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2013年12月

2013年12月31日 (火)

世間一般では絶望的なほど、水辺を守ることに無関心だって気づく必要がある。

年賀状を書き終えたので、ほっと一息ついた。

この二日間、ちょっと心に引っかかっていたことを書いてみたい。

一昨日の夜、高校の同級生とやった忘年会で、友人と話をしていて、たまげたことがある。
だいぶ酔っ払っていたので、前後の脈絡も、誰が言った言葉なのかも、記憶がはっきりしないのだが……。
新東京国際空港の建設予定地が成田に決まる前に、霞ヶ浦を埋め立てて、
空港を作ろうという話が持ち上がり、漁師だったぼくの祖父が仲間の漁師達と、水上デモ
を敢行して、反対運動をやったことがあった。
ところが彼は、「霞ヶ浦を埋め立てる方が成田に作るよりよかったのにね」と言ったのである。

成田に空港を建設したことの可否は、ぼくには分からないけど、霞ヶ浦を空港にしてしまい、水郷地域を消滅させてしまうなんて、狂気の沙汰としか思えない。

友達には悪気などなく、もちろんぼくを怒らせる意図などないことは分かっていたけど、あまりのショックに、一瞬言葉を失った。
二日経って、冷静になって考えると、ぼくの常識は大きく、世間の常識からずれているのかもしれないのかなあ、と思い直した。
秋田県の八郎潟のような大きな湖を埋めてしまう国である。
諫早湾だって、違憲判決が出ても、開門されない国である。
子供の頃は漁師だった祖父に連れられて、舟で遊び、大人になっても自分の周囲には、海や川や湖沼を愛して止まない人たちが多いから、知らず知らずのうちに感覚が麻痺していたのかもしれない。
世間一般では絶望的なほど、水辺を守ることに無関心だって気づく必要がある。
2013年最後に、そんな悲しい事実を突きつけられた。

一方で、縄文時代からずっと日本人は水辺を大切にし、自然の恵みの中で暮らしていたことも、今年痛感したことの一つ。

だから、来年手がけたいテーマの一つは、水辺で遊ぶこと、水に親しむこと。

現代人が水辺を愛する心を取り戻すには、遠回りに見えるけど、それが一番の近道でしょう。

そんな活動を自分の出来る範囲で、少しずつでいいから、やってみたい。

手始めに、こんな映画を紹介したい。

ジェーン・フォンダが父親のヘンリー・フォンダの最晩年に和解し、製作された1980年の映画「黄昏(英語のタイトルはOn Golden Pond)」。
ヘンリー演じる高齢のノーマンと、水辺の別荘で一緒に暮らすうちに、凍りついていた少年の心が、温かくとけてゆき、意固地なノーマンの心も同時に変化して、お互いがお互いを認め合うい寄りそう姿が美しかった。
名優キャサリン・ヘプバーン体当たりの名演も光るけど、この映画の主役は、やはりGolden Pondという湖とその周辺の自然だと思う。

そして、デイブ・グルーシンの音楽を、美しい自然の映像と共に送ります。



 

2013年12月30日 (月)

人づきあいが苦痛で、草花と会話するのが精一杯だったのに、9月になって、 古い町と新しい友達に救われて、やっと心が開放された。

年の瀬なので、柄にもなく、ことし一年を振り返ってみるとしよう。

それにしても、ことしの前半は、辛かった。新しくいろいろ試みたことが上手くいかず、

空回りして、ストレスばかり感じる毎日だった。

ひどい年になりそうだなと、失意の中、たまたまふらっと訪れた土浦。

子供時代に行って、楽しかった記憶がある亀城公園だけが目当てだった。

おそらく40年以上のブランクがある。

駅舎も変わり、国鉄バスの待合所もなくなり、蒸気機関車用のターンテーブルも消えた。

駅前の西友ストアはなくなり、知らないうちに駅前に建っていたイトーヨーカ堂すらつぶれている。

亀城通り商店街のアーケードはぶつ切れで、土浦に行けば必ず立ち寄った長崎ちゃんぽんの店も消え、大通りから往時の面影はほとんどなくなっていた。

だけど、ちょっと裏町に入れば、残っているモノ、変わらないモノもたくさんある。

川魚の佃煮を売る店。歴史を感じさせる古い洋館。

極めつけは堀割が美しい亀城公園と、旧水戸街道の古い町。

フレンドリーで、あったかい町の人たちが話す言葉は、懐かしい茨城なまりのイントネーション。

激しく古里を感じ、めまいがした。

オレには、家から電車に乗って、たった3、40分でたどり着ける場所に古里がある。

「ブルーにこんがらかって」しまい、身動きがとれなくなった夏。

人づきあいが苦痛で、草花と会話するのが精一杯だったのに、9月になって、

古い町と新しい友達に救われて、やっと心が開放された。

筑波山の山並みと、桜川や霞ヶ浦の水景に恵まれた町を新たな視点で見る。

すると、見慣れたつもりの景色が、新たな風景として、心の中で立ち上がる。

そして、更なる発見は、土浦が水戸街道の宿場町というだけでなく、

土屋藩の城下町だったこと。

東京からこんな近くに、立派な城下町があった。

7~8年の間、郷土史を勉強した東葛飾には関宿という城下町があるけど、

明治以降大規模な河川の改修があり、江戸期の町の面影はほとんど残っていないという。

だから、土浦との出会いは衝撃的だった。

ずいぶん長文のエントリになってしまった。

このくらいで終わりにしよう。年賀状もまだ出来ていないし。

そうそう。この歌、まるで土浦のテーマソングのようで、とても気に入ったからアップしよう。

子供時代にリアルタイムで聴いた時は、ちっともいいと思わなかったのに、

今聴くと新鮮に響く。若き日の小柳ルミ子の歌唱力に軽い衝撃を感じた。

2013年12月29日 (日)

もうすぐ干支が変わる年の瀬、この時期、毎年思うのは、どうして「猫年」ってないんだろうってこと。

もうすぐ干支が変わる年の瀬、この時期、毎年思うのは、どうして「猫年」ってないんだろうってこと。
研究者の偉い先生なら、きっと何か、もっともな答えを用意しているのかもしれない。
でも、まあ、それじゃあつまらないから、勝手に答えを推測してみよう。
猫年の人は猫を人生の模範にしてしまうから、それでは社会が成り立たないと、

大昔の為政者はかんがえたんじゃないか、って答えはどうだろう。
うちには2匹の猫がいて、こいつらの暮らしぶりを見ていると、大変参考になる。
とにかく、快適さを求めようとする、後ろ向きの向上心が半端じゃない。
移り変わる季節に応じて、拠点を変化させ、最高の場所を見つけると、日がな一日、そこで暮らす。

家に何か新しいモノを持ち込むと、必ず近寄ってきて、チェックしないと気がすまない。

先般亡くなった天野祐吉さんの編著に『よく遊び よく遊べ 隠居大学』という本がある。


この本の表紙が猫のイラスト。

隠居後の生き方を猫に学ぶというのがテーマになっている。
子供の頃は猫のように、自由に気ままに好きなことをやっていても、社会人になって、

特に大きな組織の中で働くようになると、猫ではいられなくなって、

犬のように周囲の力関係を気にしながら、自分の居場所を作っていく。

だけど、もうじき、定年退職が来て、その時に慌てるのはイヤだから、

今から猫を見習って、自由気ままにふるまう練習を始めなきゃね。

そんな気分にふさわしいのが、この歌。

ピチカート・ファイブをバックに、夏木マリのボーカルがフィーチャーされた「三月生まれ」

夏木マリ独特の個性が醸し出すムードがいいんです。


2013年12月26日 (木)

現在20代の若い男女が、大正14年の古い写真を見ながらあれこれ思い出を語っているところから、物語はスタートします。

久しぶりに小説を書くぞと決心して、早くも数ヶ月たってしまった。
具体的にどこかの文学賞を狙って書き始めるのではないから、着手するにはふんぎりが必要で、なかなか苦労しているのだけど、本日はクリスマス。
そうだ。

クリスマスの夜に、若いカップルが食事をする場面から始めよう。
だから今日がスタートです。
タイトルは原稿を総て書き終えた後で、考えることが多いんだけど、今回は最初からタイトル決めてます。
「大正14年の花火」です。
なぜ、そんなタイトルなのかは、おいおいブログで説明します。
現在20代の若い男女が、大正14年の古い写真を見ながらあれこれ思い出を語っているところから、物語はスタートします。
物語の舞台は、今でも江戸時代の面影を残す茨城県の城下町土浦です。
二人が食事をしている煉瓦作りの蔵を改造した古いレストランでは、こんな曲がBGMで流れています。

二人のクリスマスはこの曲のこの演奏じゃなくてはいけません。

ジョンやポールのクリスマスソングじゃダメなんです。山下達郎もお呼びじゃないです。
90年近く前の古い写真を見ながら聞いていると、二人の耳には、この曲がまるで、大正時代の音楽のように聞こえるはずです。


さて、写真に写っている大正時代の若者たちが夢みたユートピアは、どんな世界だったのでしょう。
そして、それはその後、大きな時代の変化の中で、どのような末路を辿り、若者たちの夢は壊れて、あるいは実現してゆくのでしょう。
水景が美しい土浦の町を散歩するように、物語の世界に入ってみて下さい。

私が水先案内人を務めましょう。
ということで、いずれまた、進捗を報告します。

2013年12月23日 (月)

そこには「女性が強くなると国家が滅びる」などという、絶滅危惧種のおじさんの妄言など、吹き飛ばすような爽快感が漂っていた。

先日、ある会合に参加したら、「女性が強くなると国家が滅びる」というご高説を、メディアに関係するエライ方から拝聴した。

母親の力が強くなると、男の子たちが脆弱になり、国家がダメになるっていう不思議な論理らしい。
ぼくは、年長の男だということだけで、若い人や女性に対して、イバるような脆弱な輩が跋扈すると、クニは危ういって、日頃から考えているへそ曲がりオヤジだ。
21世紀の日本にそんなことを公言するおじさんがいることに、不思議な感覚を覚えたのだが、もしかすると、同じような思考回路を持ったおじさんが増えているのかなあ。
地域で、いろいろな文化運動や表現活動に携わっていると、男の影が薄いのに閉口する。
半世紀以上人間やってきて、何にも言いたいことないのかよって、毒づきたくなる。

どこに行っても、出会うのは女性ばかり。

男はいったいどこにいるんだろうと不思議になる。

おじさんたちはパチンコとごろ寝ですかね。

ついでに言えば、最近公園で遊んでいるのも女の子ばかり。男の子はお家でゲームでしょうか。

男の子は外で元気にあそんで、女の子は家でお人形さん遊びをやっているってのは、昭和の常識。

だからオレは女の子にしか期待しねえよ、なんて言いたくなる。

おれだったらこう言うね。

「男がダメだから、せめて女性に頑張ってもらわないと、このクニはもっとダメになる」って。

ダメになる一方の男に対して、女性は元気だ。
しっかりした考えを持って、着実に自分の想いを実現してゆく実践力に、いつも敬服する。
ドラマ「のだめカンタービレ」を思い出した。
気位ばかり高い、ブランド志向の狭い了見しか持てず、実際の世界では悶々としている男が、破天荒な個性の女性と出会って、覚醒し、自分の限界を乗り越えてゆく物語。
数年前に完結した作品だけど、ことしは、このドラマを見て、いろいろ考えさせられた。
そこには「女性が強くなると国家が滅びる」などという、絶滅危惧種のおじさんの妄言など、吹き飛ばすような爽快感が漂っていた。
ことしのテーマは個人的には小津安二郎イヤーなんだけど、我が家は数年遅れの「のだめ」イヤー。
だから今夜は、映画の最後にのだめがソロで弾いたベートーベンの「悲愴 第二楽章」を、
杉浦日向子のお別れ会でかかったというエミール・ギレリスのピアノで聴きたい。
45年前の12月23日に録音されたという演奏に、深い因縁まで感じつつ。

2013年12月22日 (日)

隅田川を出発して、小名木川、新川、浦安でディズニーリゾートを横目に「こっちの方が楽しいよ」とつぶやき、江戸川から、利根運河、利根川、霞ヶ浦そして、その先に聳える筑波山を回る旅。 こんな旅が出来たら、まるでロンドンからコッツウォルズに向かうモリスの『ユートピアだより』だね。

何年か前に、テレビでイギリスのナローボートというものを見て、一目で魅せられて、いろいろ調べたことがある。
イギリスでは産業革命以降に、石炭を小舟に積んで側道から手で引っ張って運ぶ(つまり曳舟、東京にも野菜を運んだ曳舟川がある。いまは暗渠になってるけどね)ために作られた小さな運河が無数にあるのだが、時代が進み、それらが役割を終えて、どぶ川化していた。そこまでは曳舟川と同じ運命だ。

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ところが、東京の町にあった堀割や農業用水を次々と暗渠化して、臭いものに蓋をした日本人と、簡単に古いモノを手放さないイギリス人はオツムの構造が違うらしい。

1970年頃から、運河を再利用しようという社会的な風潮が出てきて、船舶免許なしで誰でも操縦できるナローボートという細長い船が作られた。
今では、週末になると、キャンピングカーのようにナローボートに家財一式を積み、家族揃って、まるで移動する別荘のように大都市圏からカントリーサイドへと、のんびりとした旅をする人々で、運河が賑わっている。
そんな概要だったと思う。
詳しくは秋山岳志さんのブログと著書がある。
英国運河をナローボートで旅するには

以前、所属している地域研究団体で、江戸川や利根運河でナローボートの旅を出来るように整備したら、江戸期に鹿島神宮行きの木下茶船で賑わったように、千葉や茨城方面がリゾート地として脚光を浴びるんじゃないかといった内容の話をしたら、偉い先生にものすごい勢いで、否定された記憶がある。

若輩者が夢を語っているだけなのに、そんなにムキになって否定しなくてもいいのになあと思って、それ以降、余計なことをしゃべるのはやめた。
ナローボートって喫水も短いし、川を整備するって言っても、それほど大がかりな話ではないはずだが、ナローボートがどういうものだか知らないで否定したんだろう。

そういえば、訪日した外国人観光客が過去最高を記録し、1000万人を越えたとか。

和食が世界遺産に選ばれたなんていう話も聞く。
先月、鎌倉に行ったら、あまりにも外国人が多いので、びっくりした。
ぼくのような初老のオヤジから見ると、現在の日本には風情もなんにもないじゃないか
なんて毒づきたくなるが、それでも外国人にはエキゾチックで魅力的な風景が残っているのかもしれない。

ここに江戸期の絵画が2点ある。

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上が司馬江漢「三囲景図」で、下が歌川広重「名所江戸百景 隅田川水神の森真崎」である。
この二つの作品に共通しているのが、一番奥に筑波山が配置された構図になっていること。
司馬江漢の作品は箱の中を覗く写し絵なので、左右逆になっていて分かりづらいけど、いまも隅田川沿いになる向島の三囲神社のあたりから、筑波山方面を見たところで、広重の作品は数キロ上流の水神大橋のあたりから見たところ。

江戸と言えば富士山信仰が有名で、以下のような、なぎらけんいちの本でも富士講のことが出ている。


けれども、このような絵を見ると、富士山と同じように、江戸では筑波山がメジャーな存在だったことがわかる。
隅田川を出発して、小名木川、新川、浦安でディズニーリゾートを横目に「こっちの方が楽しいよ」とつぶやき、江戸川から、利根運河、利根川、霞ヶ浦そして、その先に聳える筑波山を回る旅。  こんな旅が出来たら、まるでロンドンからコッツウォルズに向かうモリスの『ユートピアだより』だね。

茨城県が、県別の魅力度ランキングで最下位だとか。

上等だよ。

気づくのが遅い、感度の鈍い観光客で溢れかえる前に、江戸人の末裔として、のんびりと僕たちは下総國や常陸國を楽しんじゃうからね。

ロギンス&メッシーナの”Watching The River Run”



2013年12月21日 (土)

杉浦日向子の生前最後の原稿が「たてがみさしみ」 人生の機微といったユルい言葉では語れない、死と毎日向き合っている人間ならではの鮮烈な言葉が並ぶ掌編小説集『ごくらくちんみ』の最後を飾る作品。

古い建物の保護について、ひときわ長くて固い内容のエントリを書いて、ニフティのサーバーに保存しようとしたら、消えてしまった。
ショックが大きくて、同じ内容をもう一度書く気力がわかないので、気分を変えて「たてがみさしみ」のことを書こう。
杉浦日向子の生前最後の原稿が「たてがみさしみ」
人生の機微といったユルい言葉では語れない、死と毎日向き合っている人間ならではの鮮烈な言葉が並ぶ掌編小説集『ごくらくちんみ』の最後を飾る作品。

彼女が亡くなった当時、朝日新聞のお悔やみ欄を書いた記者によれば、自分の身の回りを整理して、自宅に戻って入院する直前のエピソードを描いたとか。

老いた両親への本人の思いが溢れる文章に心打たれる。

ぼくは、死と生と、人の命に直結している食べることを、この本と『杉浦日向子の食・道・楽』の2冊ほど、深く考えさせられる作品に出会ったことがない。

もとより、なんとか文学賞になるような小説やエッセイ集ではない。

だけど、ぼくにとっては宝物だ。

そうだ。「たてがみさしみ」があった。

なにより絶品は、たてがみ。たてがみの下皮にある純白の脂身で、六百キロの馬から三百グラムしかとれない珍味中の珍味。薄切りにして塩だけでも甘みが引き立つ。舌に載せるや、じわっと表面が、とろとろつるつる滑りだし、心地良く体温に馴染み、半透明に温まり、歯を当てるのが愈々勿体なくなる。ずっと口を閉じてうっとりしていたい。恍惚悦楽吐息の一片。

杉浦日向子は、過酷な運命に翻弄されながらも、最後まで、明るく、死ぬまで生きた。

江戸の達人というだけでなく、人生の達人だった。

馬について歌った曲といったら、ローリング・ストーンズの”Wild Horses”を思い出したけど、

なんか違う。バーズの"Chestnut Mare"も違う。

ここは、三橋美智也だよな。

昭和35年の大ヒット曲。

大事に育てた愛馬が町に売られて行く。

素朴な農民の優しい気持ちを織り込んだ歌詞。

こんな歌詞の歌が、多くの庶民の心をとらえてヒットした時代が、かつて日本にあった。

高度経済成長と東京オリンピック以前のこの国には、どれほど、心豊かな暮らしがあったのか、この歌一つ聴いただけで、わかるでしょう。

2013年12月19日 (木)

そして、なによりもこの場所には、ぼくが長い間求めて止まぬ「小さな町の不思議な空間」の気配が漂っているのがうれしい。

日曜日と、火曜日の二日間、つくば、土浦、美浦を回った。

土浦や美浦を舞台にした小説を書きたいという目的はあるのだが、それ以上の何かに取り憑かれたように、このところ何度も茨城に通っている。

帰巣本能に目覚めてしまったということか。

巣立ってから50年以上の長い旅を終えて、帰るべき場所に帰りたくなったということか。

自分が生まれた、江戸時代から続く百姓家はとっくに消滅し、犬が道ばたで匂いをかいでウロウロするように、ぼくも町や村をうろつくだけだ。

けれども、そうやってウロウロする時間が一番楽しかったりする。

案外、そこに帰る家があったりすると、つまらなくなってしまうのだ。

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上の写真は、つくばのルーラル吉瀬という多目的空間に3年前に出来た「珈琲屋まめは」さん。

日曜日の10時開店と同時に入ったのだけど、たいへん居心地のいいお店で、感心してしまった。

日曜日の朝早い時刻にもかかわらず、若い女性客が、まったりと読書している姿が印象的で。

若い女性が、かっこいい休日の過ごし方している。やるなあと、こっちまでうれしくなった。

若くて優しそうなご主人の許可を得たので、店内の写真をアップしました。

そして、生家のある舟子という集落を歩いた。

50年近く前の記憶を辿る、ミニツアー。

古里は廃屋まで美しい。

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馬頭観世音の石碑に彫られた名前は、もしかしたら天保年間に生きていたご先祖さまの名前かもしれないと、夢が広がる。

最後に、土浦の町。

NPO法人 まちづくり活性化土浦という団体が主催している「まちかど茶話会」に参加した。

まちづくり活性化土浦

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神社の社務所を改築した「井戸端庵」という場所に集まって、 瀧泉寺住職齊藤純英氏のお話を聞いた。

学校の先生や、宗教者のような立派な人は苦手なので、恐る恐る参加したのだが、住職の気さくなお人柄で、救われた気分。
そして、なによりもこの場所には、ぼくが長い間求めて止まぬ「小さな町の不思議な空間」の気配が漂っているのがうれしい。
7年前雑誌「流星」に書いたエッセイで、ぼくはこんな風に書いた。

例えばこんなのはどうかな。コミュニティが機能しない時代だからこそ、昔ながらのコミュニケーション回路を復活させる。IT全盛の時代にはそっちの方が新 鮮だ。為政者が「美しい国」なんて抽象的なスローガンをマスメディアを通じて流すのなら、ぼくたちは具体的な内容を、方言混じりの話し言葉で語り合う場所 を住んでいる地域の中に作ろう。杉浦日向子の、『もっとソバ屋で憩う』にあった山形のソバ屋萬盛庵のような場所がいい。
   
 
  「この店では、ふだんつかわない二階の大広間で月例会を三十年以上にわたり続けている。休日の昼、毎回スピーカーをひとり招き、十五分ほどの食前卓話(それぞれの専門分野の貴重な裏話だが、学術的なことにかぎらず、家業の苦労、趣味の楽しさなど話題は無尽。新内、木遣りなどの邦楽。洋楽のソロなどのミニ・コンサートもある)の後に、今月のソバ献立という、主人の心尽くしの季節を味わうソバ料理と美酒に興ずる。(中略)こんなところで、江戸の庶民文化がしたたかに息づいている。」

    子供からお年寄りまで、老若男女が集えるこんな場所がぼくたちの生活空間には必要なんだ。きっと、そんな国こそ本当の「美しい国」というんだろう。

杉浦日向子が亡くなってしまった今、

彼女がいたことを忘れないようにする。そして、その思いを具現化する。

それが志半ばで亡くなった彼女に対する最大の供養だと思っている。

そんなことを書いていたら、杉浦日向子同様、自分と同じ時代を生きてきた綾戸智恵が急に聴きたくなった。

町への愛情溢れるビリー・ジョエルの名曲をカバーした作品。

今夜は、優しさに満ちたこの曲がいい。

2013年12月14日 (土)

いまは自宅からたった20分クルマを走らせれば、巨大ホームセンターがある。 山吹色の夕焼け空をバックに、クルマの荷台にICパネルという断熱材を満載して家路を急ぐ幸せ。

このところ、残業続きで、時間の余裕がなくなり、平日夜の散歩も出来ず。
気がつくと、休日に三郷の巨大ホームセンター、スーパービバホームに通って、うろうろしている時が、一番楽しかったりする。
昔はセルフビルダーだったとは言っても、15年以上、何もしていなかったから、今は知識もスキルも全くの初心者。
かえって新鮮な気分。
昔のように山小屋を完成させる重荷を背負ってない分、手仕事を素直に楽しめる。
午前中、食卓の周りの本棚を整理してたら、マガジンハウスの雑誌「BRUTUS」が1998年に特集で出した”Made In U.S.A. Catalogue”が出てきた。

パラパラとページをめくると、いろいろな想いが交差する。

なぜなら、子供の頃から圧倒的なアメリカンカルチャーの影響を受けて育った世代だ。
だからアメリカという国への思いは、とっても複雑で、一言では言い尽くせない。

10代の頃、アメリカンロックに惹かれて、浴びるほど聴いた。

食事や眠る間も惜しんで、聴いた。

学校の成績は、最低。毎年、落第すれすれで進級した。

ビーチ・ボーイズも、そのころからの付き合い。

昨日の午後から、すっと頭の中では、この曲が繰り返し流れていて、この二日間のマイブーム。


人気に少し陰りが出た時期である1969年のシングル。
今は亡き末弟のカール・ウィルソンが生き生きと、リードボーカルをとっている佳曲。
そういえば、20代の頃、深い影響をうけた評論家犬養道子のこんな本を読んで、アメリカに憧れたことも思い出した。


ストイックなピューリタンが創ったアメリカ。
大らかだけど、自分には厳しい、セルフメイドマン。
『自己信頼』を書いたエマソンのユニテリアン・ユニヴァーサリズム。
マルクスやヴェーバーも着目したロビンソン・クルーソーのような人々が作り上げた社会。

DIYを生んだ力強い精神は、きっとこのあたりにある。
地球の資源を食い尽くすまで消費するしか能の無い、傲慢な消費大国アメリカなぞ、この巨大な国の一面にすぎない。

いまから数十年後、DIYは今以上に、日本でも暮らしの一部となって定着しているだろう。
モリスは『ユートピアだより』の中で、だれもが手仕事を愛好している22世紀の社会を描いた。
主人公ウィリアム・ゲスト氏がプレゼントにもらった美しいパイプについて、若い船頭ディックの口を借りて、このように書く。

「それはほんとうにきれいなものです。そのようなものをつくるのはつくりたいからであって、そうでなければつくる必要などだれにもないわけです。だからつくりたければつくってかまわないわけでしょう?」

15年前「BRUTUS」で、アメリカの巨大なホームセンターTHE HOME DEPOTを見て憧れたのに、いまは自宅からたった20分クルマを走らせれば、巨大ホームセンターがある。
山吹色の夕焼け空をバックに、クルマの荷台にICパネルという断熱材を満載して家路を急ぐ幸せ。
こんな時、ふと思うんだよね。世の中、悪いことばかりじゃないって。


2013年12月 8日 (日)

ちょっとばかし、みんな絶望が足りないのが、気にかかるけど、 専業サラリーマンや、専業主婦の時代は二度と来ないと、強く思う。 だから、ぼくは、22世紀の百姓家を企画して住んでみたい。

建築家長谷川敬の書いた『「消費する家」から「働く家」へ』という本がある。
20年近く前に三郷の図書館で借りて読んだ本だけど、2500円は当時の僕にとっては高価な本だったので、買わずじまいだった。

暮らしのこと、住宅のこと、22世紀の住宅ってどうなるべき何だろう。

いろいろ考えていたら、ふと読みたくなって、アマゾンで安く購入。

著者の長谷川さんによれば、高度経済成長が始まって、家庭内で済ませていた多くの機能が、家から外へ出て行った。
冠婚葬祭はもとより、育児・教育、老人介護、出産など産業化したサービスにゆだねられるようになり、家では何もすることがなくなった。
住宅が単なる消費する器になってしまった。
経済学の言い方だと、住宅が労働力再生産のための道具に成り下がってしまった。
そうなると、家作りの主体は町場の大工・工務店ではなく、商品化住宅を扱う大手のハウスメーカーに頼むことが、当たり前になってしまった。
発注する側に知識などなくても、ネクタイを着けた営業マンがなんでもやってくれて、楽だけど家作りの知識は身につかず、住宅はブラックボックスになってしまったという。

一方で、ホームセンターの機能は、どんどんアップして、ちょっとした自宅の改修の部材など、ホームセンター総て揃うようになっている。

スーパービバホームやジョイフル本田に行けば、購入した材料のカットもやってくれるので、700円台で買える12フィートのツーバイフォー材をカットしてもらえば、びっくりするほど安価に何でも作れる。

ロイド・カーンが"Shelter"や"Homework"で書いていることが、当たり前のように日本でも出来るようになった。
20年前にぼくがセルフビルドを始めたときには考えられない状況だ。
当時はツーバイフォーのランバーを買うのも、一苦労で、インターネットもない時代だったから、知り合いの工務店に頼んで、代理店を紹介してもらったような記憶がある。
時代はどんどん、変化している。

数年前に亡くなった網野善彦に『日本の歴史をよみなおす』という面白い本がある。

そこでは、百姓という言葉は、本来農民を示す言葉ではなく、農業以外のナリワイを営む人々を数多く含んでいる言葉だったという説が展開されている。
身近なところで、自分の親に、明治時代の茨城県美浦村で暮らしていたご祖先のビジネス戦略について尋ねると、生活のために驚くほど多彩な商売に手を出していたことがわかる。

いわゆる専業農家というイメージにはほど遠い。

会社は永遠に成長するというサラリーマン神話は終焉を迎えている。

ちょっとばかし、みんな絶望が足りないのが、気にかかるけど、

専業サラリーマンや、専業主婦の時代は二度と来ないと、強く思う。

だから、ぼくは、22世紀の百姓家を企画して、住んでみたい。

22世紀の百姓家にふさわしい住宅の形は、これから徐々に明らかになってゆくのだろう。

そんな風に、身近な暮らしのディテールに着目してみる。

社会の大きな潮流の変化って、マスメディアによって大文字で語られる政治や宗教ではなく、案外こんな身近なところから始まるのかもしれない。

絶望の中に、ほのかな希望を感じさせる坂本龍一の「KOKO」を、日曜の夜に、ゆったりと。

2013年12月 7日 (土)

いまがよければいいって、バトンを繋ぐことを放棄して、ぼくたちの上の世代が、無責任な暮らし方を選んできたから、この50年で暮らしが激変して、江戸期以来続いてきた生活習慣や、暮らしを取り巻く、たくさんのモノたちが絶滅してしまったのだ。

ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』には、22世紀のロンドンやコッツウォルズが描かれている。
きっとモリスは22世紀の視点から19世紀の自分がいる社会を見ていたに違いない。
モリスの時代から22世紀はずいぶん遠い将来だったと思うけど、いまの僕から見たら、
22世紀はひ孫たちが活躍する時代。いま10歳の娘の孫たちの時代だ。
この世でひ孫に相まみえることはないだろうけど、そんなに遠い将来じゃない。

だから、22世紀の暮らしはどうあるべきなのか。

将来のことは、将来の人が考えればいいなんて、思わない。

そうやって、いまがよければいいって、バトンを繋ぐことを放棄して、ぼくたちの上の世代が無責任な暮らし方を選んできたから、この50年で暮らしが激変して、江戸期以来続いてきた生活習慣や、暮らしを取り巻く、たくさんのモノたちが絶滅してしまったのだ。

いま僕たちが選択した結果は、これから来る22世紀の子孫たちの暮らしを大きく左右する。

だからいま、立ち止まって、じっくり考えてみたい。

経済学者の大内秀明さんは『ウィリアム・モリスのマルクス主義』でこんな風にかいている。

人間本能により若者は地方の農村を捨て、自ら労働力を商品化して、サラリーマンとして企業に集団就職したわけです。都市の団地族の仲間入りをして、近代的な電化製品に囲まれ、ローンで車を買い、マイホームを建て、ひたすら個人の利便性・快適性を追求して自由に生きる。

ところが、高度成長が終焉に向かう中で、企業社会の安全と安定の傘は揺らいでくる。

企業内の福祉だった病院や温泉地の保養施設が閉鎖され、企業のグラウンドは売り払われ、社宅の制度もなくなる。年功序列の終身雇用の制度が崩れ、派遣会社からの非正規雇用の労働力が増加する。企業年金の将来も不安な状態で定年退職がやってくるのです。

さまざまな社会的要因が折り重なって、日本の高度成長が終焉に向かっているのに、どうして、永遠なる経済成長に固執しなくてはいけないのだろう。

この幕末の開国から150年、なかでも50年前から始まった高度成長が、人類の長い経済史では異常な時代だったのだ。

成長が限界に達すれば、振り子が元に戻るように、社会は捨ててきたものの大切さに気づいて、もとの暮らし方を生かす方向にもどってゆくのが自然だ。

ぼくもモリスが描いた牧歌的なイギリス社会に行きたい。

だけど、そこで暮らしたいとは思わない。やっぱし、生まれ育った日本が好きだから。

ぼくと同じ歳でモリス君は、自分が住む場所の22世紀ビジョンを描いた。

今度は、日本に住むぼくらが作る番だよね。

夜の町をさまよい歩いて、

疲れきった体にジェイムス・テイラーの古い歌。

19世紀にフォスターが作って、今日まで歌い継がれてきたこの歌を、

いったい今まで、何遍聴いたろう。

これで少し元気になれるかもしれない。

2013年12月 1日 (日)

正月はのんびりと小説書きなんぞ、始めたかったのだけど、なんとまあ予期せぬ経済学書三昧になりそう。時間がいくらあっても足りないよ。

最近、ダルマ舎の平山さんという面白いおじさんと知り合った。

日暮里で会って、不思議な居酒屋に連れて行ってくれて、いろいろ意見交換していたら、

ダルマ舎

以前買って積ん読にしていた大内秀明『ウィリアム・モリスのマルクス主義』(2012、平凡社新書)を読みたくなって、昨日読了。
よくみたら「あとがき」に平山さんの名前まで、出ているのに、びっくり。
おれ、この本のタイトル、よくないって、平山さんに話したことを思い出して、ちょっと冷や汗が出た。

でもね、一読したあとも、やっぱりこの名著の唯一の欠点はタイトルだという考えは変わらない。
この本は経済学の分野からアプローチしたモリスの『ユートピアだより』の解説書として、出色の作品なのだ。

小野二郎はモリス主義者として有名だし、ずいぶん影響も受けたけど、『ユートピアだより』の解説は、ちっとも面白くなかった。

22世紀の経済社会のあり方を説く『ユートピアだより』の解説は経済学者が書くべきだと、ずっと思っていたので、この本には深く満足した。

だけど、マルクスの名前だけで、瞬間的に拒絶してしまう人も多い今の日本では、かなりつらいタイトルだよな。
学問的には、ものすごく正しいタイトルで、非の打ち所がない。
そして、よく読むと、大内先生ならではの、マルクスのパブリックイメージをぶちこわす提言が、とても興味深いけど、書店で手に取るときにそこまで考える人は、少ないだろう。
マルクス=エンゲルス=唯物史観=レーニン=ソ連。下手すると北朝鮮まで連想してしまうのが、一般的日本人でしょ。
ぼくだったら『22世紀の思想家ウィリアム・モリス』なんて、タイトルにしたいなあ。
少しでも多くの人に読んでもらいたいからなあ。

大内先生とモリス、そして宮沢賢治については、こんな美しいウェブサイトがある。

森のミュージアム 賢治とモリスの館

それにしても、大学時代に一応『資本論』を一通り勉強したのに、この本を読んで、すっかり忘れていたことを思い知らされた。
いまから、勉強。勉強。

大内先生が解説書いてる玉野井芳郎『経済学の主要遺産』(1980、講談社学術文庫)読んだら、宇野弘蔵の本ね。

これも、ずっと前に買って積ん読だった本。あやうく、2冊目を買うとこだった。



正月はのんびりと小説書きなんぞ、始めたかったのだけど、なんとまあ予期せぬ経済学書三昧になりそう。時間がいくらあっても足りないよ。

気分は「HELP!」このライブ、すさまじく出来がいい。

那須高原の「蔵楽」は,うちの近所にこんな店があったら、毎週通いたいようないい店だった。

「痛いよーー!」

発生から9ヶ月も経つのに50肩が癒えないので、手の運動と温泉治療を兼ねて、那須の山小屋に行ってきた。
紅葉も終わって、ひとけのない那須高原は一年で一番素敵な季節を迎える。
冷たく澄んだ空気を思い切り吸い込んで、枯葉を踏みしめながら、森の小径を歩くと、日頃の仕事のゴタゴタなど、きれいさっぱり忘れて、忘我の境地に入れる。

すると、いきなり気分はドリス・デイの"Autumn Leaves"

それはさておき、ソファに腰掛けて空を眺めて、ぼーーーーーーーーーーーっとする。
緊張感もなにもない、晩秋の小春日和。
室内のパーゴラに英文で印刷が入っているのもご愛敬。
ろくに上下も考えず、取り付けてしまったシロウトの浅はかさ。
昔は恥ずかしかったけど、いまはそれも、いい思い出だと思えて、ブログに写真まで載せるんだから、歳はとるもんだと思う。

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板室温泉に行く前に、仲良しの川嶋工務店さんに教えてもらった『蔵楽』KURARAというお店に

寄ってみた。

湯本にある酒屋さんの娘さん夫婦が始めたお店で、川嶋さんが施工したという。

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手作り味噌と栃木県の地酒がずらり並んでいて、

その他の陶器や食料品もこだわりを感じる。

うちの近所にこんな店があったら、毎週通いたいようないい店だった。

日本酒プロデューサー故関矢健二さんのデビュー作「かんなびの里」を見つけたので、それを購入した。

「かんなびの里」誕生秘話についてはこの本に詳しく載っている。

東上野でしか買えない酒だと思っていたので、ちょっと驚いたが、これも栃木県の地酒だったことを思い出した。

関矢健二world

 

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仕事疲れと、お酒のせいで、とろとろに溶けて、泥のように眠りについた。

 

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