イノベーションの裏付けなしに新たな剰余価値は発生せず、経済発展もないのが経済学の常識だと思っていたが、価値論抜きの「花見酒の経済」学というものがあって、なんとかミクスが作り出す蜃気楼のような好景気があることを知った。アマリニモムナシイ。
那須の山小屋を除染した結果が来た、全体的にはもともとそれほど高かったワケではないが、あまり人の立ち入らない雨だれの落ちる家の周辺部は1マイクロシーベルト以上あったらしい。
汚染された表土は地下1メートルの場所に埋めたというが、この土はこれから、一体何年間、ぼくの土地を汚染し続けるのだろう。
そして、遠い将来この土地が人手に渡った時に、保管場所を掘り返されないという保証など何もないことに愕然とする。
これからフクイチはどうなって行くのだろう。
チェルノブイリの石棺だって、壊れ始めているという。
石棺すら作れず、汚染水が海に流れ出しているのに、見て見ぬふりの政府と東電。
東電が過去最高益を出したなんていうニュースを見て、やりきれない気持ちになる。
この前、ブログに書いたように、これからの人生はフィールド・ブック・カフェを楽しもうと考えている。
その前に立ちはだかるのが放射線の問題。
普段、人が立ち入らない森や草原の汚染はどうなんだろう。
そもそも、東日本で子育てをしていいのだろうか。
そんな疑問にまで、たどり着いてしまう。
僕が住む、松戸や流山周辺はホットスポットがあると言われ、実際に我が家も除染の対象となった。
かつて、笠信太郎(りゅうしんたろう) が「花見酒の経済」という言葉を作った。
グローバル化して、情報が国境を越えて駆け巡る現代では、イノベーションの裏付けなしに新たな剰余価値は発生せず、経済発展もないのが経済学の常識だと思っていたが、価値論抜きの「花見酒の経済」学というものがあって、なんとかミクスが作り出す蜃気楼のような好景気があることを知った。アマリニモムナシイ。
イノベーションと剰余価値の問題については、岩井克人の『ベニスの商人の資本論』という名著に詳しいから、一読をお勧めしたい。
きっと目から鱗が落ちるから。
インチキくさい今の暗黒時代を乗り越えて、原発の問題にキチンと向き合って、新たな価値を創造するようなイノベーションを作り出す社会の構造を作っていかないと、日本の未来はないとマジメに思う。
まずは、フィールドに出て、フィールドカフェを楽しみながら、「エア・カウンターS1」を使って線量を測ること。
非力なぼくに出来ることは、それくらいかなと考えている。
レゲエ・ディスコ・ロッカーズ「蜃気楼の街」
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