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2016年7月

2016年7月30日 (土)

菊地さんは「きもの」が那須の古町で共愉的な道具として、Kさんを始めとする若い人たちに受け入れられて、人と人を繋ぎ始めていることを、嬉しそうに語ってくれた。

どうやら、ぼくは学校とか、産業界とか、お役所とか、きちんとした社会には馴染めないタチらしい。
今になって振り返れば大学生の頃は、水槽の金魚を何時間も眺めたり、無意味な時間を愉しんでいた時期もあった。
その頃はまさか、4年生になって会社訪問して、その後35年間も勤め人をやるなんて夢にも思わなかった。

イバン・イリイチの『脱学校の社会』という思想に共鳴して、学校教育に不信感を持っていたから、今年30歳になる長男には読書の習慣だけつけさせて、勉強は強要せず、バスケットボールが好きだったから、トコトンバスケをやらせ、遊び狂わせて育てた。

一生フワフワして、生きて行ければいい。考えているのはそれだけ。
そんなだから、学校の先生はもちろん、学級委員タイプの優等生とも相性が悪くて、いまでも、パーティーなどで同席した時は、しっぽを巻いて逃げ出したくなる。

今年の春先に「わたしのきものの先生菊地厚子さんを紹介します。」と、那須町在住の若い女性の友人Kさんに言われたが、元小学校教諭だと聞いて、実際に会ってみるまでは不安だった。

そんな菊地さんが、先週の日曜日に、まる一日ぼくのために時間を割いてくれて、たっぷり、一対一で話し、大切にしている若いお弟子さんたちに出会わせてくれた。

那須高原で家を作り始めた1990年代初頭から今まで、ずいぶんたくさんの人と会ってきた。
そうするうちに、たとえ意見が一致しても、実際に行動に移すと尻込みする人が99.9%だという事実もイヤというほど学んだ。
酔った勢いで、風呂敷を広げ、大きなコトをいう男性は特に。

それに気づいてから、最近は女性との出会いが増えている気がする。
若い頃は、異性を意識して遠慮していたけど、いい案配に爺さんになったので、誰の目も気にすることなく、女性と話が出来るようになった。

すると女性の中には、男性以上に「男気」を感じさせ、卒業した大学だの、勤め先の格だの、育ちだのといった「権威」に寄りかかる男性を尻目に、「権威」とは無関係な「自前」の思想を育てている人がいることに気づく。

菊地さんはまさにそんな人だった。
10数年前まで小学校の先生をやっていたことを感じさせないのだ。
いや、今だって教育には一家言も二家言もあるから、立派に先生でしょって、本人から怒られそうだが、先生というよりは、いろいろな分野のクリエーターと話す時に感じるのと同じ空気感がある。

既成の「着物の着付け教室」のやり方に、疑問を感じて「那須きものスタイル」を作ったから、もう教科書のない世界に入っている。
教え方も、本に書いてない自分のオリジナルで、やっている。
そんな状況だから、最近はきもの関係の本を読むことが、少なくなったと話してくれたのが印象的だった。

こんな人に出会うと、圧倒されて、在り来たりの本で読んで得た知識など、何の価値もないように思えて、本を手に取ることも出来ず、3日間ぼうっとして音楽ばかり聴いていた。

4日目にやっと手に取った本が『脱学校の社会』を書いたイリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』と、イリイチの思想とパソコンやインターネットの関連について詳しく紹介している岩波新書の古瀬幸広・広瀬克哉『インターネットが変える世界』だった。

「コンヴィヴィアリティ」とは「みんなでワイワイがやがやと楽しい」という意味のイリイチの造語で、古瀬・広瀬両氏は「共愉」と訳した。

「共愉的な道具(convivial tool)とは、産業化、大規模化、広域化し、人と人を分断する一方の技術や道具や社会的な制度といったツールに対して、等身大の生活世界の中で、誰もがいきいきとした暮らしを出来て、人と人を繋げる役目を果たすようなツールをいう。

そして、菊地さんは「きもの」が那須の古町で共愉的な道具として、Kさんを始めとする若い人たちに受け入れられて、人と人を繋ぎ始めていることを、嬉しそうに語ってくれた。

最初から学校が苦手なぼくと、学校社会から脱却してきた菊地さんとの不思議なコラボレーション。
この菊地さんの想いを、うまく本に表現したくて、いまはワクワクしながら仕事を進めている。

菊地さんと一日一緒にいて、古謝美佐子を思い出した。若い頃からネーネーズや坂本龍一の世界ツアーに参加したり、大活躍する島唄の大御所だけど、立派なステージやバンドがいなくても、三線と歌声だけで、人と人を繋げる希有なミュージシャンだと思う。

2016年7月18日 (月)

高齢化、少子化し、人口減少社会になり、グローバリズムに疲れた日本人に必要なのは、「なんとか維新」や「アホのミクス」で尻を叩くことじゃなく、落ち着いて暮らせる新しい江戸時代を作ることだと思うんですけど、間違ってるのかな、俺

先週のムーシカ文庫のイベント以来、ホントにいろんなことがことがあった、一週間。
体もアタマも激しい変化について行けず、やっと海の日の今日になって、落ち着いた感じだ。
参議院選挙の結果を見て、ネットに自分の考えを流すことなど止めたいと思ったこともあった。

改めて「経済」って何だろうって思う。
「安倍政治を許さない!」っていうスローガンは分かりやすいけど、陳腐だ。
どんな強大に見える権力でも、大きな時代の流れには逆らえない。
高度経済成長の時代に、戻ろう、戻ろうとしている、いまの経済政策は、時代に逆行しているから、早晩淘汰される。
そんなものに関わっているヒマがあったら、野党は「新しい経済」を語るべきなんだ。

一生懸命原発再稼働を応援している古くさーい日本経済新聞が想定している場所とは別の場所に、ホントの経済があることを知らしめるべきなのだ。
それなのに、アベ某の思想なんぞを問題にしている時点で、もう負けている。

例えば、田中優子・辻信一の『降りる思想』に希望を感じる。

そう、ぼくたちは「さがる」のでもなく、「おちる」のでもなく、「おりる」のである。豊かさという幻想から、グローバル経済システムから、人間の本性へと、自然へと、愉しげに降りてゆきたい。

アベ信者たちは、どこまで上昇すれば気が済むのだろう。

そして、この秩序界(コスモス)は現在圧倒的な力をもって、その機構の中に入り込んでくる一切のひとびとの生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石燃料の最後の一片が燃え尽きるまで決定し続けるだろう。近代文化の合理性は、いまでは『鉄の檻』となって、逃れえない力を人間の上にふるうようになってしまった。

有名なマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のエンディング。
20世紀初頭に発表された論文だけど、今なお輝いていて、胸に突き刺さる。
100年以上経って、二回も大きな戦争を体験して、原爆まで落とされて、それでもまだ「化石燃料の最後の一片」まで燃やして、君たちは上昇したいのかい?

『プロ倫』の輝きを過去のモノにしよう。
「何、古くさいこと書いちゃってるの。」って笑い飛ばそう。

戦国時代に疲弊した国土を改良し、農業の生産性を上げて、大塚久雄が『近代欧州経済史序説』で描いたような、地理上の発見に端を発したグローバル経済競争から降りて、自給自足出来る国にした江戸時代には、各藩で様々な技術が開発されて、今日まで残るような地域産品が作られた。
『手仕事の日本』で柳宗悦が紹介したのは、そんなキラキラ輝いていたモノたちの最後の輝き。

 

高齢化、少子化し、人口減少社会になり、グローバリズムに疲れた日本人に必要なのは、「なんとか維新」や「アホのミクス」で尻を叩くことじゃなく、落ち着いて暮らせる新しい江戸時代を作ることだと思うんですけど、間違ってるのかな、俺。

日本中のあちこちで芽吹いている、小さな、小さな希望の新芽を小冊子にするべく、去年から「懐かしい未来」を作り始めた。

自分一人の力で出来ることなんて、せいぜいそんなモノだけど、例えば、数十年後インターネットの中に「新しい日本の経済と社会」といったテーマで、数万ページに及ぶ巨大な書物が作られるとしたら、その中の一節に加えて欲しい。

そう思って、いま作っている。

2016年7月10日 (日)

ムーシカ文庫にはテーマソングなどないけれど、いぬい先生と大森めぐみ教会つながりで、仲良しだった村岡花子がモデルになった朝ドラの『花子とアン』のテーマソング「にじいろ」が、頭の中でリピート再生してます。

相変わらず、きもののにわか勉強が続いていて、今週は銘仙の着物に関連して、通崎睦美さんの本を2冊読了。
杉浦日向子が晩年に書いた『ごくらくちんみ』や『四時のオヤツ』といった作品で見せた感覚に近い、すばらしいセンスの持ち主で、たちまちファンになってしまった。

それはさておき、昨日7月9日に練馬区の石神井公園にあるふるさと文化館で「いぬいとみこ展」があるので、行ってきた。

『ムーシカ文庫の伝言板』というのは、卒業生と関係者が力を合わせて作った当時の記録だ。
昨日は座談会「ムーシカ文庫といぬいさん」という関係者による公開座談会があり、この本に出ている人の多くが集う、もしかすると最初で最後の機会かもしれないと思った。

上記の本を作った時点では、ぼくはムーシカ文庫の仲間に再会していないので、参加していないが、今回は卒業生のひとりとして参加し、素敵なお土産をもらった。
それは、1967年1月から1968年2月までの少年時代の貸出記録。
大好きだったリンドグレーンやドリトル先生シリーズは予想通りだったが、『大どろぼうホッツェンプロッツ』なんて、読んだことを忘れていた。
息子が子どもの頃に読んであげたとき、「面白い本だなあ、知らなかったなあ」なんて、間抜けなことを考えていた、自分のバカさ加減に苦笑してしまった。

『アインシュタイン』も、読んで深い感銘を受けたことは覚えていたが、ムーシカ文庫で借りたことは忘れていた。
家にはほとんど本がなかったし、学校ではあまり、食指を動かすようないい本がなかったので、当時の最先端の文学者だったいぬい先生やがチョイスしたムーシカ文庫の棚は、こどもには、とてつもなく魅力的だったと思う。

書きたいことはたくさんあるけど、決まりが着かないので、ひとまずここでやめておきます。
ムーシカ文庫にはテーマソングなどないけれど、いぬい先生と大森めぐみ教会つながりで、仲良しだった村岡花子がモデルになった朝ドラの『花子とアン』のテーマソング「にじいろ」が、頭の中でリピート再生してます。

本日の参議院選挙をニュースで取り上げない、争点隠しどころか、選挙そのものを隠そうとする日本放送協会(NHK)に、この曲を捧げましょう。

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