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2013年10月26日 (土)

筑波科学博の時に作られた、首都高そっくりな高架道路が町を覆っている土浦という町が、大正時代までの水景を取り戻すことなど、夢のまた夢だなんて分かっている。 でも、夢を見る権利ぐらいあるでしょう。

古い町の中心部を川が通っている風景が大好きで、そんな場所に行くと、ついカメラを向けてしまう。

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上二枚は松戸宿の坂川沿いで、一番下は佐原の小野川沿い、伊能忠敬旧宅付近の景色だ。

江戸と舟運で繋がっていた古い町を見ていると、江戸の面影を感じる。

江戸は東洋のベニスと言われたこともあるという。

こんな美しい水景が東京では、1964年のオリンピック開催時にトドメを刺された。

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上の二枚は総武線の飯田橋駅と水道橋駅の間、神田川と日本橋川の分岐点で撮影した。

神田川は江戸期に入って、開削工事が行われる以前、東京湾に直接注いでいた。

その時代の名残をとどめる日本橋川の上には、美しくも何ともない首都高速道路が走る。

舟運を捨て、自動車立国を選択した日本人の思考が、ここに象徴的に現れている。

先日も紹介した佐賀純一さんの『絵と伝聞 土浦の里』を見ていると、「大正中期までの土浦町全体図」というイラストが載っている。

そのイラストを眺めていると、堀割や川が町の中を流れていて、ぼくの心の中に大正時代の美しい水景が立ち上がる。

そして、芸者さんの証言で、昔は佐原と土浦は、霞ヶ浦をはさんだ東と西に位置し、どちらも大いに栄え、船やバス、そして鉄道でも、人や物の交流があった関係の深い町だと語られる。

佐原では、こうしていまも水景が残り、多くの観光客を惹きつけている。

だったら、土浦の川口川が残っていても、よかったのに。

筑波科学博の時に作られた、首都高そっくりな高架道路が町を覆っている土浦という町が、大正時代までの水景を取り戻すことなど、夢のまた夢だなんて分かっている。

でも、夢を見る権利ぐらいあるでしょう。メンデルスゾーンの「ベニスの舟歌」でも聴きながら…。

 

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