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2014年4月 6日 (日)

そうか。 このどちらかの世界に近づくのではなく、どちらの世界も知っているのがいいんだ。 両方の世界を知っているのが、むしろ自分の長所なのかもしれないって、思えるようになった。

昨日で村岡恵里さんの『アンのゆりかご』を読了。

読み終わるやいなや、自分の日本語能力がにわかに気になり始めた。

10歳から東洋英和でカナダ人からネイティブの英語を学び、クリスチャンで、翻訳家といえば、日本的な教養から縁遠い人だと思っていたが、村岡花子さんは歌人の佐佐木信綱の門下生だと知って納得した。

それにしても佐佐木信綱。

鈴鹿市にある佐佐木信綱記念館のウェブサイトによれば、

信綱は6歳から短歌を詠みはじめ、生涯に1万余首を作歌し、第1歌集『思草』(博文館 明治36年)から第9歌集『山と水と』(長谷川書房 昭和26年)や『佐佐木信綱歌集』(竹柏会 昭和31年)など、多くの歌集を刊行しました。また、明治30年頃より竹柏会を主宰し、機関誌『心の花』の創刊(同31年)や門人の育成・指導にあたるな ど、歌人として活躍しました。
 一方、信綱は学者として、特に万葉集の研究者として、不滅の大業というべき『校本万葉集』(校本万葉集刊行会 大正13~14年)を刊行するなど、万葉集の研究と普及に尽力しました。

とある。

さらに、三越が新渡戸稲造や巖谷小波、福地桜痴、坪井正五郎など少年物語作家らに依頼してつくった「流行会」という集まりのメンバーにも名を連ねている。

唱歌「夏は来ぬ」(小山作之助作曲)や童謡「すずめ雀」(滝廉太郎作曲)、軍歌、北海道から九州までの学校校歌等の作詞を多数手がけるなど、多方面で活躍したひとだが、なんといっても竹柏会を中心として、その豪華な門下生の顔ぶれに驚く。

Wikipediaによると

歌誌「心の花」を発行する短歌結社竹柏会を主宰し、木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮など多くの歌人を育成。国語学者の新村出、翻訳家の片山広子、国文学者の久松潜一も信綱のもとで和歌を学んでいる。『思草』をはじめ数々の歌集を刊行した。1934年(昭和9年)帝国学士院会員。1937年(昭和12年)には文化勲章を受章、帝国芸術院会員。御歌所寄人として、歌会始撰者でもあった。その流れで貞明皇后ら皇族に和歌を指導している。

この記述には入っていないが、社会学者鶴見和子も若き日に門下生だった。

その後、歌を忘れて、学者として長い年月が経過して。

晩年、NHK教育テレビの特集番組で、脳出血で斃れた夜から、長い間忘れていた短歌が突如迸り出たと話していたのが、印象に残っている。

村岡さんは自宅を訪ねてきた翻訳家志望の女子大生にこのように話したという。

難しい言葉である必要はない、しかし豊富な語彙を持ち、その中の微妙なニュアンスを汲んで言葉を選ぶ感受性は、翻訳の上では英語の語学力と同じくらい、あるいはそれ以上に大切な要素だと思う。季節や自然、色彩、情感を表現する日本語の豊かな歴史を思えば、日本の古典文学や短歌や俳句に触れることも大切。そんな指摘をすると、相手の女性は、当てが外れたような、きょとんとした顔をした。

このくだりを読んで、20代の頃から抱えていた疑問が氷解した。
きょとんとした顔をした女子大生の気持ちがよくわかる。

20代前半の頃、日本の代表的なクリスチャン内村鑑三の「二つのJ」や、新渡戸稲造の「武士道」を知識で知ったが、表面的な理解しか出来なかった。

夕暮れ時になると三味線の音が、どこからともなく聞こえてくる純日本風の花街下谷根岸で育った下町言葉しかしゃべれぬ少年が、学校に上がる前に新開地練馬に引っ越し、村岡花子の流れを汲む子供図書館ムーシカ文庫で、プロテスタントの児童文学者いぬいとみこ先生に出会って、違和感を感じながらも近代的で西洋風の知性に惹かれた。

やがて大人になった時、この二つの世界に引き裂かれた自分を発見した。

20代から、この二つの世界のどちらに近づいても、自分の居場所を見つけられず、戸惑いを感じながら、よろよろと放浪してきた。
いまはやりの言葉で言えば、「自分探し」とでもいうのかもしれない。
村岡さんの本で、目からウロコが落ちた。

そうか。
このどちらかの世界に近づくのではなく、どちらの世界も知っているのがいいんだ。
両方の世界を知っているのが、むしろ自分の長所なのかもしれないって、思えるようになった。

下町の路地裏で聴いた三味線ではなく、西洋の楽器ピアノが上手な山の手お嬢さんの代表で、日本的情感の世界とは全く縁がないと思っていた上田知華が、アメリカから帰国して、作曲家として発表した作品が歌曲集「枕草子」だったことが、偶然とは思えない。

歌曲集「枕草子」

5月26日には記念コンサートがある。

30数年前、有り余る才能と美貌で、好きだけど遠い存在だった自分と同い年の上田知華が、急に身近な仲間のように思えてきた。

本日は、1982年、社会人になって、しばらく経って、何をしたらいいか分からず、虚ろな心を抱えて、戸惑っていた当時の自分の気持ちに突き刺さったこの曲

”Lonely Weekend”を紹介します。

この当時一世を風靡した山口はるみのイラストが懐かしいな。

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