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2014年2月

2014年2月26日 (水)

「足のむくみが治らなくなったら、解散!」って言っている墨田区の地域限定アイドル「帰ってきたキューピッドガールズ」と一緒で、ぼくの合い言葉も「時間がないんです。」

今日はノー残業デイなので、久しぶりに5時45分に退社し、町をぶらり。
といっても行く先はブックオフで、新書を数冊購入した。
それにしても、時間が足りない。
夜は22時過ぎに帰宅するのが普通なので、食事と風呂で終わり。
ああ、そんなんじゃ、クオリティ・オブ・ライフなんて、いつまでたっても良くならない。

「時はもう無駄に出来ない」のよ。

「足のむくみが治らなくなったら、解散!」って言っている墨田区の地域限定アイドル「帰ってきたキューピッドガールズ」と一緒で、ぼくの合い言葉も「時間がないんです。」

帰ってきたキューピッドガールズ

ってことで、残業を減らして、今年はもっと創造的なことに時間を費やそうと思います。
で、今日は森まゆみさんの『東京遺産』を再読。
あとがきに「ヘリテージ」という言葉が出てきた。
ヘリテージって、調べると、広義には相続財産や遺産って意味で、狭義では明治以降の文化遺産や産業遺産のことを言う。
ヘリテージングなる和製英語もあって、ヘリテージとおぼしき名所を訪ねて歩く旅のことを
言うらしい。
産業遺産観光なんてのも流行ってるからね。
もちろん、ぼくもそういうの好きだから、産業考古学会なんていう団体に入っている
わけですが、明治以降ってのが、どうも気に入らない。
ちょっと町や村を丹念に歩くと、明治以前、それこそ縄文時代から変わらぬ風景だって、見ることが出来るわけで、ヘリテージングって、言葉の意味がちょっとちんまりしすぎだね。

だって、土浦や美浦は大いなるいにしえの記憶があるのだから。
土浦なら江戸や縄文、美浦村なら戦国時代や縄文の素晴らしいヘリテージを抱えている。

だから、ここはひとつ、明治以降などと限定せず、もっと古い時代にまで、思いをはせて、ヘリテージを探すと面白い。

先日紹介した田中優子の『江戸を歩く』みたいな感じで。

だから今夜は懐かしいオールマン・ブラザーズ・バンドの

「時はもう無駄に出来ない」で、お別れです。お休みなさい。

2014年2月23日 (日)

いつの日かチャンスを作って、土浦の江戸明治平成重ね地図を作ってみよう。

「今昔重ね地図」というソフトを作っているジャピールという会社がある。

ジャピール

キャニオンレコードで活躍した音楽プロデューサー小島豊美さんがやっている会社で、

以前に、このブログで紹介したことがある。
小島豊美さんは自分の内なる声に促されて、評判を呼んだ「江戸東京重ね地図」のバージョンアップではなく、精魂を傾けて全く新しい「今昔散歩重ね地図」を作っている。

ぼくが重ね地図に興味を持ったのは、田中優子の名著『江戸を歩く』で使われていたからだ。

この本の冒頭では、毎日ぼくが通勤電車に乗って通り過ぎる、南千住の千住小塚原回向院付近について詳しく書いてあり、強い衝撃を受けた。

南千住から始まる、こんな東京散歩の本、見たことない。

それにしてもなぜ、死者の安眠の場は線路で分断され、線路の下になっているのだろう。『江戸東京重ね地図』で江戸と東京を重ねてみる。確かに、刑場や墓場の敷地が線路でぐっさりと二分されている。

確かに南千住を歩くと、日本の近代がいろいろな形で、重なり合って見える。
回向院はもちろんだが、他にも井上安治の錦絵で知られる千住製絨所しかり、消滅した汐入の町しかり、寛永寺の黒門が移設された円通寺しかり。枚挙に暇がないほど。

地図を重ねることによって、いまは見えづらくなっている町の様相が見えてくる。

ひるがえって、いま取材している土浦のことを考えると、重ね地図のようなソフトは、土浦のような歴史ある地方都市にこそ必要なソフトだなぁと思えてきた。

関東大震災、東京大空襲、東京オリンピック、昭和のバブル、平成のミニバブルと、5回も町こわしが行われた東京と違って、地方都市、特に空襲でやられていない町は、江戸時代以前からある道がそのまま残っていたりする。

だから、古い地図を携えて歩いてみると、とっても楽しい。

町のそこ、ここに、いにしえの物語があって、昭和、大正、明治、江戸まで地続きに見渡すことが出来る。

いつの日かチャンスを作って、土浦の江戸明治平成重ね地図を作ってみよう。

そして、佐賀純一さんの『田舎町の肖像』と、重ね地図を携えて、仲間達と町を歩いてみたい。

家庭的に個人的に、本日はとってもいい日だったから、ビートルズの全ての曲の中で一番好きなこの曲。

Love you forever and forever
Love you with all my heart

Love you whenever we're together
Love you when we're apart.

2014年2月22日 (土)

21世紀になったのに、いまだに専門家を信じて、だまされ続けてきた愚かなぼくたちに、「まだそんなことやっているのか」って、伊作は天国から、警鐘を鳴らしているに違いない。

黒川創『きれいな風貌 西村伊作伝』をさきほど読了。

21歳の伊作の写真を表紙カバーにした、平野甲賀の装丁も美しい。
読み応えのあるいい本を読んだなという満足感にひたる。
膨大な資料にあたり、よくぞここまで調べ抜いたなあと、著者の努力に敬服している。
この本が出て、しばらくして、神田の東京堂書店で黒川さんと小沢信男さんのトークライブ
を見たことがある。
まさかそのときはこの本を読むなんて、思わなかったから、小沢さんのことばかり気になって、
小沢さんが書いた山下清の本にサインしてもらって、喜んでた。

ああ、黒川さんと話をしておけばよかった。後悔先に立たず。


それにしても、主人公の西村伊作って、不思議な人だった。
徴兵を逃れるためにシンガポールまで行ってしまう。

「大逆事件」で逮捕された叔父大石誠之助に会うために、オートバイにまたがって、和歌山県新宮市から東京まで向かう。

懐にはピストルを携えて、たちまち牢屋に放り込まれ、死の恐怖を味わう。

自分の納得のいく家に住みたくて、建築家になってしまう。

自分の長女が通うのに、気に入った学校がなかったので、文化学院を作ってしまう。

自分がやりたいと思ったことは、全然我慢しないで、一直線に目的に向かって、やり遂げてしまう。自分のことをFreethinkerと称したのもうなずける。
内村鑑三も似たタイプだけど、内村鑑三は「二つのJ」と言って、ジャパンとジーザスに奉仕する武士道的な古風な面があるのに、この人には全くと言っていいほど、そういう古風な面を感じない。

既成の権威とか、宗教とか、思想にも無縁。

大人になっても遊び続けるピーターパンのように空中を浮遊している雰囲気なのだ。

詩人茨木のり子が、ながく生きて心底悟った「倚りかからず」の精神を、子供時代に身につけてしまった希有な天才で、100年、或いは200年も早く生まれてしまった未来人という感じがする。

黒川さんは『愉快な家 西村伊作の建築』という別の本で、「ハンドメイドで生きた人」と表現し、生産現場における分業、統治機構における官僚制といった形で専門分化が進んだ大正期の日本社会に、伊作が対峙した様子をこんな風に書いている。

だが、西村伊作は、それに沿っては生きなかった。彼は、変わらず”資格”など気にかけないアマチュアで、しかも気後れすることなくハンドメイドに取り組んだ。建築家として、また教育者としても、そうだった。

21世紀になったのに、いまだに専門家を信じて、だまされ続けてきた愚かなぼくたちに、「まだそんなことやっているのか」って、伊作は天国から、警鐘を鳴らしているに違いない。

町という小さな世界は、すでにタペストリーのように多くの美しい物語が折り重なって出来ていて、ぼくがやることは、自己表現ではなく、「世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚き」を記述するだけのこと。

先週読んだ朝日新聞に面白いことが書いてあった。
映画監督の是枝裕和さんへのインタビュー記事だった。

「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと。ああ、映像も一緒だなと。撮ること自体が発見であり、出会いです。詩やメッセージというものがもしあるのだとしたら、それは作り手の内部にではなく世界の側にある。それと出会う手段がドキュメンタリーです。ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が存在するものはドキュメンタリーではありません」

――じゃあ何ですか。

 「プロパガンダです。(略)」

この話は今回の小説を書く時のスタンスと一緒だなあと思う。
土浦を取材していて、つくづくそう思う。
この町には長い時間をかけて形作られた膨大な記憶の蓄積がある。
土浦で開業している医師で作家の佐賀純一さんが書いた『田舎町の肖像』や『霞ヶ浦風土記』には、ぼくの祖父と同時代を生きた人々の貴重な証言が載っている。

佐賀さんが取材した時分から30年以上経過し、江戸時代の城下町、宿場町の面影を残す大正時代の土浦で青春時代を過ごした人達は、ほとんど亡くなっている今、ぼくにはフィクションとして町を描くという方法が残されていると考え、久しぶりに小説を書くことにした。

(人物のキャラクターを一から作らなきゃいけない、小説という形式は、とっても辛いんだけどね。)

記録が残っていない、想像でしか書けない部分は、フィクションとして書くけれど、主人公の行動以外は極力事実に基づいて、丁寧に当時の町の様子を蘇らせたい。

そのために、ずっと取材を続けている。

そして、取材を重ねれば重ねるほど、町という小さな世界は、すでにタペストリーのように多くの美しい物語が折り重なって出来ていて、ぼくがやることは、自己表現ではなく、「世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚き」を記述するだけのこと。

そんな風に思う。

 

2014年2月20日 (木)

ところで、こんな時は、SNSもスマホもPCも、デジタルなモノは全て放りだし、思いっきりレイドバックして、電子音が聞こえないような鄙びた町の、見知らぬ店で、椅子に腰掛けたまま時間を忘れてしまいたくなる。

このところ、マジメなエントリが続いていて、ちょっと肩に力が入り気味。
なんだか不整脈も続いていて、ちょっとヤバい感じ。
いつも絶筆のつもりで、文章を書いているけど、本日も立派な絶筆日和だ。
ところで、こんな時は、SNSもスマホもPCも、デジタルなモノは全て放りだし、思いっきりレイドバックして、電子音が聞こえないような鄙びた町の、見知らぬ店で、椅子に腰掛けたまま時間を忘れてしまいたくなる。
例えば、5年前くらいに行った、オホーツク海に面した名前も知らぬ海沿いの小さな町。
単線の線路がどこまでも続いていて、可愛らしい木造の駅舎が建っている。
改札を抜けると、すぐ隣に小さな飲食店が付いていて、ガラス越しに古めかしいダルマストーブの上にヤカンが載っているのが見える。
コーヒーもあれば、ラーメンも出す飲食店は、たった一人で中年女性が切り盛りしている。
よくみると、その女性は一昔前の倍賞千恵子そっくりだったりすると、出来すぎかな。
でも、ホントにそんな感じの空間だった。
で、急に聴きたくなったのが、ライ・クーダー。
この前、高田漣の作品を削除されたので、テイストの似ているライ・クーダーを聴きたくなってしまった。
日本列島のはずれの見知らぬ空間って気分ならば、この曲でしょう。
というわけで、「アクロス・ザ・ボーダー・ライン」。
疲れが取れるよ、きっと。

2014年2月19日 (水)

それよりも、お金をかけずに、自分の足元を掘る。どんどん掘って、縄文時代あたりまで掘る。すると、そこに水量豊かな泉があることに気づく。 「汝の立つところ深く掘れ、そこに泉あり」 沖縄学の父・伊波普猶(いは・ふゆう)の座右の銘である。

もったいないなあって、思うのだ。土浦を見ていると。
江戸東京から、ほどよく離れていて、旧街道の宿場町で、さらに、土浦藩の城下町である。
藩校があった。

沼尻墨僊のような後世に名を残す学者も輩出した。
藩が奨励した醤油のような特産品だってあった。

東葛飾で郷土史を研究していると、幕府の天領であるがゆえの、地域アイデンティティ不在という現実に直面する。
関宿藩の城下町は、度重なる河川の改修が原因で、面影すらなく、県立博物館の模擬天守閣だけが、寂しく建っている。

だから土浦城(亀城)と、その周辺の土塁やお堀などの遺構は大変な文化遺産で、

地域丸ごと博物館のような町なんだから、小江戸といわれる佐原のように「江戸まさり」

なんて、気持ちよく豪語して、堂々と我が道を歩めばいいのにって、訪れるたびに思う。

そして、霞ヶ浦と筑波山を借景に出来る絶好の立地と美しい景色。
広重の「江戸百」にどれほど多くの筑波山が描かれているのか、数えてみるといい。

例えばこんな作品がある。今の西日暮里駅の上あたりから、筑波山を眺めた作品だけど、

桜川沿いの花見会場から見える筑波山の風景みたいだ。

諏訪神社がある、この近所の坂から富士山が見えたが、つい最近、マンション建設で富士山が見えなくなって、大騒ぎになった。

空襲と震災にやられ、それでも何とか生き残った風景が、キャピタリズムに壊される。

それくらい東京では広重の風景は価値のあるものになってしまった。

Photo

お金をかけて、町のインフラを整備するのはいいことだけど、お金をかけた結果、日本中どこにいっても同じような風景になるのはつまらない。

そんな町にわざわざ、足を運ぶ人はいないだろう。

それよりも、お金をかけずに、自分の足元を掘る。どんどん掘って、縄文時代あたりまで掘る。すると、そこに水量豊かな泉があることに気づく。

「汝の立つところ深く掘れ、そこに泉あり」

沖縄学の父・伊波普猶(いは・ふゆう)の座右の銘である。

今宵は友達の佐藤錦水さん、美鵬成る駒さんご夫婦の奏でるコンテンポラリー感覚あふれる茨城民謡「網のし唄」を。

 

2014年2月16日 (日)

古本を買うと、家にまっすぐ帰るのがもったいない感じがして、植草甚一のように、 コーヒーでも飲んで帰りたくなるのだ。それで、城藤茶店に行ったというわけなのです。

土曜日の大雪の中、なんとか動いている常磐線に乗って、遅ればせながら土浦にたどり着いて、NPOまちづくり活性化土浦のまちかど茶話会に参加した。

そこで、つくば国際大学の学生さんの活動成果のプレゼンテーションを見た後、先日行った城藤茶店を再訪した。

取っ手のない丸いボールでココアを飲むと、ウィリアム・モリス主義者で英文学者だった小野二郎の「紅茶を受け皿で」というエッセイを思い出した。

小野二郎のエッセイについては、こちらのブログに詳しく書いてある。
紅茶を受け皿で(Drinking out of saucers)
空間のチカラとかアウラって、間違いなくあって、何か城藤茶店にいると、頭が次々を回転して、イマジネーションが連鎖反応を起こすようだ。

きっとそれは、無意識のうちに、店主の工藤さんの美意識に共感して、心が喜んでいるからに違いない。

小野二郎は「趣味の思想化」なんて言ってたっけ。

そういえばモリスが好きな無印良品のキュレーター小池一子に『空間のアウラ』って本があったことも思い出した。
その辺りは建築家石山修武の『現代の職人』(晶文社)に詳しく書いてあったけど、晶文社も変わってしまい、この本はオンデマンドでしか入手出来なくなった。

ああ、話がどんどん飛んでしまう。
で、土浦に話を戻すと、つちうら古書倶楽部で、萩原恭次郎の詩集『死刑宣告』の復刻版を発見。

装丁がアバンギャルド。1920年代の空気感を伝えている。

というより、80年以上前の作品と思えないほど、パンキッシュで、かっこいい。

さっそく800円でゲットした。

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なんだか本の話ばかりになってしまったなあ。
そうだ。思い出した。
古本を買うと、家にまっすぐ帰るのがもったいない感じがして、植草甚一のように、
コーヒーでも飲んで帰りたくなるのだ。それで、城藤茶店に行ったというわけなのです。

そこで長い間土浦のまちづくりと取り組んできた工藤さんに教えてもらって、気づいたことがある。

江戸時代が好きなぼくは土屋藩の城下町って側面や、水戸街道の宿場町って側面から

土浦を見てしまうのだが、一方でモダンで先進的な土浦という側面も見逃してはいけないっていうこと。

洋風のバタ臭いモダンと江戸文化に代表される日本的なプレモダンが絶妙にブレンドされた、面白い町だということを教えていただいた。

それが今回の土浦行きの一番の成果かな。

最近聴いた和洋折衷の傑作といえばクレモンティーヌだよなあ。

キテレツの「はじめてのチュー」が素敵なボサノバになって、これは絶品の涙もの。

聴いているうちに、なんだか切なくなった。

2014年2月11日 (火)

まだまだいいものが沢山残っているゴージャスな土浦。 ぼくたちは、ぼくたちなりのやり方で『土浦の魅力発見』を続けていきたい。

せっかくだから、もう少し、土浦散歩のレポートを続けよう。

これが土浦藩の藩校だった郁文館の正門。日本古来の塗料ベンガラ塗りがうれしい。

残しても実用性などないだろうに、こういう建物を残しておく所に、城下町住人の矜恃を感じる。

「東葛流山研究」の取材で関宿に行ったとき、関宿城博物館以外、町中で関宿藩城下町の痕跡を何も発見できず、途方に暮れたことを思い出す。

土浦がタッチの差でB29の空襲の被害から逃れた幸運を祝福したい。

そして、町の人たちの努力で、こういった郷土遺産を守ってきた努力に拍手を送りたい。

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そこから数分歩いて旧水戸街道に出たら、素敵な靴屋さんを発見。
ザックスオオヌマ
まだ若そうなご主人だが、町の歴史、靴に関する知識など素晴らしい。
1907年創業とのことだが、1907年ってまだ明治時代である。
洋装の日本人自体が珍しい時代だから、軍隊の靴を作っていたのか尋ねると、
当時からずっと、全くの民需用だという。
明治時代の土浦は、時代の最先端を突っ走っていたことがわかる。
町歩きが趣味ゆえ、はきつぶす靴も大変な数に上るし、せっかく買ったのに足に合わない靴も多い。
今度新しい靴を買うときは、絶対にこの店で買おうと心に誓った。

昼食を終えて、午後からNPOまちづくり活性化土浦に寄ってみる。
そこでもらったのが、「土浦お散歩絵地図」。

裏は「土浦探検双六」になっている。
この傑作は絵地図作りの第一人者というより手練れの散歩屋で、デザイナーの高橋美江さんの手になるもの。

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無料でもらうのは申し訳ないし、中身にも惹かれて、『土浦の魅力発見』という3冊セットの写真集を購入した。
Vol.1「橋のある風景」Vol.2「路地裏をもとめて」Vol.3「まち商い」どれもいい。
昭和30年代に比べると、町の賑わいは寂しいかぎりだけど、
まだまだいいものが沢山残っているゴージャスな土浦。
ぼくたちは、ぼくたちなりのやり方で『土浦の魅力発見』を続けていきたい。

かみさんが仕事だったので、今夜はぼくが白菜鍋を作った。

さあ鍋をつついて、熱燗片手に、写真集Vol.2「路地裏をもとめて」でも見ながら、武蔵野たんぽぽ団の「長屋の路地」を聴いちゃおう。シバさんのブルースハープが絶品です。

「日本人の心が弱っている。」 都知事選挙の結果を見て感じたのは、ただそれだけ。

都知事選が終わって、久しぶりに上田紀行の『覚醒のネットワーク』を再読してみた。
1989年に仙台のカタツムリ社という、無名の出版社から出た本。
インターネットの普及していない時代に、口コミと手渡しで広がった。
この本をちょっとしたきっかけで、若い頃読んで、感銘を受けた。
その後講談社+α文庫で再発されたが、それも品切れのようで、古本で買うしかない

その後、カタツムリ社の社主加藤哲夫さんと知り合って、何度かご一緒したけれど、
数年前にガンで、早逝された。

加藤さんが今、生きておられたら、どんなコメントを残すのだろう。

それはさておき、文化人類学者の上田紀行さんはこの本で、強い権力や教祖に「おすがり」することを止めて、ひとりひとりが新しい時代のシャーマンになれと説く。

こんな言葉に心を打たれた。

自分自身がシャーマンになる、自分が動き、自分の中に広がりを見ていくという運動はそれゆえ、外部の権威に自らを委ねることのない究極の主体性を確立する自立の運動だとも言えるでしょう。

ネットワークに支えられているからこそ自立できる、自分の内側から湧きあがってくる力に満たされているからこそ外部の権威に依存しなくなる、そういった「自由な私」の獲得がそこにはあるのです。それは権威への「おすがり」を超えて、誰もが「自分が主役」になっていく運動なのです。

それからぼくは、生活の糧を得る勤め先の拘束時間以外、いかなる権威にも「おすがり」することを止めた。

そして、こんな茨木のり子の詩に心惹かれた。

「倚りかからず」

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

「日本人の心が弱っている。」

都知事選の結果を見て感じたのは、ただそれだけ。

この町の抱える歴史と富は、まるでヨーロッパの古い都市のように、分厚く、深い。 ぼくは水景の美しいイタリアのベネチアを思い出してしまった。

いま準備している小説の登場人物のひとり、土浦出身の作家高田保を調べ始めて約2ヶ月。
活字になった資料はかなり集まったので、今日は保の出生地土浦市内西町(現大手町)の住居跡付近を散策した。

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右手は土浦城跡地に出来た亀城公園で、保の出生地はお堀の左側にあった。

この橋の上から東側に眼を転じると、道路をはさんだ向こう側に古い民家を改装したカフェが見える。お城の松の向こうにある古風な建物。

Img_2036

写真にすると小さくて見えないが、肉眼だとまるで広重の「江戸百」の世界。

いや、バージニア・リー・バートンの絵本「小さいおうち」の世界かな。

中に入って、その店「城藤茶店」店主の工藤祐治さんにお話をうかがった。

城藤茶店(しろふじのちゃみせ)

この家は借家で昭和11年に若い海軍軍人さん一家が住み、ご主人は戦死したけれど、奥さんはご主人の思い出の残るこの家を大事に守り、ここで子供達を育て、亡くなるまで住んだという。

家の周りの景色は変わっても、数十年も時間を止めていた奥さんのハートが、

いまでもこの建物を特別なモノにしていて、昭和11年の空気感がそのまま残っている。

どうです「小さいおうち」の世界だと思いませんか。

今にも扉を開けて、原節子や淡島千景が玄関から入ってきそう。

Img_2046

小津安二郎のアングルで写真を撮ってみた。

Img_2051

窓越しに亀城公園が見える最高のロケーション。

工藤さんがこの家に惚れ込んだ気持ちがよくわかる。

Img_2021

名所旧跡を見るのも好きだけど、こんな名もない庶民の家に残る

美しい物語を聞くのはもっと楽しい。

特に、いまは土浦の雛まつりをやっている。

小売店を中心に、街全体で100カ所以上の会場があり、普段は入りづらいような高級な店でも、「ひな人形を見に来ました」というだけで、気持ちよくもてなしてくれる。

明治期に作られた100年以上前のひな人形の数に圧倒される。

中西履物店さんのご主人には、明治11年の錦絵まで見せていただいた。

まるで最近作られた作品のような鮮やかな色彩に驚かされる。

この町の抱える歴史と富は、まるでヨーロッパの古い都市のように、分厚く、深い。

ぼくは水景の美しいイタリアのベネチアを思い出してしまった。

3月3日まで雛まつりをやっている。

歩き疲れたら中城通りのまちかど蔵や、「城藤茶店」が待っている。

2014年2月 8日 (土)

思いつきで調べ始めた吉野作造と西村伊作という 大正デモクラシーを代表する二人の人物の繋がりを、 こんなところで発見した喜びは大きくて深い。

先日は女性建築家のはしり土浦信子のことを書いたけど、このところ大正時代の住宅設計が気になって、いろいろ調べていたら、とうとう西村伊作にたどりついた。
以前、永井荷風について調べていた時に、出会った名著持田叙子の『荷風へようこそ』で、西村伊作の仕事が詳しく紹介されていたので、気になる存在ではあった。

吉野作造や高田保を経由して、改めて西村伊作という人物を見つめ直すと、ウィリアム・モリスの影響を感じて、俄然興味がわいてしまったのだ。

今週は『荷風へようこそ』でも引用されていた、この本を読了。

建築史家田中修司さんの労作で、得るものの多い好著。

和歌山県新宮市の自宅は現在「西村記念館」となって、町の人々に愛されている。

西村記念館を守り伝える会

さらにもっと知りたくて、西村伊作周辺を調べていたら、伊作は「文化生活」という大正時代の雑誌の重要な執筆者の一人だということを知った。

有島武郎と森本厚吉と吉野作造が作った雑誌で、大正デモクラシーの理想を暮らしの側面から追求した雑誌である。不二出版という会社から復刻版の全集が出ている。

復刻版:文化生活

「文化生活」って、封建的な家制度から脱却しつつあった新しいサラリーマン階層の

暮らし方の理論と実践雑誌。文化アパートメントなんて集合住宅まで建ててしまった。

現在の無印良品とも通底したセンスを感じる。

「文化生活」の発見で、十数年前に長谷川堯『都市廻廊』を読み感銘をうけてから、ずっと探していた大正文化の地下水脈をとうとう見つけた実感がある。

とにかく執筆陣がすごい。解説、総索引を見てみる。

上記の3人の他、安部磯雄、内村鑑三、沖野岩三郎、賀川豊彦、片山哲、佐野利器、

末広巌太郎、田中耕太郎、中条百合子、徳富健次郎、富本憲吉、夏目漱石、西村伊作、

波多野精一、ワルト・ホイットマン、穂積重遠、三宅雪嶺、武者小路実篤、矢内原忠雄、

柳兼子、柳宗悦、与謝野晶子、吉田謙吉、若山牧水、和辻哲郎。

僕が名前を知らないだけで、知る人ぞ知る大御所がまだまだ、書いてるのかもしれない。

それにしても、思いつきで調べ始めた吉野作造と西村伊作という

大正デモクラシーを代表する二人の人物の繋がりを、

こんなところで発見した喜びは大きくて深い。

ぼくたちの現在の暮らし方は、ここから始まっている。

先週紹介した『ビッグ・リトル・ノブ』の著者小川信子さんも、「戦後の家庭生活 民主主義化のルーツを見る」と題して、推薦文を書いている。

「文化生活」の創刊から90余年が経過した。

その長い年月の間に、ぼくたちが失ったモノ、得たモノをこれから検証して行きたい。

雪が降り続く週末、こんな曲があったことを思い出した。

よく聴いた今井美樹ではなく、シンプルで美しい柿原朱美のオリジナルバージョンで。

こっちの方が、「文化生活」のテイストに近いかもしれないね。

2014年2月 1日 (土)

寛永寺寺領を新政府軍に奪われた慶喜の忠臣渋澤にとって、渋澤庭園の整備と自邸 「曖依村荘」の建設は、新政府に対するリベンジだったのではないか。

朝イチでいつもの通院を済ませ、時間が空いたので、王子にある飛鳥山公園に行った。
人と会うために飛鳥山博物館に行くのが目的だったのだが、その前にどうしても渋沢史料館を見ておきたかった。
『ぼくたちの野田争議』を書いていた6,7年前から、ずっと行きたかった場所なのに、なんとまあ!
1月31日(金)~2月7日(金)まで、インフルエンザの影響で臨時休館とは。
気を取り直して、建物の外から写真撮影する。
庭園に足を踏み入れた瞬間に、全身にビビビっと電流が走る。

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路地裏の簡素な庶民の家も好きだが、大正時代の職人が腕を競い合ったような、贅をこらしたこんな建物には、引き込まれるような魅力がある。
一度見てしまうと、いったい何でいままでここに来なかったのか、不思議な気分になる。
80数年前、総同盟の鈴木文治や、協調会の添田敬一郎が訪れたであろう歴史の舞台なのに。
改めて、おのれの不明を恥じたい気分。
もうこうなると止まらない。

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そして、最後に旧渋澤庭園の看板を確認して、さらに驚いた。

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いまの飛鳥山公園のかなりの部分が渋澤家の屋敷だった。

これを見て、ぼくは即座に、今は上野公園になっている寛永寺寺領と徳川慶喜を思い出した。

そして、弟の昭武が建て、兄の慶喜が愛した松戸の戸定邸も同時に思い出して、複雑な気持ちになった。

数多いる渋澤栄一研究家が何と言っているのか知らないが、渋澤と彰義隊の深い関係に思いをはせる。

すると、寛永寺寺領を新政府軍に奪われた慶喜の忠臣渋澤にとって、渋澤庭園の整備と自邸 「曖依村荘」の建設は、新政府に対するリベンジだったのではないか。渋澤は『徳川慶喜公伝』を著した旧幕臣の矜恃を見せつけたのではないか、と思えてしまう。

こんど渋澤栄一研究家に聞いてみたい。

我が世の春を謳歌する与党が推薦する候補を支持しない「お前はバカだ」って言ってるんだろうなと。だったら、オレ、一生バカのままでいいや。

昨年の7月21日の選挙結果に茫然自失となり、日本の行く末に目の前が真っ暗になって、しばらく立ち直れず、それでもなんとか、古里を再発見して、心の拠り所を得たつもりだったから、このブログでは特定の政治問題について書かないようにしていた。
祖父の代から自民党支持で、保守主義者のど真ん中にいるつもりだったのに、ステージが勝手に右寄りにずれてしまい、ぽつんと取り残された気分で、孤独感を噛みしめていた。
ふだんは地味にもの作りをするメーカーで仕事をしている。
政治家達のヒートアップとは、別次元の世界にいる。
会社員のぼくにとっては、韓国人も中国人もおなじ企業グループに所属し、志を共有する仲間である。もちろん個人的に、酒を酌み交わすこともある。
そんな彼らを一括りにして、中韓だ、反日だなどとレッテルを貼り、憎しみを煽るような、マスメディアや政治家たちを許せないと思いつつ、この数年間なすすべもなく歯ぎしりしながら見てきた。
いまの日本には、柳宗悦のように、石橋湛山のように、熱狂から遠いところで、アジアの問題を考えられる高潔な品性の人物はいないのだと、絶望し、途方に暮れていた。

ところが、都知事選への出馬宣言の夜、YouTubeで細川護煕さんが語る姿を見て、この人は本気だと思った。

久しぶりに、柳宗悦や石橋湛山と同じ匂いをもった日本人を発見したと感じた。

そこで、もう政治のことを語るのはやめにしようって、心に固く誓ったのに、このブログで応援することにした。

今の国の目指している方向、その進め方になにかと危ういものを感じているからです。憲法でも、安全保障でも、近隣諸国との関係でも懸念していることがいくつかあります。
 経済についても安倍さんは頑張っておられるが、現在の1億3千万人の人口が50年後には9千万人に、100年後には江戸時代に近い3分の1の4千万人にまで減ると予測されるこれからの時代に、いままでのような大量生産、大量消費の経済成長至上主義ではやっていけないのではないか。腹一杯ではなく、腹7分目の豊かさでよしとする抑制的なアプローチ、心豊かな幸せを感じとれる、そういう社会を目指して成熟社会へのパラダイムの転換を図っていくことが求められているのだと思います。
 これは世界でも恐らく初めての歴史的実験になるかもしれませんが、世界が生き延びていくためには、豊かな国がその生活のスタイルを多消費型から共存型へと変えていくしかありません。成長がすべてを解決するという傲慢な資本主義から幸せは生まれないということを我々はもっと謙虚に学ぶべきだと思います。

(中略)

私は首都東京の景観にも強い関心をもっています。防災上の観点からも情緒溢れる水と緑の回廊を実現したいと思いますし、日本橋の上の首都高㏿を排除したり、可能な路面電車の復活も考えてみたいと思っています。
 今、世界は文明史の折り返し点に立っています。環境や資源の有限性の壁に直面して、経済や生活の転換が迫られているのです。福島原発事故は、転換に着手しないわれわれへの緊急警報ではないでしょうか。

このような話を静かに、しかし毅然と語る映像をパソコンで見て、夜、一人で泣いた。

数日後、ある知人から「細川を応援するお前はバカだ」と罵倒された。

誰を応援すれば、バカじゃないのか、最後まで彼は語らなかったけどね。

でもオレは感じたよ。

我が世の春を謳歌する与党が推薦する候補を支持しない「お前はバカだ」って言ってるんだろうなと。

だったら、オレ、一生バカのままでいいや。

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