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2015年11月 8日 (日)

人様の評価なんて、もうどうでもいい。 小説とも言い切れない、ノンフィクションでもない、ましてや評論などでは決して表現できない。既成のジャンル分けに収まらない、自分なりの方法論で、ぼくだから書ける世界を描いてみたいと激しく思う。

先週の話だけど、大規模リフォームから11年経って傷みが激しい自宅の補修工事をお願いしようと、設計してくれた建築家H氏と工務店のH氏に来てもらった。

三人でコーヒーをすすりながら、あれこれよもやま話もまじえて、やく一時間。
いまの家には縁側なんて気の利いた場所がないから、ベランダでおしゃべりした。

ものすごく満ち足りた気分に浸る、かけがえのない時間。
実際に工事をしてもらうのも嬉しいけれど、こうやって打ち合わせをするのが
何よりも楽しい。

むかーし、昭和の中ごろまで、こんな風に自宅をどういじろうかって、棟梁が茶飲み話にやって来て、祖父と住宅に関係する全般について相談することは当たり前だった。
茨城の生家では、そんな光景をたびたび目にした記憶がある。

ところが、そんな生家の周辺でも、いまは住宅展示場を見に行って、ハウスメーカーに相談して家を建てるのが、フツーになっていると聞いて、ショックを受けた。

30数年前、明治生まれの祖父が倒れたあたりで、そんな文化も消えて
誰にも継承されなくなっていったんだろう。

お父さんは、会社の仕事で遅くまで残業し、家のことは二の次。
住まいをどうしようって、お母さんが一人で悩むような状況になれば、住宅展示場に行き
カタログを見比べるように既製品の家を選ぶのようになるのは自然の流れでしょう。

むかし寄稿していた「群居」という雑誌は、そんな住宅生産のあり方に対して、問題提起をした雑誌だった。

ここでは「群居」の中心メンバーだった石山修武さんの『住宅道楽』に登場してもらおう。

もう一冊は群居編集長だった布野修司さんの『裸の建築家-タウンアーキテクト論序説』が
いい。

「群居」が提起した問題については以下のブログにも詳しい。

難波和彦「日本のインダストリアル・デザインの骨格と日本の小住宅設計群」

いまになって思うのは、住宅生産の問題って、建築の世界だけで、ああだこうだ議論していても、どうにもならないような大きな社会問題だっていうこと。
戸建ての家じゃなくて、マンション暮らしを選べば、避けて通れるものでもない。

大げさかもしれないけど、戦後の日本人の生き方(稼ぎ方、消費のしかた、育て方)そのものに関わってくるように思う。

前にもかいたように、いま必死で「新葛飾土産 アンプラグド」の製作をやっていて、或るファミリーに密着取材している。
そこから、いろいろ見えてくる、さまざまなもの、その可能性をどのように表現しようか、考える毎日だ。
まあ、執筆というより編集作業そのものと言っていいかもしれない。

20数年前に「群居」で書いたことの、延長線上にいまやっている仕事がある。
徐々にそれが分かってきた。だから面白い。

人様の評価なんて、もうどうでもいい。
小説とも言い切れない、ノンフィクションでもない、ましてや評論などでは決して表現できない。既成のジャンル分けに収まらない、自分なりの方法論で、ぼくだから書ける世界を描いてみたいと激しく思う。

20数年前の今頃の季節、那須高原で一日大工仕事をして、寒空の中家路をいそぐ車中、つかれきった体にやさしく染みこんだ今井美樹のこの曲を本日のテーマに。

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コメント

石山さんの住宅道楽を久しぶり読みかえしています。
若いころに読んだ感想と今とではかなり印象が違いますね。
20年以上前に石山さんが書いた発想は
今も少しもさびれていない気がします。
まさに良書ですね。ありがとうございました。

DENZOさん、コメントありがとうございます。
住宅と住み手の自由の問題は、自分にとっては一生の課題です。
ぼくも『住宅道楽』を読み返しています。
さらに、布野さんのタウンアーキテクト論と長谷川敬の『消費する家から働く家へ』を再読しようかなと計画しています。
どれも古い本ばかりですね。

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