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2020年5月

2020年5月31日 (日)

10代から20代の多感な時期、案外、ウディ・アレンの影響って、大きいのかもしれないと、自分再発見した気分なのです。

西池袋にかつて存在した、小さな駅「上り屋敷」を中心にした地域史について調べていると、いろんなことに出くわします。

朝ドラでも有名になった白蓮事件の二人(宮崎龍介・柳原白蓮夫妻)が、終の住処として暮らした家が、この町にあることを知ったことだけでも、ずいぶんビックリしたワケですが、その家って、元々は宮崎龍介の父親の宮崎滔天の家だったんです。

で、宮崎滔天って、名前だけ知っていて、確か大陸浪人なんて呼ばれてる程度の知識しかなく。

チベットのあたりをウロウロしてたお坊さんじゃなかったかしら、なんて思っていました。

それ不正解。恥ずかしいことに、『西蔵旅行記』の 河口慧海と、同一人物になってました。

滔天は孫文や蒋介石や黄興といった革命家を支援して、辛亥革命に重要な役割を果たした人物だったのです。

西池袋の家は日本で亡命生活を送っていた黄興の旧宅で、滔天の盟友・孫文や蒋介石が出入りした家でした。
1916年に黄興が死去すると、滔天の息子龍介が赤松克麿らと結成した新人会の合宿所として使われるようになり、顧問の吉野作造のみならず、賀川豊彦・大杉栄・森戸辰男ら多くの知識人が出入りするようになったそうです。
なんだか、凄いことになってきました。

さらに滔天は浪曲の桃中軒雲右衛門に弟子入りし、浪曲師としても活躍したという不思議な人物でした。

ちょっと、堅い話が続いたので、映画の紹介。

ウディ・アレン監督最大のヒット作『ミッドナイト・イン・パリ』を、きのう初めて見ました。
主人公ギル・ペンダーはウディ・アレンそのまんまのキャラクターだということですが、ボクの性格にも似ているような気がします。

ぼくもギルと同じように、1920年代に興味があって、日本の1920年代に関係するものを探しています。

上り屋敷駅周辺も1910~20年代に活況を呈したワケですから。


いま、振り返ると、あまり映画を観なかった20代でしたが、毎年新作の封切りを楽しみに待っていたのがウディ・アレン監督の作品で、『ボギー!俺も男だ』から『カメレオンマン』までは全部、見てました。
10代から20代の多感な時期、案外、ウディ・アレンの影響って、大きいのかもしれないと、自分再発見した気分なのです。

 

 

 

2020年5月24日 (日)

「上り屋敷ユートピア」とでも呼べるような、コミュニティが大正から昭和初期に、存在したのかもしれません。

昨日、クララ社のことを書きました。

そもそも、なんでクララ社のことを書こうと思ったのか。

その理由について書いてみます。

最近、是枝裕和監督の著書をよく読むのですが、『世界といまを考える3』という対談本に、政治学者原武史さんとの対談が載っています。その、内容をかいつまんで言えば、
「西武池袋線沿線の東久留米や清瀬では、昭和30年代ころから、畑をつぶして、次々と大規模団地が建設されて、新しい住民がどっと入ってきた。けれども、そこは急ごしらえの町なので、生活のためのインフラが何もなく、交通も消費も西武グループの企業が、すべて供給している。是枝さんの言葉を借りれば
「いかに自分が『西武』という一企業の思惑のなかで生きてきたか気づいたわけです。」
という感覚を、原さんと是枝さんは共有しています。

原さんはさらに『レッドアローとスターハウス』(新潮社)の中で、西武と団地が生み出した戦後思想について、詳述しています。

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5歳から15歳まで、西武線沿線の練馬区で暮らした人間の感覚としては、確かに原さんの考えには共感していますし、西武線沿線の町の、ある一面だと思います。
実際に、ぼくの小学校時代の同級生で、西武系の会社に就職した人は何人もいますし、西武百貨店はいちばんなじみのあるデパートだと感じています。

だけど、それだけではないのではないか。
1960年代から70年代初頭の練馬で育った子どもとしては、暮らしのすべてを西武に依存している団地の生活文化とは違う、西武とは無関係な、豊島区・練馬区の西武沿線の町独特の文化や空気感も、当時は明確にあったと断言します。
そして、その文化や空気感が、そもそもどこから始まったのか、長い間、心の中でひっかかっていました。
この地域では、「池袋モンパルナス」の芸術家や「目白文化村」の文学者は有名です。
そこに、東長崎のトキワ荘から始まった、漫画家の影響が練馬まで押し寄せてきて、富士見台にあった手塚治虫の虫プロや、大泉学園にあった東映動画になって結実したのだろうと、納得していたワケです。

ところが、池袋モンパルナスと目白文化村の間に、「上り屋敷」という町が、かつてあって、そこでは、宮崎龍介・柳原白蓮夫妻や小池四郎・元子夫妻がいて、穏健な社会主義にもとづく活動をしていたこと。
美しいカラーグラビアが載った「子供之友」や、「婦人之友」を発行した教育者の羽仁吉一・もと子夫妻がいて自由学園を作ったこと。
童話雑誌「赤い鳥」を発行した鈴木三重吉がいて、児童文学作家坪田譲治を育て、坪田譲治のもとで松谷みよ子やあまんきみこが育つ。
昨日、紹介した「児童文学散歩ミニガイド」というサイトにはこんな記述があります。
「(作家の故)矢川(澄子)氏は学園の生徒ではなかったが近隣にいたことから、明日館に出入りしたり、「子供之友」のグラビアなどにモデルとしてかりだされていたそうだ。」

いまは幻となった「上り屋敷」駅の周りには、「上り屋敷ユートピア」とでも呼べるような、コミュニティが大正から昭和初期に、存在したのかもしれません。
これから、いろいろ資料を探しながら、幻となった「上り屋敷ユートピア」を見つけてみたいと考えています。

今日の音楽はバンクバンド with salyuの「to U -PROTECT “to U” version- 」

 

 

 

宮崎龍介・柳原白蓮夫妻が終生の住まいとした上り屋敷にクララ社があったことを知り、一瞬、息を呑みました。

子どもの頃、西武線の豊島園駅から電車に乗って池袋に向かう途中、椎名町という駅を越えると少し、長い距離を走って、池袋に到着するのですが、なんとなく、駅間が長すぎる気がして、数年前に調べると、そこには、昭和20年代まで「上り屋敷」という駅があったことが分かりました。

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左側が昭和6年の地図(アイランズ編著『東京の戦前 昔恋しい散歩地図』)です。右側はグーグルマップに重要なポイントをプロットしたものです。自由学園明日館が当時の場所にありますが、成蹊高等女学校は戦後、吉祥寺に移転し、成蹊学園と合併したようです。

この中で、気になるのが「柳原白蓮旧居」ですね。そして、その右上、公園の隣にあるハートマークが、坪田譲治の旧宅・びわのみ文庫です。

「児童文学散歩ミニガイド」というウェブサイトには

「坪田譲治が自宅の一角を開放して、子供のための児童図書館「びわのみ文庫」を開館したのは1961(昭和31)年。翌年には坪田が主宰する童話雑誌「びわの実学校」を創刊し、執筆活動と次世代の児童文学の芽の育成に携わる生涯をおくった。」

とあります。ぼくは練馬区に住んでいた小学生時代に、近所にあった子どものための私設図書館「ムーシカ文庫」に通うことになりますが、この辺りから、西武線に乗って、児童文学や漫画やアニメの文化が伝搬していったのではないかと、にらんでいます。

話を白蓮に戻すと、白蓮と宮崎龍介が駆け落ちした白蓮事件に深く関与していたのが、宮崎龍介の親友で、吉野作造の娘婿だった赤松克麿です。そして、その赤松克麿の著作を出版していた出版社がクララ社なのです。

芝の友愛労働歴史館で、事務局長の間宮氏からクララ社の本を見せていただいたときに、奥付を見ると、高田町上り屋敷1771と書いてあります。

まさに、宮崎龍介・柳原白蓮夫妻が終生の住まいとした上り屋敷にクララ社があったことを知り、一瞬、息を呑みました。

クララ社を創設したのは小池四郎・元子夫妻で、出版業の他に、クララ洋裁研究所という洋裁学院を経営していました。

その姪が作家の故矢川澄子と、無印良品のボードメンバーでキュレーターの小池一子さんの姉妹です。

その辺りの事情は「出版・読書メモランダム」というブログの「小池四郎とクララ社」に詳述されています。

だいぶ長くなったので、今日はこれくらいにしましょう。

今日のミュージックは、最近、ちょっとはまっているトムトムクラブの”Genius of Love ”です。

若い頃、好きだったバンドですが、いまだに現役で、年齢を気にせず、派手にやっている姿がかっこいいと思います。

 

2020年5月17日 (日)

昨日に引き続いて、『小さな泊まれる出版社』のこと。

昨日、真鶴出版のことを書いたのですが、本を読んでいて知ったのは、真鶴という町には1993年に制定されたまちづくり条例「美の条例」の中に、真鶴の良さを定性的に定義する、独特な『美の基準』を盛り込んでいるということです。

美の基準について、ウェブマガジン「コロカル」に「真鶴の暮らしの風景に表れる『美の基準』とは?」という記事があり、詳しく書いてあります。
ぼくはまだ、未見ですが、そこには景観だけでなく、コミュニティにまで、言及しているとのことで、『小さな泊まれる出版社』の写真を担当したMOTOKOさんは本の中のインタビューに答えて、こんな話をしています。

「真鶴は『美の基準』をつくることにより、経済こそ回すことができなかったけど、なんとかコミュニティと自然、生活環境だけは守った。しかもそれが関東圏に唯一残されているのは奇跡だと思います。」

「いまは経済第一主義からようやく変わってきて(中略)”そこにしかない風景”、希少性が価値を持つようになってきた。ようやく「グローバリズム化に抗って良かったね」と、生活風景を守り続けているのが真鶴の価値だし、知性なんです。」

写真家のMOTOKOさんだけじゃなく、建築ユニットのトミトアーキテクチャのお二人も、すごくいい話をしていて、「コトづくり」「モノづくり」という、ある意味、相反する課題の中で、深い苦悩を抱えていた建築家を、間近に見てきたから、トミトの話は、スッと腑に落ちました。

そういう小難しい話は、書き始めると長くなるから、ひとまず、終わりにしますが、『小さな泊まれる出版社』って、小さな本だけど、最新の、たくさんの知見が織り込まれた労作で、意外に射程距離の長い、幅広い層に読んでもらいたい、好著です。

このブログのタイトル「面白い人が作る町は面白い」には、ぴったりな作品で、繰り返し読んで、勉強したいと思います。

本日の音楽は、自宅から那須に向かう車中でいつも聴いてる小野リサ「シ・ア・ワ・セ」。

 

2020年5月16日 (土)

久しぶりに気持ちのいい本を読みました。:真鶴出版『小さな泊まれる出版社』

神奈川県西端の真鶴という町に「真鶴出版」という出版社があります。

どこで見つけたのか忘れたけれど、真鶴出版で最近刊行した『小さな泊まれる出版社』という本に惹かれ、那須ブックセンターにお願いして買ってもらいました。

結果は大正解!!!久しぶりだなあ。こんな気持ちのいい本を読んだのは。

若い夫婦が書いた本なのに、若さゆえの気負いも、てらいもなく、いいあんばいに肩から力が抜けていて、爽やかな風が吹き抜けてゆくような、読後感です。

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装丁が素晴らしいの。建築家が描いた淡い色彩のイラストがいいし、用紙の使いかたもハイセンス。
そして何よりも共感するのが、この夫婦の建物との向きあい方です。
予算の関係で、一部セルフビルドも取り入れたそうですが、建築家や職人さんと組んで、うまくバランスを取りながら、町のひとたちも巻き込んで、自分たちの目標とするプロジェクトを実現するコトは、なかなか出来るモノではありません。
もう手遅れですが、那須高原でもう一度セルフビルドをやれたら、こんなやり方でやってみたいなあと、思いました。

この本にBGMつけるなら、トレーシー・ソーンの「スモール・タウン・ガール」かなあ。

 

 

 

2020年5月11日 (月)

いやおうなしにパソコンの前に座らなきゃいけない、今日この頃、ラパルフェの阿部寛オススメです。

YouTubeを見ていて、たまたまラパルフェという漫才コンビの阿部寛のモノマネにはまってしまいました。

『トイストーリー』のウッディのモノマネもやっていて、とっても面白いんですが、ウッディネタはやり尽くした感があって、残念ながら、たくさん見ていると、ちょっと飽きるんです。

阿部寛のモノマネは「下町ロケット」「結婚できない男」「テルマエロマエ」などなど、バリエーションが豊富なので、

見始めると止まりません。

いやおうなしにパソコンの前に座らなきゃいけない、今日この頃、ラパルフェの阿部寛オススメです。

 

2020年5月 5日 (火)

ひとは「かけがえのない人間」として存在して、初めて

ブログのタイトルは「街」なのに、実際には街に出られず、自宅でゴロゴロ。

とはいえせっかくの機会なので、優れたクリエーターの考え方や発想法を勉強しようと思って、是枝裕和監督の映画作品を古いモノからすべて、見直しています。

ある人物の全作品をみると勉強になるって、20代の頃、頭のいい友だちから聞いて、触発されて若い頃はたくさん読んだり、見たりしました。

歳とともに、そこまでやる根気がなくなっていったわけですが、それでも数年前に永井荷風の全作品読破にチャレンジしたことがあって、途中で挫折したけど、8割方は読破したかな。たいへん勉強になりました。

今回は、永井荷風以来の全作品鑑賞になります。

で、是枝裕和監督のターニングポイントは『歩いても 歩いても』と『空気人形』と、それに続く『奇跡』かなと、感じました。

 

ミシマ社から出ている『映画を撮りながら考えたこと』を読むと、本人にとっても、かなり満足のゆく作品だったようです。

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ボクもこの2作品って、大傑作だと思います。映画作家の作品として。ところが、興行成績が振るわなかった。

そこで追い詰められて、いったん映画の仕事をお休みするところまで追い詰められたそうです。

そこに舞い込んだのが、九州新幹線開業を記念してつくる企画モノの映画の話。

当初、企画モノは制作が多すぎてイヤだったそうですが、結果的には大成功。

初めて外からモチーフを与えられたオリジナル脚本を書くことによって、何か吹っ切れたようにそこから『そして父になる』『海街Diary』といった傑作を連発するようになります。ご本人は、これらの作品を「作家ではなく職人として」作ったと言います。

自分的には『海街Diary』が、現在のところ是枝裕和監督の最高傑作だと思いますが、その作家性と職人性が、いいあんばいにミックスされた作品が、カンヌ映画祭でパルムドールを獲得した『万引き家族』だったと思います。

また、『歩いても 歩いても』以降、ほとんどの映画に出演しているのが樹木希林だということで、是枝監督にとって樹木希林という俳優がは、かけがえのない存在だったことが分かります。

その辺りについて詳しくはスイッチパブリッシングから是枝裕和『希林さんといっしょに』という本がでているので、これもオススメです。

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自分の作りたいモノを作るって、一見、素敵なことなんだけど、人間て弱いから、どこか傲慢になってしまうような気がします。

人間関係やら、お金の問題、時間の問題、さまざまな、束縛に苦労しながらつくり出すモノが一番、光り輝いているように思えます。

だから人間て、無限の能力を持っているように思えます。

さっき見終わった『空気人形』は、「取り替え可能な代用品」がテーマでした。

人間を「取り替え可能な代用品」として扱う社会は、決して幸せな社会とは言えないでしょう。

ひとは「かけがえのない人間」として存在して、初めて、そこに居場所を見いだすことに思いをはせながら、今日は終わりにします。

 

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