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2015年8月

2015年8月30日 (日)

両親の介護やら、何やらいろいろあって、家から外に出られなくなってしまったけど、 それもまた、楽しんでしまえるような趣味を再発見して、ちょっとだけ嬉しい秋なのです。

かみさんの仕事が土日関係なく入ってしまうので、休みになると家事が忙しくて、家族が寝静まった真夜中になってブログを書いてます。
虫の声は、すっかり秋の夜更けという感じで、このまま夏は終わってしまうのかしら。
大嫌いな夏だけど、やっぱり正しい時期に終わってくれないと、決まり悪いです。

眠気覚ましに飲むのは、新松戸のユアコーヒーで買ったケニアのコーヒー。
フルーツのような自然の酸味と甘みが、心地よくて、リラックスさせてくれるのです。

藪から棒ですが、、マリア・マルダーの「真夜中のオアシス」って、40年前に初めて聴いて、エイモス・ギャレットの、羽毛が頬をなでるようなギターにぶっ飛びましたね。

そして、今聴いても、やっぱり奇跡の名曲。ちょっと聴いてみて下さい。

そんな感じで、うっとりしながら、ブログ書いてますが、何を言いたいかというと、このところ10数年ぶりに料理への情熱が復活していて、買い物にも力が入るのです。

あの時分は息子が食べ盛りで、かみさんは夜勤が多かったから、休日の晩ご飯はぼくが作ったものでした。難しいテクニックを使わないで美味しいモノを作るには、料理研究家のケンタロウの本が、とても役に立って、一番愛読していたのがこの本。

久しぶりに、本棚の奥から引っ張り出して、「なすの揚げ漬け」を娘に作ってあげたら、すこぶる評判がいいので、調子にのってケンタロウの料理本がリバイバルしてます。

「和食」同様、当時重宝したのが「ケンタロウのフライパンひとつでうれしい一週間」という本。
いまは、文庫になっているくらいだから、結構人気あったのでしょう。

娘のご飯を作るついでに、つまみを作って、ビールを飲むのもちょっとしたマイブーム。

茨城の「常陸野ネストビール」も、軽井沢発の「よなよなエール」も好きだけど、飲み比べていいと思うのは、埼玉県のCOEDO BEER の「瑠璃」

瑠璃

飲みやすいのに香味・苦みもしっかりあって、バランスがいい。
何よりも素敵なのはクリーミーな泡のおいしさ。
ということで、目下の所、これが自分的にはナンバーワン。

珈琲を煎れるのも、料理を作るのも、しばらく手放していた習慣というか趣味。
長いこと家庭をほったらかしにして、外に出ずっぱりだったから、忘れてしまっていた。
両親の介護やら、何やらいろいろあって、家から外に出られなくなってしまったけど、
それもまた、楽しんでしまえるような趣味を再発見して、ちょっとだけ嬉しい秋なのです。

2015年8月22日 (土)

武蔵野線沿いの町が、最近妙に気になる。 新八柱・新松戸・南流山・新三郷が面白い。歴史の重みがない代わりに、すこーんっと抜けて、開放的な空気感がある。何かワクワクするようなことが始まりそうな予感だってある。

今週は少年時代を過ごした練馬のムーシカ文庫卒業生の集まりがあった。
当時のことに思いをめぐらせると、50年前の練馬の記憶がいろいろと蘇ってきた。

東京の台東区で物心ついて、言葉も行動も下町少年だったぼくにとって、1963年に引っ越した先の練馬は不思議な世界だった。
距離にすれば10数キロ、乗り換えを入れても電車に乗って30分程度の場所に、言葉も暮らしぶりも全く異なる人たちがいた。

それまで住んでいた台東区根岸は樋口一葉の「たけくらべ」の世界を引きずっている江戸情緒漂う花街。夕暮れ時になれば、路地裏では三味線の音が聞こえてくるような町。

それに対して、練馬区向山という町は北と南で、雰囲気が違っていて、北部は、豊島園駅の南側に大正時代に開発された城南住宅というお屋敷町で、区画も道幅も広く、行き交う人は犬の散歩をしている人くらい。

このエリアのことは池内紀『街が消えた!』(新潮社、1992年)に詳しく載っている。
Amazonのリンクが効かないので、興味のある人はネットで検索して下さい。

ぼくの家があった南部は目白通り周辺の農村風景が急速に解体して、戦後に開かれた新興住宅地で、若い貧乏な文化人が数多く住む町。近所には戦後のどさくさで出来たようなミニスラム街もあった。
どこかカウンターカルチャーの匂いが漂っていて、小学校の給食の時間は、放送部の児童がドアーズとかロックのレコードをかけるような気風があった。

根岸と練馬、どちらの風土もぼくの人間形成に大きく影響しているのは間違いないと思うけど、比較的影響が小さいと思っていた練馬時代の体験が、このところ重みを増しているような気がする。

練馬は東京23区で最後に出来た区だ。年配の人からは練馬大根しか思い浮かばないと言われた。大動脈の西武池袋線は下肥を運ぶ電車とも言われた。
新宿区にある中学に通っていた当時は、他区に住む友だちに、ずいぶんバカにされた。

だけどね。Wikipediaを見るとこんなことがかいてある。

東映東京撮影所に付随した東映動画が存在したことから、日本のカラー長編アニメ(又は民間アニメ)の発祥地、日本初の30分連続テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(当時は「テレビまんが」と称された)を製作した、日本のアニメ産業の礎となった地である。日本一のアニメ関連企業の集積地でもある。

こんなことも書いてある。

練馬区は、出版社の多い千代田区一ツ橋や神田神保町、文京区音羽などに程好く交通の便が良かったこと、必要な画材を取り扱っている店や街まで近かったこと、誘惑の多い繁華街から少し離れていることもあり落ちついて作業に集中できるなどの利点から、手塚治虫をはじめ、多くの漫画家が住居や仕事場を構えた。

2010年代の今は根岸も練馬も、50年前のような地域差はないのかもしれない。
練馬の農村も、雑木林も、スラム街も消えて、ハウスメーカーが建てたような小綺麗
な住宅やマンションが立ち並ぶ町になった。
もちろん僕が住んでいた二軒長屋も消えた。

だからこそと言うべきか、友人から笑いのネタにされた1960年代の練馬で育ったことが、最近誇らしく思えて仕方ないのだ。
畑ばかりの、家賃の安い練馬だったから、若いクリエーターが集まって、前例にとらわれず様々な文化が花開いた。

そう思って、自分の周りを見渡すと、いまぼくが住んでいる新松戸は雨や風ですぐ止まる武蔵野線沿線と、バカにされることもある。
開業当時を知る年配の人からは1時間に一本しか走っていないと言われることもある。
そんな武蔵野線沿いの町が、最近妙に気になる。
新八柱・新松戸・南流山・新三郷が面白い。歴史の重みがない代わりに、すこーんっと抜けて、開放的な空気感がある。何かワクワクするようなことが始まりそうな予感だってある。

今日はそんな空気感にふさわしい、1971年発表の『リトルフィート・ファーストアルバム』から「トラック・ストップ・ガール」を。

2015年8月16日 (日)

自分が面白いと思う散歩コースと「柏・松戸さんぽ」のコースが、一致しないから何となくリズムに乗れない。マスに向けた商業出版の本だから、安全運転で、誰もが納得するような切り口で編集するのは仕方ないのでしょう。

新松戸のユアコーヒーに行って、コーヒー豆100グラム以上買うと、無料でいただけるサービスコーヒーを飲みながら、7月に出版された散歩の達人MOOK「柏・松戸さんぽ」を、パラパラとめくってみた。

Your_coffee

地元の名店や名所を書いた本なので、なじみの店や知っている顔が載っていて、大いに楽しませてもらったのだが、何か物足りない。

自分が面白いと思う散歩コースと「柏・松戸さんぽ」のコースが、一致しないから何となくリズムに乗れない。マスに向けた商業出版の本だから、安全運転で、誰もが納得するような切り口で編集するのは仕方ないのでしょう。

ぼくがこだわるのは小さな町の面白空間だから、柏や松戸のような大きな町を紹介する「柏・松戸さんぽ」の視点とは自ずとズレてしまう。
例えば矢切・国府台や、新松戸・南流山といった行政区分を越えたエリアの切り方をしてゆくとなかなか面白い町が見えてくるのに、商業出版じゃやらないでしょう。

写真は新松戸の一番大きな交差点。ありふれた景色だけど、お盆や正月特有の抜けるような青空が印象的で、思わずパチリ。

Your_coffee_2

その他に EDO RIVER CITY のエリアでは、江戸川台・初石とか、戸ヶ崎・水元なんていう切り口も面白そうだ。

そう考えると、ぼくが「新葛飾土産」のZINEを作る意味もあるのかなあって、ちょっとやる気がわいてきた。

今日の気分は絢香の「にじいろ」。有名な曲だけど、このバージョンに心惹かれる。
「にじいろ」っていう言葉と、この動画が自然に、調和している気がする。

この歌の一節「あるものを数えたほうが、瞳かがやき出す」って、町を見て歩く時に一番大切な心構えだしね。

2015年8月14日 (金)

W・モリスが愛したケルムスコットマナーハウスもこんな感じなのだろうか。ぼくたちがいたカフェの名前はバイブリー。モリスが世界一美しいと言った村の名前と同じだ。おそらく偶然の一致ではないだろう。

お盆休みを利用して、家族と一緒に山小屋の蔵書の整理で那須高原に行った。
ところが涼しさのせいで、気持ち良くって、力が抜けてしまう。
しかも、たった1日半の滞在なので、とうとう整理には手がつかず、初日に那須どうぶつ王国に行き、翌日はステンドグラス美術館に行った。

那須ステンドグラス美術館

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イギリスのコッツウォルズからライムストーンを取り寄せて、貴族の館マナーハウスを模して作ったという美術館。

どこまで古材を使ったのか分からないが、17年前に新築されたとは思えない重厚さで、しっとりとした那須高原の自然に溶け込んでいる。

カフェの2階で、子どもたちの手作り体験講座に付き添っていたのに、こっちのほうが楽しませてもらった。

W・モリスが愛したケルムスコットマナーハウスもこんな感じなのだろうか。
ぼくたちがいたカフェの名前はバイブリー。モリスが世界一美しいと言った村の名前と同じだ。おそらく偶然の一致ではないだろう。
忙しなく車が行き交う那須街道沿いのスポットとはちがう、大人が寛げる静謐な空間。
モリスや工芸に興味がある人が那須を訪れた時には、ぜひ立ち寄って欲しい。

旅のお伴にはこんな本がオススメ。『モリスの愛した村 イギリス・コッツウォルズ紀行』

美術館や併設する教会周辺の風景を見ていると、聴きたくなるのがザ・バーズがロンドンで録音した、陰影に富んだラストアルバム『ファーザーアロング』。
全曲大好きな傑作アルバムだと思うけど、今日はその中から、”Lazy Waters”

2015年8月 8日 (土)

「ヘイワ、ヘイワ、ヘイワ、大事ですよ。ヘイワを守るためなら戦争できるようにしなきゃ」って、「健康のためなら、死んでもいい」っていう昭和のいる・こいるの定番ギャグのような理不尽なことになる。ズバリ噴飯ものでしょう。おかげさまで、ぼくはすっかり護憲派に変身しました。

昨日の深夜にNHKのBSで『戦場のメリークリスマス』を放送していた。
軽い気持ちで観始めたら、引き込まれて最後まで観てしまった。
20代の頃、ロードショウで観た映画だけど、当然当時観た時と印象は違う。

公開されたのは、昭和20年の敗戦から、まだ38年しか経過していない昭和58年。
戦争を体験した世代がまだ現役だった時代だった。
昨今のネトウヨ諸君なら、反日映画だと言って、大騒ぎしそうな場面を、これでもか、これでもかと、見せつけられる陰惨な映画だったけど、戦争なんてこんなものだろう。
実際はもっと酷いことが、沢山あったのだろうと思って、当時はみていた。

ところが、どうも最近は、そうでもないらしい。
ぼくよりも若い人たちが、無邪気に為政者の言葉を信用する様子を見ていると、隔世の感を抱く。
素直で、世の中の森羅万象に、疑問をもたず、目の前のことだけに、一生懸命な、今の若者。会社訪問という言葉が、就活なんて言葉に置き換えられた頃から、世の中の空気が変わってきたのかな。

ぼくは、つい最近まで左翼の人たちほど、日本国憲法が大事だと思っていなかったので、憲法9条だって、時代に合わせて修正していけばいいと思っていた。

憲法って、普通に暮らしていると、空気のようなモノで、特に有り難いとも何とも思わない。
それが、頭の狂った為政者が出現したことで、ものすごく重みを感じるようになった。
憲法は国民に義務を強いる為のモノではなく、国民の為に国家や為政者の行動を縛るモノという法律学の常識も、身をもって痛感することが出来た。

それも、これも、みーーーんな、アベ某のお陰だ。
「ただひたすらかっこよくアメリカと一緒に戦争がしたいだけ。」
そう本音を言えば、国会でも、もっと身のある議論になるのに、
デタラメな理由で安保法案の目的を誤魔化そうとするから、
「ヘイワ、ヘイワ、ヘイワ、大事ですよ。ヘイワを守るためなら戦争できるようにしなきゃ」って、「健康のためなら、死んでもいい」っていう昭和のいる・こいるの定番ギャグのような理不尽なことになる。ズバリ噴飯ものでしょう。

おかげさまで、ぼくはすっかり護憲派に変身しました。

殺伐とした戦場に、平和と愛の種をまくことがテーマだった不思議な映画『戦場のメリークリスマス』を思い出しながら、オーケストラバージョンのこの曲を聴いていたら、ぼくの心の中で平和の重みが広がった。

ブクログのサイトから、ビジュアルに自分の本棚の中身が見られるようになると、必然的に本の収納の仕方も変わってくる気がする。

本日は「100万人のDIYはじめのいーっぽ」の応用編というわけで、先週紹介した内沼晋太郎『本の逆襲』を読んで、本を取り巻くあれこれについて考えていたら、本の収納というテーマが浮かび上がってきて、本棚を改装したくなってしまった。

どうして、今まで本の背表紙を外に出して本棚に置くというやり方しか、思いつかなかったんだろう。
余談だが、昔読んだ本に、毛沢東はベッドで寝転がって本棚を眺めるので、本を横向きに収納していたなんていう話が書いてあったことを思い出した。

スペースを捻出するために、蔵書の自炊による電子化にチャレンジしたことがあったけど、少しだけやってみて、手間がかかるので、放棄してしまった。
今はドキュメントスキャナと断裁機だけが、ちょっと所在なさげに、家の隅に転がっている。

ところが、毛沢東が生きていた時代には存在しなかったクラウドコンピューティングの時代に突入しているいまは、蔵書の整理にもクラウドの技術を使ってみると面白いかもしれないと考えた。

10年ほど前にはバーコードリーダーを買って、コンピュータに取り込んだりもしたが、本をPCのある場所に持って行かなきゃ使えないので、挫折した。

いまやスマホのアプリを使えば、スマホがバーコードリーダーになり、PCではなく、クラウドサービスに情報を転送して蓄積できる素晴らしい時代だ。
クラウドサービスの中でも、Media Markerとか、EVERNOTEとかいろいろ試してみたけど、数年前から使っているブクログというサービスが一番、自分にはフィットしているみたいだ。

ブクログのすごいところは、本が属するカテゴリを無限大に作れるという点にある。
本の収納場所という属性でカテゴリを作って、例えば「自宅2階のA-1の棚」とか自分の本が置いてある場所を細かく細分化することも可能だ。

ブクログのサイトから、ビジュアルに自分の本棚の中身が見られるようになると、必然的に本の収納の仕方も変わってくる気がする。

例えば、背表紙を外に出して本棚に並べるのではなく、置き場を決めて、洋服の収納などと同じようにケースにしまうことも可能になってくる。そうすれば本も傷まないし、一石二鳥かもしれない。

あるいは本棚に蓋をして、本はその中に横に並べて効率よく収納し、蓋をマガジンラックのように使って、今読んでいる本やシンボルになる本を外に立てておくのも面白い。

手元にある「カーサブルータス 美しい収納術」で内沼晋太郎さんの本棚が紹介されていて、本棚に収まらない本はデータ化していると書いてあるが、上記のようにデータ化もコストがかかる方法だ。
さらに頭をひねって自分に最適な収納術を見つけるのが、これからの楽しみだ。

暑い日が続いているから、今日はちょっと涼しげなビル・エバンスとジム・ホールの「スケーティング・イン・セントラルパーク」

2015年8月 2日 (日)

ZINE版「新葛飾土産」では、Whole Pacific Northwest Life Catalogともひと味違うマスメディアに載りにくい東京の東側でNEW SUBURBAN LIFESTYLEを追求している人たちの物語を紡いでいければいいって、考えている。

朝起きて、頭が柔らかいうちに、2008年に出た雑誌「スペクテイター」第19号に「Whole Pacific Northwest Life Catalog」という特集に目を通すことにした。

その前に、まず新松戸のユアコーヒーで買った豆を挽いて、山盛りの氷を入れたグラスにハンドドリップして、手作りのアイスコーヒーをいれる。
とにかくお手軽なやり方で暮らすウィークデイと違って、日曜日はなるべく時間と手間をかけて、自分の流儀にこだわってみたい。
出来上がったコーヒーを飲みながら、パラパラとページを繰っていると、こころもからだも軽くなってゆくのがわかる。

カナダからアメリカの西海岸にかけて「より自然なものや、質の高いものに価値を置く生きかた」を指向するひとたちがいるらしい。

自分の心にウソをつかず、気持ち良いことだけをトコトン追求していけば、周りにも似たような考えの人たちが集まってくる。

同じ地球上の、同じ資本主義先進国に住む彼らの暮らしぶりを、ぼくたちが取り入れることは可能だし、もっと言えば、彼らの暮らしぶりの根底には、西洋文明の対極にある、先住民の文化の影響が色濃く漂っているようで、俳句や禅のような日本文化の影響も見逃せないのかなあと思う。

そんなことを、ぼんやり考えているのだが、月も変わっていよいよ8月なので、今日は準備中のZINE版「新葛飾土産」について、よもやま話を書いてみたい。

まず最初に大事なポイントを書くと、このZINE版「新葛飾土産」は、雑誌ではなくて、シリーズもののブックレットなのです。

サブタイトルにEDO RIVER CITY GUIDE FOR CREATIVE PEOPLEと書いたのは、ZINEを読んでくれる創造性豊かな人たちとEDO RIVER CITYという架空の都市を一緒に作ろうという発想から生まれている。

一冊、一冊はホントにささやかな小冊子で、○○市とか、○○町といった単位ではなく、ストリート・ガイド・ブックというレベル。もちろんタウン誌なんてものじゃなく、小さな町を自分の足で実際に歩いてみて、気になるモノやヒトを紹介しようというのが趣旨なのです。

そんなやり方で江戸川周辺の自分の生活圏のあれこれを、自分目線で切り取って紹介してゆく。
小さなブックレットが10種類、20種類集まって、少しずつあちこちのストリートガイドが積み重なってゆくと、自然に「幻の200万都市EDO RIVER CITY」の骨格が見えてくるのではないか、今見ている我が町の風景とは違った風景が見つかるんじゃないかというのが、ささやかな希望でして。

本屋さんに行くと、エリアガイドみたいな本や雑誌が並んでいます。ところがそういう本って、○○線沿線エリアとか、行政区域でカテゴライズされていて、どうもぼくたちの生活実感にはフィットしてないのです。

具体的に書くと、我が家は松戸市の最北端にあるので、大きな買いものをするときは、松戸の伊勢丹か、新三郷のららぽーとに行きます。
映画を観るのは、流山おおたかの森SCか三郷のピアラシティです。アリオ亀有まで行くこともあります。
晩年は市川で暮らした文豪永井荷風が好きなので、市川の図書館の会員カードを持っています。金町の中央図書館が、近隣では一番のお気に入りです。
ブックカフェなら、銭湯だった建物を改装した市川真間のアトリエ*ローゼンホルツに行きます。
オーガニックランチを食べたいときは、三郷早稲田の青いそらに行きます。
新しい雑貨を見つけたり、楽しいおしゃべりをしたい時は、国府台のTree-Bに行きます。
本格的な江戸前のお寿司と飛び切りの鮮魚を食べたい時は、新三郷の柳沼に行きます。
クラフトビールを飲むときに使う、うすはりグラスは流山本町のギャラリーよしで買いました。
生で落語を聞くなら、江戸川台のギャラリーぶらっとえにしがあります。
そして、ユニークな不動産物件に住みたいこだわりのある人には
松戸宿のMAD CITYがオススメです。

休日に都心まで足を伸ばすことは、近頃ほとんどなくて、たいていの用事は、江戸川周辺に位置するこういったスポットで用が足ります。せいぜい上野にある動物園や博物館に行くときくらいでしょうか。

このようなぼくの生活圏を網羅したガイドブックなど、どこにもない。
江戸川両岸はもちろん、武蔵野線沿線っていう区分けで編集されたガイドブックも、寡聞にして記憶がない。
仕方ないんで、備忘録的に自分で作ってみようと考えた次第。
ちょっとだけ、多めに作るので、気に入った人には買っていただくのもいいかなと思う。

ZINE版「新葛飾土産」では、「Whole Pacific Northwest Life Catalog」ともひと味違う、マスメディアに載りにくい東京のひがし側でNEW SUBURBAN LIFESTYLEを追求している人たちの物語を紡いでいければいいって、考えている。

パシフィック・ノースウェストの空気を感じさせるザ・バンドの「ラストワルツ」から、ニール・ヤングのバックでジョニ・ミッチェルが歌うゴージャスな「ヘルプレス」を。

2015年8月 1日 (土)

アイデアインクのこのシリーズでは、佐久間裕美子『ヒップな生活革命』が、とても気に入り、繰り返して読んでいるが、『本の逆襲』も繰り返して読む愛読書になりそうだ。

今週も本の虫干しウィークが続いて、二ヶ月前に買った内沼晋太郎『本の逆襲』を一昨日に読了。

アイデアインクのこのシリーズでは、佐久間裕美子『ヒップな生活革命』が、とても気に入り、繰り返して読んでいるが、『本の逆襲』も繰り返して読む愛読書になりそうだ。

本の未来なんてことを、この20数年間、ずっと考えている。
ボイジャー社から出た「エキスパンドブック」という電子本を作るソフトを買ったのが、20年くらい前のこと。Win95が出てすぐだったかな。

電子本なら自分ひとりで作れて、フロッピーディスクに入れて、配布できるなんて考えた訳だが、当時は「エキスパンドブック」のeb形式はもちろん、PDFだって普及していないし、長男の子育て真っ盛りの時期で、子どもたちを車に乗せて、土日の度に、あちこちかけずり回っているうちに、いつの間にかそんな野望もしぼんで、馬齢を重ねてしまった。

その間にいろいろなことに手を出して、馬齢同様、失敗も重ねてきたけど、それにも何とかひと区切りつけて、人生の残り時間で何をしたいのかじっくり考えると、やっぱり幼い日に薫陶をうけたいぬいとみこ先生がそうだったように、どんな形であれ本にまつわる活動がしたいと思うようになった。

そんな今のぼくにとって、内沼さんのこの本は刺激的で、示唆に富む内容だ。

これからの本について考えるための切り口として以下の10の提言がある。

1.本の定義を拡張して考える
2.読者の都合を優先して考える
3.本をハードウェアとソフトウェアとに分けて考える
4.本の最適なインターフェイスについて考える
5.本の単位について考える
6.本とインターネットとの接続について考える
7.本の国境について考える
8.プロダクトとしての本とデータとしての本を分けて考える
9.本のある空間について考える
10.本の公共性について考える

この中でも、特に「プロダクトとしての本とデータとしての本を分けて考える」というのが面白い。

例えばぼくなら、湯船につかって、ぼんやりと物思いに耽っている時に読みたい本、ギラギラ照りつける太陽の下でビールを飲んで「かーっ」て言いながら読みたい本、月夜の晩、仕事を終えて夜道を歩く時に読みたい本、などなど本を読みたい場面は様々だ。

こうした場面に応じて、本の材質などハードウェアや、読書環境を整えるための道具も変化してゆくといいって思う。内沼さんはこんなことを書いている。

これからデータとして本を買うという文化が定着すればするほど、自分はすべて紙で集めたいという愛好家以外にも、ジャンルや用途によって自分なりに使い分けたいという人も増えていくと予測できます。それは、紙の本のプロダクト性より一層際立ってくる、すなわち一層モノ的な要素が強くなっていくということです。ポケットに突っ込めるモノ、落としても壊れないモノ、直接書き込めるモノ。一方で、大切に飾っておきたいモノ、限定のプレミアムなモノ、自分だけの思い出のつまったモノ、だからこそデータではなく紙がいいという考え方が、一部では色濃くなるのではないかと考えられます。

ぼく自身も、「だからこそデータではなく紙がいいという考え方」に興味がわいて、極私的ZINEを出したいと考え、ゆっくりと「新葛飾土産・アンプラグド版」の準備を進めているから、この意見には共感する。

おっと、ずいぶん長いエントリになってしまった。
もう、やめよう。お日さまの悪意すら感じるほどの、モーレツな暑さだよ。

夏だ!渚だ!ビーチ・ボーイズって感じじゃない、とってもクールで美しいアルバム『ペットサウンズ』から「素敵じゃないか」

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