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2015年9月13日 (日)

火の手に追われて、書きかけの日記をカバンに詰めた荷風さんに比べたら、30分余計に電車に乗れば、もといた場所に帰れる自分はなんて幸せなんだろうって思う。 先週まであった自分の生活空間は、全く壊されていない。たった数百円の電車賃を払えば、慣れ親しんだ場所に戻れる。

転勤のため勤務地が東京から埼玉県の奥に変わって、怒濤の一週間。
そういえば、先週の金曜日は、上野の東京都美術館で「キュッパのびじゅつかん」を見たっけ。たった1週間前のことが、不思議なことに遠い過去の思い出のように思える。

そんな忙しないテンポで流れてゆく日々の中、金曜日の朝、電車に乗っている時に、気づいたことがある。
よく、子ども時代の思い出の場所を、「ふるさと」なんて言うでしょ。
だけど、そんな絵に描いたような「ふるさと」の風景なんぞは、日本中のどこでも、40年、50年経過するうちに、変わり果ててしまうので、今現在を生きている自分にとっては、あまり心の支えにならないのです。

それより、最近出来たモノでも、日々の暮らしに組み込まれている場所を失ってしまう方がずっと辛い。
震災や戦災で家族を失った上に、町が壊滅してしまうと、それまで日常だった生活世界が一気に消えてしまうわけで、どれほど辛いのか想像不可能なほど。

さっき、年老いた父親の面倒を見ながら、一緒に朝ご飯を食べて、戦争中の話を聞かせてもらった。ぼくが生まれる前の、父の前半生について、話が出来るうちに、いろいろ聞くようにしているのです。
父の母方の祖母、ぼくにとって曾おばあちゃんは、栃木県の小山から、押上の薪炭商に嫁いだ娘が結核になったので、看病するために、押上の家で一緒に暮らしていたといいいます。

その当時、父は茨城の実家にいたとばかり思っていたのだが、実は東京で嫁いだ実姉のご主人が通信兵として戦場に行った留守を守るために、根津神社の裏に住んで東田端の製図学校に通っていました。

3月9日深夜から始まる東京大空襲の翌日、まだあちこちで火がくすぶっている浅草の町を通って、次々と死体が流れてくる十間川を横目に見ながら、押上の家に様子を見に行ったけれど、瓦に炭で「請地小学校に避難している」という書き置きだけが残っていたそうです。

その後、今日に至るまで、僕の曾おばあちゃんも、一緒にいた娘夫婦も、未だに発見されていません。

何か、遠い過去の話だと思ってしまいがちな東京大空襲を、実際に父が体験したことを知り、急に身近な出来事になった気がします。

ちょっと話が脱線気味だけど、決してそうではなくて、父と話して、18年の長きにわたって作ってきた職場を離れる喪失感について、ふと気づいたことがあります。

哲学者が使うような難しい言葉は知らないから、うまく表現できるかわからないけど、人って、たとえ生活空間その他、ほとんどの慣れ親しんだモノを一瞬に して、今日失ったとしても、何かたった一つだけ、「過去への旅路」をたどるよすがのようなモノがあれば、明日から生きていける。だから、喪失感なんかで嘆 いている暇があったら、何か探すことが大事だということ。

東京大空襲で26年間住み慣れた自宅偏奇館と共にすべての蔵書を失った荷風さんは、後に『断腸亭日乗』として発表される日記と書きかけの原稿をカバンに入れて残したから、その後の人生を始めることが出来たのかなとも、思います。

そして、その後、数カ所を転々として、市川にたどり着いて、「葛飾土産」を残しました。

火の手に追われて、書きかけの日記をカバンに詰めた荷風さんに比べたら、30分余計に電車に乗れば、もといた場所に帰れる自分はなんて幸せなんだろう。
先週まであった自分の生活空間は、全く壊されていない。
たった数百円の電車賃を払えば、慣れ親しんだ場所に帰れます。

池袋の本屋だって、上野の美術館だって、金町の図書館だって、どこでも好きな場所に行けます。
よく考えれば当たり前なんだけど、そんなことすら考えられないほど、職場を失った悲しみが深くて、思考が止まっていたけど、やっと、スイッチがONになりました。
改めて、自分のバカさ加減に気づいた衝撃的な9.11の朝でした。

ニール・ヤング「過去への旅路」

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