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2018年2月

2018年2月17日 (土)

体制寄りの経済学者が言うように「経済学的」には、さらなる成長が必要かもしれないし、新しいエネルギー技術が発見されれば、「経済学的」には、救われるかもしれない。だけど、経済成長によって日本人の暮らしのスタイルがこれ以上壊されてゆくのを看過するわけにはいかないでしょう。

茨城のぼくの生家では1970年まで主なエネルギー源は薪だった。
風呂は五右衛門風呂だったし、ご飯やおみおつけや煮物はかまどで煮炊きした。
薪はどのように調達したかというと、いまは阿見のアウトレットモールがある辺りに薪を扱う農家があって、祖父がそこまで買いに行っていたという。
家にはトラックなどなかったので、牛に荷車を引かせる、一日がかりの仕事だと、つい最近母から聞いた。

その後宅地開発が進んで、首都圏に組み入れられ、いまは東京に通勤する住民もいる集落だけど、40数年前までは、江戸時代から続くようなアジア人らしい暮らしのスタイルがあって、その風景はぼくも明確に記憶している。
思うところあって、このところ、里山に関する本、民俗学に関する本、生態学や経済学に関する本など、手当たり次第に乱読しているのだが、徐々に最大の問題として見えてきたのは、現在のぼくたちの暮らしのスタイルを決定づけているのが石油文明だということ。

1982年に出た室田武さんの『水土の経済学』を繙いてみる。

石油文明下の日本では「燃料革命」などと称して世界最高の水準にあるすぐれた木炭技術を隅においやり、山村においてさえ石油バーナーやプロパンガスがないと風呂の水さえわかせないような住宅や生活様式を一般化していまい、都市の過密と山村の過疎がつくりだされてきた。これに対して、エコロジー重視の経済においては、森林の育成とともに、水田の破壊を中止し、またダム建設や河川汚染をくいとめて川に魚をよみがえらせるなど、日本各地の水土が生み出す資源や食料に依拠して、中央集権的でない新しい人間関係がつくられるであろう。各地の有機農産物の共同購入運動における援農などにみられるように、人々の協力関係の確立によって、石油漬けでないほんものの食べ物をつくることも可能になる。

インターネットが一般化する遙か昔に、室田さんはこんなことを書いていて、このあと35年の間にチェルノブイリ原発事故、東日本大震災と福島第一原発の事故を経験して、今なおエネルギー大量消費の石油文明の呪縛から逃れられない僕たち日本人は、どんだけ愚かなんだろうって思う。いまはSNSを使って、情報交換することだって、可能になったわけだし。

石油は魔法の杖のように素晴らしい自然の恵みだけど、石油に依存しすぎたために、日本人の暮らしが根底から改変されてしまったことに、思いが及ぶようになった。

これは資本主義とか社会主義とか、右だとか左だとかいう問題じゃなく、日本人みんなが考えなきゃいけない問題だと思うよ。
数年前に『里山資本主義』なんていう本がベストセラーになった訳だから、マスメディアや政治は鈍感でいまだに経済成長一本槍だけど、もうすでに日本人の心の奥底で大きな変化が始まっているように感じる。

体制寄りの経済学者が言うように「経済学的」には、さらなる成長が必要かもしれないし、新しいエネルギー技術が発見されれば、「経済学的」には、救われるかもしれない。だけど、経済成長によって日本人の暮らしのスタイルがこれ以上壊されてゆくのを看過するわけにはいかないでしょう。

これからもっと勉強しなきゃいけないけど、ひとまず見えてきたのは、エネルギー源の薪炭を供給する雑木林が消えることで、ぼくたちの想像を超えるレベルで様々な問題が発生しているということ。

養父志乃夫さんの『里山里海』を読むことで、問題の所在がはっきりしてきた。
だいぶ長くなったので、今日はひとまずこの辺で終わりにしましょう。

ニール・ヤングで「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」

2018年2月12日 (月)

こんな谷川健一さんの文章を読んでいると、強い共感をおぼえ、こころが震える。

上野の国立科学博物館で開催中の南方熊楠展を見に行ってきた。

海外から帰国すると、地元の和歌山県田辺市の自宅に籠もって、生涯ほとんど旅行もせず、キノコや粘菌といった地味な生物を研究した風変わりな在野の学者。
厳つい風貌と、上半身裸で撮った写真の印象が強くて、何か惹きつけられるのだが、存在が大きすぎて、この人をどうやって捉えたらいいのか、とまどうばかりだった。

そういう意味では、この小さな企画展は、等身大の熊楠を感じるには、ちょうどいい。
その情報処理術がいまのインターネット時代になって初めて日の目を見るような部分がある。熊楠は情報を集めるだけ集めて、論文にまとめることが出来ずに亡くなってしまったので、現在研究者のグループがその業績を電子化する作業に取り組んでいるらしい。

ただ、どこか物足りないものがあったのも確かで、それは何だろうって、あれこれ考えていて、見つけたのが谷川健一さんが書いた『独学のすすめ』と言う本。

熊楠は当時のエリートコースを歩んでいた人だが、学校を退学し、さらに親に頼み込んで海外留学して、そこでも学校を辞めて、独学で自分の好きな方向に行ってしまう。
企画展は既存のアカデミズムの枠内で活動する研究者たちが、まとめたモノで、子ども達も訪れる場所なので、行儀良く綺麗にまとまっているけど、ワタリウム美術館がまとめた『クマグスの森』を読むと、熊楠は人肉食とか、セクソロジーとか、かなり怪しい研究もしていた人だった。
また、西洋の知に対して、東アジアとか、日本の知にこだわった人で、柳田国男とシンクロしていたのも、その部分だったわけだから、そのあたりをスルーしてしまうと、あまり面白くなくなってしまう。谷川さんはこんな風に書く。

知識を自分の手で選びとり、自分の目でたしかめるという姿勢で一貫しています。(中略)
それゆえに文章は血肉となり、そしてまた、骨格を備えたものとなっているのです。われわれがそれを読むときに精神の高鳴りをおぼえ、鼓動を感じる文章が生まれるのです。

こんな谷川健一さんの文章を読んでいると、強い共感をおぼえ、こころが震える。

そして、日本地名研究所を作って、地名を守る活動を行った谷川さんの仕事は、熊楠の神社合祀反対運動に繋がるものだという。

谷川さんの仕事も見逃せなくなってきた。

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