だけど、そこに決定的に不足しているのが、「夢」とか「希望」で。 そして、一番足りないのは「創造力」だと思う。
一昨日、『ワーク・シフト』を読み終えたので、もう一冊、中断していたリチャード・フロリダの『新・クリエイティブ資本論』を、最初から読み始めた。
読み返すと、これは『ワーク・シフト』と対をなす本で、『ワーク・シフト』で取り上げた新時代の働き手たちを理論づけて、クリエイティブクラスという階級として捉えている点に共感する。
21世紀になって、急速に従来の労働者VS資本家なんていう切り口が無意味になってきて、旧来の右派と左派の対立っていう図式も、ぼくにはピンとこなくて。
ところが、その間隙を縫うように、偏狭なナショナリズムが、幅をきかせるようになって、マスメディアがそれを煽る。
為政者に反対する意見の持ち主に左翼とか売国のレッテルを貼ってバッシングする。
そう言えば、拙著『ぼくたちの野田争議』を書いていた頃、昭和初期、日本資本主義の父渋沢栄一まで、左翼扱いされたと知って、吹き出したが、いまはほとんど同じ水準かもしれない。
だけど、そんな水準の人たちの思考に決定的に不足しているのが、「夢」とか「希望」で。
そして、何よりも一番足りないのは「創造力」だと思う。
大企業の株価が上がっても、ぼくらの暮らしは値上げラッシュばかりで、ちっとも豊かになった感じがしない。
もうすでに来たるべき未来の社会が始まっているのに、過去へ、過去へと回帰する為政者たちと産業界のお偉いさんたち。圧倒的な創造性の欠如。悲しい。
こんなフロリダの言葉は彼らの心に響かないのかな。
二〇〇八年に起きた経済・金融危機の直接の原因は不動産バブルの崩壊だが、経済史の学者はこれを古いフォード式産業秩序の最後の危機と見るだろう。時代遅れで疲弊した社会と産業の構造が、新たなクリエイティブ時代の生産力に追いつかなくなった転換点なのである。
閉塞感だらけの日常生活の中に、『新・クリエイティブ資本論』の序文を、そっと置いてみる。
結局のところ、繁栄が広く共有される新しい時代が、私たち一人ひとりの奥深くに眠るクリエイティビティに火をつけ、燃え上がらせるのだ。見過ごされて十分に活用されていない貴重な潜在能力を解き放った時に初めて、私たちは持続可能な経済成長のみならず、より好ましく、意義深い、充実した生活を満喫できるのである。
フロリダは「クリエイティブクラスの人々に階級意識が欠けていること」が問題だと言う。
日本よりずっと先を行くアメリカ人のフロリダが言うのだから、上記のような日本の現状など推して知るべし。
でもね。いずれ来る未来が見えているなら、バベルの塔の崩れてゆく階段を駆け上るような無駄な努力をするより、広い野原を先頭切って自分の足で歩くほうが楽しいと思うよ。
フロリダはこんな風に、ぼくたちを鼓舞している。
人間のクリエイティビティは、過去に類を見ないほど大きな変革のエネルギーとなっており、私たちのだれもが多かれ少なかれ持ち合わせている。
新しい秩序と社会階層が大きな困難をもたらすとしても、それらは問題解決の糸口をも内包しているのだ。
だれもが持ち合わせているぼくたちのクリエイティビティに、蓋しているものを見つけて、蓋を取り去ってみたい。
まずは自分の身近で出来るDIYから、始めよう。
誰かさんの手伝いじゃなく、自分で終いまでやってみよう。
そして、実際に使ってみよう。
こういうのが「春の予感」ってことかな。
昨日から始まった尾崎亜美マイブーム。本日は「春の予感」で締めましょう。
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