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2017年5月

2017年5月28日 (日)

なんだか、まとまりのないエントリだけど、仕方ないのよ。 考えることが多すぎて、自分の頭の中も、ぐちゃぐちゃなんだし。

先週のアースデイ那須出展を中心に、あっという間に駆け抜けていったような、5月もあと3日で終わり。
落ち着いて、パソコンの前に座る時間がなくて、ブログも滞りがち。
我ながら、毎回同じようなこと書いてる気がする。まずい。

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考えることが、なくなった訳じゃなく、考えることが多すぎて、まとまんないんだよ、きっと。
家庭のこと、稼ぎのこと、青空公房の仕事のこと。

金曜日のパーティで会ったイギリスの人に自分の仕事のコトを説明するのに、
 One Man Publisher だと言ったら、妙に納得されたのが印象に残った。

アースデイは、事務局のメンバーが知り合いなので、どれだけ苦労しているか分かるから、
その努力に拍手喝采するしかないのだけれど、出展者としてはどこか違和感も残った。
この一週間、その違和感はなんだろうって、考えてみたけど、5年前に客として参加したアースデイと比べて、薄味になったなあと感じたのが、その原因だと思う。

ぼくにとって理想のイベントは、10年前に吉川で見た生活クラブの事業者交流会。
暖かい空気感が一日中流れていて、個々の製品をじっくりと体験したり、説明を聞いたりして、ゆっくりと過ごした。
そこのステージに登場したのがアグリカという男女二人組のユニット。
ふだんは八潮市で、農家をやっているという二人の奏でる爽やかな音楽に魅了されてしまった。
アグリカは3.11を機に、四国に移住してしまい、YouTubeでしか、演奏を聴くこともできなくなった。ウェブサイトをみたら最近、東京に戻ってきたみたいだから、生で見るチャンスもあるかな。

それはさておき、会話がしたいなあ。
いろんな人と心が通い合った、会話をたくさんしたいなあ。
どれほど、多くのコトバが飛び交っても、バラバラな方向を向いた矢印が、それぞれ勝手な方向に飛び回っているような、コトバのやりとりばかり見せつけられて、心がすり減っている。
特に、トロンとして目から光が消えたような政治家たちの語るコトバ。

前川前事務次官の記者会見を見て、久しぶりに、ホントに久しぶりに、テレビの画面でまっとうな大人の、まっとうなコトバを聞いたような気がした。

なんだか、まとまりのないエントリだけど、仕方ないのよ。
考えることが多すぎて、自分の頭の中も、ぐちゃぐちゃなんだし。

まったりとアグリカの曲でも聴いて、日曜日の締めくくりにしよう。

2017年5月 1日 (月)

大量生産多量消費のスタイルに疑問を持つ、ありとあらゆる分野の人たちが、住まい作りをテーマに集い、交流すること、あるいは交流する場所を作ること、それが結果的に「地域住宅工房のネットワーク」になってゆくのかなと、ふと思いました。

この数日間、建築家、宮大工、工務店社長と立て続けに三人の建築人と話す機会があり、建築や住まい作りについて、いろいろ考えてみた。

まず、最初に言えるのは、住まいを美しくすることは誰にでも出来る自己表現だということ。
建築は総合芸術だからね。しかも、ほとんどの人にとって、住まいは人生最大の買い物でしょう。

それなのに、なんで産業化されたハウスメーカーとやらの言いなりになって、数十年間の住宅ローンという重荷を背負ってしまうのだろう。ぼくには不思議でならないのです。

それでも、かつての日本のように終身雇用が保証された安定した世の中なら、まだわかる。
いまは、むき出しのグローバルキャピタリズムが最後の力を振り絞って、投資先を求めている時代。金融機関の口車に乗って、個人が重いローンなんて、抱えてはいけない。
そんなもん、無視して、好きなように家を作ったらいい。

すっかり消費者気分になって、洗脳されているコリコリの頭の中を、柔らかくしてくれるのが石山修武『セルフビルドの世界』。

石山さんは「まえがき」でこんな風に書いてるので、抜粋してみます。

ここに御紹介する、自分で、あるいは自分たちで何モノかを作ろうとする人間たちは、皆、皆さんと同類の人間たちなのです。皆さんの気持ちの中にもこんな情熱が実は眠ったままにあるのです。
生活することは実ワ、表現する、モノを作るのと同じです。

セルフビルドは(中略)日々の生活の中に常に自己表現の方策をつくり込もうという方法です。できるだけ消費のサイクルから自律を具体的に求めようとすることでもあります。

大量生産、大量消費の生活スタイルはすでにイデオロギー化しています。誰もが逃げられない教条として繰り返し繰り返し作り続けられています。その考え方そのものが、もうコレワ、大消費教という悪しき新興宗教のようなものなのです。

しかるに、それに対する生活スタイル、例えば少量多品種の生活像を描くのはなかなかできまいまんまです。
その解答のすべてではないが、明らかな一つの方法としてセルフビルドはあります。つまり少量多品種型生活の一つの生活像がここにあるのです。

自己表現としてのセルフビルドが二十一世紀の市民社会を構成する一助となるという、サンプリングモデルなのです。

どうでしょうか。ここに流れている考え方は、ぼくが「懐かしき未來」冒頭の「シリーズ懐かしき未來へようこそ」に書いたことを同じだと思うのですが。

セルフビルドというのは、広義に解釈した方がいいと思います。
建て主自ら工具を手にして、DIY作業をやるのはセルフビルドだけど、建て主自ら、家作りという人生最大のプロジェクトのリーダーになって、主体的に楽しみながら、自己表現としての家作りをするのも、セルフビルドに間違いありません。

もちろん、今すでに住んでいる古い家を、住みやすく作り替えるリノベーションだって、セルフビルドです。

今回、市川と那須と黒磯で、三人の建築人と話していて、亡くなった大野勝彦さんという建築家が「地域住宅工房のネットワーク」と言っていたことを思い出しました。

自分の空間を作りたい住み手、建築家、研究者、棟梁、それだけだと、今はもうダメ。
さらには工芸家や芸術家やデザイナー。手仕事が好きな個人。手作りを楽しむ個人。

大量生産多量消費のスタイルに疑問を持つ、ありとあらゆる分野の人たちが、住まい作りをテーマに集い、交流すること、あるいは交流する場所を作ること、それが結果的に「地域住宅工房のネットワーク」になってゆくのかなと、ふと思いました。
はたして「懐かしき未來」で、何かできるのか、知恵の出し所ですね。

懇意にしている川嶋工務店さんの那須ベーススタジオ で、ゆったりとくつろいで、話をしながらそんなことをぼうっと思い浮かべた。

          

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