所属する団体と仲間たちのリンク

無料ブログはココログ
フォト

« みんなの心の中に、偏狭で幼稚なナショナリズムではなく、健全な愛郷心の種をまいてみたい。 | トップページ | 四七歳になって保母の資格取得のための勉強を始め、「つくし保育園」という保育所を自ら作った、かねさんの人生を知って、三郷という町の、あのリベラルな風土はこういう人たちが作り上げてきたのだと、わかった。 »

2015年1月10日 (土)

マロリ・フロムの『宮沢賢治の理想』という本を読んでから、モリスと賢治という把握の仕方があることを、おぼろげながら感じてはいたけど、モリスから宮沢賢治という流れで大正から昭和初期の労働問題について考えるところまでは思い至らなかった。

3年前に戦前最長と言われる昭和2年から3年まで続いた野田醤油(現キッコーマン)のストライキに関する本『ぼくたちの野田争議』を書いた。

その本の原稿を書いている時からずっと、あることを考え続けている。
それはこういうこと。

野田醤油の労働者を共産主義の切り口で資本家対プロレタリアの対立という図式で把握するのは、どうも合点がいかない。だから、視点を少し遠くに置いて、争議の調停にあたった協調会と労働総同盟本部、具体的には添田敬一郎と松岡駒吉という人物に力点を置いて、『ぼくたちの野田争議』執筆の際の基本姿勢とした。
労働運動そのものが嫌いな保守派からも、教条的な共産主義を信奉する人たちからも距離を置いたから、一般受けはよくない本になったなあと思う。
特に、左翼系の人たちは、会社側の横暴を糾弾するような内容を期待していたハズで、労働者の立場や気持ちが描かれていないという指摘が多かった。

けれど、当時の僕はいくら考えても、プロレタリアとは思えない従業員たちを近代的な意味の労働者と捉えることは出来なかったから、ひとまず自分なりの結論が出来るまでは、次の仕事に取りかかれなかった。

今年、中学高校時代の恩師からもらった年賀状に、久しぶりに小説を書いてみないかと書いてあった。
事件から90年近く経過して、当時の労働者の立場や気持ちをノンフィクションで書くことは、もう誰にも出来ないように思える。
だけど、自分なりの仮説を立てて、小説という形で、労働者の気持ちに寄り添ってみることは出来るかなあと思う。

宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」という短い作品に、

「芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ」

という文章がある。
仙台羅須地人協会の人たちと交流しているうちに、野田争議に参加した、1896年(明治29年)生まれの賢治と同世代の労働者たちを、賢治という希有な思想家の目を通して捉え直すことは出来るのかな、なんて考えるようになった。

マロリ・フロムの『宮沢賢治の理想』という本を読んでから、モリスと賢治という把握の仕方があることを、おぼろげながら感じてはいたけど、モリスから宮沢賢治という流れで大正から昭和初期の労働問題について考えるところまでは思い至らなかった。
上記の『賢治とモリスの環境芸術』を書いた大内秀明先生との予期せぬ出会いの賜物かなと思う。

あ、ずいぶん長文のエントリになってしまった。

今日はひとまず、ここまで。

こんな寒い日によく似合う名曲を華やかなサー・ローランド・ハナ・トリオのバージョンで聴いてみよう。

« みんなの心の中に、偏狭で幼稚なナショナリズムではなく、健全な愛郷心の種をまいてみたい。 | トップページ | 四七歳になって保母の資格取得のための勉強を始め、「つくし保育園」という保育所を自ら作った、かねさんの人生を知って、三郷という町の、あのリベラルな風土はこういう人たちが作り上げてきたのだと、わかった。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« みんなの心の中に、偏狭で幼稚なナショナリズムではなく、健全な愛郷心の種をまいてみたい。 | トップページ | 四七歳になって保母の資格取得のための勉強を始め、「つくし保育園」という保育所を自ら作った、かねさんの人生を知って、三郷という町の、あのリベラルな風土はこういう人たちが作り上げてきたのだと、わかった。 »

最近のトラックバック

最近の記事

最近のコメント

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31