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2020年5月24日 (日)

「上り屋敷ユートピア」とでも呼べるような、コミュニティが大正から昭和初期に、存在したのかもしれません。

昨日、クララ社のことを書きました。

そもそも、なんでクララ社のことを書こうと思ったのか。

その理由について書いてみます。

最近、是枝裕和監督の著書をよく読むのですが、『世界といまを考える3』という対談本に、政治学者原武史さんとの対談が載っています。その、内容をかいつまんで言えば、
「西武池袋線沿線の東久留米や清瀬では、昭和30年代ころから、畑をつぶして、次々と大規模団地が建設されて、新しい住民がどっと入ってきた。けれども、そこは急ごしらえの町なので、生活のためのインフラが何もなく、交通も消費も西武グループの企業が、すべて供給している。是枝さんの言葉を借りれば
「いかに自分が『西武』という一企業の思惑のなかで生きてきたか気づいたわけです。」
という感覚を、原さんと是枝さんは共有しています。

原さんはさらに『レッドアローとスターハウス』(新潮社)の中で、西武と団地が生み出した戦後思想について、詳述しています。

Photo_202005242200011

5歳から15歳まで、西武線沿線の練馬区で暮らした人間の感覚としては、確かに原さんの考えには共感していますし、西武線沿線の町の、ある一面だと思います。
実際に、ぼくの小学校時代の同級生で、西武系の会社に就職した人は何人もいますし、西武百貨店はいちばんなじみのあるデパートだと感じています。

だけど、それだけではないのではないか。
1960年代から70年代初頭の練馬で育った子どもとしては、暮らしのすべてを西武に依存している団地の生活文化とは違う、西武とは無関係な、豊島区・練馬区の西武沿線の町独特の文化や空気感も、当時は明確にあったと断言します。
そして、その文化や空気感が、そもそもどこから始まったのか、長い間、心の中でひっかかっていました。
この地域では、「池袋モンパルナス」の芸術家や「目白文化村」の文学者は有名です。
そこに、東長崎のトキワ荘から始まった、漫画家の影響が練馬まで押し寄せてきて、富士見台にあった手塚治虫の虫プロや、大泉学園にあった東映動画になって結実したのだろうと、納得していたワケです。

ところが、池袋モンパルナスと目白文化村の間に、「上り屋敷」という町が、かつてあって、そこでは、宮崎龍介・柳原白蓮夫妻や小池四郎・元子夫妻がいて、穏健な社会主義にもとづく活動をしていたこと。
美しいカラーグラビアが載った「子供之友」や、「婦人之友」を発行した教育者の羽仁吉一・もと子夫妻がいて自由学園を作ったこと。
童話雑誌「赤い鳥」を発行した鈴木三重吉がいて、児童文学作家坪田譲治を育て、坪田譲治のもとで松谷みよ子やあまんきみこが育つ。
昨日、紹介した「児童文学散歩ミニガイド」というサイトにはこんな記述があります。
「(作家の故)矢川(澄子)氏は学園の生徒ではなかったが近隣にいたことから、明日館に出入りしたり、「子供之友」のグラビアなどにモデルとしてかりだされていたそうだ。」

いまは幻となった「上り屋敷」駅の周りには、「上り屋敷ユートピア」とでも呼べるような、コミュニティが大正から昭和初期に、存在したのかもしれません。
これから、いろいろ資料を探しながら、幻となった「上り屋敷ユートピア」を見つけてみたいと考えています。

今日の音楽はバンクバンド with salyuの「to U -PROTECT “to U” version- 」

 

 

 

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