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2016年11月

2016年11月 5日 (土)

そうじゃなくて、ぼくのおばあちゃんがこさえてくれた綿入り半纏のように、平凡な農家の人が作る、土の匂いのするような日常使いのモノたちに強烈なシンパシーを感じるのです。

「懐かしき未來」の仕事で草木染めのことをあれこれ調べていたら、ふと気づいたことがある。
柳宗悦『手仕事の日本』って、もしかすると将来の日本のあるべき姿を書き記した未来の書なんじゃないかっていうこと。

柳が「若い青少年を目当てに書いた」というこの本を、ぼくは長い間ずっと軽く考えていて、いまやっている仕事の関係で、読み返したけれど、銘仙の産地である伊勢崎や桐生や足利を切って捨てる感じで扱っていて、ちょっと不愉快で、反論のコラムを書いたくらいだ。

柳は繰り返し、「手仕事」の重要性について書いているから、そちらに目を奪われてしまうけれど、未来の日本の経済や産業のあり方について、とても大事なことを書いている。
それは都と鄙との関係。さらに、材料をどこから仕入れて、誰が、どうやって生産するかという問題。

例えばこんな記述がある。

ただそういう手技は、いち早く外来の文化を取入れた都市やその附近には少く、離れた遠い地方に多いということが分ります。それは田舎の方がずっとよく昔を守って習慣を崩さないからであります。それに消費者の多い都会は、機械による商品の集るところですが、これに引きかえ生産する田舎は自ら作って暮す風習が残ります。しかも自家使いのものや、特別の注文による品は念入りに作られます。これに対し儲けるために粗製濫造した商品の方には、誤魔化しものが多くなります。手仕事の方には悪い品を作っては恥じだという気風がまだ衰えてはおりません。このことは日本にとって、地方の存在がどんなに大切なものであるかを告げるでありましょう。もし日本の凡てが新しい都風なものに靡いたとするなら、日本はついに日本的な着実な品物を持たなくなるに至るでありましょう。

それからこんなことも書いている。

また注意しなければならないのは、商売人に成りすました人が作る品よりも、半分は百姓をして暮す人の作ったものの方に、ずっと正直な品が多いということであります。それは農業が与える影響によるのだと思われます。大地で働く生活には、どこか正直な健康なものがあるからでありましょう。これに比べ商人に成り切ると、とかく利慾のために心が濁ってしまうのに因りましょう。半農半工の形は概してよい結果を齎らします。
 それに正直な品物の多い地方を見ますと、概して風習に信心深いところが見受けられます。時折その信心が迷信に陥っている場合もあるでしょうが、信心は人間を真面目にさせます。このことが作る品物にも反映ってくるのだと思われます。良い品物の背後にはいつも道徳や宗教が控えているのは否むことが出来ません。このことは将来も変りなき道理であると考えられます。

そして、産地の人たちの努力をバカにするような記述で、ぼくが反発を感じていたこの部分。

人絹も盛に取り入れられ、染料もほとんど化学品を用います。従って今まで見たこともないような俗な彩りが現れるに至りました。今の都の人たちは多くはこれらのものを用いているのであります。作り方には長足の進歩がありますが、作られる品にはむしろ退歩が目立つのは大きな矛盾といわねばなりません。なぜ幼穉だと笑われている手機や草木染の方が実着なものを生むのでしょうか。考えさせられる問題であります。

志村ふくみ・鶴見和子『いのちを纏う』という本で、草木染めは豊かな自然と、人間のいのちのやりとりがあって、初めて成り立つことを知った。
明治になって急速に衰退した木綿がいい例だが、鄙の豊かな自然を顧みず、海外から安価な材料を仕入れ、大きな工場に鄙から多くの若者を集めて、世界市場に向けて、大量生産でコストダウンしたモノを作るというやり方を柳が批判しているということに初めて気づいた。

柳は、器用に手仕事をこなす日本人による、モノづくりの能力によって、国内だけでも食べていけるような、小さな経済を作り方を必死に説いている。
そして、その前提には豊かな鄙の自然が残っていること、人々の手技が残っていることの二点が必要だ。

伝統工芸とか和文化というと、人間国宝級の立派な職人と都会の金持ちが支えている世界で、そこには雅とか粋とか洗練とか、きものだったら艶やかとか、判で押したようなキーワードが並ぶ。それはそれで、素晴らしいんでしょうが、ぼくは興味がもてない。

そうじゃなくて、ぼくのおばあちゃんがこさえてくれた綿入り半纏のように、平凡な農家の人が作る、土の匂いのするような日常使いのモノたちに強烈なシンパシーを感じるのです。

ああ、だいぶ長くなった。今日はこのへんで終わりにします。

蛇足ですが、「懐かしき未來」に書いた柳批判のコラムは、推敲段階で全てデリートしました。

今日の一曲はヘプバーンが大都会の片隅で歌った曲を、大自然の中に帰してあげたようなカサンドラ・ウィルソンの『ムーン・リバー」

2016年11月 3日 (木)

菊地さんとはある種の想いを共有している部分があって、それが「懐かしき未來」を作っているモチベーションになっている。 どんなものかは今回の「懐かしき未來 その2」を読んでいただくしかない。

親の介護やら、何やらで、フィールドワークどころか、ちょっとした外出も計画できない状況で、自宅でできることをやってみようと始めたシリーズ「懐かしき未來」の仕事だが、そのお陰で、いままで積ん読だった本も含めて、たくさんの本を読む機会に恵まれたのは、思わぬ喜びだった。
その中でも最高の出会いは、田中優子『鄙への想い』と、志村ふくみ・鶴見和子『いのちを纏う』かな。

それはさておき、ひとまず、編集作業がほぼ終わって、一番感慨深く思うことは、今まで長い間ずっと望んでいた伴走者とのコラボレーションによる本作りが初めて、理想的な形で実現したこと。
これはひとえに、菊地厚子さんという極めて優秀なパートナーとの出会いの結果なのです。

菊地さんは、150キロも離れた那須町に住んでいて、ふだん顔を合わせることもなく、知り合ったばかりで、どういう人かもよく知らないのだが、こういう適度な距離感と緊張感が制作チームには必要なのかもしれないと、初めてわかった。
今まではいつも、仲良しの友達を集めて、いろいろやろうとしたけど、ことごとく失敗してきた。

ただし、菊地さんとはある種の想いを共有している部分があって、それが「懐かしき未來」を作っているモチベーションになっている。
どんなものかは今回の「懐かしき未來 その2」を読んでいただくしかない。

今日は一日中、昼寝もしないで朝から夜まで、仕事をして疲れたから、そろそろ眠ります。
眠りのお伴は疲れた身体をほどよく癒やしてくれるビル・エバンスとジム・ホールの「スケーティング・イン・セントラルパーク」。
これもまた、二人のクリエーターによる閃きが、随所に感じられる名曲だよね。


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