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2014年11月 8日 (土)

ひとつの家族の小さな歴史に、戦後日本の様々な社会問題が影を落としていることを、改めて今痛感している。

昨日、毛利嘉孝『はじめてのDiY』を読了。

iの字が小文字になっているのがミソで、DiYはお父さんの日曜大工という意味じゃなく。
著者はこんなふうに説明している。

DiYはそんな競争はくだらないから降りよう、という思想です。
やんなくてもいいし、がんばらなくてもいいし、戦わなくてもいいし、勝たなくてもいいし、(もちろん)買わなくてもいい。
けれども、そんなことしなくても、別の、とっても豊かな生活がじつは存在するんだ、ということに気づかせてくれるのがDiYなのです。
(中略)
お金を使わないこと ー 商品が支配する世界に従属しないことが、DiYの精神なのです。

そして、様々な事例が紹介されているが、自分たちの手で、おもしろい生活を作っていこうという点では共通していると言う。
ぼくの知らないミュージシャンやアーティストや思想家の名前が、続々と出てきて、戸惑ってしまうのだが、不思議と気分良く最後まで読めてしまった。

本に出てくる名前は、新しいけれど、全体を通して読んでみた感覚が何か、とても懐かしく、ありていに言えば、百姓だった母方の祖父のライフスタイルそのまんまじゃないかと思う。

奉公先の土浦の商家の婿になるハズだった明治生まれの祖父は、農家の三男だったがアクシデントが重なり不本意にも実家の跡取りになった。
ぼくが子ども時代に接した祖父は、江戸期後半に建てられた藁葺き屋根の家に君臨する「小さな王国」の主だった。
家には奉公人をはじめ、常に誰か他人が出入りして、村人たちがシェアするサロンになっていた。午後3時になると、決まって近所の仲良しが集まってきて、軽く熱燗を呑みながら、語りあう風景を今でも思い出す。

そして、暮らしに必要なほとんどのモノは自ら作り出したり、お裾分けでもらう。
風呂やかまどで使う薪も、裏山にいけばいくらでも手に入った。
五右衛門風呂の脇の薪小屋の前でナタを使って、薪を作る姿をよく見かけたっけ。
プロパンガスのコンロはあったが、使うのはやかんでお湯を沸かす時くらいだった。
ぼくが遊ぶオモチャも、水鉄砲やたこ揚げのたこや、竹馬など、すべて祖父が作ってくれた。
いつも不機嫌そうで、無口で、怒ると怖い祖父だったが、びくびくしながらも、ぼくは祖父と一緒に、舟で霞ヶ浦に出て、自分の出来る範囲で、漁の手伝いをするのが楽しみだった。
子ども時代のぼくは、叔母に連れられて、東京と茨城を往復する生活だった。

自分が呑む酒の肴も全て、自分で調理し、おでんや蒲鉾は、魚肉以外に入っているつなぎが気にくわないらしく、終生口にしなかった。
身体が強すぎて、並の酒では酔えないたちなのか、ウィスキーの焼酎割という信じがたい飲み物を作って呑み、酔ったときだけ優しい言葉をかけてくれた。
自分の価値観や美意識に合わないことは「へんてもねえ」の一言で、一刀両断にしたから、子どもだったぼくにはうかがい知れない所で、家族との軋轢もあったのかもしれない。

高度経済成長の影響が茨城の農村まで及び、昭和四十年代に入って変貌する周辺環境の中で、祖父の「小さな共和国」は解体し始め、家は建て替えられ、不要品となった古い道具たちは処分され、徐々に自分の流儀を貫くことが難しくなっていった祖父の晩年は寂しいモノだったと思う。

今朝、そんな祖父の長女だった叔母が亡くなった。
大正15年生まれの叔母も、跡取りだった長男が早世したため、祖父同様、不本意にも農家の跡取りになった。
頭脳明晰だが、農家の跡取り故、女学校には行かせてもらえず、成人してから洋裁を志して、戦後の一時期東京で暮らしたことのある叔母は、どこか農村暮らしが板に付かないところがあった。祖父が作った「小さな王国」に反発する気持ちがあったのかなあと、今になって思う。
二人の娘を文化服装学院に通わせ、農家だった家を縫製工場に変えたのも、自分の夢を追いかけた結果だったのかもしれない。
そして、その縫製の仕事も、安い中国産衣料に市場をとられて、隆盛だった往事の面影はない。

DIYについて書き始めたのに、脱線してしまった。たぶん叔母の逝去によって、自分の中のある時代が終焉した。それほど大きな出来事だということだと思う。ひとつの家族の小さな歴史に、戦後日本の様々な社会問題が影を落としていることを、改めて今痛感している。

天国に旅立つ叔母にはこの曲を送ってあげよう。
グラム・パーソンズ「ブラス・ボタンズ」

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