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2016年4月30日 (土)

いまの世の中は政治も文化も、立身出世の西の思想一辺倒になっていて、「遊び」も「深み」もないでしょう。この一文を、これから始める活動に対する天国の日向子さんからのエールと考えて、取り組んで行きたい。

さあ、ゴールデンウィークだ。いま一番やりたいことって何だろうって考えた。
すると、真っ先に心に浮かんだのが、最近読んでいない杉浦日向子の全作品を、通読すること。
ほとんどの作品は一度読んだが、今まで未読だったのが昨秋河出書房新社から出た『文藝別冊 杉浦日向子 江戸の旅人』という単行本未収録作品集。

そこで、まずはこの本を読んでみることにした。

この本の白眉は「江戸文化の後ろ盾」という小文で、山形県をルーツに持つ日向子さんが本音を包み隠さずに語っている。
今から20数年前、1994年4月に発行された松田義幸編『出羽三山と日本人の精神文化』(ぺりかん社)で発表されたものだけど、まるで今の日本の状態を予言しているかのようだ。

昔からよく「西に経済あり、北に哲学あり」といわれてきました。日本は腰を捻ったような形をしており、その腰のあたりが江戸・東京ですから、東西というよりは北と西です。北の方には哲学があるといわれるだけに、北の大地は奥深いものを母体として持っていたようです。江戸文化も、江戸時代以前からかなり大きな影響を山形はじめ北からもらっていると思われます。

その例として、出羽三山で修行した山伏が江戸文化をリードし、江戸の人たちの間で「東の奥参り」が盛んだったことをあげている。
松尾芭蕉の『奥の細道』の元になった旅も、そういった文脈の中で、捉え直してみると、面白いかもしれない。

江戸文化の特徴の一つに、絶えず上方の京都、大坂をライバルとして意識していたことがあげられます。江戸は三百年間、上方コンプレックスで固まっていた都市ですが、千四百年の歴史ある出羽三山を知るにつけて、そんな上方コンプレックスはいわれのないことで、江戸の後ろ盾にはこの力強く豊かな「北」がついていたからこそ、世界に誇る江戸文化が生まれたのです。東北を示す「奥の細道」は中央(都)の人の言葉で、奥つまり得体の知れない未知の国の、しかも細道です。つまり西の都から見ると途方もない遠い国が東北だったのです。が、江戸では違います。江戸文化は東北を親とし、上方を兄や姉として成長していったのです。自分一人で大きくなって親のことを忘れている反抗期の子どものように、とかく江戸は地方を軽視しがちです。実は江戸の背後には奥深い北の文化があったということを見直すべきではないでしょうか。

今まで、日向子さんの著作は幅広く読んできたつもりだったが、東北と江戸の関係をこれだけ、力強く表現した文章は見たことがない。
大げさかもしれないけど、目から鱗が落ちるような気分だ。

最後は長いけど、途中で切れないくらい重要なことを言ってるので、そのまま引用します。

上方する上方、回遊する江戸、そして、掘り抜き井戸のように真っ直ぐ下に、自己の本質というところまで掘っていったのが東北の文化・北の文化だった。深い井戸の底に清涼な水をたたえた東北の文化があり、その一方で、真ん中にすり鉢状の「通」とか「粋」という何も物を生産しない、遊びを生活の重心に据えて、その日ぐらしをする不思議な江戸文化がある。それに加えて、出世しよう、日本をリードしようという気負いに満ちた上方の文化があって、この三つがうまく調和して日本文化を形造っているのです。

 ところが明治維新以降、西からたくさんの人が江戸に入ってきました。薩長と十把一からげにいうのは失礼ですが、そういう西の思想が、江戸・東京ばかりか全国を席捲してしまった。それが今日まで引き続いているわけで、「遊び」の江戸思想、どんどん一つのところを掘り進んでいく北の思想のいずれも忘れ去られているような感があります。

三位一体の分厚い日本文化を再構築するためにも、遊びの江戸思想と、深みの北の思想を取り戻さなくてはなりません。なかでも、今こそ出番が待たれるのが、東京から見ると恩のある親であるところの北の思想であり、これから日本がどこに行くのかという時に際して、最も重要なキーワードをたくさん握っているのです。

いまの世の中は政治も文化も、立身出世の西の思想一辺倒になっていて、「遊び」も「深み」もないでしょう。ぼくはこの一文を、これから始める活動に対する天国の日向子さんからの贈り物と考えて、取り組んで行きたいと考えている。

北の深みと、江戸の遊びを合わせ持ったミュージシャンというと矢野顕子が頭に浮かんだ。『ジャパニーズガール』というファーストアルバムを聴いて、今まで経験したことのないワクワク感を覚えたことを思い出す。
あれからもう40年になる。

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