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2013年11月

2013年11月23日 (土)

そんな懐かしい風景を見ながら、『未来のための江戸学』という本で、田中優子が書いたように、ぼくも「まだ間に合う」と思った。

7,8年前に買ったことのある『和暦日々是好日』という手帖の2014年版が出たので、買ってみた。
編集している高月美樹さんとFB友達になったこともあり、この風変わりな手帖が急に身近に感じられるようになった。
ビジネスのスケジュールを記録するにはまったく不向きな風変わりな手帖。

けれども、注意深く季節の変化を感じながら、丁寧に暮らしたい人には、大きな実りをもたらす手帖でもある。

俳句を作るような風流な趣味を持たないので、この本で初めて知ったのだが、「季寄せ」という言葉がある。

俳諧で、季語を集めて分類・整理したもの。歳時記の簡略なもの。だという。

高月さんは「はじめに」の中で、このように書く。

季寄せは常に自然と一体になることを「美」と感じてきた日本人の価値観が、凝縮されたものです。森羅万象に畏敬の念を抱き、万物に神が宿ると考えた「八百万神」と表裏一体をなすものといえるでしょう。

先月、先祖代々の家がある美浦村に行った。

すると、明治30年代生まれの祖父が元気だった頃、彼は霞ヶ浦やその周辺の里山の豊かな自然の恵みを受けて、日々の暮らしを営んでいたことを思い出した。

そして、そんな懐かしい風景を見ながら、『未来のための江戸学』という本で、田中優子が書いたように、ぼくも「まだ間に合う」と思った。

江戸時代が持っていた価値観は、過去のものではない。「まだ間に合う」とは、そういう意味である。地方であろうが、都心であろうが、私たちが忘れたかのように思っているものが、人々のかかわりの襞の中に、今でも息づいているのである。

メディアを通じて、大文字で語られる政治とか経済とか宗教とか、そんな表層的なものではない。

欧米的なフリードマン流の経済至上主義、成長至上主義といった「怪物」が猛威を振るっているように見えるけど、怪物の足元では、日本人の心の奥底に地下水脈のように流れている江戸伝来の「暮らしの美意識」が「怪物」に一泡吹かせてやろうと、日本各地で立ち上がっている。

それは静かだけど、大きなうねりで、誰も止められない確かな変革のような気がして…。

もう晩秋だけど、今日は穏やかな小春日和だった。

こんな日には、地味だけど心地よいPOCOの「インディアン・サマー」

2013年11月17日 (日)

材木を切るのに1㎜以下の狂いも許せず、キリキリしていた過去がウソのようで、 野田知佑ばりに「のんびり行こうぜ」って余裕で言える自分を発見して、 何か不思議な気持ちになった。

土曜日の夜一泊して、那須高原に行ってきた。
ネットを見ると、那須高原の紅葉は終わりという案内が出ているので、
交通渋滞の名所、広谷地の交差点も閑散として、

驚くほどスムーズに現場に到着した。
那須高原に通い始めて20年になるけど、

小さな山小屋づくりの工事で通っていたのは、最初の5,6年。
仕事を手伝ってくれた数名の仲間も、子育てや本業の仕事に忙しくなって、

次第にプロジェクトも先細りになり、リフォームは地元の工務店任せで、

この10数年は、一切、自分の手を動かす仕事は止めていた。
そんなところに、昔の仲間Sさんから、手伝うからセルフビルドを再開しようとの

うれしい申し出。

長いこと、手つかずのまま放置された、コンクリートの壁を、あり合わせの木製の壁材で

温かく包むことにした。

針葉樹合板を買って、一気に覆うことも考えたけど、お金を使って、

手っ取り早く仕上げようという発想がそもそもない。

それより、使い残していた、色も木目も違う天然の壁材を、

一枚一枚、手で貼って行くのがいい。

Dsc02461

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コンクリート剥き出しの工事現場風景が消えて、一気に部屋らしくなった。

そして長いこと、出番を待っていた壁材が、活躍の場所を得て、うれしそうに見える。

深山ダムに向かう通り沿いにある、奥那須の幸乃湯温泉で、疲れを癒やしたあとは、

北海道出身のSさん、こだわりの札幌名物ベルのタレで、ジンギスカン鍋を楽しむ。

これも、立派な郷土料理。すごく美味しい。

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あれから長い月日が過ぎ去ったけど、若さと一緒に衒いも消えて、心地よいこと、

楽しいことに対して、素直な気持ちになれる自分がいる。

材木を切るのに1㎜以下の狂いも許せず、キリキリしていた過去がウソのようで、

野田知佑ばりに「のんびり行こうぜ」って余裕で言える自分を発見して、

何か不思議な気持ちになった。

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『Whole Earth Catalogue』の編集に携わったロイド・カーンは言う。

重要なのは、何も小さな家に住むことじゃない。小さな方向に向かうんだ。

(中略)

ただ自分でできることが多いほど、お金に左右されることも、権力に頼る必要も少なくなる。それが小さく始めるってことで、自分のスケールを知るってことだよ。

雑誌「エココロ」2012年秋号からの抜粋である。

2013年11月10日 (日)

そんな名も無い庶民の話を、ゆっくりと、古き良き時代の情景を思い浮かべながら、 ゆっくりと、時間をかけて読む。

郷土史関係の本なんか書いてしまったので、ひとから「歴史好きでしょう」って、よく聞かれる。
いわゆる歴史っていうと、英雄豪傑が出てきて、名も無い庶民とは関係ないところで、
展開する政治のはなしが多いので、実はあまり興味が持てない。
例えば、江戸時代大好きというのに、徳川幕府の将軍の名前、半分も知らない。
先週、田端の田端文士村記念館に行って、ちょっと興味がわいたので、近藤富枝『田端文士村』(2003年、中公文庫)を読んでいる。

巨星芥川龍之介を慕い集う室生犀星、萩原朔太郎、堀辰雄、中野重治ら多くの俊秀たち。

といった英雄豪傑ではないけれど、文壇のヒーローたちが織りなす歴史絵巻というわけである。
実際名著だし、ちょっと前なら、むさぼるように読んだタイプの本なのに、どうもイマイチ引き込まれない。
それはきっと、佐賀純一『霞ヶ浦風土記』と今井正監督の映画『米』のせい。
いままで、東京育ちのぼくには農村のことなんかわからないと思っていたのに、自分が考えていた以上に、幼少期に多くの時間を過ごした美浦村が、一番心の奥深いところに原風景として、存在していることを知った。
船頭や漁師の話をこころワクワクさせながら、夢中になって読んでいる自分を発見する。
淡貝という言葉が出てきた。
しらべると、うちではカラス貝と呼んでいた、あの真っ黒で巨大な貝のことだった。
昭和40年頃でも、霞ヶ浦の水底には無数に生息していたから、いくらでもとれたけど、まずいから豚のえさにしかならないと言われて、食べたことはないし、川遊びの時に拾っても、捨てていた。
出島村の漁師さんの話では、そんなカラス貝を切り干し大根といっしょに煮て食べていたということを、初めて知った。
英雄豪傑の話より、こんな話に異常に反応してしまう。

次から次へと、イマジネーションが沸いてくる。

そんな名も無い庶民の話を、ゆっくりと、古き良き時代の情景を思い浮かべながら、
ゆっくりと、時間をかけて読む。
読んでいるときだけ、満員電車の中でも、時間と空間を飛び越えて、自分の帰るべき場所に帰ったような安堵感を覚える。
それがなによりもうれしい。

2013年11月 5日 (火)

そこには明治や大正生まれの父祖達が、一見不自由そうだけど、実は隙間だらけの戦前戦後の社会で、躍動する姿が描かれている。

日曜日の午後から数時間かけ、気合いを入れて書いた佐賀純一『霞ヶ浦風土記』(常陽新聞社)のエントリが消えてしまい、意気消沈してしまった。
もう一度同じ事を書くのもつまらないので、少し角度を変えてみよう。

最近、友だちづきあいさせていただいている、いぬいとみこ先生の従兄弟のSさんが、NHKスペシャルに出演するというので、久しぶりにDVDレコーダーに録画してみた。
熟年世代と仕事のありかたというテーマについて討論する番組だった。
消えてしまったエントリと関連するんだけど、サラリーマン社会が一般化するまえ、ほんの数十年前まで、誰もがもっと何をやって生きて行くかについて、真剣に考えていたように思う。
ようするに、どんな職業であれ、その職業にこだわりをもっていた。

ぼくがいまいるサラリーマン社会では、職業へのこだわりなど持っていたら、生きていけない。

会社の都合で、なんでもやるユーティリティプレーヤーであることを、余儀なくされる。

それに対して、会社も終身雇用制という形で、応えてきた。

その信頼関係が完全に崩れてしまった今。

自分探し本や職業のあり方を問い直す出版が目白押しだ。

ぼくもそんな本をいくつか読んでみた。

いい本もたくさんあった。

だけど、時には、サラリーマン社会を、外から眺めるためにも、『霞ヶ浦風土記』のような本が有効かも知れない。

そこには明治や大正生まれの父祖達が、一見不自由そうだけど、実は隙間だらけの戦前戦後の社会で、躍動する姿が描かれている。

佐賀さんはそれらの人々をこんな風に書いている。

話を聞きながら何よりも驚嘆したのは、人々の、自分の人生に対する自信だった。文学にしばしば登場するひ弱な近代の日本人とは全く正反対の、自信たっぷりの人間がそこには居た。漁師も、船頭も、鳶職人も、馬車引きも、南海の戦場を敗走して生きながらえた元兵士も、芸者も、大工も、屋根葺き職人も、農夫達も、誰もが「ともかくこうして私は生きてきたんだ」という誇りに支えられているように見えた。

この時代の精神的雰囲気のようなものを、今の時代に行かせたら、風通しのいい社会ができるのに。

毎日、そんなことばかり考えている。

2013年11月 4日 (月)

貧困から抜け出したことは、大変な成果だけど、それと引き替えに多くの大切なモノを失ってしまった。そして、失ったモノの大きさが、年を追うごとに大きくなっている。

僕の生家がある美浦村と出島村という霞ヶ浦周辺の農村を舞台に作られた映画『米』が面白いと聞き、さっそく、市川の古書店で入手した。
僕が生まれた年、昭和32年の映画だから、映画の中の農村風景は、一番古い記憶にある美浦村の風景に近い。
牛や馬を使った農法。
母から聞いたことのある、ささと呼ばれる木の枝を竹で束ねた道具で魚を捕る漁法も、しっかりと記録されている。

映画に出てくる文明の利器といえば、漁船のエンジンと路線バスくらい。
そのバスの走る道路だって、未舗装のデコボコ道だった。

『米』を見ていると、消滅した生家の風景を思い出す。

江戸時代後期に建てられた生家は、藁葺き屋根で、太い梁や大黒柱。

屋根のてっぺんに、囲炉裏から出る煙を出す排煙窓があった。

家の内部も、東側と北側は大きな土間になっていて、北側の土間には竈があった。

明治36年生まれの祖母が家事の中心だったので、炊飯や通常の煮炊きは、その竈を使っていた。

豚のえさも作るので、火力が強い竈が重宝された。

ガスコンロもあったが、今の電子レンジのような使い方で、食べ物をさっと温める時くらいしか使われなかった。

お風呂は土間の一番奥にあって、薪で焚く五右衛門風呂だった。

室内にガラスはほとんど使われていなかった。

建具は光を通す障子と黒光りする格子で、子どもの目にも美しく映った。

最近、幕末期に撮影した古い日本の写真をよく見かける。

それらを見ると、昭和30年代前半まで、日本の農村の暮らしのベースは、江戸時代から変わらず、連綿と受け継がれてきたように思える。

それが、高度経済成長の始まりから、この50余年で大きく変わってしまった。

今井正監督は社会主義リアリズムの立場から、当時の農村の貧困と、その悲劇を描いたつもりだったのに、21世紀の平成ジャパンに生きるぼくたちは、経済至上主義に洗脳されてしまう前の、モノは持たなくても、したたかに、楽しく生きていた人たちを見て、そこにある種のユートピアを見てしまう。

貧困から抜け出したことは、大変な成果だけど、それと引き替えに多くの大切なモノを失ってしまった。そして、失ったモノの大きさが、年を追うごとに大きくなっている。

人々の心の中に、ぽっかりと穴が空いて、風が吹き抜けている。

いつの時点なのか、わからないけど、幸せになるための手段だった経済成長が、それ自体を目的として、日本人を支配するようになってしまった。

本当は何が幸せの条件なのか、わからなくなってしまった。

そして、いまだに経済成長がなければ、不幸になるような神話に支配された寂しい人々が、国の中枢を担っていて、彼らは、ぼくたち国民が、幸せの条件について、深く考えないように仕向けている。

そんな、馬鹿げた白昼夢も見てしまうくらい、日本人誰もが経済人になってしまった。

ファシズム全体主義はなぜ生まれたか。経済のために生き、経済のために死ぬという経済至上主義からの脱却を説く処女作『「経済人」の終わり』をピーター・ドラッカーが書いたのは、  1939年のこと。

いまから70年以上も昔のことなのに。

2013年11月 3日 (日)

本に書いてあっても、頭に入らないのに、現場に行って体験することで、目の前が開けて、生きた知識として立ち現れるてくる。

11月1日(金)に、たまたま平日の昼間、時間が空いたので、田端文士村記念館に行った。

田端文士村記念館

大正時代板谷波山や芥川龍之介を中心に、工芸家や美術家や文学者たちが、田園地帯だった田端に集い、一大芸術家村を作ったことは知っていた。

だけど、恥ずかしいことに小杉放庵のスポーツネットワークがそこに絡んでくることは知らなかった。

山口昌男の『敗者の精神史』をよく読めば、書いてあるのだけど、その辺りは読み飛ばしていたので、気がつかなかった。

本に書いてあっても、頭に入らないのに、現場に行って体験することで、目の前が開けて、生きた知識として立ち現れるてくる。


こんなふうに、本を立体的に読めるようになるのが、文学散歩、歴史散歩の醍醐味なのだろう。

前にブログにも書いたかもしれないけど、板谷波山の家に泊まったことがある。

酔っ払って、転がり込んだ家に住む大学の後輩が波山のひ孫だった。

田端という町。

一見、静かな住宅地に見える。

だけど、知れば知るほど奥が深い。

そして、田端以上に面白かったのが、鎌倉。

大貫妙子の4年ぶり、ピュアアコースティックコンサートが、鎌倉芸術館で行われたので、

田端から藤沢に行って、江ノ電に乗って長谷で降りて、鎌倉まで、ぶらり散歩した。

鎌倉については書くこと一杯ありそうなので、次の機会にしよう。

楽しかったコンサートの余韻がさめないうちに、「風の道」


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