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2013年4月

2013年4月30日 (火)

ちょうどいい。社会人になってから、30数年、いちばん長い連休だ。「わたしたちの記憶の底に、いまも睡っている」江戸人を探しにゆこう。

なんのために生まれて来たのだろう。そんなことを詮索するほど人間はえらくない。

三百年も生きれば、すこしはものが解ってくるのだろうけれど、解らせると都合が悪いのか、天命は、百年を越えぬよう設定されていすらしい。なんのためでもいい。とりあえず生まれて来たから、いまの生があり、そのうちの死がある。それだけのことだ。綺堂の江戸を読むと、いつもそう思う。

 うつくしく、やさしく、おろかなり。そんな時代がかつてあり、人々がいた。そう昔のことではない。わたしたちの記憶の底に、いまも睡っている。

                 杉浦日向子『うつくしく、やさしく、おろかなり』(ちくま文庫)

8年前に46歳で杉浦日向子が亡くなった時は、しばらくショックで立ち直れなかった。

追い打ちをかけるように、かわいがっていた雌猫が交通事故で死に、ペットロス症候群になった。

入れ替わるように買ってきた猫にヒナコと名付けた。

一歳違いの日向子さんは、ぼくにとってファンとか憧れという訳ではなく、仲間とか同志とかそんな感覚だった。

友人のO君は、吾妻橋やぶそばで、会ったことがあると言うが、いつか話す機会もあるだろうと思っているうちに、逝かれてしまった。

8年前、死は遠い先のことだったのに、50代半ばになって、死は身近になった。

日常生活の延長上に、死が大きな口を開けて待っていて、朝目覚めるたびに、心臓が動いていることに、小さな感動を覚える。

本棚や資料を整理するたびに出てくる、亡くなった友人からの手紙やいただいたサイン本を見て、死者たちと対話している気分になる。

久しぶりに『うつくしく、やさしく、おろかなり』を読んで、江戸と明治を比べたくなった。

つよく、ゆたかで、かしこい近代の日本人がやったこと。

江戸人たちの暮らし方、生き方。

ガイド役は柳宗悦と岡倉天心かなあ。

ちょうどいい。社会人になってから、30数年、いちばん長い連休だ。

「わたしたちの記憶の底に、いまも睡っている」江戸人を探しにゆこう。

2013年4月28日 (日)

「規制緩和」という大量破壊兵器に対して、「MADE IN JAPAN」という石つぶてを投げつけてみたくなった。

20代だった1980年代、商業部門の中小企業診断士という資格試験を受験した。

一次試験に合格して、二次試験のケーススタディーを勉強しているうちに、自分で事業をやるのではなく、人に仕事をさせて結果を出すコンサルタントという仕事に魅力を感じなくなり、受験を放棄してしまった。

それはさておき、町の小さな個人経営のお店を応援したいという気持ちは、その当時から30年経った今も変わらず、強くなるばかり。

この点については、自分のライフワークだろうと考えている。

個人経営の小さな商業集積が出来て、はじめて住民が安心して暮らせる町になる。

物心ついたときから今まで、ずっとそんな町で暮らしてきた。

東京の下谷根岸や練馬中村橋、あるいは今住んでいる千葉県松戸の小金城趾。

1987年頃だろうか、友達の結婚式で訪れた静岡県富士市という町も素敵だった。

子ども時代の遊び場だった茨城県土浦や富士市、そんな地方都市に住みたいと思った。

先日会った富士市出身の人に聞くと、最近は4軒あるスーパーがすべてイオングループになり、個人商店は次々とシャッターを閉めているという。

80年代までは生き生きしていた日本中の町がどんどんシャッター街化している。

身を切られるよりつらい。

80年代は大規模小売店舗法(大店法)が小さな商店を守っていた。

「規制緩和」という美しい名前を持ったアメリカからの外圧が、大店法を粉砕して、日本中をシャッター街にした。

大規模小売店舗法

「モータリゼーションの進展がどうのこうの」と言い訳する論客もいるだろうが、だれがなんと言おうと、これは厳然たる事実。

「規制緩和」がこの国の形を壊した。

若者が地方で就職出来ず、東京一極集中が進み、東京の古い町や小さなお店もつぶされて、マンションに変わる。

30年以上、小売り商店と町をみつめてきたオレの、それがいまの結論。

中共や朝鮮からの外圧には屈しないと強気な首相が、アメリカからの外圧にはコロリと屈して、国を売り飛ばした。

TPPはそういうことだ。

だれがなんと言おうと、そういうことだ。

地方の疲弊はさらに進むだろう。

商業だけでなく、農業や酪農が壊滅的打撃を受けるのは間違いない。

だけどね。

そんな暗い予感ばかりの時代だからこそ、それを嘆いてばかりいるのではなく、レジスタンスしてみたくなった。

町や暮らしを壊す外圧と戦ってみたくなった。

TPPに代表される「規制緩和」という大量破壊兵器に対して、「MADE IN JAPAN」という石つぶてを投げつけてみたくなった。

「町と暮らし」という小さな本、そんな覚悟で、ゆっくりと、気長に始めます。

高田渡さんの「ブラザー軒」。

古き良き日本の町と商店の風景が心に浮かぶ幻想的な名曲です。

2013年4月27日 (土)

地方の主要都市がシャッター街化しているのに、東京の古ぼけた町に人が群がる。そこに何か、日本の未来を切り開く鍵が隠されているような気がする。

5年ぶりに一箱古本市に行った。この所、羽が生えたようにお金がなくなるので、厳選して本を三冊買った。

どれもいい本なのだけど、アーネスト・カレンバック『全生活カタログ』(晶文社、1981)を安く買えたのはうれしかった。

ざっと読んでみると、インターネットが普及していない32年前の本なのに、内容が古くなっていないことに驚く。

80年代を生き抜くためのマニュアルが、2010年代を生き抜くためのマニュアルでもある不思議。

つまり社会はほとんど進歩していないってことなのだろう。

いま僕が準備している小冊子も暮らし方のカタログだ。

TPPで痛めつけられることを嘆く前に、町に残る人や物といった資源を発掘して、町を使いこなし、東京だけでなく、地方を元気にする暮らし方がきっとあるはずだと思う。

今朝は、千駄木のたい焼き屋に行列する人波を、バカバカしいと思って眺めた

けれど、なんとなく懐かしい気分に浸りたくて、スーパーやフランチャイズチェーンでたい焼きを買うのではなく、個人商店に群がる人たちの気持ちも、わからなくはない。

谷中・根津・千駄木はそういう古い町だ。

その古さが人々を引きつける。

きっと、誰もがみんな抱えている郷愁とかノスタルジックな気持ちを満たしてくれる空間が、谷中・根津・千駄木なのかもしれない。

地方の主要都市がシャッター街化しているのに、東京の古ぼけた町に人が群がる。

そこに何か、日本の未来を切り開く鍵が隠されているような気がする。

ジョン・サイモンのプロデュースによって古くさい感じに聞こえるザ・バンドの曲の中でも、とびきり古くさく僕の耳には聴こえる大好きな曲「ベッシースミス」を連休初日に張ろう。

ジョン・サイモンも関係なしの、「ベースメントテープス」から。

2013年4月21日 (日)

紙の本を作りたくなった。 それも、子どもが壁新聞を作るように、仲間を集めて、ワイワイガヤガヤ手作りで。

3.11の時に、蔵書が崩れて、本棚がめちゃくちゃになって、二年経って、もとに戻すことは諦めて、3カ所に分散することにした。

すべての蔵書を電子化しようと真剣に考えたが、生来の紙好きゆえ、スキャナや断裁機といった道具だけ買って断念した。

やっぱり、紙が好き。本は切り刻めない。

ぼくが子どもの頃、紙と言えばデフォルトはわら半紙だったから、家には白い紙などなかった。

そんな、大昔の記憶に引きずられている。

だから、紙の本を作りたくなった。

それも、子どもたちが壁新聞を作るように、仲間を集めて、ワイワイガヤガヤ手作りで。

もちろん、書店の流通ルートに乗せるような、ことは考えない。

○○さんちの野菜と一緒に、八百屋で売られる。

○○さんの手作り品と一緒に、雑貨屋で売られる。

書きたいことだけ、楽しいことだけ取り上げる。

それも、家族みんなで作る。

友達の家族も一緒になって作る。

春先に映画「東京家族」を観てから、いままで以上に家族のことを大切に思うようになった。

日曜日の寒い夜、仕事だったかみさんの代わりに、鍋を作って、家族みんなで食った。

高田渡の「ホントはみんな」が聴きたくなった。

2013年4月13日 (土)

「住み手の要求の自己解体をこそ」というエッセイが読みたくなった。

穏やかな朝だなあ。

いまの気分に似ている気がする。

本棚の奥から小野二郎著作集『書物の宇宙』を引っ張り出す。

モリスのパターンを使った平野甲賀の手になる装丁が美しい。

010

「住み手の要求の自己解体をこそ」というエッセイが読みたくなった。

心筋梗塞で突然亡くなる前年、1981年に書かれた。

いまから32年前になる。

このエッセイをいったい何度、読んだろう。

書かれていることは、今風の言葉で言えば「シェアハウス」とか「住み開き」ということ。

副題に「住宅の街路化への提案」とある。

すこしだけ引用する。

今日、「住む」ということから「権力欲」や「支配欲」を抜いてごらんなさい。ほとんど何も残りはしないから。

(中略)

つまりこういうことにならないか。住み手の「要求」などというものは、そのままではいっこうに「住宅=街づくりの主体」にはなりえないと。

(中略)

だから、それを言うなら、家を街路化せよと言いたい。つまり絶えず自分の家に対する要求を相対化する場に家自体をしてしまうのである。

小野二郎の言葉を座右の銘として、住まいについて考えてきた。

ポケットパークを作ったりして、それなりに取り組んできた「住宅の街路化」は、まだまだ実現途上だけど、やりたいこと、やるべきこと、得られる情報は出尽くしたようだ。

そろそろ、始めないとね。

例えば、腕に覚えのある主婦を集めて、アダム・スミスのマニュファクトリーならぬ、ママファクトリーなんて、家内制手工業を家で始める。

近代家族向けの閉じた空間である住宅を、町に向かって開いてみる。

TPPに代表されるアメリカ発のグローバリズムに席巻されてしまう前に、ぼくたちがやるべきことは、まだまだたくさんある。

まだ間に合う。

そんな気がする。

2013年4月 7日 (日)

家は持ち歩くことが出来ないけれど、本なら持ち歩ける。DIYによる手作り本を作れば、家族や友人に見てもらえる。

叩きつけるような激しい雨が止んで、けさはのどかな春らしい天気だ。

4月になって、学校でも企業でも新しい年度が始まった。

いろんなものやことが更新される季節。

ぼくも新しいことを始めようと、いろいろ準備している。

その中の一つがDIYによる本づくり。

20数年前、労力を持ち寄ってシェアする日本に古くからある「もやい」という方法で、那須高原の小さな家を作った。

ぼくの家づくりを手伝って、興味を持った人に工具一式を貸与して、技術も教えて、初期投資なしで家を作れるサポートをしたいと思った。

それはそれは強い思いだった。

日経流通新聞も最終面全面を使って、記事にしてくれた。

テレビ朝日の番組にも出た。

マスメディアが取り上げると、一層盛り上がって、奥さんや子どもを合わせると、200人近い人が、手伝いに来てくれた。

「継続するお祭り」だった。

そして、これだけマスメディアに出たのだから、全国から問い合わせが殺到すると思った。

ところが、家を作りたいひとからの問い合わせなど、ほとんど来なかった。

ぼくがやるのを見て、実際にセルフビルドで家を作った人は、何人かいたと思う。

だけど、「もやい」による家作りを目指して、セルフビルダー同士のネットワークを作るという途方もない夢は絵に描いた餅に終わった。

そんな大きな夢のような話ではなくても、お父さんが手伝った痕跡をシェアして、家族に自慢してもらいたかったのに、それも難しいということもわかった。

那須高原の家は、そこを訪れた人だけしか、見ることが出来ないから、ほとんどの人にとっては、楽しい記憶の片隅にしまい込まれて、終わった。

そこでふと、思ったのだ。

家は持ち歩くことが出来ないけれど、本なら持ち歩ける。DIYによる手作り本を作れば、家族や友人に見てもらえる。

何もかも専門家に任せなくたって、自分で出来ることは自分でやってみる。

出版流通という商品市場に乗せることをやめてしまう。

江戸時代の本のように、リトルプレスとして、書店など通さずに、配本してしまう。

ウェブの力を使えば、そんな小さな本でも、全世界の読み手に届けられる。

そんな風に考えた。

若いときのように肩肘張らず、ゆっくりと始めてみよう。

だから今日はポコがメンバーを替えて、再出発した記念すべき一曲。

「バッド・ウェザー」

肩から力が抜けた名曲。何百回聴いても飽きないくらい好きだ。

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