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2013年3月10日 (日)

でも、ここでぼくが言いたいのは、汽車を拒否した明治の人たちの頑迷固陋さではなく、中央の大規模開発に頼らず、自分たちの町を守ろうとした心意気に感動したということ。

近代の地域史を勉強していると、鉄道敷設に関する話がよく話題になる。
それは明治時代後半、鉄道敷設の話が出ると、汽車の火の粉で火事になると住民の反対運動が起きて、それまで辺鄙な場所だったところに駅が出来て、結果的に駅周辺が栄え、古い町が寂れるということ。
さらに、最初から電車だった私鉄の駅は古い町の中心街を通るといった話である。
山手線は最初、目白と田端を結んで走る予定だったが、目白駅周辺の住民が反対して、池袋という新駅を作ったという。
確かに、池袋から大塚はかなり無理なカーブで曲がっている。
目白から今の都電荒川線の辺りを通って大塚に至る経路の方がスムーズだ。
同じ様な例は、中央線と京王線、総武線と京成線、東北線の主要駅の位置などを見ても頷ける。
でも、ここでぼくが言いたいのは、汽車を拒否した明治の人たちの頑迷固陋さではなく、中央の大規模開発に頼らず、自分たちの町を守ろうとした心意気に感動したということ。

結果論ではあるが、規制緩和とやらで、大店法が骨抜きになって、駅前商店街は次々とシャッター街になり、JRの止まるところをしらない駅ナカ戦略が、それに追い打ちをかける。
日本中の古い町の皆さん。

汽車を拒否してまで守った自分たちの町を、町おこしするのは今が絶好のチャンスかもしれませんよ。

いま中央に屈しては、ご先祖様に合わす顔がありませんぜ。

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