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« 大正から昭和の都市生活を知ろうとすると、自然にモダンガールたちを追いかけるようになり、そこから、髪型やファッションや住宅など、どんどん生活文化全般にまで関心が広がってゆく。 | トップページ | だから、竹富町の教育委員会の皆さん。君たちがやるべきコトは文部大臣に反抗してエネルギーをすり減らすことじゃなく、学生時代の歴史教科書が、その人の生涯のうち数千冊読んだ歴史書の中のわずか一冊と言えるような人材を育てることでしょ。 »

2014年3月 8日 (土)

こうして山口昌男の仕事を再発見し、いわゆる明治維新の負け組の系譜を辿ることによって、ぼくはそれまで関心を持ちつつも理解できなかった永井荷風や杉浦日向子の世界が目の前に開けて見え始めた。

本日はこのブログ空前絶後の長いエントリになるだろう。

先週は絶不調だったのに、今週からライフスタイルを変えて夜、安眠できるようになったら体調が劇的によくなった。

そこで、昨今のご時世をにらみつつ、長いこと胸に秘めていた自分の考えをまとめてみようと思う。

話は、父親の身の上話から始まる。

ぼくの親父は茨城県下館の農家に生まれた四男坊だ。
3人いた兄貴は全員、兵隊か軍需工場にとられ、そのうちの1人は、乗っていた輸送船が台湾沖で米軍の攻撃で沈没し、戦死した。

生きて軍隊から帰ってきた兄も、訓練中の事故で体を壊し、戦後もあまり仕事が出来ず、早世した。
昭和3年生まれの親父は、田舎の小学校を卒業してから成人するまで、働き手を失った実家の手伝いをやっていたが、戦争が終わり成人して下級警察官になった。
戦前の学校教育と、警察の世界しか知らない親父は共産主義者を忌み嫌い、我が家では長い間産経新聞をとっていた。
家に友達を喚べないほど粗末な安普請の二軒長屋が、昭和40年代の練馬の公務員住宅で、そこには警察官と消防官の家族が、ひしめくように暮らしていた。
全共闘運動が激しくなって、大学生が機動隊と衝突するようになると、うちのご近所さんの機動隊員の中には、大けがをする人も出てきた。
裕福な家庭で育って、大学生時代のサークル活動気分で暴れ、小学校しか出ていない警察官に怪我を負わせ、卒業すれば大企業にちゃっかりと収まり、エリート気取りで出世街道を邁進する。

そんな輩を子供だったぼくは心の底から呪った。大学生というだけで、憎んだ。

団塊の世代とか、ビートルズ世代とか言われた連中は、世代ごと全員まとめて大キライだった。
親父と同世代でも、大学を卒業して進歩的文化人なんて呼ばれている輩も十把一絡げにして、左翼のレッテルを貼った。

彼らの発言は一切信じない、本も読まないって決めていた。

そんな子供だったぼくも長じて、大学を卒業して、社会人になり、壁にぶつかり、一人前に人生や社会について考え、悩み始めた時期、30余年前の頃だろうか。

産経新聞が主催する「正論の会」の会合に参加したことがある。
四谷駅の近所の喫茶店に、10数名の会員が集まっていた。
そこで、戦後の歴史教育の問題が話されていたような、遠い記憶がある。
当時のぼくは、戦後教育はマインドコントロールだ、なんて叫ぶ安倍首相や、田母神氏を支持する昨今の若者と同じ精神構造だったと思う。

いつも何かに怯えていて、希望の見出し方が分からず、もがいている彼らのいらだちもよくわかる。

ところが、「正論の会」に行っても、当時抱えていた社会に対する様々な疑問はちっとも解決しなかった。
四谷駅に向かって歩きながら、空虚な気分がぼくを支配した。
そして、進歩的文化人も、正論の会の人達も、ぼくから見ると同じジャンルに属している人々のように思えた。

どちらも同じ、底の深い大きな網に絡め取られて、同じパラダイムの中で勢力争いをしている。そんな気がした。

まだ未熟だったぼくに、理屈の通った説明は出来なかったけれど、自分の感じ方は間違っていないと確信していた。

今から思えば、あの喫茶店からの帰り道が、自分なりの思考を模索し始めた瞬間だったなと思う。
そこから、たどたどしい歩みが始まり、立ち止まっては考え、本を読んだり、人と会ったり、旅をして見知らぬ町を歩いたりした。

頭でっかちな本で読んだ知識の世界から、歩く学問への転換が始まった。
そうして、試行錯誤するうちに、長い時間が流れ、40歳を過ぎて、とうとう山口昌男の『敗者の精神史』に始まる一連の歴史人類学の仕事にたどり着いた。

若い頃から山口昌男の文化人類学関係書を、読んではいたけれど、どうもピンとこなかった。

それなのに、40歳を過ぎて、改めて出会い、目の前の霧が晴れて行くように、ぼくの視野は一気に広がった。

上の画像は、ぼくのオススメ『敗者学のすすめ』。
膨大な歴史人類学のエッセンスが、一番簡潔に書かれている本だ。
そこから、引用してみたい。

四年前『敗者の精神史』を上梓して後、日本近代においても敗者学という分野を創出してもよいのではないかと思うに至った。そのきっかけは本書に収録された文章群を改めて読み直すうちに得られたものである。
日本がバブル経済の崩壊の後に改めて自らを見つめ直すことの必要性が痛感される今日、負け方の研究がこれからの課題として浮かび上がって来ている。日本の近代史のパラダイムは無意識のうちに勝者を中心に作りあげられ、敗者の役割りを見つめ直す視点はあまり見当たらないで今日に至っている。そういった意味では従来の研究の大半は勝者学でありながら、その姿勢を客観化する努力があまりなされないまま、これ以上、世界の中での日本の位置を見定めるのは難しいように私には思われる。

以上が「はじめに」の一部である。

次は「旧幕臣と近代日本の黎明」の一節。

「敗者の側の旧幕臣というのは、日本人を捨てる、というか薩長が作った日本=日本人というようなものを捨てるつもりで生きていた、と言えるでしょう。」

「そういう系列の人が求めたオールタナティブ、もうひとつの生き方というものを今日、学ぶほうが、ピラミッドの中の出世物語を追ってゆくよりは大事なんじゃないですか。結局、バブルの崩壊で出世物語というものは、ピラミッドごと崩れさってるわけですね。」

「僕が主張したいのは、戦争に負けて民主主義を口にしたとき、本当にやるべきことは、このピラミッドを壊すことだったということなんです。みんな民主主義、民主主義とは言いながら、実際はね、そういうピラミッドの構造をほとんど温存してしまったわけですから。そういう点では、村でも都市社会でもほとんど変わりはなかったという感じですね。日本人はよってたかって無批判にアメリカのイデオロギーを受け入れちゃって、物質的繁栄だけを求めた結果、今になって空っぽになってしまった。

(中略)

一人ひとりがインディペンデントな(独立した)生き方をして、タテの系列に繋がらない、ヨコの繋がりを活かしていくという方向に、人間は生きるべきであると今、考えているんです。いわゆるタテ社会からヨコ社会への転換ということです。」

最後に「敗者の歴史に学べ」からの引用。

「要するに、戦後日本の社会は負けた人間のもつ可能性というものを、まだ何も追求していないんじゃないかと思うわけです。これまで薩長を中心にした富国強兵の歴史ばかり書いてきたから、そういう人たちについての叙述はほとんどなされなかったんですね。」

そして、「そういう人たち」の一例として、山中共古が中心的な役割を担った”街角のアカデミー”「集古会」について触れ、このようにまとめている。

「一九世紀のドイツでは町の学問というのが非常に盛んであった。町の人が気軽に出入りできる同好会のような組織があって、学術雑誌もつくっていた。学問というのは本来そういうものであって、大学の学問というのは、そのなかの異常な部分だけ拡大したものにすぎない。であるから、そういった町の同好会というスタイルをもう一回繰り返すことが、今や必要になってきているんじゃないか。」

こうして山口昌男の仕事を再発見し、いわゆる明治維新の負け組の系譜を辿ることによって、ぼくはそれまで関心を持ちつつも理解できなかった永井荷風や杉浦日向子の世界が目の前に開けて見え始めた。

そして、それまで小学校から大学時代まで教わったものとは全く異質な江戸文化への視点を獲得することが出来た。

いまやっと、懐かしい土浦という町。江戸期には土浦藩の城下町だった幻の水の都を再発見して、同好会のようなゆるい集まりを作り、”街角のアカデミー”として、町の学問を展開してみたくなった。

その集まりでは、右だの左だのなんて、イデオロギー対立はナンセンス。

小野二郎も言ったように美意識や郷土愛のような「趣味」の思想化が大切。

イデオロギーなんざ、ポジショントークの最たるもので、立場が変われば言うことが変わる人間を散々見てきた。だからぼくはイデオロギーなんて信じない。

ひょっとすると、この同好会が自分のライフワークになるかもしれないと真剣に思い始めている。

それならば、アメリカの南北戦争で滅ぼされた南軍=敗者を歌ったザ・バンドの”The Night They Drove Old Dixie Down”が心にしみる今日の歌でしょう。

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