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2015年2月

2015年2月22日 (日)

課税制度のような国家レベルの政策論じゃなく、個人政策論として一番大事なことは、昨日も書いた「ゆっくりゆっくり」の思想なんじゃないかな。強欲なキャピタリズムって、ぼくたちに「待つ」精神的なゆとりを奪うことで、利益を掠め取ってゆくものだから。

よく晴れた土曜日の午後、松戸駅近くのMAD CITYが運営するスペース「FAN CLUB」に行って、吉野太喜氏による「トマ・ピケティ『21世紀の資本』から考えるまちづくり」と題した勉強会に参加した。
吉野さんはミクロ経済学を勉強している在野の研究者。

経済学者といえば、1月末に大内秀明先生の出版記念会で、マルクス経済学者が集まるパーティーに潜り込んだとき、ある偉い大学教授の「プロレタリアートに文化などない」「アジアやアフリカの音楽なんて価値がないけど、白人が物珍しさから取り上げただけ」という上から目線の暴論に、怒髪天をついたことを思い出しながら、近代経済学者である吉野さんの話を聞いた。

そこで感じたことは、現代社会に生きるぼくたち消費者にとって、『21世紀の資本』最大の貢献は、それが情報処理技術が圧倒的に進歩した現在だから、作り得た経済学書で、強欲なキャピタリズムを礼賛する新自由主義経済理論の間違いを豊富な資料によって実証したこと。

所得や資産の格差が広がることによって、社会は不安定になり、無理に経済成長を目指して金持ちをより金持ちにするような政策をとっても、格差が広がるだけで、諸国民の富は増加しないということ。

そこに経済学者水野和夫さんのベストセラー『資本主義の終焉と歴史の危機』の末尾にある次の言葉を重ねると、また少し見えてくるものがある。

ゼロインフレであるということは、今必要でないものは、値上がりがないのだから購入する必要がないということです。消費するかどうかの決定は消費者にあります。ミヒャエル・エンデが言うように豊かさを「必要な物が必要なときに、必要な場所で手に入る」と定義すれば、ゼロ金利・ゼロインフレの社会である日本は、いち早く定常状態を実現することで、この豊かさを手に入れることができるのです。

ピケティの言う資本税云々の政策論は為政者が考えることで、僕たち消費者には手の届かない場所にあり、いまの自分の行動には結びつかないけど、強欲なキャピタリズムがみんなを幸せにしないことを実証し たことは、これからボディーブローのように効いてくるように思う。

「アベノミクス」なるものの成否云々などどうでもいいのだ。どうせ大間違いなのだから。
それよりも、水野さんが言うように、消費を煽り、「早く、早く」と消費者をせかす、終焉しつつあるキャピタリズムに翻弄されないようなライフスタイルを取り戻すこと。
今すぐに行動すべきは、それぞれ消費者個人や街の単位でキャピタリズムから身を守る術を身に付 けてゆくことでしょう。

例えば、

○コーヒーを飲むならスターバックスではなく、地域の個人経営のカフェに行く。
○日常の買い物もスーパーではなく、なるべく個人商店に行く。
○個人店がなければ、生活クラブやパルのような生協のお店に行く。
○家を建てるなら、極力住宅ローンを借りない方法を模索する。
○借りるとしても最小限にして、強欲なキャピタリズムに貢献する大手都市銀ではなく、「ろうきん」のような筋の良い金融機関から借りる。
○そして、当然だけど、ハウスメーカーではなく、地域の工務店に家作りの相談に乗ってもらう。
○地域の工務店の敷居が高かったり、設計力に疑問がある場合は、信頼できる建築家を見つけて、相談に乗ってもらう。

ちょっと考えただけでも、これだけの個人的戦術が出てきた。
これらは、ぼくの祖父が元気だった昭和30年代までは当たり前だったこと。

以前住んでいた三郷の北部が、大規模商業施設によって町の形まで変えられて、三井の町になってしまったことを思うと、いま松戸旧市街が素敵なのは、商店主たちが立ち上がって、内発的に町をよくしようと努力していること。
もちろん、MAD CITYのような若者たちの多大なる貢献が最重要ポイントなのかもしれないし、吉野さんのような若い在野の経済学者が、松戸を訪れて、低い目線から情報を発信していることも忘れてはいけない。

そして、課税制度のような国家レベルの政策論じゃなく、個人政策論として一番大事なことは、昨日も書いた「ゆっくりゆっくり」の思想なんじゃないかな。強欲なキャピタリズムって、ぼくたちに「待つ」精神的なゆとりを奪うことで、利益を掠め取ってゆくものだから。

このまえブログで紹介した『「しないこと」リストのすすめ』の著者辻信一さんの主著に『スロー・イズ・ビューティフル』がある。

以前この本を読んだとき、もう一つ腑に落ちなくて、あまり良い読者になれなくて、本棚の奥にしまい込んである。
だけど、強欲なキャピタリズムから身を守るための戦略指南書として、もう一度読み返してみると、また違った読み方も出来るかなあと感じている。

ずいぶん長いエントリになってしまったな。ロイド・カーンのことを書きたかったけど、また今度にしよう。

今日は、セネガル出身の偉大なシンガー、ユスー・ンドゥールをフィーチャーした坂本龍一の「ジャバラム」を、あのマルクス経済学者の偉い先生に謹んで捧げます。

2015年2月21日 (土)

ぼくたちはマイホームを「はやくはやく」手に入れるために、銀行からお金を借りて、その急ぎ賃を銀行に払う。だからキャピタリズムは、「ゆっくりゆっくり」が大嫌い。

友達から、もうじき渋谷の東急プラザが解体されるという話を聞いた。

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(写真はwikipediaから)
高校二年生の冬、東急プラザの二階にあった喫茶店の窓際の席で、はじめて付き合ってもらったガールフレンドと、どこまでもかみ合わない会話を交わしながら、きっとぼくの片思いも、もうじき終わってしまうのだろうなあ。
なんて感じて、ふと窓から外を眺めたとき、歩道橋を歩く人波を見て、なんだかこの状況は、はっぴいえんどの「12月の雨の日」に似ている。

ひょっとしてこれも、「青春の1ページ」?って思った。

その後、彼女は現役で超一流大学に合格し、ぼくは一浪して大学に入ってからも、長いこと失恋のショックから立ち直れなかったことを思い出す。
あの時から40年経った。まさしくあれは、青春の1ページだったな、と今になって思う。

こうして、次々と自分を取り巻く環境が変貌し、思い出の場所が消えて、様々な過去がリセットされて、美しい記憶だけが残って、明日に向かう元気もわいてくるのでしょう。
そう思えば、記念すべき「青春の1ページ」の消滅も許せる気がしてくる。

それはさておき、20年前に建築雑誌「群居」に連載したエッセイ「同時進行疾風怒濤セルフビルド日記」を下敷きに、大幅に書き直して、新たな作品として執筆中なのです。

タイトルはいろいろ考えたけど「ながいながいDIYの話 完全版疾風怒濤セルフビルド日記」というのがピッタリくる。
「ながいながい」って事は、言い替えると「ゆっくりゆっくり」ってこと。
ぼくたちはマイホームを「はやくはやく」手に入れるために、銀行からお金を借りて、その急ぎ賃を銀行に払う。だからキャピタリズムは、「ゆっくりゆっくり」が大嫌い。
そんな思いも込めて、タイトルを考えた。

発表する媒体は、まず私家版のZINEに連載してみようと思う。
ちょっとそれが楽しみで、ワクワクもの。
あ、私家版のZINE「自分の王国3.0」は秋頃をめどに作ります。
製本も当然自分でDIYするから、必要最小限の部数作って、希望者だけに販売する。
念のために申し添えると「ながいながいDIYの話」って、幼少時の師匠いぬいとみこ先生の「ながいながいぺんぎんの話」から拝借しました。
当然、この作品はいぬい先生に捧げます。

これから真面目に少しずつ、毎日15分でもいいから仕事しないと間に合わない。
お酒を控えるにはちょうどいいチャンスかもね。

2015年2月16日 (月)

嫌みに聞こえるかもしれないけど、心の中に「自分の王国」を作る。 永井荷風がそうだったように、自分の心の王国には何人たりとも入らせぬ。

子どものころからずっと、人と協力して、グループで何かをやることが苦手で、失敗ばかりしていた。
黙って一人で、ご飯を食べるのも忘れて、本を読んでいるか、絵を描いている子どもだった。
友達は一人か二人いれば十分で、大勢で行動するのは苦痛だった。

当然、学生時代の運動部にも、会社員生活にもなじめず、大きな集団のどこにいても居心地が悪くて、いつも心は、虚空をさまよっていたような気がする。

それが30代になって、那須高原で家を作るときに、小須田さんという豊かな人間性とデザイン能力を兼ね備えた素敵な建築家と出会って、周辺に大勢の仲間が集まってきて、一緒に遊んで、仕事もして、毎週のように酒を飲んで、徹夜して、それまでほとんど文章を書いていなかったのに、建築雑誌に連載エッセイまで書かせてもらうようになって、人生が明るく変わっていった。
それがあまりにも素晴らしい体験だったので、それ以降、人と一緒に何か大きな仕事をすることが苦痛ではなく、喜びになった。
それから20年間、いろいろ試みてきたけど、結局出会えなかったなあ。
小須田さん以上のよきパートナーに。

先週から『「しないこと」リストのすすめ』という本を読んでいる。
一回読んで気に入ったので、現在再読中だ。

その中の「コラム」にブッダ「真理の言葉・感興のことば」を見つけた。

愚かな者を道伴れとするな。
独りで行くほうがよい。孤独で歩め。
悪いことはするな。求めるところは少なくあれ。
林の中にいる象のように。

30代のあの時間は、沢山の偶然が重なって奇跡的に実現した、もう二度と来ない黄金の日々だったのだ。
結局、たった一人で行動するのが、本来の自分なんだって、よくわかった。身にしみて感じた。

国家官僚や大会社や偉い先生や有名な人といった権威や権力を有り難がる感覚が自分には欠如しているので、世間の評価というのも、どこかうわの空で聞いてしまう。
ある文学団体で、自作品に対するトンチンカンな作品批評ばかり聞かされて、さらにそんな思いを強くした。

嫌みに聞こえるかもしれないけど、心の中に「自分の王国」を作る。
永井荷風がそうだったように、自分の心の王国には何人たりとも入らせぬ。

いまこだわっているのは、ただひとつ、それだけ。

人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり

昭和16年元日の『断腸亭日乗』である。

凍てついた心が軽くなるような青葉市子の「不和リン」を今夜の締めくくりに。

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2015年2月11日 (水)

「つねに自分の好きな世界のなかにいた。自分は何が好きかをはっきり知っていて、それに頑固に、わがままにこだわり続けた。」って、当たり前のようだけど、長い間会社に勤めて、日常生活に流され続けている自分には、ものすごく新鮮な言葉だった。

あるデザイン会社のサイトを見ていたら、パルコの広告コピーで
「自分の王国をもとう」
っていうのを見つけた。

おそらく近代になるまで、「自分の王国をもとう」なんていう願望は、権力者や豪商など、一部の特権階級だけが享受した趣味の世界でのみ可能で、ほとんどの人には無縁だったと思う。
それが徐々に一般化して、明治時代生まれの、ぼくの祖父の世代になると、市井の趣味人が現れる。
ぼくの愛読書の一つ、山口昌男の『敗者の精神史』には、淡島寒月他、大勢の趣味人たちが登場するが、かなりマニアックな本で、しかも大著。

それよりも、一般的には永井荷風や小津安二郎などが、わかりやすい例だと思う。
ぼくが幼少の頃過ごした、台東区の花街根岸という町には、荷風の小説に出てくるような(実際、根岸は何度も荷風の小説の舞台になっている)趣味人たちが、自分の王国を作って暮らしていた。
川本三郎さんの名著『東京おもひで草』に「小津の荷風好き-「小津安二郎全日記」を読む」
というエッセイがある。

川本さんはさらっと書いているけど、ぼくが衝撃を受けた一節を紹介したい。

小津安二郎はさまざまな意味で贅沢な人だったと思う。うまい酒、美しい絵、いい友と師、風流(俳句、温泉)、モダン都市、白樺派の文学、そしていい俳優やスタッフたち。つねに自分の好きな世界のなかにいた。自分は何が好きかをはっきり知っていて、それに頑固に、わがままにこだわり続けた。その意味でよき個人主義者でもあった。

「つねに自分の好きな世界のなかにいた。自分は何が好きかをはっきり知っていて、それに頑固に、わがままにこだわり続けた。」って、当たり前のようだけど、長い間会社に勤めて、日常生活に流され続けている自分には、ものすごく新鮮な言葉だった。

そして、ふと振り返ると、明治生まれのぼくの祖父も、小津と同様「つねに自分の好きな世界のなかにいた」「よき個人主義者」であったことを思い出した。
夜明け前の水清き、霞ヶ浦の美しい風景の中、漁を楽しみ、食事の際は新鮮で、出自のはっきりした食材にこだわり、終生蒲鉾やおでんは、口にしなかった。
毎日決まって午後3時頃から自分の気の合う三人の仲間と、自ら調理したつまみを肴に、酒を酌み交わし、手作りにこだわって、子どものオモチャでも、ちょっとした家の改装でも、何でも自分の手を動かして作った。

そして、小津が東京オリンピック前年の昭和38年に亡くなり、祖父の王国もその頃から徐々に崩れていったことが思い出される。

ところが、21世紀になって、「自分の王国」が気になり始めた。
戦後生まれの、団塊世代やその下の世代に面白い人が大勢いる
当然、戦後生まれが明治生まれの父祖たちのようになれないことはわかっている。
だけど、その分、いまはインターネットがあって、SNSのようなサービスもあって、おなじ趣味趣向を持つ人たちが集まって情報交換する場所が提供されている。
毎日、自分の好きな時間に、自分の気の合う仲間と清談を交わすことだって出来る。
そして、圧倒的に様々な物資や情報が容易に手に入るようになっている。

このように「自分の王国」を作るハードルが格段に低くなっていることに気づいた。
前近代の特権階級でもなく、明治生まれの頑固な趣味人でもなく、いまは平凡な庶民がその気になれば青空のような澄んだ心で、真っ直ぐに「自分の王国」を作り上げることが出来る時代なんだろうなあと思う。

そんな新しい、22世紀につながる、現代の趣味人が作る世界を「自分の王国3.0」とでも呼んでおこうか。
きっと、これからの未来は彼らが切り開いて行くのでしょう。
そして、そんな現代の趣味人たちを、これから様々な形で紹介して行きたいと考えている。

高田渡「私の青空」

2015年2月 8日 (日)

ぼくにとって憧れの人物のひとり、ロイド・カーンの『ホームワーク』を眺めていたら、grass-Bのような手作り感溢れる建物が満載で、25年前にgrass-Bを訪ねた日のことを思い出してしまった。

息子の家に置いてある本棚から小野二郎の『ベーコンエッグの背景』を持って帰ってきた。
この本には、多くの建築家や研究者に影響を与え、雑誌「群居」の創刊準備号にも巻頭マニュフェストのような形で掲載された「住み手の要求の自己解体をこそ」というエッセイが収められていて、ぼくの宝物のひとつ。
最初は三郷の図書館で借りて読んだけど、当時すでに新刊本では手に入らず。
図書館のリサイクル本として、持ち帰り自由の棚で見つけた時は、とても嬉しかった。

建築家と住み手がもし手を結ぶことができるとしたら、われわれの家に対する要求のなかにある疑似シンボルでいとも簡単にすくってもらえるものを、ことごとくえぐり出し、対象化させることではなかろうか。つまり脱象徴化運動。合理的な、正直な、真面目な欲求のなかに潜む似而非シンボル、疑似神話をあばき出す。土地の国有化などということは言わない。しかし、住居のための土地債務者たちが一勢に蜂起して銀行ローン支払拒否の大ストライキを起こすという夢想以外に、私の家の街路を明るくしてくれるものは何もないのである。

小野二郎特有の難解な文章だが、「銀行ローン支払拒否」というこの一点だけとっても、このエッセイがどれだけラディカルな構想のもとに書かれたか、よくわかる。

まず基本姿勢として、銀行からお金を借りずに、住まいを手に入れる方法を考えよう。
どうしても無理な場合は、必要最小限だけ借りる。
そして、借りるなら、自分が返済したお金が、どんな事業に融資されるのか、借入先の金融機関の経営姿勢もしっかりと調査して借りる。

たったそれだけのことを、多くの人たちが実行するだけで、
ぼくたちの暮らしはずいぶん風通しのよいものになる。

はじめて三郷のマンションを買った時、ステップ償還というローンの返済方法を選択したら、10年経っても元金は、ほとんど返しておらず、愕然とした記憶がある。
金融のプロの言うとおりにやっていると、ぼくのような酷い目にあう。
なるべく借金なんぞしないほうがいい。

ローンの頭金に用意したお金が500万円あったら、そのお金で夫婦二人で住むのに必要最小限の設備の備わった小さな小屋を建てる。
そこから少しずつライフスタイルの変化に応じて部屋を増やしたり、減らしたりする。
もしもう一度、人生をやり直すことが出来るなら、そんなやり方をしてみたい。

実際にそんなやりかたで住まいを作った実例を見たことがある。
那須の山小屋を設計してくれた小須田廣利さんから、自分が以前手がけたセルフビルドの家だから参考にして欲しいと、紹介してもらった館山のハーブティーの店grass-Bの大久保さんは、近所にお風呂がある場所に土地を購入し、キャンピングカーで生活しながら、grass-Bを作った。口コミでジワジワと評判が広まり、いまや隠れた名店として、カフェ紹介本の巻頭を飾るようになった。そんな、大久保さんの住まいとの関わり方を知って、ずいぶん気持ちが軽くなった記憶がある。

grass-B

ぼくにとって憧れの人物のひとり、ロイド・カーンの『ホームワーク』を眺めていたら、grass-Bのような手作り感溢れる建物が満載で、25年前にgrass-Bを訪ねた日のことを思い出してしまった。

そして「ホームワーク」と言えばオーティス・ラッシュ。
エリック・クラプトンにも影響を与えたブルースギタリスト。
そういや、大学1年の頃、こういう黒人音楽ばかり聴いてた時期もあったっけ。

2015年2月 7日 (土)

大工さんだって多くの専門家の手を借りて家を作るわけで、大事なことは、セルフビルドか否かじゃなく、住まいを供給する住宅流通の中で、流通チャネルを支配するチャネルリーダーになること。20年前に日経流通新聞に取材された時語った構想を、いま再び世に問いたい。

先週、金土日の三日間、ニュー・マッド・パラダイスのイベントを見に行って、松戸界隈に出来た新しいお店も回って、若いクリエーターたちの活躍に、かなりインスパイアされた。

そしたら急に今まで、見えなくなっていたものが、霧が晴れたように見えてきたような気がして、面白くなってきて、ちょうど25年前に、今の会社に転職して、やりたいことを模索していた頃の感覚が戻ってきた。

で、何を言いたいかというと、住宅問題に改めて、正面から向き合って、がっぷり四つに組んで、力相撲をとってみたくなったということ。原点に回帰するということ。

とはいっても、20年前にエッセイを連載させていただいた建築雑誌「群居」のように、ユニオンを作って打倒ハウスメーカーの旗印を掲げて戦うなどいった、大それたことじゃない。
平凡な勤め人には、平凡な勤め人なりのやり方があるだろう。
具体的には、工務店や建築家や不動産関係者や金融関係者や経済学者など、様々な分野の専門家と連携して、住まいの作り方を再考してみたくなった。
いまぼくたちが住宅を手に入れるとしたら、人生最大の買い物だと言わんばかりに、大きなお金が動くので、当たり前のように銀行から住宅ローンと称する大金を借りる。
その対価として債務奴隷となって、どんなに酷い会社でも、我慢して勤めて、身も心もボロボロになりながら、律儀に銀行さんに金利を払って、高額な年収を取る銀行員の暮らしを安月給の僕たちが支えるというのが、いまの日本の常識。
だけど、そんなものは、この数十年の常識にすぎず、縄文時代から続く日本人の長い歴史の中では、ほんの一瞬に過ぎないことを思い出したほうがいい。

家は買うものじゃなく、建てるものであり、建てるための戦略は無数にある。

マッド・シティの人たちがやっているように、マンションをDIYで自分仕様に変えて行くのも素晴らしい活動だけれど、ぼくはもう少しラジカルに考えてみたい。

まずは手始めに『独立国家のつくりかた』を書いた坂口恭平の師匠、石山修武のラジカルな住宅論『秋葉原感覚で住宅を考える』を読んだらどうって言いたいけど、いまは入手困難らしいから、オススメは姉妹編とも言える『笑う住宅』。


これも版元品切れのようだけど、ちくま文庫になったので、入手しやすいようだ。

高額な建設費の解決策として、DIYで家を作るというのは、ハウスメーカーの対極にある考え方で、ぼくが那須に通っていた当時も、藤岡等さんという達人がいて、何冊もマニュアル本を出しているが、それは誰でもやれるものじゃなく、セルフビルド経験者のぼくもいま住んでいる松戸の家は地元の工務店に依頼したくらい、ハードルが高い。
そんな状況を考えると、一足飛びに、セルフビルドに行かなくても、DIY精神を発揮して、自分の納得の行く形で住まい作りを出来れば、それは立派なDIYなのだと、強く思う。

大工さんだって多くの専門家の手を借りて家を作るわけで、大事なことは、セルフビルドか否かじゃなく、住まいを供給する住宅流通の中で、流通チャネルを支配するチャネルリーダーになること。20年前に日経流通新聞に取材された時語った構想を、いま再び世に問いたい。

京都大学の布野修司さんはバブルの時代、住まいをめぐる状況を『住宅戦争』と呼んだ。

新自由主義とグローバリズムの嵐が吹き荒れ、貧富の格差がどんどん拡大し、高齢化と過疎化が進行して、空き家が増える一方の今は、当時以上に激しい「住宅戦争」のまっただ中にある。
だけど、当時と違って、今はインターネットがある。
巨大なホームセンターには工作室だって完備してる。
一人では無力な個人でも、仲間と知恵を持ち寄ることによって「流通チャネルを支配するチャネルリーダーになること」が、決して不可能じゃない時代になっている。

原点に回帰するといえば、ロックの世界では『レット・イット・ビー』という映画になったビートルズのゲットバックセッションズが有名だが、その中でも「ワン・アフター・909」という曲は、実は1963年に録音された未発表曲のセルフカバーだと、ずっと後になって知った。

「アンソロジーⅠ」に入っているオリジナルの出来が凄まじくいい。何で未発表になったのか不思議なくらい。ブレイクし始めた当時のビートルズの勢いそのままの疾走感が心地よくて、何度も聞き惚れてしまう。これぞロックの醍醐味でしょ。多分ね。

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