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2014年7月

2014年7月28日 (月)

新しい蔵書空間を作りたいので、2年ぶりの曝書をしたら、脳みそまでリフレッシュした感じだ。

金曜日、土曜日と連日、土浦に出かけて、今日も出かけて、3連休をとったのに、
慌ただしい三日間。
ブログを書く暇もなく、もう23時すぎだ。
30数年ぶりに高校時代の部活仲間と会うことになったり、
全く新しい人との出会いがあったり、
毎日がダイナミックに動いていて、なんだか先が読めない状況になっている。
けれども、歳をとった分だけ、賢くなって、軸足がぶれないから周りがよく見える。
曝書という言葉があって、本を日干しすることらしい。
転じて、本棚の整理を行うことも曝書の一つ。
こんど、新しく仲間と本を作ることになりそうだ。
この2年間、曝書をせず、何をやろうか、ウダウダしていたが、やっと方向が決まった。
新しい蔵書空間を作りたいので、2年ぶりの曝書をしたら、脳みそまでリフレッシュした感じだ。
ちょっと疲れたので、今日はここまで。

BGMは一緒に本を作る仲間が好きだって言ってくれたバッファロー・スプリングフィールドの「オン・ザ・ウェイ・ホーム」を、ニール・ヤングのソロライブバージョンで。
こうして静かに真夏の夜は更けてゆくのです。

2014年7月21日 (月)

細野さんのバックでコーラスをつけた大瀧詠一さんが亡くなって初めての夏は、この歌もまるで鎮魂歌のようにきこえてしまう。

毎年、夏が来ると、この曲が聴きたくなる。
はっぴいえんどの「夏なんです」

このブログでも、何度も登場しているような気がする。
まあ、MY歳時記ってことで、ご了承ください。
これ、聴かないとぼくの夏が来ないのです。

たしかはじめて聴いたのが、はっぴいえんどが解散した年。16歳の夏だったと思う。
そう考えると、もう40年以上も聴いているのか。

子どもの頃、夏休みになると茨城の田舎で一ヶ月以上過ごした。
この歌を聴くと、そんな子ども時代の夏休みの光景が心に浮かんで、切ない気持ちになる。
松本隆が描く心象風景が見事。

霞ヶ浦の上空には、「もんもんもこもこの入道雲です」

細野さんのバックでコーラスをつけた大瀧詠一さんが亡くなって初めての夏は、この歌もまるで鎮魂歌のようにきこえてしまう。

もうすぐ、「ぎんぎんぎらぎらの夏なんです」

2014年7月20日 (日)

水丸さんのお陰で、土浦を歩いて、びびっとくるモノを感じ、それ以来、ワアワア言ってるのが、単なる地元びいきとは違うんだって、再認識した。ちょっとうれしい。

安西水丸さんが亡くなって4ヶ月あまり、このところ出版が相次いでいる。

先週は会社の近所の本屋で、アンソロジーを購入。

水丸さんの本て、他にはどんなのがあったっけって、いろいろ調べて発見したのが
遺作のような感じで出版された『ちいさな城下町』というエッセイ集。

こんな書き出しで始まる。

旅の楽しみの一つとして、何処か地図で城址を見つけ、そこを訪ねることがある。たいていの城下町には城址があるわけだが、ぼくの城下町の好みは十万石以下あたりにある。そのくらいの城下町が、一番それらしい雰囲気を今も残している。

九万五千石の土浦は、まさにそんな町だ。
城下町という歴史が作り出す家並み、神社仏閣、人々の暮らし、祭り、今はただひっそりと佇む城址。あちこちと旅をしていて味わうことの楽しみはこんな城下町に巡り会うことだとおもう。村上もそんな町の一つだ。ちいさな城下町だからこそ残っている、そんな風情を楽しみたい。

ものすごく、わかる。
ぼくが去年の9月のよく晴れた日に40数年ぶりに土浦を訪れた時、感じたこと、そのままだ。
土浦の章を見る。

案内所でいただいた「土浦古絵図」は、ロンドンの地下鉄マップを越えるほど素晴らしものだった。手にした瞬間、街歩きが楽しみになった。この地図は土浦の快挙だ。

水丸さんのお陰で、土浦を歩いて、びびっとくるモノを感じ、それ以来、ワアワア言ってるのが、単なる地元びいきとは違うんだって、再認識した。ちょっとうれしい。
そして、土浦以外に残り19箇所紹介されているちいさな城下町も、いつか機会があれば、訪ねてみたい。楽しみがまたひとつ増えた。

落ち着いた佇まいの、ちいさな城下町で聴いてみたい名曲。
あまりにも有名だけど、たまにはこんな選曲もいいでしょ。
ビル・エバンス「マイ・フーリッシュ・ハート」

2014年7月19日 (土)

そんな活版の魅力が、このカチクラエリアという町の魅力にも通じていて、 全国的に有名な浅草や上野といった繁華街の陰で、地味な存在だったこのエリアが、俄然渋い、いぶし銀の魅力を発揮し、この数年存在感を増しはじめている。

きのう、会社に出入りしている印刷屋さんと四方山話をしていたら、
びっくりするような話が出てきた。

デジタル印刷システムの品質レベルが上がっているので、従来オフセット印刷で刷っていた名刺をプリンターに置き換えるというのだ。

水と油を使うオフセット印刷よりも、色むらが出にくく(当たり前だ)、オンデマンドで対応出来、少部数の印刷ならコストも安くあがるということで、今後、オフセット印刷は徐々に消えて行く運命だとか。
どうやっても、オフセット印刷の品質が最高で、プリンターなど適うはずがないと思っていたのに……。

消えて行くといえば、ちょっと前なら活版印刷の話と相場が決まっていた。

ところが、本日の朝日新聞夕刊を見ると「活版印刷じわり再評価」とある。

年二回、御徒町から蔵前あたりのカチクラエリアで開催される「モノマチ」というイベントに行くと、活版印刷が元気なのに驚く。

いただく名刺がどれも活版。

この町では、いまも活版が標準なのだ。

モノマチ

スマートだけど、どこか水っぽいオフセットと違って、しっかりと紙に圧着する活版は、人間くさい温もりが感じられて、古いのに、新鮮な魅力がある。

そして、そんな活版の魅力が、このカチクラエリアという町の魅力にも通じていて、
全国的に有名な浅草や上野といった繁華街の陰で、地味な存在だったこのエリアが、俄然渋い、いぶし銀の魅力を発揮し、この数年存在感を増しはじめている。

派手な成功ではないけど、日本全国の古い町が生き残ってゆくためのお手本に出来る事例のように思える。

いぶし銀の魅力で思い出したのがこの曲。
イーグルスもカバーしたトム・ウェイツ 「Ol' 55」

2014年7月16日 (水)

残り少ない梅雨を満喫しようね。夏が苦手な雨男、雨女の皆さん。

梅雨が明けそうで明けない、真夏のほんの少し前の時期。
実は、この時期が大好き。

自分の誕生日もこの時期で、先日またひとつ年齢を重ねた。
高月美樹さんが手がけた『和暦日々是好日』を開くと、
「第三二候蓮の花、はじめて開く」とある。
Facebookでも、知人から蓮の花を見に行ったなんて、便りが届く。

四季折々、様々な季節感を味わえる日本という国に生まれたことに、
感謝する気持ちが年々強くなっている。
季語のある俳句など、若い頃はちっともいいと思わなかったのに、いまは心惹かれる。

祇園会や 錦の上に 京の月     子規

京都では祇園祭が行われる時期だという。
きっと、ひとは生きてゆくうちに、たくさんの記憶が積み重なってゆく。
そして、その記憶の断片を手がかりに、五七五の十七文字から心の中で美しい風景が
立ち上がるようになるのだろう。
こうやって少しずつ,少しずつ大人になってゆく。
今はスマホばかりいじっているように見える若い人たちも、きっと歳とともに変わってゆく。
そんな気がする。

先週まで、激しく仕事をしていて、季節の変化を感じる「心のゆとり」を失っていた。
久しぶりに、ウィークデイにブログを書いてみたくなったのも、
その「心のゆとり」を取り戻しつつあるから。

残り少ない梅雨を満喫しようね。夏が苦手な雨男、雨女の皆さん。
こうもり傘片手に、さあ外に飛び出そう。

解散直前だったシュガーベイブのライブ「雨は手のひらにいっぱい」のリンクを張ります。

2014年7月13日 (日)

著者は大学教授で、男性だとわかったけど、最初は女性が書いているのかと思った。 それは見事なだまし方で、こういう、著者にはめられる感じが心地いいのです。 それ自体が文藝評論というより、遊び心満載の文学。

永井荷風に『地獄の花』という作品があります。
荷風は30歳の時に発表した「深川の唄」で、ぼくたちの荷風イメージを決定づける作品世界を確立したと言われるから、24歳の時に発表した『地獄の花』は、比較的注目されることの少ない作品でしょう。
初期の荷風は、『あめりか物語』でロザリンに恋し、男尊女卑的な価値観に怒るフェミニスト。
ストリッパーに囲まれて、にやにやしながら三味線をつま弾く、後年のパブリック・イメージとは、かなり違っている。
(本当は、根底にある世界は変化していないと思うのだが、表に出ているイメージはかなり違う。)
「花子とアン」というテレビドラマを見続けていたら、そんなフェミニンな荷風の世界。
中でも『地獄の花』を思い出してしまったのです。
岩波文庫のウェブサイトを見るとこんなことが書いてあります。

明治35年,荷風(1879‐1959)がゾライズムの影響を受けた時期の作品で,これによって新進作家として認められた.理想の人生の実現のためには人 間の動物的側面を明らかにせねばならぬという立場から,教育家の醜悪な裏面生活や,富豪の妻の不倫などを暴露して,敢然と社会悪への挑戦を試みた青年荷風 の激しい意気込みが感じられる.

自分の中にもあるガーリッシュでフェミニンな部分。
なんだか、そんなところが最近面白くてなりません。
オススメの本は千野帽子の『文藝ガーリッシュ』。

著者は大学教授で、男性だとわかったけど、最初は女性が書いているのかと思った。
それは見事なだまし方で、こういう、著者にはめられる感じが心地いいのです。
それ自体が文藝評論というより、遊び心満載の文学。

ああ、そうだ、持田叙子の『荷風へようこそ』も同じような感覚で楽しめます。
芝居っ気が強くて、持田さんに手を引かれて、ずんずん歩いているうちに、いつの間にか、花園の奥深くに入り込んでしまう。
ふと気がつくと、相当深いレベルの議論につきあわされている。

モネの「睡蓮」をあしらった表紙も見事です。
サントリー学芸賞のウェブサイトに川本三郎さんの素敵な書評が載っています。

「フェミニンな荷風」。本書はその視点をさらに深めてゆく。荷風は女性を愛したと同時に、女性たちが作り出すやさしく美しい世界を愛した。軍人に代表される猛々しい世界に対してあくまでも繊細で優美。
 こぢんまりとした庵のような書斎。小さな花の咲く隠れ里のような庭。手作りの原稿用紙をはじめ慣れ親しんだ数々の文房具。
 持田叙子さんは荷風の作品をそうした小さな世界から語ってゆく。そこから「フェミニンな荷風」を描き出してゆく。
  荷風は好色というより、女性たちの衣装(とりわけ着物)や香り、あるいは音曲がかもし出す柔らかな世界にこそ溶け込んでいたかったのだという指摘もうなず ける。『新橋夜話』の新橋の芸者たちの衣装や化粧の丹念な描写など、荷風は女性になっているのではないかと思わせるほど。荷風は軍人や政治家、権力者など から遠くはなれて、ただ女たちの遊びの世界に夢見るように浸っていたいのだ。

おっと、調子に乗って書いているうちに、長くなってしまいました。
ごきげんよう。ではまた来週。

2014年7月12日 (土)

グラミー賞に輝いた『ミズーリの空高く』など、ヘイデンの参加したアルバムを何枚か持っているけど、どれも共通したシンプルな美しさと深みを感じさせる作品ばかりだ。 ものすごく、センスのいい人だったんだと思う。

ベーシストのチャーリー・ヘイデンが亡くなったというニュースを知って、即座に思い出したのが、この曲。

リッキー・リー・ジョーンズのアルバム『ポップ・ポップ』で、冒頭を飾る My One and Only Love
リッキー・リーの儚げな声とヘイデンの太いベースの音が、ベストマッチ。
そして、夜遅くパソコンでこの曲を聴いていると、交通事故で急死した雌猫のタマ姫がやってきたことも思い出したりして。
そういやぁ、タマ姫の葬式には、ずっとこの曲が流れていたっけ。
仕事がハードで疲れ切ってしまい、そのくせ興奮して家に帰っても、深夜2時まで寝付かれず、4時間で目が覚めてしまう悪循環。
そんないまの僕にはこんな曲がうれしい。
グラミー賞に輝いた『ミズーリの空高く』など、ヘイデンの参加したアルバムを何枚か持っているけど、どれも共通したシンプルな美しさと深みを感じさせる作品ばかりだ。
ものすごく、センスのいい人だったんだと思う。
こんな作品もあったことを、いま思い出した。
アルバム『アナザーサイド』に収録された原曲が素晴らしいディランの「マイ・バック・ペイジズ」をキース・ジャレット・トリオで演奏した作品。
冒頭のベースがヘイデン。何百回聴いてもいい。
このブログのテーマMy Favorite Thingsを数え切れないほど提供してくれたベースの詩人が
逝った。
ヘイデンさん、闘病生活、お疲れ様でした。
そして、突然愛猫を失いペットロス症候群で苦しんだぼくを支えてくれて、心から感謝しています。

2014年7月 6日 (日)

この異常なメガロポリスに飼い慣らされないように、いつまでも違和感を感じる感受性を維持できるように、地方都市に、自分にとっては懐かしき記憶のある土浦に通い続けるのだろう。

まるでリゾート地のような幕末の江戸が描かれた広重の「江戸百」を見るたびに、翻っていまの東京の異常な過密都市化に、つくづく嫌気がさす。
少々過密でも、こんな白壁が並び、町中で七夕を祝うような東京なら素敵なのに。

Photo

例えば、ぼくが小さい頃住んでいた台東区の金杉地区は幕末こんな感じだった。

Photo_2

松戸に住んで、東京で仕事をするライフスタイルを続けていると見えなかったことが、土浦にひんぱんに通うようになって、よく見えてきた。

いままで、東京で育って、千葉、埼玉に住んだだけ。首都圏を出たことすらない。
松戸市は人口48万で、茨城の県都水戸市の27万のほぼ2倍。
自分のイメージでは県南最大の都市だと思っていた土浦が14万で、松戸の隣の小都市流山市の17万に比べても、3万人も少ない。

そう。地方はびっくりするほど、人が少ないのだ。
「仕事がない」というのがその主な理由だろう。
だけど、そろそろみんな疲れだしている。
いや、そんなことないか。疲れてるのはぼくだけかな。

昨日書いたガンジーではないが、この異常なメガロポリスに飼い慣らされないように、いつまでも違和感を感じる感受性を維持できるように、地方都市に、自分にとっては懐かしき記憶のある土浦に通い続けるのだろう。
こんな素敵な詩があったことを思い出した。

自分の感受性くらい

                       茨木のり子
      
      ぱさぱさに乾いてゆく心を
      ひとのせいにはするな
      みずから水やりを怠っておいて
      
      気難しくなってきたのを
      友人のせいにはするな
      しなやかさを失ったのはどちらなのか
      
      苛立つのを
      近親のせいにはするな
      なにもかも下手だったのはわたくし
      
      初心消えかかるのを
      暮らしのせいにはするな
      そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
      
      駄目なことの一切を
      時代のせいにはするな
      わずかに光る尊厳の放棄
      
      自分の感受性くらい
      自分で守れ
      ばかものよ
      

35年くらい前、大阪からレコードデビューして、あっという間に解散したスターキング・デリシャスというR&Bのバンドを思い出していたら、そんなことを書きたくなった。

ボーカルの大上留利子さんは、いまでも大阪の歌のおばちゃんとして、ボーカル教室をやっているらしい。

後年大阪から綾戸智恵が出てくるずっと前に、綾戸智恵よりずっとソウルフルな歌を聴かせてくれて、そのままずっと大阪に留まって、歌のおばちゃんとして生きている大上さんの生き方が、ぼくにはかっこよく見える。

2014年7月 5日 (土)

なにしろ主人公の谷文晁って、俺が住んでた200年前に、同じ町下谷根岸で生まれたというのだ。 そうなりゃ、もうご近所のおじさん。

このところ、江戸期土浦の教育者沼尻墨僊のことをあれこれ、追いかけていて、仲間と面白い情報が見つかると共有して遊んだりしている。

市立博物館の特別展図録に参考文献が載っていて、『森銑三著作集第三巻』「谷文晁傳の研究」とあったので、ちょっと興味を惹かれて読み始めた。
何しろ、森銑三である。
ほとんど人を褒めない永井荷風が、「森さんのような人こそ、真の学者である」と評した人物である。杉浦日向子も慕っていたという。
自分的には完全に隠居して、時間が出来たらじっくり取り組もうと考えていた江戸学の始祖。
あえて、いまは読まずに老後の楽しみに取っておこうと考えていた作家の一人。
そんな遠い将来出会うであろう巨星と突然、書物の上で、「コンニチハ」してしまったのだが、この本、なんかすごく面白い本なのよ。(って、久々の中野翠調。渋い森銑三なんか語り出すと、気分はもう中野翠。)
なにしろ主人公の谷文晁って、俺が住んでた200年前に、同じ町下谷根岸で生まれたというのだ。
そうなりゃ、もうご近所のおじさん。
ちなみにこんな顔ね。

_

希代のクリエーターっていうより、会社の人事課あたりで、給与計算してる方が似合ってる感じ。
ひとは見かけで判断しちゃ行けないって思う。

それはともかく、急に身近な人物のような親近感がわいて、もうタメグチモードである。
生まれた時代が200年ズレてりゃ同じ小学校に通ったクラスメートになってたかもね、なんて軽く肩をたたきたくなる。
とっくに消滅した俺のアパートの隣に、いまでもある石稲荷神社は、江戸期からあったから、文晁くんもお参りしたかもしれないなんて考えると、古めかしい文体で書かれた森銑三の本が林家三平のような近所の有名人の噂話のように読めるから不思議だ。
沼尻墨僊の叔父にあたる書家沼尻修平が、谷文晁と一緒に松平定信から、定信自らの作庭による庭園浴恩園での雅会に招かれた様子を伝えた墨僊あての書簡が「谷文晁傳の研究」に載っている。
浴恩園とは中央区(それにしても、この区名なんとかならぬか!京橋区と日本橋区に再分割してほしい)観光協会のサイトによればこんな名園だったそう。

Photo

現在の雑踏の巷である中央卸売市場の地は、かつて天下の名園とうたわれた浴恩園があったところです。浴恩園は、寛政四年(1792年)白河楽翁公(松平定信)が一万七千余坪の地を得て隠居した地で、園内には春風池、秋風池、池を囲む築山などがあり、まさに塵外の別天地といわれていました。旧園の跡は関東大震災で消滅し、その面影を刻んだ銅版画のみが市場内に保存されています。

沼尻修平を通じて、俺のご近所さん谷文晁と土浦の墨僊さんが繋がっている。
みんなまとめて赤い糸で繋がってるんだよ。きっと。
あっと、ノリに乗って書いているうちに、気がついたら森銑三がどっか行っちゃった。
ま、いいか。
次の機会にしよう。
今夜はパクらしてもらった返礼に、中野翠に敬意を表して、中野さんの好きなチャーリー・パーカーで行こう。

モーツァルトの「きらきら星変奏曲」。 聴くたびに心ワクワクになる名曲。 ああ、こんな曲を聴きながら「キララちゃんバス」に乗って、霞ヶ浦の上に広がる星空を眺めに行きたい。

会社の仕事で忙殺されて、ホントに死にそうなくらい体調が悪化したこの一週間。
途中まではもう何も考えられないくらい憔悴して、鬱病が始まってしまったのかと心配したくらいおかしかった。
おそらく集団的自衛権を巡るめまぐるしい政治の動きも、自分の心に微妙に影響しているのかもしれない。
だけど、こういう時こそ、メディアの報道に惑わされず、クールヘッドで日本の行く末を見つめ直す機会だとおもって、少し前に買ったけど積ん読になっていた白井聡『永続敗戦論』を熟読した。

さっき読了して、頭の中が整理されて、とても清々しい気分になった。
改憲を主張する側も、護憲を主張する側も、どちらも昭和20年の敗戦という事実に向き合っていないという点で、共通の弱さを持つという著者の主張は、昭和52年生まれという若者だからこそ書ける透徹した視点だなあと感心した。
肩から少しだけ重しがとれたような、いい気分になった。

この本の最大の価値は、保守主義の文化人として三島由紀夫と福田恆存と江藤淳を再評価している点にある。
アマゾンの書評を見ると著者に左翼などとレッテルを貼って切り捨てようとする評者がいるけど、そんな曇った眼にこの本の価値など映りやしない。

著者があとがきで引用したガンジーの言葉に心を打たれた。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」

そういえば、三島由紀夫と永井荷風が遠い親戚だったことも思いだし、不思議な気分になった。
戦後の日本社会について、右翼だの、左翼だのっていうレベルから遙か遠い次元で、この二人の文学者は繋がっているのかもしれない。
江戸時代にある種のユートピアを見いだした荷風はもとより、中学生時代に少しだけ読んだ三島由紀夫という作家を読み直したくなった。

って、堅い話が続いたけど、もうすぐ七夕。

七夕といえば、お星様。
外は曇り空だけど、きらきら星の季節の到来なのだ。

モーツァルトの「きらきら星変奏曲」。
聴くたびに心ワクワクになる名曲。
ああ、こんな曲を聴きながら「キララちゃんバス」に乗って、霞ヶ浦の上に広がる星空を眺めに行きたい。


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