出典は何の本だったか思い出せないのだが、杉浦日向子がイタリアのバールを訪れた時、「ここは江戸だ」と思ったという話がある。きっと、ソバ屋で昼酒を飲んで憩うのと同じ気分だったに違いない。
何故だか、昨日は一日中、頭の中で坂本龍一の「Ballet Me[']canique」が
気分はもう広重の梅屋敷。
ところで、出典は何の本だったか思い出せないのだが、杉浦日向子がイタリアのバールを訪れた時、「ここは江戸だ」と思ったという話がある。きっと、ソバ屋で昼酒を飲んで憩うのと同じ気分だったに違いない。
土浦という地方都市について、あれこれ考えていたら、さまざまな想いが去来して、
このところ「小さなまちの底力」について、考えている。
この言葉を意識するようになったのは、建築史家陣内秀信さんの『イタリア 小さなまちの底力』という本。
買ってからずっと、積ん読状態だったが、ふと思い立って読み始めたら、目からウロコ。
この本を読んで、日向子さんの気持ちがわかった。
例えば、こんな一節には、しびれた。
イタリアの本当の面白さは、個性的な魅力あふれる小ぶりの都市が各地方に、キラ星のごとくに存在していることにある。その集合として、イタリアのユニークな国土が成立し、文化的にも経済的にも底力を発揮していることに注目したい。東京が一極集中の問題を抱える一方、地方都市が元気を失っている日本の現状から見ると、イタリアの生き方は実に示唆的だ。
イタリアでは、人口が一万人もいれば、もう立派な都市の面構えをしている。その辺が日本と違う。数十万の人口があっても、どこかうら寂しく、蓄積がなく、華やかさが感じられない地方都市が日本にはたくさんある。戦後、市町村合併で人口だけ増やし、中身の充実とアイデンティティの確立ができなかった町があまりにも多いのだ。
イタリアだって戦後の一時期は大都市圏に人口が集中し、地方都市は過疎現象に悩んだ時期もあったらしい。
どのようにして、そこから這い上がってきたのか、その秘訣を知りたい。
イタリア人の幸せそうな暮らしぶりと比べると、同じ敗戦国なのに、オレたち日本人って、働いても働いても、幸せになった気がしない。
きっと、所得水準で国際比較したら、お金持ちな国のはずなのに、東京都心に向かう通勤電車の中で、滅多に幸せな表情を見つけることが出来ない。
イタリアと言えば、ぼくはやはり水上都市ベネチアを最初に思い浮かべる。
ベネチアと言えば、ジョン・ラスキンの「ヴェネツィアの石」。
ラスキンといえば長谷川堯「都市廻廊」(中公文庫)に詳しい。
この本でラスキンを知り、モリスに誘われ、荷風にのめり込むきっかけとなった。
このブログでも数回登場した名著。アマゾンに書評までアップしてしまった。
でも、読んだ人少ないんだろうなあ。ずっと品切れになったままだし。もったいない。
ああこうして、次々と連想が広がり、どんどんイタリアが好きになってゆく。
イタリアの小さなまちに行きたくて、たまらなくなってきた。
« ぼくにとっては、音楽やビジュアルまで作り込んだコンピュータゲームなんぞ、お行儀良くってつまんない。本を読むほうがずっと、危険な遊びで、パンキッシュなのだ。 | トップページ | 大沼さんはウェブサイトで「日本の靴文化を土浦から変える」と書いている。 「靴文化」は「足の文化」「歩く文化」に繋がってゆく。 »
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