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2014年5月 5日 (月)

伊能忠敬の日本地図という金字塔は一人の才能と努力だけで出来たのではなく、利根川や霞ヶ浦周辺の常総文化圏という茨城、千葉の県境を越えた地域文化によって生み出されたということ。

色川大吉さんというちょっと風変わりな歴史家がいる。
那須の山小屋の書庫をひっくり返していたら、色川さんの『民権百年』という本を見つけた。
以前読んだとき、軽く読み飛ばした箇所が気になって再読した。
我孫子市での講演をまとめた「わが故郷北総の水系文化」という文章だ。

この中で、千葉県の佐原生まれの色川さんは、色川一族が茨城県の土浦に縁が深いことを説明している。

例えば醤油製造で財をなした人で、国学者の色川三中の息子が色川三郎兵衛。

土浦の町を水害からまもるため線路を土手として活用することを考案し、常磐線の計画路線変更や川口川閘門の建設につくした。

三中の弟が色川御蔭で、国学・蘭学に秀で、品川のお台場の設計や経済学の本を著した。

色川さんによれば、利根川水系の水運が、文化運動でも政治運動でも重要なルートになっていて、江戸時代後期から、このエリアは常総文化圏といって江戸文化と一体となった地域文化が形成されたという。

例えば佐原の伊能忠敬は有名だけど、忠敬が大成するには地域に下地があり、忠敬が子供の時分には土浦を中心に霞ヶ浦周辺地域には和算学の先生が大勢いて、それぞれ寺子屋をやっていた。忠敬も16歳の時に土浦まで行って数学を習った。

そして、常総地域には伊能忠敬だけでなく、地理学者がたくさんいて、『利根川図志』を著した赤松宗旦や、地球儀や地球上の万国全図を作った沼尻墨僊も同じ時代に活躍したし、他にも四、五名の地理学者を輩出している。

幕末から明治の十年代位にかけまして、実は日本の文化をその頃担ったのは都市の人ではなくて、逆に農村の人 が比重としては圧倒的に大きい。あるいは農村に影響を与えた小さな町、土浦とか何処そこの小さな城下町や宿場町などとその周辺における、いわゆる豪農とい われる人びと、これらが幕末から明治の十年代にかけて非常に時代を担ったのであります。

講演をそのまま文章にしたので、ちょっとおかしな文章だが、要するに、江戸期には4月29日にアップした下記のエントリのように、大都市中心ではなく、土浦のような地方発、地域発の文化が広範囲に存在して、日本中を活性化していたということだろう。

そんな事態を避けて、これから日本で面白い町、楽しい町を作るには、両者を繋ぐ江戸時代の「連」のような少人数の組織が必要なんじゃなかろうか。

伊能忠敬の日本地図という金字塔は一人の才能と努力だけで出来たのではなく、利根川や霞ヶ浦周辺の常総文化圏という茨城、千葉の県境を越えた地域文化によって生み出されたということ。

そういった地方文化の担い手だった優秀な農村青年たちが自由民権運動の中心になったが、その挫折と共に明治30年代には、東京へと流出して地域文化は崩壊したという。

常磐線の開通が明治29年だから、鉄道でダイレクトに東京と繋がって、容易に東京に出られるようになったことも、地域文化崩壊の一因であろう。

色川さんの講演の紹介をしたら、ちょっと固いエントリになった。

うら若きジャズボーカリストが肩の力を抜いて、古典を楽しんでいる雰囲気が心地よいakiko の”Waters of March”休日の夜に。

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