思えば、ぼくは小さい頃から二拠点居住で、茨城の農村と東京を行き来して、都会の暮らしを相対視してました。
こんにちは。今年最初のエントリです。
夏からフリーになります。そこで、新しい活動を始めるために、年末年始のお休みを利用して、学生時代以来、何十年かぶりに、ノートをとりながら、一日一冊ペースで、せっせと読書に励みました。いろいろ読んだ中でも、特に面白かったのが、
歴史学者青木真兵さんの『手づくりのアジール』(晶文社)
人類学者松村圭一郎さんの『くらしのアナキズム』(ミシマ社)
ぼくが下手な説明をするよりも、だまされたと思って、読んで頂くのが何よりなのですが、ひとつだけ指摘します。
この2冊に共通するのは、世の中のあらゆることが市場経済の中で行われるようになって、財やサービスが産業化されて、お金で売り買いされるような社会で、生きづらさを抱えている人が、どんどん、増えている状況の中、そこからどうやって脱却するのか。
人々の心に新自由主義のルールが骨の髄までとけこんだ社会を相対的に見る視点を獲得するという課題に対して、具体的な処方箋を示していることです。
白井聡さんの『武器としての「資本論」』も問題意識は共有しているけど、具体的な処方箋が弱くて、マルクスの言葉に寄りかかっているのが、ちょっとマイナス。
旧来の左翼系の人にはウケるのかもしれないけど、真っ赤な表紙も可愛くないし。白井さんはマルクスを研究してきた社会科学者だから、仕方ないのかもしれない。
じつは青木さんや松村さんの本で、人文知のもつ意味を再認識しているのです。とかく、理工系や経済学、法学のような社会科学に比べて、役に立たないと、邪険にされている歴史、哲学、文学、人類学といった人文知ですが、今のような世の中の大転換期には、大変有効です。というか、それを学ばずして、未来のことを考えられないと思います。
思えば、ぼくは小さい頃から二拠点居住で、茨城の農村と東京を行き来して、都会の暮らしを相対視してました。それなのに、東京の学校を卒業し、都内で働いて、ずっと長い間、東京育ちの都会人だと勘違いしていました。
けれども、明治生まれの祖父の生活哲学のようなものが、自分のバックボーンになっていることに気づいて、2017年に「懐かしき未來」というリトルプレスを作り、祖父に捧げました。
幕末に建てた古民家に住む霞ヶ浦の漁師で、何でも手づくりし、工場で作った加工食品は食わず、冠婚葬祭すべて自宅でやった、かっこいい祖父が、次々と打ち寄せる時代の波に翻弄されて、家も仕事も何もかも失う前の古き良き世界をほんの少しでも取り戻すことが、自分のミッションかなと改めて思う2022年なのです。
今日は、那須高原のキャニオンで出会った人たちにジョニ・ミッチェル「レイディズ・オブ・キャニオン」を捧げます。
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