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2017年3月

2017年3月25日 (土)

3.19那須町にミラクルな風が吹いた一日(後編)

で、3.19ですが、まずはこの画像を貼ります。

Photo

栃木県の地方新聞下野新聞の記者渡辺さんが、記事にしてくれました。

発行元「青空公房」の名前が載っていないのが、チョイと残念ですが、栃木県の読者には版元など、どこでもいいわけで、こうして那須町で「懐かしき未來」が町の人に愛され、育まれてゆくことが大切なコトで、版元冥利に尽きるんです。

取材の内容は、上記の記事にある通り。

取材が終わると、ブックデザインもやってくれたアーティスト大平夏澄さん、菊地さんご夫妻と、持ち寄り形式で、ささやかな出版記念パーティになりました。

ぼくが持って行った獺祭の一升瓶は、やがて空になり、八海山が登場したところまでは、明確に覚えているのですが、床についた時の記憶はハッキリせず、それでも悪酔いもしなかったのは、よほど楽しい宴だったということかなあと、みなさんに感謝しています。
もしかすると、3.19は長い間の夢がかなった、人生最高の記念日のひとつになってゆくかもしれませんね。

まあ、3.19はこんな気分ということで、名作「雨にスーダラ節」を。

3.19那須町にミラクルな風が吹いた一日(前編)

先週も那須町に行った。
いろいろな人に会うのが目的だったけど、それぞれみんな素敵な人たちで、夢見心地の気分で過ごした、生涯忘れられない一日になった。

那須には数え切れないほど沢山の温泉があって、どこも大好きだけど、一番和むのは那須塩原市の板室温泉グリーングリーン。公営なので、いつでも500円で入れるのが嬉しい。
小原庄助のように朝風呂に入って、そのまま火照った体で、板室街道を南下し、一路黒磯の街の中に入ると、有名なSHOZO CAFEがある。
そのSHOZOの手前角の、一見普通の民家風建物がおいしい薬膳の白牡丹。

20170319_2

20170319_3

料理もデザートも絶品。店主の金井ひかりさんが、健康的で、笑顔が輝いていて、薬膳の効果を自分自身で体現している。
もちろん、「懐かしき未來」の販売店さんである。

20170219

そこから那珂川を越えて、那須町に入り、4号国道をどんどん走って、約20分で建築工房槐(えんじゅ)の中島睦巳さんの工房にお邪魔する。

京都の出身で、いまは那須に拠点を構える宮大工。
芦野のお祭りで、出会って、少し話した時に、なにか惹かれるモノを感じたので、じっくり話をしたいと思って、訪ねた。
1時間余り、いろいろ話をしたのだが、YouTubeに中島さんの人となりがよくわかるインタビュー番組があったので、リンクをはっておきます。

ぼくにとっては、初めて聞く話と、初めて見る道具類で、大変いい刺激を受けた。
建築の世界の奥深さを教えてもらった気がする。

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2017年3月18日 (土)

いまの茶の湯の世界には「貧の茶」「平常の茶」があるのかしら、最近気になってしかたがない。

「懐かしき未來 その2」を作っているウチに、30代の頃、熱中した柳宗悦への関心が復活してしまい、その熱中度合いがとうとう永井荷風愛を上回ってしまったので、ブログの看板も「新葛飾土産」から「青空公房のブログ」に変えることになってしまった。

そこで、久しぶりに『民藝四十年』を読み返した。
この名著の中でも一番、今回感慨深く読んだのが「利休と私」という罪作りなエッセイ。
そこにはこんなコトが書いてある。

利休というと「茶」では神様のようにいう人が多い。近頃学術的な研究も盛んになったが、初めから鵜呑みに無批判に有り難がっている人々が多い。

だが、どういう道を通って、利休はその位置を得たか、利休の生涯を見ると、彼は転々として、当時の権門に仕えた。始めは信長に仕え、次には秀吉に侍り、その他の諸大名、諸武将、さては豪商と歩き廻った。

純粋に茶の道が立てられたというより、権門を利用して「茶」を栄えさしめ、また「茶」を利して権門をあやつったともいえる。かくて「茶」は政治的にまた経済的に活用された。

かかる「茶」は「民衆の茶」ではなかった。常に権力とか金力とかの背景を求めた。大名とか武将とか豪商とか、それらの人々を忘れずにかついだ。またそうすることで「茶」を拡めた。「わび茶」とはいうか、一種の贅沢な派手な「茶」で、主として富や力にものをいわせた。

もしも、権勢に媚びず、もっと民間に「貧の茶」、「平常の茶」を建てたら。茶道はずっと違ったものになったと思われてならぬ。「わび茶」は貧を離れては、よもや徹したものとはなるまい。力や金を利用したことで「茶」が普及したともいえるが、そこに早くも「茶」の堕落が兆したともいえる。今も「茶」は貴族的な「茶」に落ちがちであるが、一度は金力を茶から追放すべきである。金力があってもかまわぬとしても、金力に敗れるような「茶」は、「茶」たる資格を持たぬ。

これを読んで、利休を神のように慕うヒトたちの中に入っても、自分の居場所はないと思った。その後、利休について少し勉強し、赤瀬川源平の『千利休無言の前衛』はとても面白い本だったので、愛読書になったが、それでもぼくの利休嫌いは、訂正されることはなく、今に至る。

そして、柳は、民間に「貧の茶」、「平常の茶」を建てることなく、モデルを示すこともなく、世を去った。いまだに「茶」に入門することも出来ず、悶々としていたところ、「和楽」という雑誌で「茶の湯レボリューション」という特集を組んでいる。柳宗悦にも言及しているというので、期待して買ったけど、利休を神格化してチェ・ゲバラと並ぶ革命家だという???の内容だった。

逆風の中、ひとり巨大な力と戦いながら、道なき道を歩んでゆくのが、革命家たる所以でしょう。ちょっと無理があるね。
「懐かしき未來 その2」では、贅沢品としてのきものではなく、普段着としてもきものにスポットライトを当ててみた。
柳が亡くなって50年以上経つが、いま、茶道が廃れていると聞いた。
昔は茶道か華道が花嫁修業の必須科目だったイメージがあるが、いまの茶の湯の世界には「貧の茶」「平常の茶」があるのかしら、最近気になってしかたがない。

今日の一曲は、ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」。
ディランのライブの中でも一番有名な、伝説的な場面なので、下記のようにWikipediaに説明があった。
それまで誰も聞いたことのない新しいロックを創造する中で、ブーイングに耐えられず、ツアーのバンドメンバーが次々と離脱する中で、残った5人のメンバーと奏でるロックは、どんな大音量のロックよりも激しく心を揺さぶられる。
ドラマーのレボン・ヘルムが耐え切れず、一時的に離脱したので、ドラムだけがのちのザ・バンドじゃないのだが、このパワーだけドラマーがこのときのライブには、あまりにもマッチしていて、嵐のようなサウンド作りに貢献している。一期一会の奇跡的ライブだと思う。

聴衆の一人が "Judas!" 「ユダ!」(「裏切り者」の意)と叫ぶと、それに続いていくつかの拍手が起こる。さらにもう一人が "I'm never listening to you again, ever!" 「お前なんか、今後二度と聴かないぞ!」と叫ぶと、ディランは、 "I don't believe you." 「お前のことは信じない。」しばらく沈黙した後 "You're a liar." 「お前は嘘つきだ。」 と言い、バックのバンドに向かって "Play it fuckin' loud." 「やかましく演奏しよう」と呼びかけ「ライク・ア・ローリング・ストーン」の演奏が始まる。

2017年3月12日 (日)

ブログのタイトルをDIY出版「青空公房」のブログに変更しました。

ブログのタイトルを「DIY出版青空公房のブログ」に変更しました。
ブログを始めた2008年の頃と違って、いまはSNSも発達して、個人的なつぶやきはSNSで
吐露出来るから、ブログはある程度、コントロールして書き込むようにしていたんだけど、なかなか「新葛飾土産」という21世紀版葛飾の永井荷風という場所の居心地がよくて、抜けられませんでした。

でも、ひとまず青空公房として、2冊本を出版して、DIY出版社として継続してやってゆく自信も芽生えているし、自分が暮らしている葛飾と言われる江戸川両岸の情報を伝えるというよりも、シリーズ「懐かしき未來」の出版とDIY普及活動を通して、那須町を中心にいろいろな地域を繋いでゆくという自分自身の方向性が明確になってきたので、「DIY出版青空公房のブログ」としました。

青空公房のウェブサイトも、いずれ作るつもりです。

ぼくの関心も江戸や荷風さんから、もう少し幅広く、1920年代の生活文化や、ウィリアム・モリス、柳宗悦へと戻っている感じもあって、那須高原でセルフビルドをやっていた1990年代に熱中したモノやヒトへの関心も再び芽生えていて、人生も終わりに近づいているから、このあたりでいったん集大成しないと、先に進めないという気分なのかもしれません。

1990年代に熱中していたのが沖縄の文化で、中でも芸能の島といわれる沖縄音楽が大好きで、それこそ朝から晩まで、沖縄音楽を聴いていました。

だから、全てのアルバムを持っていた初代ネーネーズの4人のうち3人が、数年前にうないぐみとして戻ってきたのは、大きな喜びでしたね。
それも、ネーネーズそのものじゃなく、2010年代の新しい音楽だから、至極満足しました。

ぼく自身も元気いっぱいだった1990年代に戻ることは不可能だけど、当時は出来なくて、いまだから出来ることも、たくさんあるわけだから、それを探して出来ることをやっていきたいと、還暦を前に決意したところです。

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