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2015年11月

2015年11月23日 (月)

キーボード入力する手を休めて、外を見たら、ベランダの前で猫がじっと、外を眺めていたので、パチリ。老猫の後ろ姿も、なかなかいいもんでしょう。

自分ひとりで、やっているZINEの仕事が、佳境に入っていて、休日といえども、なかなか忙しない毎日なので、ブログの更新も途絶えがち。

文章を書くことは、ある程度経験があるけど、
編集作業はほとんど、経験がないので、頭を抱えることも多い。
SNSを見る時間も惜しくなる。

真っ白なキャンバスに、一から絵を描いてゆく作業なので、やりがいはあるものの、
戸惑うことも多いことを知った。
これから印刷・製本に入って行くわけだが、これだって知っているつもりで、案外知らないことだらけだ。

さらに、ささやかな金額だけど、かかったコストの回収は必要だから、値付けして配本する。
知り合いは買ってくれるかもしれないけど、他には誰も買ってくれなかったらという、不安も脳裏をよぎる。

興味をもってくれる読者のイメージが、もう一つ、ハッキリしない。
年齢とか性別といったファクターで切ろうとしても、意味がないジャンル分け不可能な作品になっている。

12月中旬には完成するように、鋭意努力中。
クリスマスに間に合わせたいからね。

キーボード入力する手を休めて、外を見たら、ベランダの前で猫がじっと、外を眺めていたので、パチリ。老猫の後ろ姿も、なかなかいいもんでしょう。

Kikinosuke

まったり、ゆっくり、今夜は青葉市子の「三びきのくま」

 

2015年11月20日 (金)

何をやってもダメなのは、42年後の今も変わらないのは残念だが、海で死にかけたり、鬱病になりかけたりしながら何とか生きのびてきた今日は、こんな風に、ぼうっと音楽を聴くする時間だって、とても有意義な時間に思える。

歯が悪くなって、今日は仕事を休んだので、期せずして4連休になってしまった。

夕食の支度の合間に、ソファに腰掛けて、ちょっと前に買って、
放りっぱなしにしていた松本隆の作詞家生活45周年記念アルバム
『風街であひませう』を聴いた。

修復した歯で煎餅をパリパリかじりながら、お茶を飲んでいると、
高校1年生の頃、先輩のいじめが許せず部活をやめ、
あまりの不勉強ゆえ学校帰りに教わっていた家庭教師にも見放され、
陽の高いうちに家に帰ってぼうっと、今日の自分と同じように煎餅なんぞかじりながら、
松本隆がいたバンド「はっぴいえんど」のアルバムを
毎日のように聴いていた日々が心の中に蘇ってきた。

当時は、何をやってもダメな自分を責めながら、無駄な時間を過ごしていると思い、悶々とした心境で松本隆の歌詞を聴いていた。

いまでこそ本好きだが、少年時代の読書習慣は中学二年生の時に途絶え、教科書以外の本をまったく読まない日々が、3年続いた。
堰を切ったように小説を読み始めたのは、日本文学史に目覚めた高校3年生になってからだったと思う。

何をやってもダメなのは、42年後の今も変わらないのは残念だが、海で死にかけたり、鬱病になりかけたりしながら何とか生きのびてきた今日は、こんな風に、ぼうっと音楽を聴くする時間だって、とても有意義な時間に思える。

そう思えば、馬齢を重ねた42年間もまんざら無駄ではなかったのかなと、ちょっとうれしくなった。

そのアルバムの中から一曲。

草野マサムネの「水中メガネ」

2015年11月15日 (日)

一族郎党が近隣に集まって住んで、拡大ファミリーを形成する。 老若男女が知恵と力を、持ち寄って、激しく変化する時代に対応する。 そうじゃないと、この大転換の時代を乗り切れない。

このところずっと、家族について考えている。
たまたま、この一年、自分の周りで、葬式だの、引っ越しのと、家族がらみの出来事が
立て続けに起きていて、現代の家族のありかたについて、考えさせられることが多かった。
そんな体験のお陰で、25年前に亡くなった、明治時代生まれの祖父の悩みや苦しみ理解できるようになったような気がする。

若い頃、法社会学者川島武宜の『日本社会の家族的構成』という本を読んで、戦前の家族制度について、少しだけ勉強した。
戦後の日本社会では家族制度からの解放→核家族化が歴史の自然な流れで、常識だったこともわかる。

そして核家族のお父さんが都会の会社に勤めに出て、大都市周辺に家を建て、お母さんが専業主婦として、家事を行うという、両親世代の憧れだったスタイルが、新しい家族像として、奨励されたこともよくわかる。

だけど、そんなモダンな核家族も、そろそろ役割を終えているのではないかというのが、いまのぼくの心境。

水野和夫が『資本主義の終焉と歴史の危機』で書いているように、いまは、徳川幕府が終焉を迎えた150年前に匹敵する転換期のように思える。

核家族でやっていけたのは、企業社会が安定して、経済成長神話がまだ有効だった時代。でも、長い人類の歴史をふりかえれば、そんな時代は一瞬にすぎない。
ほとんどの時代と地域で、さまざまな立場と年代の男女が、協力し合って大きな集団を作って生き抜いてきたように思う。

先週のエントリで書いたように、かつて「群居」という雑誌があった。
一族郎党が近隣に集まって住んで、拡大ファミリーを形成する。
老若男女が知恵と力を、持ち寄って、激しく変化する時代に対応する。
そうじゃないと、この大転換の時代を乗り切れない。
老人は経験と判断力を、若者はフレキシブルな考えで、新しい知識を提供する。
場合によっては血族だけでなく、近隣の仲良しが集まって、メガファミリーになる。
さらにSNSによって、遠く離れた人の知恵も活用できる時代になっている。

じぶんにとっては資本主義だの、社会主義だの、右だの左だのって議論が、虚しく響く。

ヒップやオーガニックやスローライフなんて一見魅力的な言葉もあるのに、どうもイマイチ、浮ついているように感じてしまう。
それよりもずっと、、昭和30年代の茨城の農村で、聡明だった祖父がやっていたライフスタイルやメガファミリーのあり方の方が理想に思えてしまう。
だけど、その理想的な状態は、社会の変化と、家族成員の核家族への強い憧れによって、徐々に壊されて行く。
どんどん酒量が増えて、ウィスキーを焼酎で割って、酔うためにだけに酒を飲んだ。
深酔いしたときだけ、はき出すように本音を語る祖父の悩みや苦しみを、生前は理解出来なかったが、いまやっと天国の祖父と向き合って、二人で美味しい酒を酌み交わしたいと思うようになった。

自分の祖父を小説のモデルにしようと、取材を始めて、いろいろ調べるうちに、霧が晴れるように、時代に翻弄された祖父の姿が見えるようになった。
当時は家族から古くさいと退けられていた、祖父の生活哲学の方が、遙かに21世紀まで通用する射的距離を持っていたということ。
そして、ここでは詳しく書かないけど、祖父が次の時代を生き抜くためのビジネスの構想をもっていたことも知った。

これからぼくがやるべきことも、少しずつ、見えてきたってことなのかな。

綾戸 智恵が息子のイサくんのために書いた「ゲット・イントゥ・マイ・ライフ」を今日の一曲に。
もうすぐ、ぼくには孫が誕生するから。












2015年11月 8日 (日)

人様の評価なんて、もうどうでもいい。 小説とも言い切れない、ノンフィクションでもない、ましてや評論などでは決して表現できない。既成のジャンル分けに収まらない、自分なりの方法論で、ぼくだから書ける世界を描いてみたいと激しく思う。

先週の話だけど、大規模リフォームから11年経って傷みが激しい自宅の補修工事をお願いしようと、設計してくれた建築家H氏と工務店のH氏に来てもらった。

三人でコーヒーをすすりながら、あれこれよもやま話もまじえて、やく一時間。
いまの家には縁側なんて気の利いた場所がないから、ベランダでおしゃべりした。

ものすごく満ち足りた気分に浸る、かけがえのない時間。
実際に工事をしてもらうのも嬉しいけれど、こうやって打ち合わせをするのが
何よりも楽しい。

むかーし、昭和の中ごろまで、こんな風に自宅をどういじろうかって、棟梁が茶飲み話にやって来て、祖父と住宅に関係する全般について相談することは当たり前だった。
茨城の生家では、そんな光景をたびたび目にした記憶がある。

ところが、そんな生家の周辺でも、いまは住宅展示場を見に行って、ハウスメーカーに相談して家を建てるのが、フツーになっていると聞いて、ショックを受けた。

30数年前、明治生まれの祖父が倒れたあたりで、そんな文化も消えて
誰にも継承されなくなっていったんだろう。

お父さんは、会社の仕事で遅くまで残業し、家のことは二の次。
住まいをどうしようって、お母さんが一人で悩むような状況になれば、住宅展示場に行き
カタログを見比べるように既製品の家を選ぶのようになるのは自然の流れでしょう。

むかし寄稿していた「群居」という雑誌は、そんな住宅生産のあり方に対して、問題提起をした雑誌だった。

ここでは「群居」の中心メンバーだった石山修武さんの『住宅道楽』に登場してもらおう。

もう一冊は群居編集長だった布野修司さんの『裸の建築家-タウンアーキテクト論序説』が
いい。

「群居」が提起した問題については以下のブログにも詳しい。

難波和彦「日本のインダストリアル・デザインの骨格と日本の小住宅設計群」

いまになって思うのは、住宅生産の問題って、建築の世界だけで、ああだこうだ議論していても、どうにもならないような大きな社会問題だっていうこと。
戸建ての家じゃなくて、マンション暮らしを選べば、避けて通れるものでもない。

大げさかもしれないけど、戦後の日本人の生き方(稼ぎ方、消費のしかた、育て方)そのものに関わってくるように思う。

前にもかいたように、いま必死で「新葛飾土産 アンプラグド」の製作をやっていて、或るファミリーに密着取材している。
そこから、いろいろ見えてくる、さまざまなもの、その可能性をどのように表現しようか、考える毎日だ。
まあ、執筆というより編集作業そのものと言っていいかもしれない。

20数年前に「群居」で書いたことの、延長線上にいまやっている仕事がある。
徐々にそれが分かってきた。だから面白い。

人様の評価なんて、もうどうでもいい。
小説とも言い切れない、ノンフィクションでもない、ましてや評論などでは決して表現できない。既成のジャンル分けに収まらない、自分なりの方法論で、ぼくだから書ける世界を描いてみたいと激しく思う。

20数年前の今頃の季節、那須高原で一日大工仕事をして、寒空の中家路をいそぐ車中、つかれきった体にやさしく染みこんだ今井美樹のこの曲を本日のテーマに。

2015年11月 1日 (日)

やがて、その沖縄への興味は、沖縄学創始者の伊波普猷が引用して琉歌にしたニーチェの箴言「汝の立つ所を深く掘れ 其処には泉あり」に導かれて、江戸東京学の嚆矢とも言える永井荷風の『日和下駄』との出会いをもたらし、このブログ「新葛飾土産」にたどり着くわけだが。

まだ30代の頃、家族で沖縄旅行に行ったことがある。
翌年には犬を飼い始めたので、いま思うとあれが最後の息子と一緒に行った家族旅行だった。
沖縄で、見たこと、聞いたこと、何もかもが新鮮で、毎年行きたいくらい沖縄が好きになったけど、それ以来一度も行くことが出来ず、21年も経ってしまった。


それまで全く関心がなかったのに、旅行初日、ホテルの部屋で柳宗悦の『民藝四十年』に入っている「琉球の富」というエッセイを読んで、一夜漬けの勉強をした途端、沖縄が大好きになった。

そのあたりの経緯は「沖縄病のなおし方」という風変わりな私小説に書いた。
未発表だから、バージョンアップして、どこかで発表してもいいかなと思うけど、それはさておき、沖縄という日本の外れにある島に触れることで、僕の中で何かが変化して、それまで閉じていた脳の回路が開けたことは間違いない。

どうして、こんなにも惹かれるんだろう。
次々と心の奥底から泉のようにわき上がってくる沖縄への興味。

やがて、その沖縄への興味は、沖縄学創始者の伊波普猷が引用して琉歌にしたニーチェの箴言「汝の立つ所を深く掘れ 其処には泉あり」に導かれて、江戸東京学の嚆矢とも言える永井荷風の『日和下駄』との出会いをもたらし、このブログ「新葛飾土産」にたどり着くわけだが。

自分の住んでいる町への関心と同時に、いまでも沖縄への関心は持ち続けている。
その中でも沖縄の音楽が特に好きだったから、初代のネーネーズのアルバムは、マイナーレーベルから出たファーストアルバムも含めて、すべて手に入れた。
そのネーネーズの4人のうち、3人が集って、「うないぐみ」として蘇った。
ものすごく嬉しい。この素敵な曲を今日のテーマにしよう。

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