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2014年5月 6日 (火)

色川さんや島田さんが教えてくれた常総文化圏という地域文化の存在。 そして、江戸東京と水郷・ひたち野が江戸川、利根運河、利根川、霞ヶ浦を介して繋がっている。 ますます、面白くなってきた。

昨日、伊能忠敬のことを書いたら、4年前に佐原に行った時に地元の観光案内所で買った本が気になり、再読した。

島田七夫『佐原の歴史散歩』という本で、柏のたけしま出版から出ている。
実は発行人の竹島いわおさんは知り合いで、今年の流山市立博物館友の会の新年会では隣に座ったので、この本に関してお話ししたばかり。

著者の島田さんもご健在だと聞いた。

常総文化を担う文化人たちが序文で紹介されている。

「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」とまで言われ、大商人・大地主・大実業家などが生まれ、地方文化の発展に寄与するところが大きかった。国学・和歌・絵画の楫取魚彦、日本実測全図の伊能忠敬、俳諧の葛斎恒丸、和歌の永沢躬国、儒学の久保木青淵、書家の柳田正斎、講談師の初代田辺南竜、国学・和歌の伊能穎則、漢学・地理の清宮秀堅など数多くの俊英を輩出した。

佐原は霞ヶ浦をはさんで土浦とは東西の両雄ともいえる町で、昔は交流も盛んだったという。
ぼくが子供の時分は、土浦から佐原まで国鉄バスが通じていて、運行ダイヤのうち、江戸崎行きが約半分、残りが佐原行きと浮島行きだったような記憶がある。
当時、江戸崎と浮島には行ったが、佐原には行ったことがなかったので、4年前に一人旅で佐原に初めて行ったときはうれしくて、このブログにもアップした。
佐原:町の記憶
現在の佐原は川越、栃木と並ぶ小江戸として繁栄している。
平成八年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
B29による本格的な空襲の被害をまぬかれ、町の性格もよく似た両市だが、駅舎を壊し、川口川を埋め立て、古い建物が消えて、景観が変貌した土浦とは対照的に見える。

だけどね。上記のエントリで書いたこの言葉は、現在の土浦にだって通用するって、思うのよ。

江戸に行ったことがないので、江戸情緒がどうのこうのと言われてもピンと来ない。

小江戸だとか、江戸まさりなんて言い方もあまり好きではない。

だって今の日本に江戸と比較出来る都市など存在しないでしょ。

(中略)

もしも佐原を江戸まさりというなら、個人商店主たちが、がんばって、町の空気を作っている。

東京のほとんどの町で失われた町の記憶を大事にしている。

そんな所にこそ感じるべきなのかもしれない。

佐原の町並みに見る江戸情緒云々は、杉浦日向子風に言えば「蝉の抜け殻を愛でる」ようなもんで、佐原の古い本屋の跡やソバ屋に入っても、感動には至らない。

とは言いつつも、土浦サイドから見るといささか悔しいが、素敵な町並みには心惹かれる魅力がある。

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だけど、それよりも、荒物屋のご主人の町への愛着や商品へのこだわりに、江戸を感じた記憶がある。

その店で買ったつげの櫛は今も愛用している。

この半年、土浦の商人達と話をして味わった感動もそれに近い。

古風な町並みだけじゃなく、文化とか、エートスとか、矜恃とか、そういったメンタル面と暮らし方が重なってはじめて深い感動を呼ぶ。

色川さんや島田さんが教えてくれた常総文化圏という地域文化の存在。

そして、江戸東京と土浦を中心とした水郷・ひたち野が江戸川、利根運河、利根川、霞ヶ浦を介して繋がっている。

ますます、面白くなってきた。

以前、佐原と言えばノラ・ジョーンズが似合うと書いたので、本日はスタンダードナンバーの「ニアネス・オブ・ユー」を。


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