的な価値観から切り離され、個人が点としか存在できなくなる。
それは豊かに生きるための財産を受け取らないいうことで、まさに、僕がオリジナル曲の創作にあえいでいた若い時に近い。でも気付けると思います。
既にある伝統って、みんなが長い年月を掛けて作り上げてきたものだから、あらゆる英知が蓄えられていると。
それを学び把握してから、自分のありようを決めてもいいんじゃないですか。

1970年にオリジナルの日本語ロックを作った人が、とうとうこういう境地に達したのかと、とても興味深く読みました。
「ホソノバ」に始まる3枚のボーカルアルバムが、オリジナル曲は減って、細野さん楽してるんじゃないのかと思って、
最初は物足りなく感じたのに、聴けば行くほど、気に入ってしまい、帰りの電車の中で毎日聴くのが、最近の習慣になってます。
ただ、この記事を読むまでは、何でこころ惹かれるのか、分かりませんでした。

特に沁みたのが「伝統を生かしつつ「現代を」少し付け加えるという作業」という部分。
3.11以降、ぼくも同じ事を、それまで以上に強く意識するようになりました。
そして、音楽はもちろんのこと、あらゆる分野に通底する、大切なコトを、細野さんが教えてくれてます。
誰よりもオリジナルにトコトンこだわってきた人の言葉だから、つよい説得力があります。
これは当然、ぼくの主要な関心分野である住まいや町についても同じ事が言えるでしょう。
訳あって、長い年月かけて、住み手にとって、一番気持ちのいい日本の住居や町の形が、出来てきたわけですから。
そして、「懐かしき未來」という言葉にたくした、思いもまさにそれで。
何か、ひとつ、目から鱗が落ちたような、気がしています。

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2016年1月 3日 (日)

「青空公房」では、かつて日本の農村で行われていた「ゆい」のように多大な労力を必要とする作業を共同で行い、その労力を貸し借りする相互扶助を、バージョンアップして21世紀のいまに蘇らせることを目指しています。

2016年から本格的にDIY普及活動を始めることにしました。

昨年末にDIY普及プロジェクト「青空公房」として初めての本「懐かしき未来その1」を発行しましたが、今回はその活動の第二弾として、リンク先にある住工房傳と共同で、1月11日にわたしの自宅で塗装のワークショップをやります。

住工房傳のブログでも紹介されているので暮らしと心地いい住まい 興味のある人はご覧下さい。
那須で山小屋を作っているときは、最低月二回程度は、那須高原の現場に大勢の人が集まって、延べ人数でいうと300人以上の人が訪れて、ワークショップ形式の継続的なイベントといった雰囲気の中で、工事を進めたものでした。

そんなことで、今回は20数年ぶりに行うワークショップになります。
材料や道具、食事はこちらで用意し、労力だけ提供してもらう。
次回、その参加者が自分で工事を行う場合は、出来る範囲で手伝いのお返しをするというのが「青空公房」のルールです。
「青空公房」では、かつて日本の農村で行われていた「ゆい」のように多大な労力を必要とする作業を共同で行い、その労力を貸し借りする相互扶助を、バージョンアップして21世紀のいまに蘇らせることを目指しています。
ご興味のある方はメールにてご連絡下さい。

那須のときは工事に時間がかかりすぎたのと、距離的な制約もあり、当初目指した形を作ることが出来なかったのですが、いまはネットが発達し、SNSなども普及したことで、ずいぶん状況が変わってきて、相互扶助の形を作るにもずいぶんハードルが低くなったように思えます。

それから、先日、ケルヒャーという高圧洗浄機を買ったのですが、うちだけで使うのはもったいないので、ご近所さんに貸してあげると、皆さん喜んでくれて、自分の家の塀の清掃などに使ってくれました。
DIY普及プロジェクトなどと肩肘張るのではなく、そんな風にちょっとしたお裾分け気分で工具や道具をシェアすることも、風通しのいい近隣関係を作ってゆくために必要なことかなと思います。

今日の一曲は、ベテランの古謝美佐子と若手の城南海がコラボした「童神」

2015年5月 9日 (土)

今日から「100万人のDIYはじめのいーっぽ」と題して、豆知識を紹介していきます。 DIYというとまずは木工で、カナヅチと釘というイメージが付きまとうわけですが、 いちど、そのイメージをぬぐい去るところから始めましょう。

今日から「100万人のDIYはじめのいーっぽ」と題して、豆知識を紹介していきます。

DIYというとまずは木工で、カナヅチと釘というイメージが付きまとうわけですが、
いちど、そのイメージをぬぐい去るところから始めましょう。

カナヅチって、指先を打ってしまう。
「痛い」とか
間違えて釘を打ち込じゃった。
「抜くのが大変!」とか

DIYの世界に入ってゆくのに、後ろ向きになってしまう要素がいろいろある工具でして、
私は最近、あまり使うことがありません。

それではカナヅチと釘の代わりに、何を使うかというと、コースレッドというねじ山の荒い、細長い木ねじを、電動ドリルで入れてゆくのが一般的なやり方になっています。

建設工事のプロはエアで打ち込む釘打ち機を使ったりするのですが、素人のDIYは安全かつ容易に修正も出来るので、電動ドリルとコーススレッドのパターンが一番適していると思います。

コーススレッドはホームセンターの一番目立つコーナーに山積みしてあります。
こちらの想定価格よりもビックリするほど安いので、一箱まとめて買っておいて損はないと思います。
けちって必要本数だけ買うと、ねじ穴がバカになってしまって、使えないモノが出てきた場合に対応がとれません。使わないと思っても、箱単位で買ってしまったほうがいいと思います。

次に、初心者にとっては選ぶのが難しい電動ドリルですが、これは個々人で体力(腕力)、使い方など、千差万別だと思うから、一概にこれがいいとは言えません。

例えば日本のメーカーやボッシュ、ブラック&デッカーあたりの製品がバーゲンで安く出ていれば、それを買ってみるのもいいでしょう。

現物を確かめなくても、安く入手できればOKという人ならAmazonもいいかもしれません。

Amazonで一番人気のあるこの製品など送料込み2,500円で入手できます。
ただ、充電式で、パワーも低そうなので、ドライバー代わり程度と考えておいた方が良いと思います。
徐々に大物を作りたくなって、堅い木にチャレンジしたりすると辛くなる可能性もあります。また、バッテリーも寿命があるので、そこは念頭に置いてから判断して下さい。


もう少しハイスペックの日本のメーカーの製品でも5千円~一万円以下で買えるので、長い目で見るとそういったモノの購入もお勧めです。

その場合、充電式はコード式と違って重量があります。
一回でやる作業が増えたり、高いところに取り付ける作業をすると、結構腕がキツいです。
私はブラック&デッカーの充電式ドリルを使って、おおむね満足していますが、以前使っていたRYOBIのコード式ドリルが恋しくなることがあります。
あちこち、ずっと探し続けているのですが、なかなか見つかりません。
新しいのを買った後に、見つかると悔しいので、仕方なく充電式を使っている状況です。

結論から言うと、ドリルは手に持って使う工具なので、手触りや重さなど感じることが出来る、ホームセンターでの購入がAmazonよりもベターかなと思います。

もし、質問があればプロフィール欄のメール送信で、質問を送って下さい。
可能な限り、対応します。

ということで、本日はメンバーだけ(+プロデューサーのジョン・サイモン)で、いろいろな楽器を演奏して手作り感あふれるサウンドを作り出したザ・バンドのセカンドアルバムから「ロッキー越えて」をどうぞ。
50代以上の人は、ハンドドリップで煎れたコーヒーなど飲みながら、のんびり聴いていると、70年代の渋谷のロック喫茶なんか思い出して、遠い目をしてしまうかもしれません。

2015年5月 7日 (木)

古い日本家屋では、ちゃぶ台のある居間が、子どもの勉強部屋になったり、寝室になったりするように、自宅を七変化させて、DIYのためのMY工房を作りだせばいいと思う。そうすれば無駄なお金もかからないし。

連休中ずっと、部屋の整理をやっていた。
結局、完全には終わらなかったけど、頭と心の整理も出来た感じで、すっきりしたなあ。

これだけ大がかりな部屋の整理は、週末に著述活動を始めた9年前以来だが、これでやっと2015年バージョンの構成になった。
半分以上の蔵書を那須に移動して、逆に工具類は那須から松戸に移動するという作戦。
そして、加工場は自宅ベランダの青空公房とする。

最初に設計図をしっかりとつくっておけば、ホームセンターで大きな材料を正確にカットしてくれる。カット料金は30円~50円といった値段で、利用しなきゃ損だ。

カットが済めば、材料の運搬も楽で、自宅工房では電動工具の使用を最小限に抑えられ、隣近所への騒音に気を使うことなく、プラモデルを作るようにDIY作業を楽しむことが出来る。

那須高原でガンガン、ハンマーを叩きまくって、電動工具を振り回していたので、自宅でのDIY作業を行うという発想はなかったのだが、近年はホームセンターのサービス向上が著しいので、ちょっと前の常識は通用しないことを痛感した。

男性向けのDIY関係の本を見ると、立派なMY工房を持っている上級者の体験談ばかり目につくが、そんなものに惑わされちゃいけないよ。
古い日本家屋では、ちゃぶ台のある居間が、子どもの勉強部屋になったり、寝室になったりするように、自宅を七変化させて、DIYのためのMY工房を作りだせばいいと思う。そうすれば無駄なお金もかからないし。

そうそう、男性向けDIY関係書では珍しく、気に入ったのがアウトドア雑誌「GO OUT」のDIY特集。多分、ブログでは紹介していなかったと思う。センスのいい作例が多くて、かなり満足。

すっきりとした気分に似合う、端正な歌声がエミルー・ハリス。
ビートルズの名曲をカバーしたこのバージョンもシンプルで美しい。

2015年4月 5日 (日)

昨今流行の女子の実用的かつオシャレなDIYと小野二郎の言う「われわれの生活の質の改造」。 これら二つのコトは、遠く隔たっているように見えて、案外背中合わせになっているのかもしれない。

土曜日まったりと過ごしたのに、先週の激務の疲れが抜けないので、本日もベランダライフでのんびりと過ごすことにした。
朝から雨模様だし。
昨日、作った「青空公房」の看板に金具を取り付けて、ベランダのパーゴラにぶら下げてみた。
そして、MakeTからシールが届いたので、設計図だけダウンロードして作ったベンチに貼り付けた。

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ついでに、『ベランダはじめました』という本を取り出してみる。

それにしても、まったり、まったり、まったり、どこまで行ってもまったりとした気分。
ついでに音楽もこんなのがいいなあ。

空気公団「とおりは夜だらけ」。

このまま、まったりと一日が終わってしまっては、つまらないから、昼寝でもして、そろそろ日曜日の午後から戦闘開始しよう。
小野二郎の遺著『ベーコンエッグの背景』から、有名なエッセイ「趣味の思想化」の一部を引用したい。ちょっと長いけれど、とても大事なところなのだ。

 わたしは、民芸をふくめて、手仕事による実用品生産を、機械製品の隙間の穴埋め的利用したり、評価することに反対なのである。現在の生産のメカニズムに対して補完的作用しかもたない、いやそれによって実は現メカニズムを強化しているという事実に、目をつぶっての民芸礼讃などわたしは軽蔑する。
 むしろ、手仕事による、いわゆる実用品生産も、工芸教育も、「趣味」の手仕事も、ひっくるめて、一種の「教育運動」としてとらえねばならないと思う。「民芸運動」もまさしくその初心において教育運動であった。というのは、本来それは、民芸の美の発見、その育成ということにとどまらず、われわれの生活の質の改造、さらには現代の生産のメカニズムに対する批評を知的にというより、感覚に基礎を置く不退転のものにするという方向をうちにかくしもっていたと思う。
 このかくしもったるものを、明るみに出したいというのが、わたしの考えなのである。

ぼくがお父さんの趣味のDIYを好きになれない理由がここに書いてあるでしょ。
小野二郎特有の悪文だけど、悪文であるが故に、すうっと読めず、少し読んでは立ち止まり、考え考え、長い時間をかけて自分の中に入ってきたように思う。
昨今流行の女子の実用的かつオシャレなDIYと小野二郎の言う「われわれの生活の質の改造」。
これら二つのコトは、遠く隔たっているように見えて、案外背中合わせになっているのかもしれない。

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