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2015年11月15日 (日)

一族郎党が近隣に集まって住んで、拡大ファミリーを形成する。 老若男女が知恵と力を、持ち寄って、激しく変化する時代に対応する。 そうじゃないと、この大転換の時代を乗り切れない。

このところずっと、家族について考えている。
たまたま、この一年、自分の周りで、葬式だの、引っ越しのと、家族がらみの出来事が
立て続けに起きていて、現代の家族のありかたについて、考えさせられることが多かった。
そんな体験のお陰で、25年前に亡くなった、明治時代生まれの祖父の悩みや苦しみ理解できるようになったような気がする。

若い頃、法社会学者川島武宜の『日本社会の家族的構成』という本を読んで、戦前の家族制度について、少しだけ勉強した。
戦後の日本社会では家族制度からの解放→核家族化が歴史の自然な流れで、常識だったこともわかる。

そして核家族のお父さんが都会の会社に勤めに出て、大都市周辺に家を建て、お母さんが専業主婦として、家事を行うという、両親世代の憧れだったスタイルが、新しい家族像として、奨励されたこともよくわかる。

だけど、そんなモダンな核家族も、そろそろ役割を終えているのではないかというのが、いまのぼくの心境。

水野和夫が『資本主義の終焉と歴史の危機』で書いているように、いまは、徳川幕府が終焉を迎えた150年前に匹敵する転換期のように思える。

核家族でやっていけたのは、企業社会が安定して、経済成長神話がまだ有効だった時代。でも、長い人類の歴史をふりかえれば、そんな時代は一瞬にすぎない。
ほとんどの時代と地域で、さまざまな立場と年代の男女が、協力し合って大きな集団を作って生き抜いてきたように思う。

先週のエントリで書いたように、かつて「群居」という雑誌があった。
一族郎党が近隣に集まって住んで、拡大ファミリーを形成する。
老若男女が知恵と力を、持ち寄って、激しく変化する時代に対応する。
そうじゃないと、この大転換の時代を乗り切れない。
老人は経験と判断力を、若者はフレキシブルな考えで、新しい知識を提供する。
場合によっては血族だけでなく、近隣の仲良しが集まって、メガファミリーになる。
さらにSNSによって、遠く離れた人の知恵も活用できる時代になっている。

じぶんにとっては資本主義だの、社会主義だの、右だの左だのって議論が、虚しく響く。

ヒップやオーガニックやスローライフなんて一見魅力的な言葉もあるのに、どうもイマイチ、浮ついているように感じてしまう。
それよりもずっと、、昭和30年代の茨城の農村で、聡明だった祖父がやっていたライフスタイルやメガファミリーのあり方の方が理想に思えてしまう。
だけど、その理想的な状態は、社会の変化と、家族成員の核家族への強い憧れによって、徐々に壊されて行く。
どんどん酒量が増えて、ウィスキーを焼酎で割って、酔うためにだけに酒を飲んだ。
深酔いしたときだけ、はき出すように本音を語る祖父の悩みや苦しみを、生前は理解出来なかったが、いまやっと天国の祖父と向き合って、二人で美味しい酒を酌み交わしたいと思うようになった。

自分の祖父を小説のモデルにしようと、取材を始めて、いろいろ調べるうちに、霧が晴れるように、時代に翻弄された祖父の姿が見えるようになった。
当時は家族から古くさいと退けられていた、祖父の生活哲学の方が、遙かに21世紀まで通用する射的距離を持っていたということ。
そして、ここでは詳しく書かないけど、祖父が次の時代を生き抜くためのビジネスの構想をもっていたことも知った。

これからぼくがやるべきことも、少しずつ、見えてきたってことなのかな。

綾戸 智恵が息子のイサくんのために書いた「ゲット・イントゥ・マイ・ライフ」を今日の一曲に。
もうすぐ、ぼくには孫が誕生するから。












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