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2014年1月

2014年1月25日 (土)

日本の住宅の歴史について、あれこれ調べたくなって、読書熱に火がついてしまった。 例えば、女性で初めて建築家になったのは誰だろうとか。

中島京子の小説『小さいおうち』のことを書いたら、日本橋三越デパートでやっている期間限定昭和モダンカフェに行きたくなり、東京都慰霊堂からさらに、足を伸ばして、行って来た。
そこに行けば、中島京子が描いた昭和10年代の世界に浸れるかと思って、期待したのだが、結果から言うと残念だった。
谷中の吉田屋酒店、上野公園の下町風俗資料館の「女性たちの装いと暮らし」特別展、そして両国の復興記念館で、ホンモノの大正時代、戦前昭和時代に浸ってきた眼には、デパートのイベント会場に展開される昭和10年代の風俗がなんだかインチキ臭い代物に見える。

いちばんつらかったのは、割烹着姿のカフェのスタッフの歩き方が、ジーンズをはいてスタスタ歩くような感じて、興ざめだったこと。

「歩き方」のような「しぐさ」は文化そのものだから、ふつうの現代女性では隠しようもなく、いくら髪型や服装で誤魔化しても、雰囲気がでないのだ。

せっかく、セットを作ったのだから、スタッフの教育までやってほしかったなあ。

それはさておき、『小さいおうち』を読むと、日本の住宅の歴史について、あれこれ調べたくなって、読書熱に火がついてしまった。

例えば、女性で初めて建築家になったのは誰だろうとか。

一級建築士第1号は浜口ミホという女性で、いまは当たり前のダイニングキッチンを考案した人物だという。

それだけでも、ずいぶん面白い話なんだけど、この浜口ミホには、憧れていた先駆者がいて、
土浦信子という人物。

ビッグ・リトル・ノブ―ライトの弟子・女性建築家土浦信子
この人は建築家土浦亀城の奥さんで、ご主人と一緒にアメリカに渡って、フランク・ロイド・ライトから建築を学んだという本格派。
それだけでも興味深い人物なのだが、さらにこの方は、なんと吉野作造の娘なのだ。
おおおお、ここでも登場したかぁ。「よ・し・の・さ・く・ぞ・う」
吉野作造山脈といえるほどの、多彩な人脈。
大正文化の影のプロデューサー。

吉野作造の娘というと、拙著『ぼくたちの野田争議』で取り上げた赤松克麿夫人明子さんだけかと思っていたら、土浦亀城夫人信子さんもいたっていうわけで、なんとまあ、濃い一族なんだろう。

吉野作造や赤松克麿について書き始めると、どんどん脱線して収拾がつかなくなるので、今日はこの辺で終わり。

おうちの歌っていえば、好きなのはビーチ・ボーイズの「イン・マイ・ルーム」。

カーリー・サイモンのカバーが絶品なので、今日はカーリーで行こうっと。

2014年1月19日 (日)

酒屋と話をしながら、家から持参したこの貧乏徳利に酒を詰めてもらう。 いまのスーパーでビン入りの酒を買い、レジで精算する寒い風景を思うと、世の中は進歩したのだろうか。 いつも疑問におもってしまうのだ。

根津から谷中の旧吉田屋酒店を見学し、そこから上野動物園を突っ切って、不忍池のほとりにある下町風俗資料館を覗き、そこから御徒町まで歩いて、大江戸線に乗って、両国の横網町公園にある東京都慰霊堂を見てきた。
久しぶりの長い散歩で、正月休みのなまった体には辛い道のりだったけど、東京都慰霊堂に行ってよかった。
両国界隈はわりとよく行く場所で、近くを歩いていたのに、いままでずっと素通りしていた。

軽い気持ちで入れる場所ではなかったから。

90年前の関東大震災を肌で感じるには、この場所しかないだろうと思って、行ってみることにした。

Img_1975Img_1977

東京都慰霊堂は関東大震災の犠牲者とともに、東京大空襲の犠牲者の慰霊も祀られている。

ぼくの父方の曽祖母は、茨城からたまたま3月10日に東京に来ていて、

東京大空襲に巻き込まれた。

いまだに行方不明のまま、遺骨も見つからない。

せめて、この場所で、祈ることで供養したいと思った。

ろうそくを立て、「ゆめ塔婆」に願い事を書いて、寄進した。

Img_1978

ゆめ供養とはこういう意味だという。

今に生きる私たちは、努力をすれば一人ひとりが持っている自分の夢や希望を実現することができます。そして、みなさん一人ひとりの夢を実現することが、夢を実現できずに亡くなられた多くの人々に対する供養につながると考えます。

敷地内には復興記念館も建っている。どちらも伊東忠太という建築家の設計。

不思議な動物のオブジェを建物に取り付けるので、有名な人だ。

確か、藤森照信『伊東忠太動物園』という本もあった。

復興記念館のファサードにも、変な動物が貼り付いている。

Img_1985_2

重い気分満載のこの空間で、ここだけ遊び心を感じて

ちょっと気持ちが和んだ。

だけど、今日一番の収穫は最初に行った旧吉田屋酒店。

Img_1944_2

なかでも「貧乏徳利」に心惹かれた。

当時は、ビンや樽で売るよりも、少しずつこの徳利に入れて酒を売ったという。

こういう生活用具をみるとその形状の美しさや、当時の暮らしに思いをはせて、心がときめくのだ。

Img_1930

酒屋と話をしながら、家から持参したこの貧乏徳利に酒を詰めてもらう。

いまのスーパーでビン入りの酒を買い、レジで精算する寒い風景を思うと、世の中は進歩したのだろうか。

いつも疑問におもってしまうのだ。


2014年1月18日 (土)

自分が生きている時に体験した3.11という貴重な体験を、どのようにとらえ、その後の生き方に反映させるかによって、その人の価値が決まると思う。

中島京子の小説『小さいおうち』を読了。
週末に公開される映画を観る前に、読んでおきたかったので、なんとか間に合った。
まず、一読して思ったのは、重いテーマを読み手に突きつけているなあということ。
そして、登場人物の心境描写は最小限に抑制され、情景描写が丁寧に描かれていることで、成功しているなあということ。
だから、読み手の心の中に風景が浮かび上がってきて、昭和10年代の上質な日本の家庭に誘われているような、不思議な感覚にひたっているうちに、最後まで読み切ってしまう。
小説という自由度の高い文芸の形式を、見事に生かしている。
イタクラ・ショージ記念館や、「小さいおうち」という紙芝居作品が、実在するのかって、
ぼくも一瞬信じ込んでしまったほど、リアルなお話に仕上がっている。
ネットで検索すると、同じようにだまされた人が大勢いるようだ。
それだけ、リアリティに富んだお話だった。

未読の人には、ぜひ読むことをオススメします。

この作品を読んで、ぼくはどうしても戦前の昭和時代と現在の日本を対比させてしまう。
あまりメディアは取り上げないけれど、都知事選に立候補表明した細川護煕氏は、昭和12年~16年まで戦前の日本を首相として率いた近衛文麿の孫である。
東京裁判に臨んで「戦犯として裁かれなければならないことに耐えられない」として出廷を拒否して服毒自殺した人物。
『小さいおうち』では、日本を戦争に導いたこの人物が頻繁に登場する。
それまで続いた豊かで平和な暮らしが、明日も続くと信じて、目先の景気の良し悪しを論じていた庶民の姿は、安倍政権下のいまの日本人の姿と重なり、既視感に襲われる。
日本を戦争に引きずり込んでいった近衛さんの孫が、3.11を契機に、原発の抱えている問題を深く考えるようになり、過去の過ちを悔いて、原発依存社会から脱却するために、立ち上がった。
そして、小泉純一郎氏もそれに共感し、応援するという。
ぼくは、3.11で価値観が大転換した人と、変わらない人、日本人には2種類の人間がいると思う。

生家が自民党代議士の後援会という保守系の家庭で育ったから、改めて感じるのだが、人物を評価する際に、イデオロギーが右か、左かなんて東西冷戦時代の陳腐化した視点でとらえているうちは、いつまでも本質が見えてこない。

自分が生きている時に体験した3.11という貴重な体験を、どのようにとらえ、その後の生き方に反映させるかによって、その人の価値が決まると思う。

だから細川氏には深い共感を覚える。
さらに、安定した日本の中流社会を壊した小泉は許せないと思っていたが、今は3.11で価値観が変わった1人の人間として、誠実な政治家として、少し見方を変えなきゃいけないと思っている。

都知事選に原発の可否を問うシングルイシューは違和感があるなどと、一見もっともらしい意見を言う人もいる。

けれども、原発の問題は、目先の政治や経済の課題と一緒に論ずるようなレベルの問題ではなく、人類と大地の存続に関わる文明史的な大問題だ。

エネルギー政策だの、景気だの、コストだの、などと言っている人は、22世紀の社会に対してどのようなビジョンを持っているのか、聞いてみたい。

ぼくはエネルギーや住居や職場を都市に集中させて、生産や消費を効率化する20世紀型のやり方から脱却して、社会を構成する要素を広く分散する社会を作って、原発を乗り越えて行く先に、22世紀への夢や希望が広がっているって、信じてる。

何度も書くが、これは文明論の問題で、右だの左だのってイデオロギーには関係ないことを理解していただきたい。

原発に反対するのは左翼なんて言っているうちに、どんどん日本の国土や海が危機にさらされてしまうことを、小泉という保守政治家が教えてくれている。

おっと、話がどんどんそれてしまい、文章は長くなって、内容も重くなっちゃった。

それにしても面白いのは『小さいおうち』という一つの小説から、どんどんイマジネーションが広がるってこと。

久しぶりに、現代作家の小説を堪能して、とてもうれしかった。

今夜は気分がいいので、気分も軽くPizzicato FiveのOn The Sunny Side Of The Street

2014年1月13日 (月)

田嶋さんのお仕事は、派手さはないけれど、謙虚で誠実なお人柄そのままに、 地道な活動を長い年月続けていることに、心から敬服している。

流山市立博物館友の会で懇意にしていただいている郷土史研究家で、元都立高校の歴史の先生だった田嶋昌治さんから、「小金の緑と文化財を守る会」の会報が届いた。
もう154号だという。
学生時代は小学校から大学までずっと劣等生だったので、昔教師だった方に会うと、萎縮してしまうのだが、田嶋さんは気さくな方で、緊張せずに話が出来る数少ない元教師なのだ。
田嶋さんはご自分のウェブサイトを持たないので、詳しく紹介されているサイトのリンクを張る。
「保存運動と歴史からみた東葛の城と松ヶ崎城」
田嶋さんのお仕事は、派手さはないけれど、謙虚で誠実なお人柄そのままに、
地道な活動を長い年月続けていることに、心から敬服している。

その活動に対して、東葛地域の文化の向上に貢献した個人・団体に贈られてきた北野道彦賞が贈られ「松戸よみうり」でも紹介されたこともあった。

松戸よみうり

自分が住んでいる小金地区で活動している研究者だから、もっと協力しなきゃいけないのに、アカデミックな世界におられる方なので、無学なぼくには敷居が高く、外野から声援するのが精一杯だ。

せめてもの罪滅ぼしに、ブログで紹介させていただいた。

それでも、ご近所さんのよしみで、今年は何か一緒にできたらいいなあ。

ケイト・ラズビーがカバーしたザ・キンクスの「村の緑を守る会」

まずは今年、小さいことから始めてみよう。

昨日は、ちょうど2年ぶりに流山市立博物館友の会の行事・新年会に参加した。
個人的な事情がいろいろあって、「新葛飾土産」というこのブログも羊頭狗肉の状況で、
車寅次郎よろしく、東京から茨城や栃木まで、あちこちふらついているのだが、
久しぶりに本拠地に帰ってみた。
この2年間で成長したのか、老化して、退化したのか、どっちかわからないけれど、以前とは風景が違って見えたことも事実。
例えば、それは自分の作品や研究成果を発表したいという、自分ひとりだけの表現欲求よりも、チームの力で、何か新しいモノを作り上げたいって、気持ちがわいてきているってこと。
会社の仕事と違い、利害関係のないメンバーでチームを作るのは、なかなか難しい。
理念とテイストも共有している上に、さらにプラスアルファがないと、発火しない。

たとえ発火しても、そこから継続するために薪を焼べ続けなければ、すぐにメンバーの心は離れて、火が消えてしまう。

36年も続いているこの団体は、やはりすごい。

凡才ゆえ、たくさん失敗して、やっとそういうことが分かってきた。

まずは今年、小さいことから始めてみよう。

小さな企画を積み重ねて、ゆっくりと仲間作りしたいね。

さあ、そろそろ、仕事に取りかかろう。

2014年1月11日 (土)

現在では忘れられた作家だが、大正という時代背景だからこそ生まれた、偉大ではないかもしれないけれど、興味深い高田保という人物を、少しずつこのブログでも紹介していきたいと考えている。

年が明けてから、ずっと夏堀正元『風来の人 小説・高田保』を読んで、さっき読了した。
最近足繁く通っている土浦が生んだ劇作家で、大正時代の浅草オペラを皮切りに作家活動を行い、プロレタリア演劇にも関わったが、逮捕されて転向。
戦後、東京日日新聞に連載したコラム『ブラリひょうたん』で名を知られる。
と、言われてもぼくが生まれるずっと前、昭和27年に亡くなっているので、土浦に通い始めるまでは、名前を聞いたこともない人物だった。
そこで、いろいろ情報を集めているのだが、この人の書いた作品だけ読んでも、もうひとつ何をやりたかった人なのか、わからない。
特に、戦前の作品は当局の検閲を意識して書いているものも多いだろうし。
代表作『ブラリひょうたん』も、時事ネタが多く、今読んでも、ピンとこない作品も多い。
それじゃあ、高田保を読む価値がないのかと言えば、全然そんなことはなくて、その生涯をたどるだけで、その時代時代の風景が見えてくるのが、面白い。

とびきりの秀才でありながら、優等生になりたくなくて、強いモノ、エライ人に背を向け続けた人生なのだが、永井荷風が持っていたような圧倒的な経済力と文才がないので、孤高の作家といった方向には行かず、最後まで人と接することで、成立した人生だった。

その人間好きに加え、時代を読む鋭い臭覚と、抜群のフットワークがあったから、大正から戦後まで、多くの友人に囲まれながら、ずっと時代の先端を疾走し、56歳で力尽きて早逝した。

現在では忘れられた作家だが、大正という時代背景だからこそ生まれた、偉大ではないかもしれないけれど、興味深い高田保という人物を、少しずつこのブログでも紹介していきたいと考えている。

尊大な明治と戦前昭和という二つのマッチョな時代に挟まれた、ホッとするような可愛らしい時代。

ぼくはどうもそんな時代に惹かれてしまうらしい。

そうだ、そんな大正時代を「日本のビーダーマイヤー」として紹介する、都市文学史の名著をひとつ掲げておこう。

岩波現代文庫版は持田叙子による解説が絶品で、ちくま文庫版を持っているのに、改めて買ってしまった。オススメの逸品です。

2014年1月 3日 (金)

コンビニやチェーン店で買い物をしたり、食事をしても、外国の機関投資家の影が見え隠れして、薄ら寒い気持ちになるので、なるべく地元への「愛」や商品への「愛」を感じる個人店を利用するようにしている。

今朝の朝日新聞朝刊社会面に「脱主流派宣言」と題して、コンビニから普通の酒屋に戻った名古屋市の店主の話が載っている。
「定休日をもうける」
「24時間営業はしない」
店主が出したこの再契約条件に、ぽかんとするばかりだったチェーン本部側の人間の世界がぼくにもよくわかる。
今からちょうど25年前、ぼくは「ぽかんとする」側にいた。
たった7ヶ月のチェーン本部社員生活だったが、この7ヶ月がなければ、いまとは違う自分になっていたと思う。
そして、かみさんがぼくをこの会社から、強引に引き剥がしてくれなければ、今頃は酒屋をコンビニに替える仕事や、親会社の巨大ショッピングセンター作りに従事していたかもしれない。
25年後に、こんなブログを書いていることなど、当時は想像もできなかった。
自分だって、普段はコンビニを利用しているし、コンビニが全く無駄だとは思わない。
けれども、昨日のエントリでも書いたように、

大切な相手の「生を活かす」ことはやはり「愛」と呼ばれるも のの原型なのではないだろうか。

と、ぼくも思う。

コンビニやチェーン店で買い物をしたり、食事をしても、そこに個人の「愛」なるものは

存在せず、システム化されたサービスの向こうで、うっすらと見え隠れするのは、

外国の機関投資家の影。

不愉快というほどではないけれど、満足にはほど遠く、薄ら寒い気持ちになるので、

なるべく地元への「愛」や商品への「愛」を感じる個人店を利用するようにしている。

だから、シャッター街になってしまった古い商店街を見ると、いつでも心が痛む。

たった7ヶ月でも、個人商店をつぶすような仕事をしてしまったことは、慚愧に堪えない。

クルマならあっという間に通り過ぎてしまうような、古い町を歩き、路地裏を愛し、手仕事や国産品にこだわり、日本酒を飲むのも、全ては25年前の後悔からきていることを、今朝の新聞を読んで、改めて痛感した。

2011年の7月にアップしたけど、本日の気分は高田渡に捧げたというこの曲なので、重複をおそれず、細野晴臣の「僕は一寸」を紹介しましょう。



年末と、元日と、2回もNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」の総集編前編を観てしまった。

年末と、元日と、2回もNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」の総集編前編を観てしまった。
以前から、杏という女優の仕事に興味があり、気になっていたのだが、ビデオ録画するのも
億劫なので、なんとなく観られずじまいになっていた。
人間にとって一番基本になる「住むこと」と「食べること」、そして大地。
日本橋蛎殻町出身なのに、震災を機に、関西に移住した谷崎潤一郎の世界とも、
時代背景が重なり、イメージがダブる。
いろいろ考えさせられることの多い、いいドラマだと思う。

数年前に蒼井優主演で、3ヶ月で打ち切りになった「おせん」も、「ごちそうさん」と共通したテーマを掲げたドラマだった。
蒼井優もいい仕事が多いので、わりとハズレがない。
「ごちそうさん」以上に、ディープな和の文化を描いたいいドラマだったのに、民放ではきつかったのかな。
wikiを見ると、原作者が「原作とのあまりの相違にショックを受けた」と書いてある。

確かに原作の漫画とは、相違点も多くて、戸惑う人もいるのかもしれないけれど、

もっと続いて欲しいドラマだったので、残念だった。
それはさておき、「ごちそうさん」については、誰も通らない裏道 というブログに、
「この番組は現代の『細雪』なのかもしれない」というエントリがあって、面白く読んだ。
そこにも書いてあったけど、番組ウェブサイトに載っている脚本家森下佳子さんの
「執筆にあたって」という文章に共感したので、引用します。

福島第一原発事故直後のこと、一人のママ友からメールが来ました。「ミルクを作るためのミネラルウォーターが買えない」とそこにはありました。あの頃ほど ではないにせよ、今も安心できる食材を確保する為に手を尽くされている方も多いのではないでしょうか。「何故こんな事態になってしまったか」と、やり切れ なさや怒り、一人の大人としての反省を覚える一方で、食材を求め奔走する母親たちの姿に、とてもプリミティブなものを感じました。
おそらく太古の昔から、母親ってこんな感じだったのではないでしょうか。木の実を拾い、安全な湧き水を汲み、子供や家族を飢えから守ろうとした。そして、 父親は安全な土地を探し、風雨をしのぐ家を建て、自然の脅威や襲い来るもろもろから子供や家族を守ろうとしてきた。その為にはエゴイスティックな行動も 取っただろう。それ故に醜い争いも起こってきただろう。けれども、そのマイナスも含めた上で、大切な相手の「生を活かす」ことはやはり「愛」と呼ばれるも のの原型なのではないだろうか。
そんな事を漠然と考えていたところ、この企画のお話をいただきました。「『食』をモチーフに、夫婦のラブストーリーをやりませんか?」というのがそのご提案でした。
そうして紆余曲折の後、出来上がったのが食いしん坊のハイカラ娘と街を創る事を夢とする元祖理系男子という組み合わせ。彼らが愛を育み、生き抜いていくさ まを明治、大正、昭和の風俗、そして、美味しそうな料理と共にお楽しみいただければと思っております。

1920年代、大正から昭和初期のこの時代が好きだ。

現在まで続く暮らしの機械文明の基礎が固まった時代。

けれども、コンピュータもなく、生活全般が機械化されるわけではなく、

いまから見ればプリミティブな人間の手仕事の文化も生きていた時代。

だからアール・デコのデザインは機能主義を志向しながら、それでいて美しい。

一方で地震におののき、大地や海の放射能汚染と向き合っていかなくてはならない

辛い時代が、これからも続く。

「住むこと」と「食べること」今年もじっくりと、考えていきたい。

1920年代を代表する童謡で、三木露風の歌詞が印象的な一曲を、年の初めに。

そして、三木露風については、この本が詳しいので、紹介します。名著です。

2014年1月 1日 (水)

一夜明けて、各メディアから報道が流れたので、やっと冷静になり、中学3年生の時から、 40年以上にわたる大瀧ファンとして、今日は彼の業績を偲んでみたい。

新年明けましておめでとうと、言いたいところだったのに、大晦日に大瀧詠一の訃報を聞いて
昨日は、彼が在籍した伝説のバンドはっぴいえんどのファーストアルバム、

通称「ゆでめん」を聞き始めたら、1曲目の「春よ来い」の歌詞が、天国で一人で

除夜の鐘を聞く大瀧さんの心境を歌ったような内容だったので、悲しみを通り越して、

不思議な気持ちになり、とてもじゃないが訃報が信じられず、ぼうっとしていた。
一夜明けて、各メディアから報道が流れたので、少し冷静になった。

そこで、中学3年生の時から、40年以上にわたる大瀧ファンとして、不案内な人のために、今日は彼の業績を偲んでみようと思う。
リアルタイムで最初に聴いたのが、はっぴいのラストアルバムで、中でも「外はいい天気」
という曲に強く惹きつけられた。
同時期に出た最初のソロアルバムも傑作で、「それはぼくぢゃないよ」とか
「空飛ぶくじら」とか「乱れ髪」とか、本当に好きな曲が目白押しだったなあ。
高校一年になって、新しく友達になったサイトー君がはっぴいえんどのセカンドアルバム
「風街ろまん」を貸してくれて、完全にノックアウトされた。

当時、ここまで完成度の高い日本語のロックは聴いたことがなかったし、
松本隆の作る詩は、宮沢賢治の影響も取り込んでいながら、
あの時代の気分を表していて、いまだに「風街ろまん」をしのぐ、
日本語のロックアルバムを、ぼくは知らない。
アメリカのウェストコーストロックやR&Bを消化して、自家薬籠中のモノにしつつ、
高田渡やシバのようなブルース、フォーク、ジャグといった幅広いジャンルの
ミュージシャンも取り込んだ、幅広い音楽性は細野晴臣と大瀧詠一の
傑出した音楽知識によるもので、聴けば聴くほど驚嘆した。

「風街ろまん」で大瀧さんの代表曲といえば、「空色のくれよん」かなあ。
バッファロー・スプリング・フィールドのアルバム「ラスト・タイム・アラウンド」
に収録されたリッチー・フューレーの名曲「カインド・ウーマン」に似た爽やかなアレンジで、
リッチーというよりは、ニール・ヤング風に大瀧さんが歌っている。
といっても、ニール・ヤングの単純なコピーではなく、独特の大瀧ワールド

にしているところが、かっこいいのだ。
書き始めたら、いくら書いても、書き足りないので、ここいらで雑文は打ち切り。

譜面も読めない人間が拙い音楽知識で書いた雑文より、音楽を聴いた方がいいね。

それじゃあ、上記の名曲「空色のくれよん」と、はっぴいえんど解散後、

フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」を追求した

プロデューサー・作曲家としての大瀧さん活動のなかで、ぼくが最高傑作だと思う

「夢で逢えたら」シリア・ポール・バージョンの2曲を、本日のエントリで紹介します。

と書いたが、大瀧さんの作品はすぐに削除されたので、「空色のくれよん」は、曽我部恵一さんのバージョンで。

これもなかなかいい味を出してます。

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