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2020年5月24日 (日)

宮崎龍介・柳原白蓮夫妻が終生の住まいとした上り屋敷にクララ社があったことを知り、一瞬、息を呑みました。

子どもの頃、西武線の豊島園駅から電車に乗って池袋に向かう途中、椎名町という駅を越えると少し、長い距離を走って、池袋に到着するのですが、なんとなく、駅間が長すぎる気がして、数年前に調べると、そこには、昭和20年代まで「上り屋敷」という駅があったことが分かりました。

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左側が昭和6年の地図(アイランズ編著『東京の戦前 昔恋しい散歩地図』)です。右側はグーグルマップに重要なポイントをプロットしたものです。自由学園明日館が当時の場所にありますが、成蹊高等女学校は戦後、吉祥寺に移転し、成蹊学園と合併したようです。

この中で、気になるのが「柳原白蓮旧居」ですね。そして、その右上、公園の隣にあるハートマークが、坪田譲治の旧宅・びわのみ文庫です。

「児童文学散歩ミニガイド」というウェブサイトには

「坪田譲治が自宅の一角を開放して、子供のための児童図書館「びわのみ文庫」を開館したのは1961(昭和31)年。翌年には坪田が主宰する童話雑誌「びわの実学校」を創刊し、執筆活動と次世代の児童文学の芽の育成に携わる生涯をおくった。」

とあります。ぼくは練馬区に住んでいた小学生時代に、近所にあった子どものための私設図書館「ムーシカ文庫」に通うことになりますが、この辺りから、西武線に乗って、児童文学や漫画やアニメの文化が伝搬していったのではないかと、にらんでいます。

話を白蓮に戻すと、白蓮と宮崎龍介が駆け落ちした白蓮事件に深く関与していたのが、宮崎龍介の親友で、吉野作造の娘婿だった赤松克麿です。そして、その赤松克麿の著作を出版していた出版社がクララ社なのです。

芝の友愛労働歴史館で、事務局長の間宮氏からクララ社の本を見せていただいたときに、奥付を見ると、高田町上り屋敷1771と書いてあります。

まさに、宮崎龍介・柳原白蓮夫妻が終生の住まいとした上り屋敷にクララ社があったことを知り、一瞬、息を呑みました。

クララ社を創設したのは小池四郎・元子夫妻で、出版業の他に、クララ洋裁研究所という洋裁学院を経営していました。

その姪が作家の故矢川澄子と、無印良品のボードメンバーでキュレーターの小池一子さんの姉妹です。

その辺りの事情は「出版・読書メモランダム」というブログの「小池四郎とクララ社」に詳述されています。

だいぶ長くなったので、今日はこれくらいにしましょう。

今日のミュージックは、最近、ちょっとはまっているトムトムクラブの”Genius of Love ”です。

若い頃、好きだったバンドですが、いまだに現役で、年齢を気にせず、派手にやっている姿がかっこいいと思います。

 

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