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2015年4月

2015年4月29日 (水)

あっ。やばい。「このガキ、畑を荒らすなぁ!」って、向こうから、釜を持って田中の森の番人、地元の有名人ダルマ親父が追いかけてくる。 早く逃げよう。平成ジャパンにダルマ親父はいないから。

今朝、ブログのエントリを書いてから、『未来のための江戸学』を再読したくなって、読み返してみた。

Amazonでは田中優子に「江戸左翼」とかって、レッテルを貼って、この本の価値を貶めるようなレビューも散見する。
確かに『江戸の感受性』のような初期の作品群に比べて、持論を展開するために牽強付会かなと、強引さが目に付く箇所がないではないけど全体を通読してみれば、こういう角度から歴史を見る目もあるのかと、感心したし、本を読んで、全てを信じ込んでしまうほどウブじゃない大人にとって、大変価値のある良書であることは間違いない。

Amazonでは例によって小谷野敦とかいうバカが、本来読むべき大切な箇所を意識的に見ないようにして難癖をつけているけど、それでもこの本の価値がなくなることはない。

江戸時代には、私たちがすでに捨ててしまった「始末」という考え方があった。この考え方は、始まりと終わりをきちんとして循環が滞らないようにすることであって、単なる節約の意味ではない。江戸時代の現実認識は、あらゆるものには始まりもあるが、当然終わりもあるということであって、際限のない膨張や連続や増加は考えてもみなかった。時間感覚も同じである。私たちの時間のイメージは未来(もしくは終末)に向かって一直線に進んでいくが、江戸時代の時間感覚は四季のように循環サイクルだったのである。人の一生でさえ、六〇歳を迎えればもとに戻った。私たちはこの循環サイクルをもう一度、身につけなければならないだろう。

一七三五年からは幕府指導による諸国産物調査が始まる。外国に安いものや技術の高いものを求めて購入するのではなく、足もとの土の中に可能性を探ったのである。そして、自らの持つものを人の技術力でさらに磨き上げる、という社会を作り上げていった。江戸時代は、織物、紙、焼き物、木工、漆、印刷物などに大量の職人が出現した時代で、職人は都市だけでなくむしろ農村に多くいた。女性も多く、被差別階級には皮革の職人集団がいて、資源を無駄にしない開発の時代を作りあげたのである。

昭和37年生まれの小谷野敦は物心がつく前かもしれないが、それほど昔のことではなく、敗戦から昭和30年代の終わりころまで、田中さんが書いているような江戸期以来の心情が日本人の心根には色濃く残っていたように思う。

それが、昭和39年のオリンピックから昭和45年の万国博覧会に至る時期に一気に収縮して目先の経済成長一辺倒の価値観に傾いていった気がする。
その時期はちょうどぼくの小学生時代と重なるから、時代区分としては明確に記憶している。

この時期、ぼくが住んでいた練馬の町では道路の舗装工事のために、毎日のようにロードローラーが動いていて、小学校時代の思い出は、あのコールタールの臭いの記憶と一緒に蘇ってくるほどだ。

前回のエントリで紹介した『江戸東京野菜COOKING BOOK』に、練馬の田園風景写真が載っていた。
子ども時代に台東区、練馬区、松戸市の三カ所に住んだ記憶があるが、その中でも練馬区はとびきり変貌が激しく、一番長く住んだ場所なのに、友人も散り散りバラバラで、再訪しても往事の面影をたどるのが難しい。

都市農業の可能性を探って、あれこれ勉強して、アメリカやカナダやキューバやフランスや英国などなど世界中を旅していたつもりが、どうやら昭和39年の練馬の雑木林にたどり着いてしまったようだ。

あっ。やばい。「このガキ、畑を荒らすなぁ!」って、向こうから、釜を持って田中の森の番人、地元の有名人ダルマ親父が追いかけてくる。
早く逃げよう。平成ジャパンにダルマ親父はいないから。

1967年発表のアルバム『アゲイン』からバッファロー・スプリングフィールド「サッド・メモリー」

いろいろ事情があって、食や農業の勉強を始めたのだが、日々の暮らしと直結しているから興味は尽きず、ドンドン関心が広がってゆく。

今週もずっと、暇さえあれば農業関係書を読んでいる。

例えば竹間忠夫『家庭菜園この素晴らしい世界』

佐藤勝彦『江戸東京野菜COOKING BOOK』

『都会人ののらしごと畑の借り方教えます』
岡本恭子『確実に稼げる週末農業副業入門』
「ソトコト 2013年6月号 野菜を作って未来を変える!」
亀井千歩子『小松菜と江戸のお鷹狩り』

それから書店で拾い読みしただけだが、野口勲『タネがあぶない』
などなど。

こうして、都市農業について、いろいろな本を読んでいくと、衣食住に関わるその他の分野と同じように、農の世界でもこの半世紀あまり、生業だった農業が、経済成長や産業化の進展によって、どれだけ影響を受けて、変質を余儀なくされていったのかがよくわかってきた。

霞ヶ浦沿岸で半農半漁の暮らしをしていた祖父が作った自前の王国が崩れ始めたのが、ちょうど50年前頃だと思う。

それなら、おれたちが22世紀に向けて、どんだけ失われた暮らしを取り戻せるかが、これからの課題でしょ。きっと。
いろいろ事情があって、食や農業の勉強を始めたのだが、日々の暮らしと直結しているから興味は尽きず、ドンドン関心が広がってゆく。
自分の手と知恵で住まいを整える。あるいは暮らしの道具を作る。安心して食べられる食べものを手に入れる。
祖父が当たり前にやっていた暮らしの流儀を少しでも取り戻すため、これからやるべき仕事の多さに、ため息がでるばかり。
いくら時間があっても足りない感じ。
それでもやるべき課題が見えてきただけ、ちょっと前の自分と比べて、大変な進歩かな。

そしてちょっとだけ見えてきたのは、意外なことに、江戸東京の都市農業を考えるには最近の田中優子の仕事が導きの糸になるような予感がするということ。
グローバル化、サティッシュ・クマール、ロバート・フォーチュン、江戸、循環型社会、農業、ウィリアム・モリス、歌川広重の「江戸百」、旧暦ライフなどなどいくつものキーワードが頭に浮かんだ。

今日から連休に入ったので、本格的に野菜づくりの準備を始めたいけど、その前におうちの整理から始めよう。
そして、その合間をぬって、遊びに出掛けよう。
道路が渋滞するGWは都心に限る。行きたい場所は山ほどあるから。

イングランドの古い民謡をトラフィックのスティーブ・ウィンウッドが歌った「ジョン・バーリーコーン」を連休のスタートに。

2015年4月25日 (土)

ストーンズに比べて優等生と言われたビートルズの毒気とスリリングな感覚こそ、ジョンが醸し出していたロックの本質で、「ヘルタースケルター」を歌っていくらシャウトしてもポールのコンサートにはロックを感じなかった。

なんとなく「行きたいけど、やっぱり行きたくない」

そんな気分で、今まで避けていたポール・マッカートニーの日本公演。
小学校6年生の頃から、45年以上に及ぶ、ビートルズファン歴だ。
年齢的に見て、今回が最後になるかもしれないと思って、重い腰を上げて、東京ドームに行ってきた。
2時間半、ベースにギター、ピアノにエレピとウクレレまで披露し、唄を歌い続けた熱演には、ホントに頭が下がるけど、高額なチケットを思えば、まあ当然かなという皮肉な気分になる。
それよりも、ずっと気になったのが、もはやそこにはいないジョン・レノンの存在の大きさ。

そうなのだ。

ポールがソロでビートルズの曲をいくら歌っても、何故か、「違う、違う」って下を向いて、クビを左右に振りたくなってしまう。
この気分を、どう表現すれば伝わるか、二日間悩んでいたのだが、一番近いのがミック・ジャガーがソロで、ストーンズの曲を歌っても、ストーンズの曲には聞こえないってのが近いかな。実際はそれ以上に違和感があるわけですが。

よく考えてみると、ジョンのソロアルバムはほとんど持っているけど、ポールのソロアルバムは、ウィングス時代も含めて、一枚も持っていない。
極論すれば、クラッシュがジョー・ストラマーだったように、ビートルズはジョン・レノンだったって、今更ながら痛感した。

最近の若者は勘違いしてるかもしれないが、大きい音を出したり、シャウトすればロックになる訳じゃない。ロックってカウンターカルチャーなんだぜ。

僕は、ストーンズに比べて優等生と言われたビートルズの毒気とスリリングな感覚こそ、ジョンが醸し出していたロックの本質だと思う。
「ヘルター・スケルター」を歌って、激しくシャウトしてもポールのコンサートにはロックを感じなかった。
歌謡ショーを見ているような不思議な感覚で、こういうコンサートは初めての経験だった。

いま思い出したけど、ジョンがリードボーカルをとった「ゲット・バック」をYouTubeで聞いたことがある。
まるでパンクロックの先駆けのような演奏で、すごくかっこいい。
「これぞ、ロック!」って叫びたくなる。


ごめん。やっぱり、もう二度とポールのコンサートには行かないだろう。
そして、ぼくはこれからもずっと、ビートルズのアルバムと同じようにジョンのソロアルバムを愛聴し続けるだろう。
ちょっと残念だけど、薄々感じていたことが明確になって、よかったと思う。
ありがとうポール。そしてさようなら。

2015年4月19日 (日)

そして、「ビルディング・トゥギャザーの町」と地下水脈で繋がっているような、「サウスセントラル・ファーマーズ」の運動を知って、ほのかな希望も感じる。 いまは当たり前じゃないことも、数十年後は常識になっているのかもしれない。

前回のエントリで今週読んだ本のことを書いたけど、本といえば『シティ・ファーマー』という本をじっくり読んでいて、やっと半分くらいまで読み進んだ。


そこでは、いろいろな国の都市農業についての魅力的なレポートが載っているわけだが、一番強く惹かれたのは、アメリカロサンゼルスの「サウスセントラル・ファーマーズ」の運動。
荒れ果てたゴミ焼却場候補地を中南米系出身の住民たちがコミュニティガーデンに変えたにも関わらず、安全で清潔な地域になったことで、地価が上がって、欲に目がくらんだ地主に売り払われ、警察による強制排除でコミュニティガーデンを失ってしまうのだが、彼ら「サウスセントラル・ファーマーズ」の運動はこれでは終わらない。

二度とこの土地から切り離されないと決意して、新たな土地を借り、農園を作り、新鮮な有機農作物を作る団体として、地域に受け入れられ、順調に販路を拡大しているという。

農園の様子を生き生きと伝える文章を、一部だけ切り取ってみよう。

やがてその農園は、農作物を栽培するだけでなく、中南米出身の人々にはなじみ深い、街の中心にある広場のような存在になった。自宅や職場に次ぐ「第三の場所」として、多くの人々が集まって情報交換したり、祝い事を開催した。公園としても利用され、家族がピクニックに来たり、パーティが開かれた。深刻な大気汚染に悩む大都市の中でも、ここでは豊かな緑が新鮮な空気を生み出し、人々は日陰の涼しさを楽しみ、子どもたちは自由に走り回ることができた。中南米で農業に従事していた人々にとっては、自らの文化的・精神的なルーツに触れることができる安息の地になったのだ。

この文章を読んで石山修武が『秋葉原感覚で住宅を考える』の中で書いた「ビルディング・トゥギャザーの町」を思い出した。

ぼくは2008年のエントリでこんなことを書いたことがある。

卒業しない人

タイのバンコクにスラム街の住民が自らの手で店舗併用住宅を建てるための建築部品工場がある(あった?)という。

住民はスラムからこの場所に移りながら、自分たちの家を、町を、それを維持してゆくための組織をつくりだし、それをつくることによって手に職を得、生活の合理的な維持の仕方を学び、町を成長させてゆくのである。計画者たちがここに仕掛けたプログラムは、それこそ眼もくらむほどの生活の全体性へとむけられているのである。

30年前、石山修武の主張はラジカルで、多くの読者には理解不能だったと思う。
自分だって、その一人で、少しだけこの本を読んで、最初は投げ出したわけで、あまり偉そうなことはいえないのだ。
だけど、30年経って、やっと時代が石山修武に追いついてきた。
若い店主たちが挑む、昨今のセルフリノベのブームや住み開きなどなど。
そして、「ビルディング・トゥギャザーの町」と地下水脈で繋がっているような、「サウスセントラル・ファーマーズ」の運動を知って、ほのかな希望も感じる。
いまは当たり前じゃないことも、数十年後は常識になっているのかもしれない。

「サウスセントラル・ファーマーズ」の雰囲気にぴったりなシカゴの古い曲を。

2015年4月18日 (土)

網野善彦がいう百姓(ひゃくせい)だった祖父の作った王国に憧れつつ、自分には向いていないと思って、長い間避けてきた菜園作りだけど、いったんやるって腹をくくったら自分なりの世界観を持ってないと、長続きしない。

諸般の事情から急に、メンバーを集めて都市農園を作ることになってしまい、今週はとにかく、農園づくりの猛勉強に明け暮れて、本を二冊読了。

一冊目は先週も紹介した山田健さんの『東京自然農園物語』。
これは傑作だったなあ。
登場人物たちの浮き世離れした感覚が佐藤春夫の名作『美しき町』にも似ていて、もし次回の小説を書くとしたらこういう雰囲気で書きたくなった。
あまりの面白さに、つい引き込まれて、たった二日で読み切ってしまったほど。

もう一冊の『定年菜園のすすめ』も良い本だった。

著者の本業が文芸評論や詩作ということで、文章も歯切れ良く、軽快に読ませてもらった。
この1冊だけでは、十分じゃないけど、最初に読む菜園作りの本としては、良い本にめぐり合ったと思う。

そして、会社帰りに大塚のブックオフに行ったら、欲しかった藤田智『野菜づくり大図鑑』を見つけて、早速ゲットできたのも幸運だった。

今まで読むことなどなかった農業書の世界に触れるのは、フレッシュな気分。

何か外的な強い力が働いて、否応なしに新しい世界に巻き込まれていく、この感覚。
何かに似ているなあと考えたら、25年前に那須高原で山小屋を作り始めた時の感覚と一緒だ。
当時は井上書院のツーバイフォー工法の基本書を、毎日飽きずに、隅から隅まで、何度も読み返しては、人のいない建設工事現場に潜り込んで、こっそり勉強したっけ。

どうやらこの分野では宇根豊さんや、上記の藤田智さんという人がスターらしいということも、JUNKU堂書店に行って、始めて知った。
この世界、まだまだ奥が深いので、もっと勉強してみよう。
網野善彦がいう百姓(ひゃくせい)だった祖父の作った王国に憧れつつ、自分には向いていないと思って、長い間避けてきた菜園作りだけど、いったんやるって腹をくくったら自分なりの世界観を持ってないと、長続きしない。
だから、勉強は必要だと思う。

それはさておき、青空公房も忘れていない。
先週作りかけたアコースティックスピーカーの2作目が、今朝完成した。
外国の古い木製のおもちゃのような感じに仕上げたくて、トップの部分だけ「オールドビレッジ・バターミルク・ペイント」という水性塗料を塗ってみた。

2

iPhoneに入れたウェイン・ショーターのアコースティックアルバムを聴いたら、とっても良い感じ。


80歳を越えて、今なお現役のこの人。独特の個性があって、大好き。
みんなで作った菜園で、アコースティックスピーカーを通してJAZZを聴くのも乙なモンだね。だんだん楽しみになってきた。

2015年4月12日 (日)

もしGという店が気に入って長居していたら、あるいはあの場所にいるときにOくんから電話がなければ、ぼくは一生深川の「サンデーズー」に行くことなどなかっただろう。 不思議な出会いに感謝したい。

去年の秋から、プライベートでいろいろあって、公私ともになんだか急に忙しくなってきたこの春。

金曜日は雨の中、午後3時の打ち合わせまで、少し時間が空いたので、門前仲町から深川散歩で、清澄まで歩いた。

お目当てはアメリカの古材を中心にDIYの材料を売っているGという店だったのだが、そこは残念ながら、僕にはフィットしない店だったようで、金物を少しばかり買って退散。
富岡八幡宮に参拝してから、いま話題沸騰中のブルーボトルコーヒーに行った。

ブルーボトルコーヒーね、うーーーん、どうだろう。
まあまあというよりは、まあ、というレベルの味。
ジンジャークッキーも、ぜひもう一度食べたいというレベルじゃなかったな。

ふだんは食べログの口コミをあまり信用しないけど、

この程度の珈琲なら東京ではどこでも飲める。」

と書いてあった口コミに強く共感した。
おれ、山谷のカフェバッハとか、下谷の北山珈琲店が供するコーヒーがあればいいや。
あるいは那須と黒磯のSHOZO CAFEの空気感、温かいスコーンとフレーバーティー、もう人生それだけで十分。

って、ちょっとがっかりしていたら、なんと突然友達のOくんから電話がかかってきて「サンデーズー」に行ってごらんと言われた。ぼくにコーヒー名人の亡きUさんを紹介してくれたOくんの意見には、基本的に従うことにしているので、さっそくiPhoneのナビ機能をフルに活用して「サンデーズー」に向かった。

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関西弁の柔らかいイントネーションが耳に心地よく響く店主の奥野さんと話していると、ここが深川であることを忘れてしまう。
そして、若い頃、1週間くらい居候した大阪の鴫野という町で、朝食を食べに家族全員で朝から近所の喫茶店に出掛けた光景が心に浮かんだ。
「朝ご飯を喫茶店で食べる文化があるとは!」
台東区出身だけど、6歳からキャベツ畑に囲まれた練馬区で育ったカントリーボーイの僕は、さすが大阪って都会だと感心したっけ。

落ち着いて店内をきょろきょろ見渡すと、どうもこの店DIYの臭いがするなあと思って、奥野さんに尋ねると、コーヒーの焙煎と同じようにDIYが趣味だったので、コーヒー店を出すときに什器備品をDIYで作ったという。
気持ちのいい会話が弾んで、心地よい時間が流れ、出発時刻が迫ったので、清澄白河駅から打ち合わせに向かった。

もしGという店が気に入って長居していたら、あるいはあの場所にいるときにOくんから電話がなければ、ぼくは一生深川の「サンデーズー」に行くことなどなかっただろう。
「汚れたエンジェル」Oくんが持ってきてくれた不思議な出会いに感謝したい。

サンデーズー

日曜日の今朝は久々に晴れたので、「青空公房」では、先週に引き続いて、アコースティックスピーカーの2作目の製作。

まだ、白木のままだが、この2作目はトップの部分にだけ一部塗装して仕上げるつもり。
底面は無塗装にして、iPhoneに同梱されていたアップルマークのシールを貼った。

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やっと看板と青空がマッチした。
振り返って手元を見たら、こんなモノたちがあることに気づいた。
カタログを見て衝動的に買ったけど、あまり使っていなかった箒とちりとり。
数年前に使い終わった手帳に着いていたちび鉛筆。
DIYを始めると、家の中で所在なさげだったモノたちがいきいきと活躍し始めて楽しい。

Diy_1

そうだ、書くのを忘れていた。
肝心の金曜日午後3時からの打ち合わせは、仲間を集めて都市農園を作る話なのです。
これが忙しさに拍車をかけるんですよ。
自分のホームページ作りが、後回しになりつつある。
そして、以前買ったまま、積ん読になっていたこんな本が急に気になりだした。

まだまだ体力のあるいまがガンバリ時なのかなあ。
自分には農業は不向きだって避けてたんだけど、仕方ないよね。
自給自足の基本だもんな。
今日はこれからの大いなる収穫を祈って、ザ・バンドの「キング・ハーベスト」

2015年4月 5日 (日)

昨今流行の女子の実用的かつオシャレなDIYと小野二郎の言う「われわれの生活の質の改造」。 これら二つのコトは、遠く隔たっているように見えて、案外背中合わせになっているのかもしれない。

土曜日まったりと過ごしたのに、先週の激務の疲れが抜けないので、本日もベランダライフでのんびりと過ごすことにした。
朝から雨模様だし。
昨日、作った「青空公房」の看板に金具を取り付けて、ベランダのパーゴラにぶら下げてみた。
そして、MakeTからシールが届いたので、設計図だけダウンロードして作ったベンチに貼り付けた。

1

3

ついでに、『ベランダはじめました』という本を取り出してみる。

それにしても、まったり、まったり、まったり、どこまで行ってもまったりとした気分。
ついでに音楽もこんなのがいいなあ。

空気公団「とおりは夜だらけ」。

このまま、まったりと一日が終わってしまっては、つまらないから、昼寝でもして、そろそろ日曜日の午後から戦闘開始しよう。
小野二郎の遺著『ベーコンエッグの背景』から、有名なエッセイ「趣味の思想化」の一部を引用したい。ちょっと長いけれど、とても大事なところなのだ。

 わたしは、民芸をふくめて、手仕事による実用品生産を、機械製品の隙間の穴埋め的利用したり、評価することに反対なのである。現在の生産のメカニズムに対して補完的作用しかもたない、いやそれによって実は現メカニズムを強化しているという事実に、目をつぶっての民芸礼讃などわたしは軽蔑する。
 むしろ、手仕事による、いわゆる実用品生産も、工芸教育も、「趣味」の手仕事も、ひっくるめて、一種の「教育運動」としてとらえねばならないと思う。「民芸運動」もまさしくその初心において教育運動であった。というのは、本来それは、民芸の美の発見、その育成ということにとどまらず、われわれの生活の質の改造、さらには現代の生産のメカニズムに対する批評を知的にというより、感覚に基礎を置く不退転のものにするという方向をうちにかくしもっていたと思う。
 このかくしもったるものを、明るみに出したいというのが、わたしの考えなのである。

ぼくがお父さんの趣味のDIYを好きになれない理由がここに書いてあるでしょ。
小野二郎特有の悪文だけど、悪文であるが故に、すうっと読めず、少し読んでは立ち止まり、考え考え、長い時間をかけて自分の中に入ってきたように思う。
昨今流行の女子の実用的かつオシャレなDIYと小野二郎の言う「われわれの生活の質の改造」。
これら二つのコトは、遠く隔たっているように見えて、案外背中合わせになっているのかもしれない。

著作権の切れた文豪の作品を集めて、シェアしているインターネットの電子図書館「青空文庫」のように、情報や空間やスキルをたくさんの人とシェアしたいという思いも加わって、あえて「青空公房」という不思議な言葉を作った。

この数週間は毎週コーナンに材料を買いに行って、なんか作ってるなあ。
ある時期から堰を切ったように怒濤のDIYラッシュ状態になってきた。
とにかく、暮らし方を変えたいって、少し気が急いているかもしれない。

盤石だったはずの大企業も国家も、ともに信用できない昨今、明治生まれの祖父がやっていたような自分らしい、手応えのある暮らしを取り戻したいって強く願う。
そんな気持ちに茨木のり子の詩「倚りかからず」がぴたりとはまる。 

 

彼女の醒めた感性から発する言葉たちが、いまのぼくにはとても心地いいのだ。

それはさておき、この数週間作りたいと願っていたマイ工房の看板が本日完成。
裏側の板にはゴミ捨て場にゆく予定だった段ボールを再利用した。
作品のどこかに「リパーパス」というこだわりが表現されていないと、ぼくらしくないって思うから、これは成功。
書体は大好きな「コウガグロテスク06」を使い、不慣れなアドビイラストレータで作成したけど、何とか仕上がってうれしい。

最初は「青空工房」ってタイトルで、検討してみたけど、自分の気持ち的にも、ビジュアル的にも「青空公房」のという言葉が、しっくりくることに気づいた。
自前の工房を作るスペースもなく、家人に部屋を追い出されて、ベランダで始めた大工仕事が、ことのほか気持ちよく、の「青空工房」という構想がわき上がってきた。

そんな本来の「青空工房」という意味に対して、著作権の切れた文豪の作品を集めて、シェアしているインターネットの電子図書館「青空文庫」のように、情報や空間やスキルをたくさんの人とシェアしたいという思いも加わって、あえて「青空公房」という不思議な言葉を作った。

Photo

これから「青空公房と」して、新しいプロジェクトを始める計画を立てていて、現在ホームページを制作している。

プロジェクトの中身は、うまくいけばそのうち見えてくるでしょう。
先の見えないうちからホラを吹いても虚しいから、いまはここまで。

The ClashのI FOUGHT THE LAWを今宵の一曲に。実は大好きなんです。

 

2015年4月 4日 (土)

そんな清々しい気分の中で、最近こだわっているのがオーガニックもさることながら、アコースティックな自給自足スタイル。

二月下旬頃から、晩酌をやめて、お酒を飲むのは週末だけ、それもどんどん酒量が減ってきて、缶ビール一缶と、日本酒四分の一合くらいで、もう十分。
仕事中に自販機で飲料を買うのも止めて、水かコーヒーを飲む。
それまで食べ過ぎだったので、ランチは野菜ジュースか、多くてもサンドイッチ二切れくらいにしている。
朝食をゆっくり沢山食べる休日は基本的に一日二食。
添加物が気になるので、コンビニエンスストアで食べものを買うこともやめた。

こんな生活をしていたら、最近体調がすこぶるいい。
何年も薬を飲んでも下がらなかった血圧が下がってきている。

すると心が安定しだして、イライラすることもなくなり、常に冷静でいられるようになった。
自分で自分が不思議なくらい、妙に醒めている。

テレビや新聞を見るのもやめて、iPadとiPhoneで本を読む習慣がついたから、
ちょっとした空き時間があると、どこでも読書に没頭できるのが、精神衛生上いいのかもしれないな。
そして、3月一杯で、沢山のことにピリオドを打って、4月から新しいことを始めようとしている。
こっそり、ホームページ作りを始めたり。

そんな清々しい気分の中で、最近こだわっているのがオーガニックもさることながら、アコースティックな自給自足スタイル。
この前の震災以降、電気に頼る暮らし方が、年を追うごとに、自分には性に合わないことがわかってきた。
まあ、根っから貧乏性なだけなんだけど。

先週は太陽光で発電するランタンを楽しんだから、今週はiPhone用のアコースティックスピーカーを作ってみることにした。

Photo

最近世話になっているMakeTから出ているKADOKKOというアコースティックスピーカーのキットを購入して、ささっと完成。
焦げ茶色を頼んだつもりが、緑色のアクリル絵の具が届いて、びっくりしたけど、まいっか。

KADOKKO

空は曇天で、小雨もぱらついているけど、ぼくの心の中には青空が広がっているから。

今日は、ジェイムス・テイラーの2作目名盤『スウィート・ベイビー・ジェイムス』から、「サニー・スカイズ」。

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