交流している団体のリンク

  • 流山市立博物館友の会
    ブログ主が所属する千葉県東葛飾地域で活動する文化団体。発足から50年近く郷土史の掘り起こしを中心に、様々な活動を展開している。
  • ダムダン空間工作所
    建築家石山修武氏が創設した建築設計事務所。那須のセルフビルドでは多大なご支援をいただきました。
  • 開拓工務店
    自宅のリフォームでDIY作業に協力してくれました。カナダで修行してきた棟梁のユニークな感性が光ります。
無料ブログはココログ
フォト

« もし、ぼくたちが取り戻すべきだとしたら、明治ではなく、関東大震災後の1920年代だろう。 | トップページ | ほとんど庭などない、猫の額のような山小屋でも、借景を生かせば、それなりに楽しめる。 »

2013年8月13日 (火)

こうして破棄された1920年代の東京の都市文化は、戦後も顧みられることなく、いまだに失われたままだと、海野弘は説く。

前のエントリで1920年代のことを書いたら、海野弘の名著『モダン都市東京』を思い出した。


紙の本は品切れ状態だけど、キンドルで読めるようなので、興味のあるひとは読んでおいて、損はないと思うよ。
1920年代の東京を巡って、都市論と文学史と芸術史が交差する刺激的な論考が並ぶ。
海野弘ならではの世界。
遠く及ばないので、笑われるの覚悟で告白しちゃうと、自著の構成を考える時には、この本も参考にさせていただいた。

第12章の「都市とのわかれ」に堀辰雄が登場する。
平河町に生まれ、向島で育った都会っ子の堀辰雄は、1920年代に書いていた都市小説を破棄し、1930年代になって軽井沢を舞台にした「美しい村」や「風立ちぬ」で脚光を浴びたという。
こうして破棄された1920年代の東京の都市文化は、戦後も顧みられることなく、いまだに失われたままだと、海野弘は説く。

先日、最後の同潤会アパートが消えた。
80年以上の歳月が流れ、1920年代の町の記憶は、少しずつ消えてゆくけど、記憶の断片を拾い集める努力は続けよう。

ところで、1920年代って言うと、脳裏に強烈なイメージが浮かぶのがジョセフィン・ベイカー。

ピカソやヘミングウェイが憧れたアフリカ系最初のスーパースター。



そう言えば、ピカソの作品も展示してあった国立西洋美術館の「ル・コルビュジエと20世紀美術」の展覧会には、ル・コルビュジエが蒐集したアフリカのお面があった。
早くも1920年代のパリではグローバルな文化運動の風が立ち上がっていたっていうことか。
バタイユやレヴィ・ストロースや岡本太郎が出てきたのも、そんなパリの魔力なのか。
戦後に目を転じると、マイルスの「死刑台のエレベータ」なんて作品もあった。

レジスタンスとしてナチスと戦ったオードリー・ヘプバーンが実存主義を論じ、華麗な踊りを披露する映画「パリの恋人」」には、ファシズムから都市を取り戻した喜びが溢れていた。

ヒロインが踊り、男が頭を抱える、この二つの映画のシーン、よく似ている。

「パリという都市の空気は女を自由にする」ということか。

ああ、どんどん思考がボーダーレスになってゆく。
こうして今日も都市は妖しい魅力を振りまいて、どんどんオレを誘惑しているんだ。きっと。

« もし、ぼくたちが取り戻すべきだとしたら、明治ではなく、関東大震災後の1920年代だろう。 | トップページ | ほとんど庭などない、猫の額のような山小屋でも、借景を生かせば、それなりに楽しめる。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« もし、ぼくたちが取り戻すべきだとしたら、明治ではなく、関東大震災後の1920年代だろう。 | トップページ | ほとんど庭などない、猫の額のような山小屋でも、借景を生かせば、それなりに楽しめる。 »

最近のトラックバック

最近のコメント

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31