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2016年9月

2016年9月18日 (日)

長い時間をかけて、日本人が培ってきた「手の知性」って、ほとんど失われて初めて、大変な日本の財産だったんだって、気づいた。

いかん。ブログの更新間隔がどんどん開いている。
さぼっているつもりはないし、書くことがないわけじゃないけど、パソコンの前に座る時間がほとんど取れていない気がする。
たぶん、仕事の疲れで、平日の夜はもちろん、休日もソファでiPad持って、ごろごろして。
長時間椅子に座って、パソコン作業するのも結構パワーがいるんだって、初めて知った。
ユーチューブで音楽を聴くことも、面倒くさくて、死んでた。
読書以外に、何もやる気が起きず、テンションが上がらず、悪循環の日々。
もちろん、お盆休み以降、一度も遠出をしていない。
一番遠くまで出かけたのが、市川国府台のTree-Bだもん。

ていうことで、やっと涼しくなって、迎えた三連休なので、久々ブログ更新となった。

この間、何を考えていたかというと、「手の知性」という言葉。

『クリエイティブリユース』という本のなかで、著者の大月ヒロ子さんが使った言葉なんだけど、ここ数年あれこれない知恵を振り絞って考えて、自分が言わんとしてきたことが、この言葉一つで、言い当てられてしまったような気がして、ドッキリしたのだ。
どんな意味で使っているのかは本を読んでください。
そして、その言葉についてあれこれ、さらに考えていたら、ふと思い出したのが、今はだれでも知っているブロック玩具「レゴ」のこと。

おもちゃの遊び方に正解なんてないから、どのように遊んでもいいと思うが、昭和39年にABS樹脂で出来た美しい色彩のブロックを初めてみて、一瞬にして魅せられた7歳の少年はとにかく、手でこのブロックをいじり回して、はめたり、はずしたり、色彩の組み合わせや、手触りを楽しんだ記憶がある。
やがて、そんな手遊びをやっていると、心の中にふとひらめいた形が見えて、なんとなく、テーマなど考えず、何かを作り始める。
出来上がるまで、いや、出来上がっても、それが何であるのかなんて、どうでもよくて、もちろん実用的だったりする必要などなくて、当時はそんな言葉があることを知らなかったけど、オブジェのような作品を、毎日せっせと作っていたような記憶がある。

レゴも時代の変化には逆らえず、倒産寸前になって、ウィキペディアによれば、

2014年現在、「スター・ウォーズ」や「レゴムービー」など、何らかのストーリーに沿って開発された「プレイテーマ」が年間400近く開発され、その新商品の売り上げが年間収益の約6割を支えている。

のだそうで、レゴもいまや手を使って遊ぶというより、決められたストーリーと設計図に従って作るプラモデルとあまり変わらないモノに成り下がってしまった。それでも、コンピュータゲームだけやっている子供よりは、レゴを組み立てている子供のほうがまだマシなのかもしれない。

子供の世界の変化とレゴの現状は、世の中全体の縮図のように感じる。
最初から見知らぬ誰かが作った設計図通りに、作って満足する。
体で感じる知性を軽んじて、頭だけで考えているから、政治も経済も世の中全体が窮屈で、小粒になって、とんでもなく面白いモノが出てこない。
またまた偉い先生に牽強付会って、怒られるかもしれないが、長い時間をかけて、日本人が培ってきた「手の知性」って、ほとんど失われて初めて、大変な日本の財産だったんだって、気づいた。

そういえば昨日、家の近くを歩いていたら、ちょっとうれしくなるような落書きを発見した。

Photo

この通りを全部、子どもの落書きで埋め尽くしたら、どんなにワクワクした通りになるんだろう。アメリカのポートランドにあこがれてる場合なんかじゃないぜ。

2016年9月 4日 (日)

いまはもっと切実で、『人間復興の工芸』というテーマが老若男女を問わず、みんなの課題になりつつあるから、ぼくはDIY普及プロジェクトの青空公房を始めて「懐かしき未來」を、作っていることの意義に、気づかされた。

いま、奥付に1990年発行と書いてある柳宗悦『手仕事の日本』を読んでいる。

30代のころ、那須町に通い始めた当時、手を動かしてモノを作る愉しさを知り、柳宗悦に共感を覚え、『民芸四十年』というアンソロジーをボロボロになるまで読んだ。

さらに家族旅行で行った沖縄のホテルで「琉球の富」というエッセイを読んで、グローバル経済システムに対抗するローカルな社会や経済システムを柳の思想から学んだけど、どこか違和感を感じる部分もあって、やがて関心が薄れてしまった。

この本も買ってすぐに目を通して、読む価値なしと判断して、放り出して、四半世紀の歳月が流れている。そのときは、理論的な柳の本と違って、具体的な事例を紹介することが目的の本だから、取り上げている事例が古くて、利用価値が低いと判断したんだと思う。

戦後すぐに出版されたから70年以上前の本だ。当然、紹介された工芸品で消滅したモノや、産地も多い。

そんな積ん読組の代表選手だった『手仕事の日本』なんだけど、いま読むと戦前の工芸史の本として、読みごたえがあるし、繰り返しが多くて、読み疲れてしまう工芸理論の本より、読みやすく、分かりやすく、実例に則して居る分だけ、突っ込み所満載で、一気に愛読書の仲間入りしてしまった。

柳の工芸理論って、見本を示すべき作家と、それ以外の無学な工人の格差が大きくて、愛のない冷たい理論だなあって思っていたけど、『手仕事の日本』では、長い冬場の農閑期に、室内で一生懸命手を動かす農家の人たちを温かい目で見守っている心情が伝わってくる。

ぼくが柳宗悦や民芸に興味を失ってしまったのには、いくつもの理由があるのだが、そんなボクの不満を一気に解消してくれたのが、出川直樹『人間復興の工芸』。

詳しくは読んでいただくしかないのだけど、内田雄造さんという方が書いている解説に共感した。
そこに書かれたことは、19年後のいま読むと、まだまだ世の中が安定していた古き良き時代の解説だったなと思う。
いまはもっと切実で、『人間復興の工芸』というテーマが老若男女を問わず、みんなの課題になりつつあるから、ぼくはDIY普及プロジェクトの青空公房を始めて「懐かしき未來」を、作っていることの意義に、気づかされた。
ちょっと長いけど引用します。

「市民に開かれた工芸活動を」

特に本書では、出川が市民に対してはつくる喜びと人間性回復の場として手工芸を位置づけると主張している点が注目される。自由時間の増大と高齢化社会の実現の中で、市民、特に高齢者の生きがいをいかに保証しうるかが今日問われている。福祉や南北問題といった社会的な活動、市民農園やクラインガルデンの耕作といった自然との関わりとならび、手工芸もこれから市民の自己実現の有力な有力な分野となろう。
 以前、私の母は、東京郊外の駅の近くで手工芸品のブティックを開いていた。ここでは出品者が自らの作品に値段をつけ、母は一定の手数料をいただくというシステムであった。定常的な出品者は百人を越え、作品の質も高く、出品者が同時に顧客であり、常連客のサロンとして、そこではさまざまな情報交換がなされ、ささやかではあるが地域の文化の拠点になっていた。私はこの母の試みから、きたるべき社会における一つのモデルを見た思いであった。

この一文を読みながら、ぼくは「懐かしき未來 その1」で取り上げた国府台Tree-Bを思い出していた。
今年の春先からずっと、きものと手仕事をめぐる長い旅をしている。
出川直樹さんのこの本に出会って、まるでパズルのラストピースを見つけたような気分だ。
爽やかな秋風が吹き始めて、本作りも、そろそろ大詰めかな。

チベット出身の女性歌手alanの「懐かしい未来」を。

ぼくの本は「懐かしき未來」だけど、細かいことは、まいっか。

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