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2014年3月

2014年3月31日 (月)

ということで、お帰りなさい知華ちゃん&皆さん、おはようございます。 なのだ。

ブログのデザインやプロフィールなどを、一新しました。
4月から、土浦で町をテーマに小さな活動も開始する予定です。
子育てを終えて、帰ってきた上田知華に、かなりインスパイアされました。
こっちは子育て、真っ最中だけどね。
なんだか、一気に10歳くらい若返った気分。
50肩は完治してないけれど、せめて気分は老け込まないようにしなきゃね。
ということで、お帰りなさい知華ちゃん&皆さん、おはようございます。
なのだ。



2014年3月30日 (日)

アルバム「ゴールデン☆ベスト」のために新たに録音された今井美樹のヒット曲「PIECE OF MY WISH」のセルフカバーを、試聴しただけで、ぐっときて、泣きたくなった。

このブログで、二回ほど、上田知華について書いたことがある。

20代の頃、この自分と同い年の女性音楽家が無性に好きで、LPレコードを全部集めた。

声が良くて、ピアノが上手で、ルックスもよくて、作詞作曲の才能もすごい。

彼女ほど完璧なミュージシャンはいないと思ったし、ピンクレディーの二人や、ジューシーフルーツの奥野敦子と並んで同い年の誇りだと思った。

彼女はやがて、自分で歌うより今井美樹の作曲者として活躍するようになり、結婚してアメリカに移住して、完全引退したんだとばかり思っていた。
雨降りの日曜日は、「さよならレイニーステーション」でも聴こうかなんて、思って、YouTubeで調べたら、なんと、上田知華がテレビで歌う動画が見つかってびっくり。

テレビコマーシャルでチラッと歌う姿を見た記憶はあるが、こんなしっかりと歌う映像は初めて観て、かなり感激。


調子に乗って、ネットで上田知華を調べたら、驚いたことに、活動を再開していた。
ピンクレディーやジューシーフルーツの復活もうれしいけど、上田知華の復活はもっとうれしい。
上田知華オフィシャルホームページ

50代になって、活動を再開する彼女たちを見ていると、自分ももっとがんばってみようって、
勇気づけられる。

隠居爺なんて言って、老け込んでちゃいけないな。
アルバム「ゴールデン☆ベスト」のために新たに録音された今井美樹のヒット曲「PIECE OF MY WISH」のセルフカバーを、試聴しただけで、ぐっときて、泣きたくなった。

2014年3月29日 (土)

明治生まれの爺さん達が集まった時だけ生まれる空気感がなんともいえず、いつまでも浸っていたかった。

酒を呑みながら読むのに適した本もあるなあって、思うようになった。

もちろん酒も、何でもいいってわけじゃなく、日本酒かワインが最適。

ウィスキーは水割りじゃなく、ロックかストレートで。

ビールはダメ。

呑んだらすぐに、胃や食道から脳に「休め!」って信号が送られるような気がする。

しらふじゃ、味が出ない本もある。

買ってからずっと積ん読だったマイク・モラスキー『呑めば、都』なんか、金曜の夜、自宅で一人呑むときのお供にはぴったり。


やったことないけど、詩集なんかもよさそうだ。

今度、金子光晴でやってみよう。

ぼくが小学生の頃、茨城の生家には、毎日午後三時頃になると、祖父の所に近所の爺さん連中が集まってきて、囲炉裏のある部屋に集まり、祖母が作る簡単なつまみで、酒を飲んでは、清談に耽っていたことを思い出す。

そう言えば、みんな金子光晴と同世代の明治の男たちだった。

普段はいつも不機嫌な表情で、近寄ると怒られそうで、大人になっても恐かった祖父が、気の置けない仲間といるときだけは、満ち足りた表情になるのが嬉しくて、ぼくはこの時とばかり、祖父にくっついて、半分以上分からない話を聞いていた。
一時間半ほど呑むと、さっと消えていった爺さん達の呑みっぷりが、粋でかっこいいと思った。

明治生まれの爺さん達が集まった時だけ生まれる空気感がなんともいえず、いつまでも浸っていたかった。

古い家が壊され、囲炉裏のある部屋も消え、やがて祖父が倒れ、仲間も他界し、そんな至福の時間は、幻になってしまった。

時代は移り、形は違っても、あんな仲間たちと、集まって酒を酌み交わす。

そんな時間を取り戻すことが出来たら、もう何もいらないね。きっと。

ビル・フリゼール「酒とバラの日々」


2014年3月28日 (金)

金曜の夜だから、大人っぽくダークなカサンドラ・ウィルソンのいい曲を探したのに、全然、気分が出ないの。

本日、新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』(光文社新書)を読了。
光文社って女性雑誌を出してる軟弱な出版社なんて、偏見をもっていたけれど、
最近の「女性自身」や「VERY」なんか見ていると、権力におもねることもなく、
しっかりとした見識をもった骨のある出版社だと知って、ちょっと見直している。

商店街を経済史と社会史の観点から分析した本って、珍しい。
地域や商店街活性化といったテーマの本は建築系を含めて、
うんざりするほど、沢山読んだが、これは一頭地を抜く好著でした。
近代家族の問題を、生業と関連づけて論じるところが、上野千鶴子直伝で、目からウロコ。
ぼくが書いた野田争議と労働者の問題とも、家族・職業といった点で実は通底している問題意識なのです。
全体的にとても面白かったけど、解決策がちょっと弱いので、マイナス1点です。

マジメな話はここで終わり。

でもって、昼休みに、ひとまず、一ヶ月悩んだ小冊子の原稿を書き終えたので、今夜はリラックスして、ウィスキーなど飲んでます、。

金曜の夜だから、大人っぽくダークなカサンドラ・ウィルソンのいい曲を探したのに、全然、気分が出ないの。

カサンドラって、晩秋から冬のイメージだもんな。

それに、基本的に人間がダークじゃないので、こうなったら、ピチカート・ファイブで「春なのに~♪」なんて感じで、行ってみたいと思います。

皆さんよい週末を。



2014年3月23日 (日)

大沼さんはウェブサイトで「日本の靴文化を土浦から変える」と書いている。 「靴文化」は「足の文化」「歩く文化」に繋がってゆく。

先週は須磨章『日本一の蔵めぐり 会津喜多方の迷宮』を読了。


蔵を残したいという故金田実という一介の写真館の店主の異様ともいえるような熱意によって、喜多方が蔵の町として知られるようになり、やがてそれがラーメンブームにも引き継がれてゆく。
その様子を、NHK「新日本紀行」のプロデューサーとして40年間このまちと関わった著者ならではの視点で捉えているから、よくある浮ついたレポートではなく、時の経過が埋め込まれていて、興味深く読めた。
金田実が撮った古い写真と、カメラマンが撮った新しい写真が違和感なく同居していて、どちらも美しい。なかなか素敵な本だった。

たった一人の熱意によって、周囲が動かされて、物語が生まれてゆくところがいいなあ。

谷根千工房の森さん、石見銀山「群言堂」の松葉さんとか、いい町には、必ずキーマンがいる。

喜多方にも金田実というキーマンがいたことを知って、ちょっと納得した。

昨日は、一ヶ月ぶりに土浦に行って、靴を買った。

ザックスオオヌマのご主人大沼義明さんに、靴の悩みを相談すること1時間半。

今まで知らなかった足と靴に関する知識をたっぷりと教えてもらった。

目から鱗が落ちるような話ばかりだった。

ここにもキーマンがいる。

そう思った。

ザックスオオヌマ

大沼さんはウェブサイトで「日本の靴文化を土浦から変える」と書いている。

「靴文化」は「足の文化」「歩く文化」に繋がってゆく。

土浦は旧水戸街道の宿場町。

この町はモータリゼーションの進展によって、時代から取り残されたと、

土浦市や、その近郊で暮らす親戚たちから何度も聞かされた。

だったら、逆手にとって、「靴文化」≓「足の文化」≓「歩く文化」を土浦から発信するのもいい。

江戸期に骨格が出来たこの町は、ヒューマンスケールで作られているから、歩いて楽しめる町なのだ。

クルマに乗っていると、あっという間に通過してしまい、面白みがわからない。

ぼくも去年まで、30年以上、クルマでこの町を通り過ぎてきた。

そうだ。一時期読み耽った素敵な本があったことを思い出した。

海野弘『足が未来をつくる』(洋泉社新書)

海野さんは、人間が足で歩くことによって、心の中に変化をもたらすという。

足は未来をつくる。目の文化だけでは未来はつくれない。(中略)ウォーキングのリズム、ゆったりしたペースが、見ることと考えることの両方を可能とする。世界と身体と心が歩行のリズムによって和音を響かせる。

この本を大沼さんに捧げよう。

大沼さん、そして、以前紹介した城藤茶店の工藤さん。この町の抱える歴史と富は、まるでヨーロッパの古い都市のように、分厚く、深い。 ぼくは水景の美しいイタリアのベネチアを思い出してしまった。

いい町には、個性的ないいキャラクターがいて、古いモノを引き継いで、新しい歴史を作っている。

心が温かくなるいい一日だった。

2014年3月21日 (金)

出典は何の本だったか思い出せないのだが、杉浦日向子がイタリアのバールを訪れた時、「ここは江戸だ」と思ったという話がある。きっと、ソバ屋で昼酒を飲んで憩うのと同じ気分だったに違いない。

何故だか、昨日は一日中、頭の中で坂本龍一の「Ballet Me[']canique」が鳴り止まなかった。

嵐のあとの静けさと希望を感じるような名曲。

雨上がりの気持ちのいい春の朝にふさわしいから、リンクをはろう。

なんて書いたのに、すぐに削除された。

だったらこれね。「hibari」だよ。


そして、温かくなったので、髪を切りにいった帰りに、梅の花をパチリ。

Img_2235Img_2240

Photo_2

気分はもう広重の梅屋敷。

小金城跡の馬屋敷緑地が、幕末の亀戸に見えた。

春だね。

桜もいいけど、寒い中で春の訪れを教えてくれるような梅はもっと好き。

ところで、出典は何の本だったか思い出せないのだが、杉浦日向子がイタリアのバールを訪れた時、「ここは江戸だ」と思ったという話がある。きっと、ソバ屋で昼酒を飲んで憩うのと同じ気分だったに違いない。

土浦という地方都市について、あれこれ考えていたら、さまざまな想いが去来して、
このところ「小さなまちの底力」について、考えている。
この言葉を意識するようになったのは、建築史家陣内秀信さんの『イタリア 小さなまちの底力』という本。

買ってからずっと、積ん読状態だったが、ふと思い立って読み始めたら、目からウロコ。

この本を読んで、日向子さんの気持ちがわかった。

例えば、こんな一節には、しびれた。

イタリアの本当の面白さは、個性的な魅力あふれる小ぶりの都市が各地方に、キラ星のごとくに存在していることにある。その集合として、イタリアのユニークな国土が成立し、文化的にも経済的にも底力を発揮していることに注目したい。東京が一極集中の問題を抱える一方、地方都市が元気を失っている日本の現状から見ると、イタリアの生き方は実に示唆的だ。

イタリアでは、人口が一万人もいれば、もう立派な都市の面構えをしている。その辺が日本と違う。数十万の人口があっても、どこかうら寂しく、蓄積がなく、華やかさが感じられない地方都市が日本にはたくさんある。戦後、市町村合併で人口だけ増やし、中身の充実とアイデンティティの確立ができなかった町があまりにも多いのだ。

イタリアだって戦後の一時期は大都市圏に人口が集中し、地方都市は過疎現象に悩んだ時期もあったらしい。

どのようにして、そこから這い上がってきたのか、その秘訣を知りたい。

イタリア人の幸せそうな暮らしぶりと比べると、同じ敗戦国なのに、オレたち日本人って、働いても働いても、幸せになった気がしない。
きっと、所得水準で国際比較したら、お金持ちな国のはずなのに、東京都心に向かう通勤電車の中で、滅多に幸せな表情を見つけることが出来ない。

イタリアと言えば、ぼくはやはり水上都市ベネチアを最初に思い浮かべる。

ベネチアと言えば、ジョン・ラスキンの「ヴェネツィアの石」。

ラスキンといえば長谷川堯「都市廻廊」(中公文庫)に詳しい。

この本でラスキンを知り、モリスに誘われ、荷風にのめり込むきっかけとなった。

このブログでも数回登場した名著。アマゾンに書評までアップしてしまった。

でも、読んだ人少ないんだろうなあ。ずっと品切れになったままだし。もったいない。


ああこうして、次々と連想が広がり、どんどんイタリアが好きになってゆく。
イタリアの小さなまちに行きたくて、たまらなくなってきた。

2014年3月16日 (日)

ぼくにとっては、音楽やビジュアルまで作り込んだコンピュータゲームなんぞ、お行儀良くってつまんない。本を読むほうがずっと、危険な遊びで、パンキッシュなのだ。

実はいま、こっそりと私家版の小さな本を自作している。
せいぜい16ページくらいの小さい本を自装して、20冊くらい作ろうって考えています。
この数週間はずっとその原稿書き。
本にする原稿を書くのは2年ぶり。
でも、参考文献を読んでいると、原稿を書くよりも、そっちの方が楽しくなってしまって、毎日脱線しまくっているのです。
昨日も、図書館で借りた読んだ舟橋聖一の小説があんまり素敵なので、つい買ってしまった。


今日の朝日新聞朝刊「be」の一面「フロントランナー」ではブック・コーディネーターの内沼晋太郎さんという人が紹介されている。
下北沢で「B&B」というビールが飲める新刊本屋をプロデュースしたという話。

確かに酒を飲むと本を買いたくなったり、急に読みたくなることも多いよね。

昨日の夜『三田村鳶魚の時代』って本を読んでいたら、大正初期の頃、旧制中学では、小説を読んでいるのが見つかると人間が処罰された、なんていう話が出てきた。

小説を読むと「人間が惰弱になる」なんて言われた時代もあったという。

そんな時代の恐い親父たちが、タイムマシンでやってきて、通勤電車に乗って、

本も読まずにスマホでゲームに興じるクルクルパーな大人達を見たら何を思うだろう。


閑話休題。

ぼくにとっては、見知らぬ誰かが音楽やビジュアルまで作り込んだコンピュータゲームなんぞ、お行儀良くってつまんない。

本を読むほうがずっと、危険な遊びで、パンキッシュなのだ。
著者と読者が共犯関係で作り出す頭脳の中の楽園。
本は言葉と一緒に、音楽や空気感まで運んできて、そこに風景が立ち上がるから、楽しいのです。
例えば森鴎外の『雁』。
そのタイトルを思い出しただけで、無縁坂や不忍池の風景や美しいヒロインのお玉の淡い恋。

その儚さ、切なさにグッときてしまいます。

『雁』は表紙が綺麗なので、岩波文庫版がオススメ。

そして、お酒を飲みながら読んだ方が楽しい本も、いろいろあるわけでして。
真夏の炎天下で、ベンチに腰掛けてビールを飲むと、椎名誠が読みたくなったり、
真冬の夜更けに自宅でひとり熱燗など飲むときは、荷風や谷崎潤一郎な気分になるし、
晩秋の夕暮れ時、そば味噌をなめながら冷や酒、なんていうシチュエーションでは、杉浦日向子のエッセイや、志ん生の『びんぼう自慢』の世界に浸れば、その途端に、本がぼくを異次元に連れ去ってくれる。

そうだ、思い出した。読書の楽しみの話じゃなくて、知り合いに配る私家版の小さな本の話だった。

小さい本だけど、渾身の力を振り絞って、今出来る最高の原稿書いてます。

あと少しだけ、時間を下さい。

今夜の一曲は、ダークな世界に引き込まれて、10年くらい昔、一人で夜遅く聴いていた橋本一子のアルバム『マイルス・アウェイ』」から、名曲「ブルー・イン・グリーン」。

マイルスのバージョンやビル・エバンス・トリオのオリジナルもすごくいいけど、ディープで耽美的なこっちの方がもっと好き。

2014年3月15日 (土)

だから、竹富町の教育委員会の皆さん。君たちがやるべきコトは文部大臣に反抗してエネルギーをすり減らすことじゃなく、学生時代の歴史教科書が、その人の生涯のうち数千冊読んだ歴史書の中のわずか一冊と言えるような人材を育てることでしょ。

この前、山口昌男のことを書いたけど、若い頃からずっと近代日本の民間学者のことが気になっている。
岩波新書で出ていた鹿野政直『近代日本の民間学』を読んだ30代後半の頃からかな。

この本に出ている柳宗悦や南方熊楠といった人物は、概してイデオロギー云々から自由で、気持ちよく彼らの世界に入っていける。
と自分では思っているけど、最近は雲行きが怪しくなってきた。

日本資本主義の父渋沢栄一ですら「アカ」と呼ばれた時代があった昭和初期さながらに、この前ネットを見ていたら、ネトウヨとか呼ばれる人物の書き込みだろうか、「オバマは左翼」って書き込みを見て、頭がクラクラしてしまいました。

右か左か、たったそれだけのファクターで人物を2種類に、分類して、レッテルを貼り、わかったつもりになる、チープすぎる人間観。

人間を単純化していると、よく批判される血液型人間学だって、4種類はあるぜ、もっと勉強しろって説教したくなる。

多くの日本人に対して、朝鮮や、日本だけど地方色豊かな沖縄を低く見ることを戒めた柳宗悦や、国がすすめる神社合祀と呼ばれる神社の合併政策に反対した南方熊楠のような人物は、売国奴って言われかねない冗談のような世の中になりつつある。

そういえば八重山採択地区協議会が選定した育鵬社の中学公民教科書とやらを竹富町の教育委員会が拒否している問題に、沖縄県を飛び越して、直接文部大臣が介入してきた。

この教科書を見ていないから、竹富町と文部大臣とどちらに理があるのか分からない。

ただ、国政選挙における1票の格差のような大きな問題を、ほったらかしにしておいて、田舎の一市町村の教科書採択のような小さな問題を「法治国家として違法状態を解消するのは当然のことだ」という文部大臣の言いぐさには苦笑するしかないが、それはさておき。

歴史って為政者が定めた学校の教科書で学ぶモノなのかなあって、根本的なギモンがある。

鎖国していた因循姑息でお馬鹿な徳川幕府に反抗して、志高く、さわやかに幕末を駆け抜けた、かっこいい勤王の志士なんていう明治期以来になって作られた神話そのものを、オレは信じていないからでして。

平凡社東洋文庫や岩波文庫に入っている江戸期の書物に直接接したり、在野の筆者たちが書き記した江戸時代の有様を知るにつれて、国定教科書なんてものが存在せず、庶民は民間の寺子屋で好きな教材を使い、好きなときに入学して、好きなときに卒業した江戸時代の教育システムの方が、いまよりずっと自由で、民主的だったんじゃないかって、密かなギモンも湧きあがって来るわけです。

だから、竹富町の教育委員会の皆さん。君たちがやるべきコトは文部大臣に反抗してエネルギーをすり減らすことじゃなく、学生時代の歴史教科書が、その人の生涯のうち数千冊読んだ歴史書の中のわずか一冊と言えるような人材を育てることでしょ。

例えば学歴がなくても、図書館を学校とし、書斎として、89歳の死に至るまで、近世文化史に関する膨大な諸作を残した森銑三のような人物を。

そのための読書環境を整える、読書の楽しさを伝える、そんな努力をすることこそ、次の時代を担う子供を育てる教育委員会のミッションではないかと、授業そっちのけで毛沢東の顔にヒゲを書き足したりすることに注力する劣等生だったオレは、愚考をめぐらすのです。

本日の一曲は、本来敏腕プロデューサーで歌はド下手だけど、知的で内省的な独特の世界に、つい引き込まれてしまうジョン・サイモンの「レインソング」を。

2014年3月 8日 (土)

こうして山口昌男の仕事を再発見し、いわゆる明治維新の負け組の系譜を辿ることによって、ぼくはそれまで関心を持ちつつも理解できなかった永井荷風や杉浦日向子の世界が目の前に開けて見え始めた。

本日はこのブログ空前絶後の長いエントリになるだろう。

先週は絶不調だったのに、今週からライフスタイルを変えて夜、安眠できるようになったら体調が劇的によくなった。

そこで、昨今のご時世をにらみつつ、長いこと胸に秘めていた自分の考えをまとめてみようと思う。

話は、父親の身の上話から始まる。

ぼくの親父は茨城県下館の農家に生まれた四男坊だ。
3人いた兄貴は全員、兵隊か軍需工場にとられ、そのうちの1人は、乗っていた輸送船が台湾沖で米軍の攻撃で沈没し、戦死した。

生きて軍隊から帰ってきた兄も、訓練中の事故で体を壊し、戦後もあまり仕事が出来ず、早世した。
昭和3年生まれの親父は、田舎の小学校を卒業してから成人するまで、働き手を失った実家の手伝いをやっていたが、戦争が終わり成人して下級警察官になった。
戦前の学校教育と、警察の世界しか知らない親父は共産主義者を忌み嫌い、我が家では長い間産経新聞をとっていた。
家に友達を喚べないほど粗末な安普請の二軒長屋が、昭和40年代の練馬の公務員住宅で、そこには警察官と消防官の家族が、ひしめくように暮らしていた。
全共闘運動が激しくなって、大学生が機動隊と衝突するようになると、うちのご近所さんの機動隊員の中には、大けがをする人も出てきた。
裕福な家庭で育って、大学生時代のサークル活動気分で暴れ、小学校しか出ていない警察官に怪我を負わせ、卒業すれば大企業にちゃっかりと収まり、エリート気取りで出世街道を邁進する。

そんな輩を子供だったぼくは心の底から呪った。大学生というだけで、憎んだ。

団塊の世代とか、ビートルズ世代とか言われた連中は、世代ごと全員まとめて大キライだった。
親父と同世代でも、大学を卒業して進歩的文化人なんて呼ばれている輩も十把一絡げにして、左翼のレッテルを貼った。

彼らの発言は一切信じない、本も読まないって決めていた。

そんな子供だったぼくも長じて、大学を卒業して、社会人になり、壁にぶつかり、一人前に人生や社会について考え、悩み始めた時期、30余年前の頃だろうか。

産経新聞が主催する「正論の会」の会合に参加したことがある。
四谷駅の近所の喫茶店に、10数名の会員が集まっていた。
そこで、戦後の歴史教育の問題が話されていたような、遠い記憶がある。
当時のぼくは、戦後教育はマインドコントロールだ、なんて叫ぶ安倍首相や、田母神氏を支持する昨今の若者と同じ精神構造だったと思う。

いつも何かに怯えていて、希望の見出し方が分からず、もがいている彼らのいらだちもよくわかる。

ところが、「正論の会」に行っても、当時抱えていた社会に対する様々な疑問はちっとも解決しなかった。
四谷駅に向かって歩きながら、空虚な気分がぼくを支配した。
そして、進歩的文化人も、正論の会の人達も、ぼくから見ると同じジャンルに属している人々のように思えた。

どちらも同じ、底の深い大きな網に絡め取られて、同じパラダイムの中で勢力争いをしている。そんな気がした。

まだ未熟だったぼくに、理屈の通った説明は出来なかったけれど、自分の感じ方は間違っていないと確信していた。

今から思えば、あの喫茶店からの帰り道が、自分なりの思考を模索し始めた瞬間だったなと思う。
そこから、たどたどしい歩みが始まり、立ち止まっては考え、本を読んだり、人と会ったり、旅をして見知らぬ町を歩いたりした。

頭でっかちな本で読んだ知識の世界から、歩く学問への転換が始まった。
そうして、試行錯誤するうちに、長い時間が流れ、40歳を過ぎて、とうとう山口昌男の『敗者の精神史』に始まる一連の歴史人類学の仕事にたどり着いた。

若い頃から山口昌男の文化人類学関係書を、読んではいたけれど、どうもピンとこなかった。

それなのに、40歳を過ぎて、改めて出会い、目の前の霧が晴れて行くように、ぼくの視野は一気に広がった。

上の画像は、ぼくのオススメ『敗者学のすすめ』。
膨大な歴史人類学のエッセンスが、一番簡潔に書かれている本だ。
そこから、引用してみたい。

四年前『敗者の精神史』を上梓して後、日本近代においても敗者学という分野を創出してもよいのではないかと思うに至った。そのきっかけは本書に収録された文章群を改めて読み直すうちに得られたものである。
日本がバブル経済の崩壊の後に改めて自らを見つめ直すことの必要性が痛感される今日、負け方の研究がこれからの課題として浮かび上がって来ている。日本の近代史のパラダイムは無意識のうちに勝者を中心に作りあげられ、敗者の役割りを見つめ直す視点はあまり見当たらないで今日に至っている。そういった意味では従来の研究の大半は勝者学でありながら、その姿勢を客観化する努力があまりなされないまま、これ以上、世界の中での日本の位置を見定めるのは難しいように私には思われる。

以上が「はじめに」の一部である。

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2014年3月 1日 (土)

大正から昭和の都市生活を知ろうとすると、自然にモダンガールたちを追いかけるようになり、そこから、髪型やファッションや住宅など、どんどん生活文化全般にまで関心が広がってゆく。

2月は何かと忙しなく、肉体的にもハードで、今日は朝起きてもだるくて、朝食をとったあと、午後3時まで爆睡し、やっと体調が回復した。

そこで、森まゆみさんの『断髪のモダンガール』を再読した。

ぼくの持っている単行本と違って、文庫版は若き望月百合子の目ヂカラ溢れる表紙がまぶしい。

この本は42人の大正快女伝という構成なのだが、あとがきを読むと、通奏低音は望月百合子で、評伝の羅列ではなく、それぞれの関係性や大正の女たちの集団力にも目を凝らしているという。

4年前、仕事で吉祥寺まで通っていた頃、この本を駅前のブックオフで見つけて、参考図書に歳の離れた友人だった杉山宮子さんが北原白秋の妻江口章子について書いた『女人追想』を見つけて、いそいそ買って帰った記憶がある。

さっそく、杉山さんに伝えて、本を見せたらものすごく喜んで、うっとりした表情で、いつまでも本をさすっていたことを思い出す。

そのことを、一昨年森さんに会ったときに話したら、森さんも嬉しそうだったっけ。

だけど、それがぼくにとって、杉山さんの最後の記憶。いつの間にか姿を見かけなくなって、具合が悪いって知った時には、もう亡くなっていた。

同郷の友人西村伊作をモデルにしたと言われている小説「美しき町」を書いた作家で詩人の佐藤春夫が好きで、80歳を超えても、大正生まれの乙女のまま、消えていった杉山さん。

『断髪のモダンガール』を読めば、彼女を思い出し、もう一度会いたくなる。

こうしていまだに、杉山さんとも繋がっている気がして、不思議だ。

杉山宮子さん追想

しばらく杉山さんのことを忘れていたのに、彼女の影響で、大正時代の女性作家たちを身近に感じられるようになったのだと、改めて実感した。

そうだ。今日のテーマは杉山さんじゃなく、ここから話は続く。

で、小説のヒロインのキャラクター作りのために、大正から昭和の都市生活を知ろうとすると、自然にモダンガールたちを追いかけるようになり、そこから、髪型やファッションや住宅など、どんどん生活文化全般にまで関心が広がってゆく。

例えば与謝野晶子。

『君死にたまふことなかれ』など、詩人として、あまりにも有名だけど、西村伊作を助けて文化学院を創設し、大正自由主義教育の礎を築いたことは、いままであまり意識していなかった。そして、その西村伊作は吉野作造、有島武郎、森本厚吉の三人が創刊した雑誌「生活文化」の主要な執筆者として活躍する。

さらに、「生活文化」の理念を実現するために、文京区本郷に文化アパートメントが建てられる。

ウィキペディアにはこんな記述がある。

1922年(大正11年)、森本厚吉が設立した、財団法人文化普及会(ぶんかふきゅうかい、文化普及會)によって建設された日本初の洋式集合住宅。

1926(大正15)年12月開館、1943(昭和18)年3月閉鎖。

W・M・ヴォーリズによって設計され、施工は大林組。 住居内はすべて純洋式。ベッド、椅子、テーブル、電話、ガス調理台、マントルピース、そして共用の施設として社交室、カフェ、食堂、店舗が用意され、エレベーター、焼却炉が備わっており、掃除・洗濯はメイドが行い、アパートよりもホテルの生活に近かった。

また東京文化学園(現新渡戸文化学園)のウェブ版資料室には

「文化アパートメントの生活」

という冊子の内容がそのまま紹介されていて、興味深い。

そして、その出来たばかりの文化アパートメントに住んだのが建築家の土浦亀城と信子夫妻。吉野作造の娘信子は、以前紹介した日本の女性建築家の草分け的存在だった。

日本の住宅の歴史について、あれこれ調べたくなって、読書熱に火がついてしまった。 例えば、女性で初めて建築家になったのは誰だろうとか。

そう思えば、土浦信子という存在も、「大正という時代」が生み出したきら星の一つなのかもしれない。

モダンガールのことを書き始めると、次から次へといろいろ繋がって、止まらなくなってしまう。

そろそろ終わりにしよう。

松田聖子の「風立ちぬ」を、作者の大瀧詠一が歌った貴重な録音を発見したので、

今日はこれで行きましょう。

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