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2014年2月22日 (土)

町という小さな世界は、すでにタペストリーのように多くの美しい物語が折り重なって出来ていて、ぼくがやることは、自己表現ではなく、「世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚き」を記述するだけのこと。

先週読んだ朝日新聞に面白いことが書いてあった。
映画監督の是枝裕和さんへのインタビュー記事だった。

「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと。ああ、映像も一緒だなと。撮ること自体が発見であり、出会いです。詩やメッセージというものがもしあるのだとしたら、それは作り手の内部にではなく世界の側にある。それと出会う手段がドキュメンタリーです。ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が存在するものはドキュメンタリーではありません」

――じゃあ何ですか。

 「プロパガンダです。(略)」

この話は今回の小説を書く時のスタンスと一緒だなあと思う。
土浦を取材していて、つくづくそう思う。
この町には長い時間をかけて形作られた膨大な記憶の蓄積がある。
土浦で開業している医師で作家の佐賀純一さんが書いた『田舎町の肖像』や『霞ヶ浦風土記』には、ぼくの祖父と同時代を生きた人々の貴重な証言が載っている。

佐賀さんが取材した時分から30年以上経過し、江戸時代の城下町、宿場町の面影を残す大正時代の土浦で青春時代を過ごした人達は、ほとんど亡くなっている今、ぼくにはフィクションとして町を描くという方法が残されていると考え、久しぶりに小説を書くことにした。

(人物のキャラクターを一から作らなきゃいけない、小説という形式は、とっても辛いんだけどね。)

記録が残っていない、想像でしか書けない部分は、フィクションとして書くけれど、主人公の行動以外は極力事実に基づいて、丁寧に当時の町の様子を蘇らせたい。

そのために、ずっと取材を続けている。

そして、取材を重ねれば重ねるほど、町という小さな世界は、すでにタペストリーのように多くの美しい物語が折り重なって出来ていて、ぼくがやることは、自己表現ではなく、「世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚き」を記述するだけのこと。

そんな風に思う。

 

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