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2016年1月

2016年1月31日 (日)

「物欲の世界」にいると、お店が沢山あって、買い物が出来るのが便利な町で、繁栄しているように見える。けれども、いったん物欲が消えてしまうと、見える世界が変わってしまう。

今日は朝からずっと自宅ベランダのペンキ塗りだった。
リフォームの予算が足りないので、始めたペンキ塗りだけど、慣れてくると結構楽しい。
傷んだ材木をチェックしながら、塗装するのは、木が喜んでいるようで、嬉しくなる。

もう少し暖かくなったら、書庫の整理が始まるだろう。
それまでは、買い物をしても、家が狭いので、置く場所もない。
午後から、近所のショッピングセンターに行ったのに、買いたいモノが何もないことに気づく。

先週は去年一度読んだ菅付雅信『物欲なき世界』を再読した。
朝刊の新聞広告によると第4刷が出来た話題作というコトらしい。

自分でも、物欲が減退したと感じるが、それは歳をとったせいだけじゃない気がする。
それは、昨年、ZINE「懐かしき未来 その1」を作っている時から感じていた。
そして、21世紀の今、むしろ物欲があると幸せになれないって、事実に気づいてしまった。

「物欲の世界」にいると、お店が沢山あって、買い物が出来るのが便利な町で、繁栄しているように見える。

けれども、いったん物欲が消えてしまうと、見える世界が変わってしまう。
例えば、いま関心を持って見ている那須町芦野を、思い浮かべる。
クルマで30分ほどかけて、黒磯まで行かないと、大きなお店はない、ある意味では辺鄙な町。
ところが、「物欲なき世界」では、お店がないコトが弱点どころか、むしろ強みに転じる可能性がある。

なにしろ、古代からの道がいまでも、壊されずに残っている。
今となっては、鉄道が通らなかったことが、この町に幸いし、芭蕉や西行が見た景観が奇跡的に保存されている。
芭蕉の時代どころか、昭和時代まで生きていた文豪の痕跡すら消えているのが、今の東京である。
数年前に芥川龍之介の旧宅を探して、田端を歩いたが、北区が設置したプレートが建っているだけで、住居の痕跡は何一つ残っていなかった。
芥川賞に名を残す、日本近代を代表する文豪の家にして、こんな有様である。

それを思えば、芦野がどれだけすごい、日本の宝か、わかるでしょう。
景観だけではない、いま町では古い日本の文化を継承するために、3月には「きものまつり」というイベントを行うという。
この町で、「物欲なき世界」の楽しさを、じっくり体験してみたい。

今日の一曲は、毎年、この時期になると聴きたくなるサー・ローランド・ハナ・トリオの「スケーティング・イン・セントラルパーク」

2016年1月24日 (日)

初めてのZINEを作り終えて、ここからどこへ向かうのか、いまはまだ混沌としている。 次の企画は、いったい誰を相手にして、何を伝えようとするのか。

暮れに出したZINE「懐かしき未来 その1」で、初めて編集らしきものを体験した。
いままで、なんとなくわかっていたつもりの「編集」という行為だけど、実際にやってみると、わからないことだらけで、戸惑うことも多かった。
それでも、やっぱり「編集」って、面白くて仕方なくて、文章を書くだけでは味わえない、この歳になって、わくわくするような体験が出来たと思う。

そんな戸惑いの中で出会った本が、菅付雅信『はじめての編集』(アルテスパブリッシング)

この本では、細かい技術的なことではなく、編集という行為を「企画を立て、人を集め、モノをつくること」と定義して、その考え方を繰り返し、繰り返し、説明する。
池袋西武デパートのコミュニティカレッジでの講義をベースにしているから、説明が具体的でわかりやすい。
それでいて、考え方の基礎がしっかりしているから、どんなジャンルでも通用する汎用性がある。
白眉は第6章の「編集は拡大する」かな。
最終的には「編集」がどんどん分野を広げてゆき、「あなたの人生があなたの最高の編集物なのです」という結論に至る。
決して簡単じゃないことだけど、そう思うと、ちょっとした日常が生き生きしてくる。

そして、最終章まで読んで、こんな表現に出会い、軽い衝撃を受けた。ちょっと長いけど引用します。

「過去のことと外のことを知る」、これが勉強の本質ではないでしょうか。
だから、皆さんが「新しくて魅力的な表現」をつくるためには「過去のことと外のこと」を知ることが必要なのです。
それを知らずにつくったとしても、人々が「新しい」と思ってくれないかもしれないのです。
なぜなら、今まで述べてきたように、文化はとても歴史的であり、文脈的なものだからです。
ですので、勉強とは新しく魅力的な「きまり」を創れるようになるためにするものだと思います。
(中略)
より高いレベルの自由を獲得するために、古いきまりを壊し、新しいきまりをつくる。またその新しいきまりが、人々の知覚の領域を拡げ、より新たな自由な感覚を与える。それこそが最も理想的な創造=クリエイションだと僕は思います。

菅付さんは日常的に編集を仕事にしている人だけど、菅付さんの言う勉強の本質は、あらゆる表現者に当てはまる。
こんな言葉に、若い頃出会っていれば、俺の人生ももう少し…。なんて思うけど、出会ったのに気づかないだけだったのかもしれない。
この本だって、二回読んで、初めてこの箇所を理解したわけだし、出会うタイミングってあるのでしょう。

初めてのZINEを作り終えて、ここからどこへ向かうのか、いまはまだ混沌としている。
次の企画は、いったい誰を相手にして、何を伝えようとするのか。

おそらく、那須に行って、芦野を取材することになると思うけれど、もう少し、深く悩んで、勉強して、「過去のことと外のことを知る」ことによって、ぼんやりとした自分なりの表現したい形が見えて、はじめて、「人を集め、モノをつくること」の段階に進めるのでしょう。
いままで、そういう努力をする前に、「人を集め、モノをつくること」を始めて、失敗を繰り返してきた、敗北の歴史があるから。
戸惑いばかりのブログ更新だけど、いまはそれが正直なところです。

静けさの中にほのかな希望を感じる坂本龍一の"Hibari"を本日のテーマに。

 

2016年1月16日 (土)

それにしても「遊び心」のないつまらない時代だ。「きものを着る」という、たったそれだけのことで、頭でっかちで堅苦しい近代社会を乗り越えてゆく先人の知恵を体感できるって、素敵だと思います。

「日本、取り戻してください」
松岡正剛の『日本流』を読んでいたら、文庫本あとがきのエンディングで、こんな言葉を発見してドキッとした。
松岡さんはこの本の冒頭でこんな風に書いている。

私は最近の日本が「歌を忘れたカナリヤ」になっているような気がするのです。
(中略)
しかし、歌を忘れたカナリヤをあきらめて、これを雄々しい鷹とか鷲にしようというのはもっとおかしな話です。鳩ばかりでも困る。むしろ、カナリヤならカナリヤであること自身を知ったうえで、かつカナリヤとしての多様な歌を歌い出すべきであるような気がするのです。本書はそこをめぐるつもりです。

この本は、いまから3年前何度も何度も読み返して、熟読していた本なんだけど、少し関心がほかに行っていたので、放置していた。
「きもの」についても、呉服屋の家に生まれた松岡さんの豊かな見識が展開される本なので、久々に手に取ったら、ドキッとするようなフレーズに出くわしたというワケです。

このくには、為政者の出すスローガンに共感して、日本を取り戻しているつもりが、実は「雄々しい鷹とか鷲にしようと」する方向に進んでいて、「カナリヤとしての多様な歌を歌」うことなど、ほとんど忘れ去られてゆく。
そんな実感があります。

いやそんな目先のことよりもっと大事なことは、解説の中で田中優子が書いているように、

近代国家完成のなか、その盤石であるかのように見えるその国家のかたちの中に、何とも壊れやすい、「かすかなる」悔恨をともなった、近代の中におさまりきれない「不幸」があったのではないか
(中略)
近代におさまりきれない残滓を江戸の中に探している私は、永井荷風をはじめ、たくさんの先人たちがその捜し物をしていたことを知っている。

ということ。

このブログを永井荷風の随筆「葛飾土産」にちなんで「新葛飾土産」と名付けたのも、田中さんが書いたのと同じ気持ち、からです。

田中さんはこんなことも書いています。このブログで以前も書いたことがある一節かもしれないけれど、繰り返しを厭わず、何度でも書きます。

着物はあればいいというものではなく、着ればいいというものでもない。できるだけ多くの場で着る。職人を知って、良質のセンスのものを選び、自分の着方で着こなす。着物、帯、帯締め、帯揚げ、半襟、たび、草履、扇子など、ありとあらゆる職人仕事は集まっている。その集合を、その場その場で生き生きとさせる。布の背後にあるもの作りの歴史と、着こなしの背後にある文化をまとう。そして「言葉」だ。良質の言葉で語らねばならないだろう。
私の中の日本流も、さらに掘り起こし、稼働させたくなってきた。

田中さんの主張はハードルが高いけれど、少しでも近づいていければいい。

それにしても「遊び心」のないつまらない時代だ。「きものを着る」という、たったそれだけのことで、頭でっかちで堅苦しい近代社会を乗り越えてゆく先人の知恵を体感できるって、素敵だと思います。

三砂ちづるが書いた『きものとからだ』を読んのですが、新刊書品切れなので、こちらの文庫本バージョンがいいでしょう。

それにしても、男向けの着物の本で、いい本を見たことがないんだよね。

今日はやっぱり、日本公演にも行ったことがあるデビッド・ボウイを追悼したい。
発売された当時、ブライアン・イーノと組んで作った『ロウ』というアルバムが何だかわからず好きだった。
いま聴いても、やっぱりいかしてる「スピード・オブ・ライフ」を

2016年1月11日 (月)

この3年間で、アシノビトは、さらなる進化をとげて、芦野はどんどん面白くなっている。

3年前に頻繁に那須町に通った時期がある。

芦野のような古い建物のある町で、斬新なデザインの那須歴史探訪館に入館し、座布団に座って、絵や庭を眺めていると、時間がゆっくりと流れてゆくのがわかる。

その中でも上記のリンクの通り、江戸期からの宿場町芦野で活躍するアシノビトというグループの活動は興味深くて、注目していたのだが、久しぶりにメンバーの大平さんから、便りをいただいた。

この3年間で、アシノビトは、さらなる進化をとげて、芦野はどんどん面白くなっている。
地方の古い町というと、懐かしい里山風景とか、長閑な農村風景といった、ありきたりな言葉で語られがちだけど、この町はいわゆる「ムラ」じゃなく、古代からのマチだ。

そして、面白いのは、その古代からのマチの骨格もディテイルも、21世紀の現在まで、あまり手を加えられることなく、残っていること。

首都圏の多くの町は、明治から大正時代にかけて蒸気機関車が通って、町の骨格が変わり、さらに、関東大震災と空襲を体験しなかった町でも、この30年間開発ラッシュが襲って、古い町が壊された所も多い。

芦野は、それら全ての変化をくぐり抜けて、江戸期の面影を残して、たたずんでいる。
コンビニとマンションがない町の居心地の良さは、行って見なければわからない。

そんな、芦野には、ここ数年若いクリエーターが集まりはじめていて、「きもの」がブームになっているという。

そんな話を聞いて、買ってから5年間、ずっと積ん読になっていた本を読み始めた。

田中優子さんの『布のちから』

積ん読になっていたのは、「きもの」や「布」のことをじっくり考える暇もなく、バタバタ走ってきた5年間だったからかもしれない。
ちょどいい、今年はスローダウンして、きものや江戸に取り組んでみよう。
それが、シリーズ「懐かしき未来」の次の展開につながっていくような気がする。

休日の最後の夜は、前にも紹介した曲だけど、なんとなく芦野の雰囲気に似合うと思う青葉市子の「3びきのくま」

2016年1月 3日 (日)

「青空公房」では、かつて日本の農村で行われていた「ゆい」のように多大な労力を必要とする作業を共同で行い、その労力を貸し借りする相互扶助を、バージョンアップして21世紀のいまに蘇らせることを目指しています。

2016年から本格的にDIY普及活動を始めることにしました。

昨年末にDIY普及プロジェクト「青空公房」として初めての本「懐かしき未来その1」を発行しましたが、今回はその活動の第二弾として、リンク先にある住工房傳と共同で、1月11日にわたしの自宅で塗装のワークショップをやります。

住工房傳のブログでも紹介されているので暮らしと心地いい住まい 興味のある人はご覧下さい。
那須で山小屋を作っているときは、最低月二回程度は、那須高原の現場に大勢の人が集まって、延べ人数でいうと300人以上の人が訪れて、ワークショップ形式の継続的なイベントといった雰囲気の中で、工事を進めたものでした。

そんなことで、今回は20数年ぶりに行うワークショップになります。
材料や道具、食事はこちらで用意し、労力だけ提供してもらう。
次回、その参加者が自分で工事を行う場合は、出来る範囲で手伝いのお返しをするというのが「青空公房」のルールです。
「青空公房」では、かつて日本の農村で行われていた「ゆい」のように多大な労力を必要とする作業を共同で行い、その労力を貸し借りする相互扶助を、バージョンアップして21世紀のいまに蘇らせることを目指しています。
ご興味のある方はメールにてご連絡下さい。

那須のときは工事に時間がかかりすぎたのと、距離的な制約もあり、当初目指した形を作ることが出来なかったのですが、いまはネットが発達し、SNSなども普及したことで、ずいぶん状況が変わってきて、相互扶助の形を作るにもずいぶんハードルが低くなったように思えます。

それから、先日、ケルヒャーという高圧洗浄機を買ったのですが、うちだけで使うのはもったいないので、ご近所さんに貸してあげると、皆さん喜んでくれて、自分の家の塀の清掃などに使ってくれました。
DIY普及プロジェクトなどと肩肘張るのではなく、そんな風にちょっとしたお裾分け気分で工具や道具をシェアすることも、風通しのいい近隣関係を作ってゆくために必要なことかなと思います。

今日の一曲は、ベテランの古謝美佐子と若手の城南海がコラボした「童神」

2016年1月 2日 (土)

ポートランドの「ツール・ライブラリー」というDIY用の工具を貸し出す工具ライブラリーについて調べていて見つけた本で、大月ヒロ子さん、富井雄太郎さんという人が企画した『クリエイティブリユース』は内容も装幀も斬新だ。

昨年の暮れに、浦和駅に出来た蔦屋書店に行ってみた。

モノを買うのではなく、暮らしをどうやって楽しむのかというテーマで、
チョイスされた本棚は渋い読書家には、物足りないかもしれないが、
ぼくは結構楽しめた。これがイマなんだろうって感じの品揃えで。

蔦屋書店とは無関係に、最近面白かったのが、この本。

ポートランドの「ツール・ライブラリー」というDIY用の工具を貸し出す工具ライブラリーについて調べていて見つけた本で、大月ヒロ子さん、富井雄太郎さんという人が企画した『クリエイティブリユース』は内容も装幀も斬新だ。

那須のセルフビルドの帰り、20年近く前に黒磯のSHOZO CAFEを見て衝撃を受けた。
それ以来、このワクワク感は一体何だろうって、考えてきたけど、「クリエイティブリユース」という言葉でなるほどと、ヒザを打った。

那須の工事を始めるときに、『バイオシェルター』という本を読んで感銘をうけて、翻訳者の芹沢さんにもファンレターを送った記憶がある。
そこに書いてあったのが「ブリコラージュ」という考え方で、新しくモノを作るのではなく、身の回りにある既存のモノを組み合わせて、新たな価値を生み出すという考え方だった。
考え方は分かったけれど、上記のSHOZO CAFEに出会うまで、具体的なイメージがわかず、途方に暮れていた。

それがいまは、どうだろう。世界中で、もちろん日本国内でも「ブリコラージュ」が行われて、ゴミになる運命だった古いモノが新たな命を吹き込まれている。
時代はどんどんクリエイティブリユースに、向かっている。
いつまでも「大量生産・大量廃棄」モードから抜け出せない時代遅れのオヤジたちが牛耳る政財界を尻目に、ぼくたちはクリエイティブ・リユースの方向に、突き進む一年にしたいと激しく思う。

今日の一曲は前回に引き続いて木太聡さんの" La Campanella "を。
フジコ・ヘミングでも有名なこの曲を鍵盤の少ないトイピアノで演奏しているのが、斬新で不思議。

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