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2014年2月22日 (土)

21世紀になったのに、いまだに専門家を信じて、だまされ続けてきた愚かなぼくたちに、「まだそんなことやっているのか」って、伊作は天国から、警鐘を鳴らしているに違いない。

黒川創『きれいな風貌 西村伊作伝』をさきほど読了。

21歳の伊作の写真を表紙カバーにした、平野甲賀の装丁も美しい。
読み応えのあるいい本を読んだなという満足感にひたる。
膨大な資料にあたり、よくぞここまで調べ抜いたなあと、著者の努力に敬服している。
この本が出て、しばらくして、神田の東京堂書店で黒川さんと小沢信男さんのトークライブ
を見たことがある。
まさかそのときはこの本を読むなんて、思わなかったから、小沢さんのことばかり気になって、
小沢さんが書いた山下清の本にサインしてもらって、喜んでた。

ああ、黒川さんと話をしておけばよかった。後悔先に立たず。


それにしても、主人公の西村伊作って、不思議な人だった。
徴兵を逃れるためにシンガポールまで行ってしまう。

「大逆事件」で逮捕された叔父大石誠之助に会うために、オートバイにまたがって、和歌山県新宮市から東京まで向かう。

懐にはピストルを携えて、たちまち牢屋に放り込まれ、死の恐怖を味わう。

自分の納得のいく家に住みたくて、建築家になってしまう。

自分の長女が通うのに、気に入った学校がなかったので、文化学院を作ってしまう。

自分がやりたいと思ったことは、全然我慢しないで、一直線に目的に向かって、やり遂げてしまう。自分のことをFreethinkerと称したのもうなずける。
内村鑑三も似たタイプだけど、内村鑑三は「二つのJ」と言って、ジャパンとジーザスに奉仕する武士道的な古風な面があるのに、この人には全くと言っていいほど、そういう古風な面を感じない。

既成の権威とか、宗教とか、思想にも無縁。

大人になっても遊び続けるピーターパンのように空中を浮遊している雰囲気なのだ。

詩人茨木のり子が、ながく生きて心底悟った「倚りかからず」の精神を、子供時代に身につけてしまった希有な天才で、100年、或いは200年も早く生まれてしまった未来人という感じがする。

黒川さんは『愉快な家 西村伊作の建築』という別の本で、「ハンドメイドで生きた人」と表現し、生産現場における分業、統治機構における官僚制といった形で専門分化が進んだ大正期の日本社会に、伊作が対峙した様子をこんな風に書いている。

だが、西村伊作は、それに沿っては生きなかった。彼は、変わらず”資格”など気にかけないアマチュアで、しかも気後れすることなくハンドメイドに取り組んだ。建築家として、また教育者としても、そうだった。

21世紀になったのに、いまだに専門家を信じて、だまされ続けてきた愚かなぼくたちに、「まだそんなことやっているのか」って、伊作は天国から、警鐘を鳴らしているに違いない。

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