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2015年1月

2015年1月31日 (土)

ほんの数年前まで停滞したイメージのあった松戸が寺井元一さんという一人の若者の出現で、どんどん変貌しているのは面白いけど、彼を見ていて、町と関わってうまくいかないことを人のせいにしてはいけないと、少し反省。

久しぶりに気持ちよく晴れた日の午後。
電車を乗り継いで、稔台の古本屋で予約しておいたライオネル・ラバーン『ユートピアン・クラフツマン』を購入。
モリス主義者小野二郎の死去からまだ数年後、晶文社が元気だった1985年の発行。
今日はここから、現代のユートピアン・クラフツマンを探す松戸市内散歩を楽しむことにした。
昨日雪の中を5キロほど歩いたら、年明けから続いていたヒザの痛みがすっかり消えて、歩く自信が復活した。

まずは稔台から、最近オーガニックタウン化が目覚ましい八柱まで歩く。
車のエンジン音が喧しい大通りを避けて、狭くて曲がりくねった道を歩く。
たとえ辺りの景色は平凡な住宅街でも、車に脅かされないこういう道を歩いていると、それだけで幸せな気分になる。
気持ちよい日向を選んで歩く。犬を連れて歩く人が目立つ。
自分も犬を飼っていたからわかるけど、この道がリラックスして歩ける小道だという証拠。

物思いに耽りながら歩いていたら、八柱駅についたので、左に曲がってさくら通りを行くとすぐに、omusubi不動産に着いた。

omusubi不動産

omusubi不動産はMAD CITYにいた殿塚さんという若者が作ったユニークな不動産屋さんで、八柱の地域情報も発信しているので、今回のミニツアーでは外せないスポットだ。
そこで気になるスポットのパンフレットを譲ってもらい、その中から今日はSLOW COFFEEに行くことにした。

1

ビルの二階にあるこのカフェはドッグランとトリミングサロンを併設していて、愛犬と一緒に入れるのがいい。
以前書いたように
「晴耕雨読」って言葉が言葉があるけど、自分の場合は、どちらかというと土いじりより、工作が好きなので、「晴工雨読」だよなあ。なんて、思う。
20年前に宇野さんという知る人ぞ知る焙煎名人と出会ってしまったので、ぼくのコーヒーの評価は厳しいから、コーヒーにはまだまだ改良の余地があるように思えるけど、温かい雰囲気とオーガニック素材のスイーツが嬉しかった。また来たいな。
SLOW COFFEEを辞して、八柱駅から電車で松戸駅に向かう。
今日と明日の二日間松戸駅近くのPARADISE AIRで「NEW MAD PARADISE」というオープンスタジオのイベントがあるのだ。
台東区の「モノマチ」の時に、台東デザイナーズ・ヴィレッジに行ったことがある人は、何となくイメージがわくかもしれない。
開いている部屋を全部回ったけど、その中でも様々なワークショップをやっているクラボというグループの人たちが一番面白かった。
クラボ

現代悠廓

やりたいことは尽きないけれど、明日死んでも後悔しない

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どうも、ぼくはアート、アートした作品よりもその場で連れて帰りたくなるようなクラフトに惹かれるらしい。

気持ちのいい若者たちと、気持ちの良い会話が弾んで、あっという間に帰りの時間になってしまった。
ほんの数年前まで停滞したイメージのあった松戸が寺井元一さんという一人の若者の出現で、どんどん変貌しているのは面白いけど、彼を見ていて、町と関わってうまくいかないことを人のせいにしてはいけないと、少し反省。
そして、昨日のエントリで書いたように東京は最先端文化の発信地の地位を徐々に周辺の町に譲ってゆくように思える。即、松戸がそうなると言うわけじゃないが、希望のつぼみが膨らみ始めていることは間違いない。

そう言えば今週、松戸を含む江戸川周辺の葛飾エリアを歌い込んだ曲を探していたら、ちょっと古いけど大変な名曲を発見した。今までこのバンドを知らなかったことが恥ずかしい。「トーキョーから少し離れたトコロに住み始めて〜」というフレーズが、いまのぼくの気分にしっくりとなじむ。
ここ数日、この曲にぞっこん惚れ込んで、毎日数回聴いている。
カーネーションの「EDO RIVER」

21世紀は信じられないほど地価の高い東京都心から少し離れた場所に、最先端文化の中心が移ってゆく、そんな気がしてならない。

今週は月曜日からずっと田中康夫『33年後の何となくクリスタル』(いまクリ)を読み耽っている。
日本文学研究者のロバート・キャンベルが「もとクリ」と名付けた33年前の『何となくクリスタル』に比べて、ものすごく重い。

33年間の著者の人生の重みが、見事に作品に投影されていて、重いけれども、深くて美しい。
偉い先生から牽強付会だって怒られるかもしれないが、永井荷風がちょうど今の田中康夫と同じ57~58歳で発表した『濹東綺譚』を読んだときの感覚に似ている。

「いまクリ」の末尾にある膨大な註は、『濹東綺譚』の「作後贅言」と同様、註の役割を超えて、作品そのものを構成する重要な要素。

作者の分身(いまクリではヤスオ、荷風は小説家・大江匡)が、謎めいたミューズに翻弄されるところまで、よく似ていて、荷風好きのぼくにとっては、「いまクリ」と、これから長いつきあいになる予感がある。

という感じで、今週は頭が「何クリ」になっているので、金曜日に都心に出たついでに、作品の舞台にもなっている神宮前から渋谷辺りをウロウロしてみた。
雪がちらついて、人通りもまばらな、朝の明治通りを歩くと、著名デザイナーの洋服屋や外資の食べ物屋が目立つ。

「元クリ」が出た頃、この辺りは最先端文化の発信地で、日本のどこにもない垢抜けた雰囲気があった。
いまはどうなんだろうな。いろいろ考えながら歩いているうちに、渋谷・原宿・六本木・青山・代官山界隈がかっこいいと信じ込んでる感性の方が、かっこ悪いように思えてきた。
さらに、東京オリンピックの当時、原宿から渋谷まで電車で走ると、競技場以外は空き地の目立つ、山手線沿線でも一番都市開発が遅れている、空き地の目立つだった記憶が蘇ってきた。この町は、新宿の近所で、原っぱが多いから「原宿」と名付けたのだろうと、子供心に納得した記憶がある。

そんな鄙びた町に注目して、若いクリエーターたちがセントラルアパートのような場所に集まった1960年代~70年代、この辺りはピカピカに輝いていたはず。その輝きの中で「元クリ」の登場人物たちも躍動していた。
古くはニューヨークのソーホー地区、最近ではポートランドのように、自立したクリエーターが、自分たちで町の魅力を掘り起こして、新しい価値を付与してゆく。そして、不断に活動してゆく。だからかっこいい。
オリンピックの時代から50年経過し、すっかりブランド化した町に、お金持ちの企業が店を出している風景を見ても何も感じない。

ちょっと高級なSCを歩いているような気分。

全然面白くない。

21世紀は信じられないほど地価の高い東京都心から少し離れた場所に、最先端文化の中心が移ってゆく、そんな気がしてならない。

ボブ・ディラン「時代は変わる」

2015年1月24日 (土)

そして、死の商人やハゲタカファンドのような守銭奴だけがアメリカ人じゃなく、ラジカルなユニテリアンのエマソンやソーローやその末裔たちが作っているアメリカもあるってことを、今のような時代だからこそ、強く意識する必要があるんじゃないかな。

シリアで日本人人質事件が起きて、日本の首相は「テロに屈しない」とか、アメリカの大統領のように勇ましいことを言ってますね。

アベ某は超大国アメリカにくっついていけば、楽ちんで安心だって思ってるみたい。

だけど、アメリカと日本の関係って、本来、そんなに単純な親分、子分の関係じゃなかったでしょってのが、いまの気分なのです。
これまで良好だったイスラム諸国と日本の関係を壊すことないのに、なんで自国民が人質になっているのに、日本の首相がイスラエル国旗の傍らで演説しなきゃいけないのか。不思議でたまりません。

古賀茂明さんがTVで言ったように、ひょっとして、アメリカと一緒になって戦争したくて仕方ないのかしら、なんて疑ってしまう自分が悲しい。

そう言えば中学生時代に学校の推薦図書で岩波新書の『死の商人』て本を読んだな。
いまどき、中学生にあんな本を読ませたら、保守派のつもりの父兄が騒ぎ出すかもね。
だって、戦争することで儲けるサイテーの商人たちの話だから。

アメリカと対立しながら、50年かけて、とうとうアメリカを屈服させたキューバという国を見ていると、ホントにしたたかだなって思うし、日本と同じ敗戦国のドイツを見ても、ずっと自立している。

日本だって、昭和の御代は、今よりずっと保守政治家がしっかりしていたから、今ほどアメリカの言いなりじゃなかったと思うな。
当時の為政者は自国民を守るために誠心誠意、努力していたからこそ、自民党政権が長く続いたわけでして。
愛国者とネトウヨの皮を被ったグローバリストや、新自由主義者ではない、ホントの保守政治家よ、頑張れとエールをおくりたい。

政治のことはさておき、心の奥の一番深い所で、ぼくはアメリカという国が好きだよなあって、最近改めて思っていて、それはどうしてなんだろうって考えてみた。

『グレイト・ウェイブ』っていうこの本、全部読んだわけじゃないけど、とても素敵な日米交流史の本で、アメリカ文化が日本に一方的に流れ込んでいるわけではなく、アメリカ文化の底流にどれほど深く日本文化が流れ込んでいるのかが語られている。

スティーブ・ジョブズが禅に影響を受けたって言うのは有名な話だが、アメリカっていうのは、ピルグリム・ファーザーズに代表されるピューリタンのキリスト教以外に、様々な日本文化の影響も流れ込んで、形成されてきたのも事実なんだと知って、目から鱗が落ちた。

そして、死の商人やハゲタカファンドのような守銭奴だけがアメリカ人じゃなく、ラジカルなユニテリアンのエマソンやソーローやその末裔たちが作っているアメリカもあるってことを、今のような時代だからこそ、強く意識する必要があるんじゃないかな。

単純な反米とか親米じゃなくて、様々な視点から、アメリカという国を再認識しないといけないと思う。

そんな多面体のアメリカを知るには、必読の文献が評論家犬養道子大絶賛の岩波『原典アメリカ史』。
犬養道子自身の著作では『私のアメリカ』が基本文献で、そのほかにも数冊出ている。

自由主義的保守主義者犬養道子に駄作なし。
還暦近くなった今、振り返ってみると、20代の一番感受性が豊かな時期に、浴びるほど犬養道子の本を読んだことが、自分の思想の骨格になっているように思える。
高齢でもう出て来られないのかもしれないけど、現在の日米関係をどう考えているか、こんな時期だからこそ意見を聞きたい気もする。

久しぶりに固い話題で、終始してしまったから、最後はグラム・パーソンズの「ホット・ブリトー#1」でいこう。
早世したからイーグルスのようなビッグ・ネームになれなかったけど、この人はまごうことなきロック界の天才児だったと思う。

2015年1月18日 (日)

松戸を示すMAD CITYって、一見奇をてらった言葉は、例えば、ポートランドについて語られる時の合い言葉。「KEEP PORTLAND WEIRD」に通じるのかなって考えてみた。

金曜日は前日の雨空とうってかわり、天気もよくて、暖かい冬の日。
一年のうちで、こういう日が一番好きだ。
定期診察を終えて、みさと健和病院からバスに飛び乗って、松戸駅に向かい、途中下車して、工作室アルタイルに立ち寄った。
最近は「クラフト」とか「DIY」という言葉を見ると、ワクワクする体質になっている。
まして地元の松戸で、我孫子出身の若い女性がDIYの楽しさを広めようとして作った面白空間である。長く続くように、応援したい。

Photo

店主の佐々木さんからいろいろ話を聞いて、ますます興味津々だけど、まずは工作室を自分で使ってみて、レポートをしてみたいと思う。

工作室アルタイル

アルタイルを辞して、ブックオフで本を3冊購入し、一気にカバンが重くなったので、あちこち動き回るのを諦めて、いつもの軍次屋で1000円贅沢ランチにする。
松戸中心部を深掘りすることにしたので、午後から変貌する松戸の象徴とも言える不思議な不動産会社「まちづクリエイティブ」の事務所を訪問した。

Mad_city

実は本音を言うと、ぼくは今まで「MAD CITY」というコンセプトも、株式会社まちづクリエイティブも、あまり信用していなかった。代表の寺井さんは地元の人じゃないみたいだし、松戸で稼いで、飽きたらさっさと他の町に移るだろうから、松戸や葛飾エリアへのこだわりもないのだろうと思っていた。

そんな中途半端な気持ちで訪れた事務所だったけど、店頭に「ZINE MAD CITY」という小冊子が置いてあることに、強く惹かれた。

Mad_city_zine

「クラフト」や「DIY」という言葉同様、最近「ZINE」という言葉に強く反応してしまう。

ZINEについてぼくの下手な説明より、雑誌「スペクテイター21号」に載っている定義を紹介しよう。

ZINEと書いて「ジーン」と発音する。個人または少人数により自主的に発行された少部数の出版物。どこかで拾ってきたような図版とタイプライター文字を切り貼りして作った「版下」をゼロックスでコピーして、ホチキスで留めて「製本」した冊子というのが一般的なZINEのイメージだろうか。

寺井さんのZINEを一読して、渋谷から松戸に向かった経緯など、ちょっと分からないところもあったけど、(というのもぼくが高校時代足繁く通った渋谷は70年代前半の渋谷で、寺井さんの生まれる前だから)「実はそうやってつくりあげたMAD CITYは最後は解けてなくなるべきだと思っていたりする」という爽やかな言葉に、強く共感した。

松戸を示すMAD CITYって、一見奇をてらった言葉は、例えば、ポートランドについて語られる時の合い言葉。「KEEP PORTLAND WEIRD」に通じるのかなって考えてみた。

ポートランドのスローガン的な言葉として「KEEP PORTLAND WEIRD」というものがあります。「ずっとヘンテコなままでいようよ」という意味です。

ポートランドの人々は自分たちの街がヘンであることに誇りを持っています。それは、ローカル意識を強く持っているとも言い換えられます。そんな彼らの強い地元愛がポートランドをさらにユニークにしている気がします。

ルーミーというサイトからの引用である。

みんなで集まって創造都市「ポートランド」の魅力について考えてみたよ

寺井さんは「MAD CITYって、僕らも含めて松戸に新しく来た変な若手のコミュニティ、のことなんだよね」と書いているが、ぼくの2015年は若手に限らず、葛飾エリアのWEIRDな奴を見つけて、話を聞いて、紹介して行きたいって考えている。

アメリカを代表するWEIRDなおじさんヴァン・ダイク・パークスの”Opportunity for Two”

2015年1月12日 (月)

四七歳になって保母の資格取得のための勉強を始め、「つくし保育園」という保育所を自ら作った、かねさんの人生を知って、三郷という町の、あのリベラルな風土はこういう人たちが作り上げてきたのだと、わかった。

皆さんは三郷市と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
ぼくは1988年から2004年まで16年間、この町の北部で暮らしたのだが、当時は低湿地帯でカエルや蛇や水鳥が多く生息していて、犬の散歩が楽しい場所だった。
その反面、三郷団地や早稲田団地といった大規模な公団の団地以外は、人家もまばらで、
引っ越した当時は買い物に苦労した。
元は寂しい農村で、歴史はあるかもしれないが、固有の文化も何もない、そんな町だと思っていた。
ぼくが転居してから、わずか10年で、この町は大きく変貌し、僕が住んでいたマンションの近所には、ららぽーとやコストコやイケアといった大規模商業施設が建ち並び、鄙びた町の面影はすっかり消えてしまった。
スーパービバホーム三郷とイトーヨーカドーを中心としたピアラシティもあるから、クルマで行く大規模商業施設の町ってのが現在のパブリック・イメージかな。

ところが、松戸に引っ越して、三郷という町での暮らしを振り返ってみると、いまぼくがやっていることや考えていることの、原点はこの町で体験したことに根ざしているように思えてきた。
三郷の北部は1970年以降に引っ越してきた住民が圧倒的に多いので、まるでフロンティアで、過去にこだわることなく、新しい町で共同して新しい暮らしの流儀を育てて行こうという気風が強く、自分の中にも自治意識が芽生えた。
そんな町で、仲間たちといまでいうマルシェをやったり、スポーツクラブのNPOを作ろうとしたり、市役所と挙動で情報誌を作ったりした。
かみさんは自主運営の幼児教室「風の子園」の副代表をやった。

みさと市幼児教室風の子園

那須で風の子園のお父さんたちと力を合わせて山小屋づくりをやるなんて芸当が自然だったのも、三郷という町の魔力だったように思える。
因習にとらわれない、開放的な、ひとことで言えば、リベラルな風土が三郷の魅力だったと、
10年経って、やっと気がついた。

土曜日、高齢化社会や被爆の問題と取り組む大場敏明医師率いる医療法人財団アカシア会のファミリーコンサートがあるというので、三郷市文化会館のコミュニティ・レストラン「青いそら」を訪ねた。

「青いそら」については5年前に書いたことがある。

三郷早稲田の新名所レストラン「青いそら」

アカシア会

クラシックギターと鍵盤ハーモニカとゴスペルのコーラスによるコンサートは素晴らしかったけれど、それよりも、強く印象に残ったのが、そのコンサートが昼間かねさんというおばあちゃんの自分史本の出版記念コンサートだったこと。

Photo

四七歳になって保母の資格取得のための勉強を始め、「つくし保育園」という保育所を自ら作った、かねさんの人生を知って、三郷という町の、あのリベラルな風土はこういう人たちが作り上げてきたのだと、わかった。この素晴らしいイベントを企画した大場敏明医師の存在も強く印象に残った。

生まれて以来、首都圏を転々として、特定のふるさとを持たない、故郷喪失者のぼくにとっては、祖父や祖母の思い出の残る茨城と並んで、もしかすると三郷が「心のふるさと」と言えるのかもしれないと考えたら、ちょっと嬉しくなった。

那須の山小屋づくりで疲れて、爆睡する仲間を乗せ、クルマで三郷インターを降りて家路を急ぐとき、何故かいつもこの曲が心に浮かんだ。たくさんのカバーバージョンがある曲だけど、ぼくにとってはこのティモシーのバージョンが特別なもの。ずっとずっと愛聴する名曲だ。

2015年1月10日 (土)

マロリ・フロムの『宮沢賢治の理想』という本を読んでから、モリスと賢治という把握の仕方があることを、おぼろげながら感じてはいたけど、モリスから宮沢賢治という流れで大正から昭和初期の労働問題について考えるところまでは思い至らなかった。

3年前に戦前最長と言われる昭和2年から3年まで続いた野田醤油(現キッコーマン)のストライキに関する本『ぼくたちの野田争議』を書いた。

その本の原稿を書いている時からずっと、あることを考え続けている。
それはこういうこと。

野田醤油の労働者を共産主義の切り口で資本家対プロレタリアの対立という図式で把握するのは、どうも合点がいかない。だから、視点を少し遠くに置いて、争議の調停にあたった協調会と労働総同盟本部、具体的には添田敬一郎と松岡駒吉という人物に力点を置いて、『ぼくたちの野田争議』執筆の際の基本姿勢とした。
労働運動そのものが嫌いな保守派からも、教条的な共産主義を信奉する人たちからも距離を置いたから、一般受けはよくない本になったなあと思う。
特に、左翼系の人たちは、会社側の横暴を糾弾するような内容を期待していたハズで、労働者の立場や気持ちが描かれていないという指摘が多かった。

けれど、当時の僕はいくら考えても、プロレタリアとは思えない従業員たちを近代的な意味の労働者と捉えることは出来なかったから、ひとまず自分なりの結論が出来るまでは、次の仕事に取りかかれなかった。

今年、中学高校時代の恩師からもらった年賀状に、久しぶりに小説を書いてみないかと書いてあった。
事件から90年近く経過して、当時の労働者の立場や気持ちをノンフィクションで書くことは、もう誰にも出来ないように思える。
だけど、自分なりの仮説を立てて、小説という形で、労働者の気持ちに寄り添ってみることは出来るかなあと思う。

宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」という短い作品に、

「芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ」

という文章がある。
仙台羅須地人協会の人たちと交流しているうちに、野田争議に参加した、1896年(明治29年)生まれの賢治と同世代の労働者たちを、賢治という希有な思想家の目を通して捉え直すことは出来るのかな、なんて考えるようになった。

マロリ・フロムの『宮沢賢治の理想』という本を読んでから、モリスと賢治という把握の仕方があることを、おぼろげながら感じてはいたけど、モリスから宮沢賢治という流れで大正から昭和初期の労働問題について考えるところまでは思い至らなかった。
上記の『賢治とモリスの環境芸術』を書いた大内秀明先生との予期せぬ出会いの賜物かなと思う。

あ、ずいぶん長文のエントリになってしまった。

今日はひとまず、ここまで。

こんな寒い日によく似合う名曲を華やかなサー・ローランド・ハナ・トリオのバージョンで聴いてみよう。

2015年1月 1日 (木)

みんなの心の中に、偏狭で幼稚なナショナリズムではなく、健全な愛郷心の種をまいてみたい。

大好きだった連続テレビ小説『花子とアン』の番外編をやるっていうので、久々に紅白歌合戦を見てしまった。
美輪明宏の「愛の賛歌」は見たかったけど、演歌歌手は坂本冬美くらいしかわからないし、名前も知らない若い歌手も多くて、あまり期待せずにダラダラと見ていて、終盤に差し掛かったところで登場したのがサザン・オールスターズ。
決して嫌いではないが、深い思い入れもなく、アルバムを買ったことのないバンド。
ほぼ同世代なので、汚い格好で「ザ・ベストテン」に初登場したときから覚えてる。
ルックスも冴えないし、どことなく素人くさい感じがして、好きな曲もあったけど、特にファンではなかった。
そんな僕だから31年ぶりの紅白出演という感慨もなく、「ピースとハイライト」という曲が始まった。確かフォルクスワーゲンのコマーシャルソングだったっけ、程度の認識で。
そして、その曲が終わった瞬間に、ぼくはサザンの大ファンになっていた。
チャップリンが演じたヒトラーを連想させる桑田佳祐のチョビ髭、風刺の効いた歌詞、そこに鬼気迫るものを感じて、聴いているうちに、目頭が熱くなった。
多くの国民が見る番組で、全く萎縮せずに真っ正面から、為政者たちを批判する歌をうたうサザンの勇気はかっこよすぎる。
イラク戦争に反対して、「イマジン」を歌ったニール・ヤングを見た時と同じように、ゾクゾクした。
久々に、ホント久々に、メジャーな日本人アーティストにロック魂を感じた瞬間でした。

これで、もう二度とサザンが紅白に登場することはないかもしれないけれど、歌う前に「還暦を過ぎたメンバーもいるから云々」とコメントした桑田さんの断固たる決意のようなものがヒリヒリと伝わってきて、僕は死ぬまで、昨日の演奏の衝撃を忘れないだろう。

戦争をせずに、国土と国民の命と財産を守るすべを考えて実行するのが、古今東西を問わず上質な政治家。国民の不満を外へ向けることで、内政の失敗を誤魔化すのは最低の政治家。近隣の国の為政者たちが、もしそうだったとしても、日本まで同じレベルの為政者に全権委任する必要など、これっぽっちもないし、みんなの心の中に、偏狭で幼稚なナショナリズムではなく、健全な愛郷心の種をまいてみたい。
近隣の全体主義体制とは違う自由主義国家の住民としてプライドを持って、真っ直ぐ前を向いて歩いてゆきたいって、強く思う。
今年は、サザンに刺激されて熱い元旦になった。
一年の計は元旦にありってことかな。

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