交流している団体のリンク

  • 流山市立博物館友の会
    ブログ主が所属する千葉県東葛飾地域で活動する文化団体。発足から50年近く郷土史の掘り起こしを中心に、様々な活動を展開している。
  • ダムダン空間工作所
    建築家石山修武氏が創設した建築設計事務所。那須のセルフビルドでは多大なご支援をいただきました。
  • 開拓工務店
    自宅のリフォームでDIY作業に協力してくれました。カナダで修行してきた棟梁のユニークな感性が光ります。
無料ブログはココログ
フォト

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月

2013年3月30日 (土)

2013年の微かな春の予感である。

3月も終わり、企業や学校では新しい年度が始まる。

思い起こせば、ちょうど一年前、それまでやっていた社会的な活動をほとんどいったんリセットして、新しい方向を探すことにした。

きっと、世話になった、たくさんの人を怒らせたに違いない。

先人の誰かが始めた活動は、既成のルールに従って、多くのお付き合いをして、いずれ順番が来れば、その活動を継承してゆく。

そんなお付き合いをしているだけでも、大変な労力で、会社の仕事と両立させながら、新たな活動に踏み出すのは、不可能だろうと思った。

だから、何もかもリセットしてみた。

一年経ってみて、これでよかったんだと思う。

自分の足元で、たくさんの希望が芽吹いていることを発見した。

フェイスブックを本格的に使うようになって、普段の生活では出会うことのないような異分野の人たちと、お付き合いするようになった。

長いことやりかけたまま、凍り付いたままだったいろんなこと。

それらを解凍したら、知らず知らずのうちに、世代が変わって、若い人たちに希望を託す年代になっていた。

この前観た映画『東京家族』でも、同じ事を感じた。

TPPや沖縄の問題を見ていると、日本をまるごとアメリカに売り渡すような政権の誕生によって、庶民の暮らし向きは悪くなるばかりで、大企業と投資家だけが舞い上がっている。

参議院選挙の後は、今以上に言論や集会結社の自由への弾圧も始まると思う。

アメリカの若者の身代わりになって、日本の若者が「テロとの戦い」とやらにかり出される時代が到来する。

一見夢も希望もなくなりそうだけど、社会の底流とでも言うのだろうか、地下水脈のように繋がった動きが日本のあちこちで、始まっている。

2013年の微かな春の予感である。

2013年3月24日 (日)

ぼくは「わがまま」で、人柄が悪い男なので、簡単に諦めない。「わがまま」が、戦いのエネルギーになっている。自分が気持ち悪いことは、どこまでも拒絶する。

ずいひつ雑誌「流星」の原稿を、なんとか完成させた。

今回のタイトルは「脱『東京物語』に未来への希望を託して」って、「流星」らしからぬ長いタイトル。

ブログと違って、通常紙の本ではタイトルを短くするんだけど、今回は長くなっちゃった。

前から感じていたことだが、東京はますます、人間の住む場所ではなくなってきている。

とくに2000年代に入ってからの、外国資本による町壊しがすさまじい勢いで、お年寄り夫婦だけで住んでいる大きな家は、住み手が亡くなると、あっという間に小型マンションに変貌しているような感じがする。

以前なら聞いたことのないような中小のマンションディベロッパーが目立つようになったのも、2000年代からの特徴だ。

その一方で、地方都市は疲弊してシャッター街ばかり増え、農村は過疎化が進む。

なんで、こういうことが政治の主要課題にならないのか、ぼくは不思議で仕方ないのだが、とにかく諦めの早い、よく言えば人のいい日本人は「時代の流れだから仕方ない」なんて理屈をつけて、善良な市民を虐げるものに都合のいいような方向で納得してしまうんだろうな。

ぼくは「わがまま」で、人柄が悪い男なので、簡単に諦めない。「わがまま」が、戦いのエネルギーになっている。自分が気持ち悪いことは、どこまでも拒絶する。

19世紀にウィリアム・モリスが暮らしに関わるデザインを始めたのも、古建造物保護協会を作ったり、入会地保存協会、カール協会、公共広告濫用審査協会といった活動に参加したのも自分にとって気持ち悪いことを、そのままにしない、諦めずに異議申し立てしてゆく。そんな違和感の証だったように思う。

十数年前「わがまま」をテーマに暮らしに関わるリトルプレスを作ろうとしたけど、挫折してしまった。

そろそろ敗者復活戦の機が熟してきたね。

2013年3月20日 (水)

『東京家族』は『東京物語』とは、全く別の映画であり、若者たちの脱『東京』に未来への希望を託す映画でもある。

山田洋次監督の『東京家族』という映画が気に入って、二回も観てしまった。

そこで、今朝はこの映画の下敷きになっている小津安二郎監督の『東京物語』をDVDで見直してみた。

二つの映画を隔てている時の流れに思いをはせる。

昭和二十八年、空襲で焼け野原になった東京が、まだ若くて、元気だったことにショックをうける。

いまは誰もが疲れて、イライラしている、東京。

一見、豊かになったけど、人と人のつながりが失われて、人口は増えて、周辺農村まで宅地化して、さらに巨大になったのに、中身は空疎な街になった東京。

映画の舞台も古い下町の風情が残る堀切や上野から、多摩地区や池袋に替えた山田監督の意図がよくわかる。

この映画を観て、東京に憧れる人はいないだろう。

そして、国民一丸となって追求してきた経済成長の結果が、ものを大事にしない、ゴミを増やし続ける、惨憺たるいまの暮らしだったことを、教えてくれる。

そういえば『東京家族』のテーマはいろいろあるけれど、ゴミもテーマのひとつ。

ファーストシーンが尾道の美しい常夜灯だった『東京物語』に対して、『東京家族』では、冒頭に東京のゴミ置き場が撮されている。

そして、父親や兄弟からゴミのような扱いを受けている妻夫木聡演ずる次男の昌次が、一番輝いている。

そんな昌次は『東京物語』では戦死したことになっていたわけで、『東京家族』は『東京物語』とは、全く別の映画であり、若者たちの脱『東京』に未来への希望を託す映画でもある。

ネットでは、リメイクがどうのと、小津監督と山田監督の比較論でトンチンカンな評価ばかり出ているけれど、この映画はリメイクではない、現在の東京を描いた問題作であり、山田監督の最高傑作だと思う。

『東京物語』と比較するのもいいけれど、ぼくはちょうど五〇年前の山田監督作品『下町の太陽』と比較して、興味深く観た。

ロードショーはもうすぐ終了するけれど、DVDでもいいので、ぜひご覧下さい。

2013年3月17日 (日)

芦野石を使った「石の美術館」ストーンプラザや、石造の蔵を見ているうちに、「蜂蜜色の石」「ライムストーン」とも称される石灰石「コッツウォルズストーン」を使った建物群のあるコッツウォルズの古い町と芦野が頭の中で交差し始めた。

32歳の時に、勤めていたコンビニを辞めて、小売りや外食など流通業のコンサルタントになる夢も挫折して、これから何をやって生きていったらいいのか、わからなくなっていたときに、三郷の図書館で手に取った大型本にウィリアム・モリスのことが紹介されていた。

19世紀のイギリスにはこんな人がいたのかという衝撃をうけて、それから20数年間、ずっとモリスを追いかけている。

自分の才能の有無は気にせず、モリスが手がけたことは一通り、やってみる。

自分で那須高原に家を作ったのも、フォントに拘るのも、手仕事に手を出したのも、小説や評論めいた文章を書いてみたのも、古民家に興味をもったのも、全部モリスの影響なのだ。

モリスのマルクス主義は、いただけないけど、ソビエト連邦が成立するのを見る前に亡くなった時代的制約を思えば、19世紀人モリスが社会主義に活路を見いだそうとした心境も、理解できる。

そんなモリスが一番好きだった場所がコッツウォルズ。

ケルムスコットマナーハウスという古民家を買い取って、憩いの場所として通った。経済学者大内秀明さんによれば「彼の発想、思索の源泉となり、『ユートピア便り』の舞台にもなった。」という。

賢治とモリスの館

大内さんはブログでこのように書いている。

「賢治」風に表現すれば、モリスはコッツウォルズの「地人」である。モリスのデザインも、詩も、政治評論も、その地人芸術なのだ。コッツウォルズを抜きに、モリスの芸術も、思想も、文学も語れない、それが今度の旅の結論だろう。

もうひとつ「日々草」というブログにコッツウォルズのことが紹介されている。

ウィリアム・モリスが愛したコッツウォルズ

長いこと、那須高原に通い続けて、大好きな場所ではあったけれど、モリスが愛したコッツウォルズと結びつけて考えたことはなかった。

標高500メートル以下の、美しい丘陵地帯という条件は共通するけど、那須には近代に取り残された古い町並みなどないと思っていたから。

けれども、芦野という古い宿場町を知って、俄然面白くなってきた。

芦野石を使った「石の美術館」ストーンプラザや、石造の蔵を見ているうちに、「蜂蜜色の石」「ライムストーン」とも称される石灰石「コッツウォルズストーン」を使った建物群のあるコッツウォルズの古い町と芦野が頭の中で交差し始めた。

DVDつきの『モリスの愛した村』という本で読んだ風景が、美の里づくりコンクールで農林水産大臣賞をとったほどの日本の原風景と重なるようになった。

ブログを書いているうちに、また那須に行きたくなってきた。

2013年3月10日 (日)

でも、ここでぼくが言いたいのは、汽車を拒否した明治の人たちの頑迷固陋さではなく、中央の大規模開発に頼らず、自分たちの町を守ろうとした心意気に感動したということ。

近代の地域史を勉強していると、鉄道敷設に関する話がよく話題になる。
それは明治時代後半、鉄道敷設の話が出ると、汽車の火の粉で火事になると住民の反対運動が起きて、それまで辺鄙な場所だったところに駅が出来て、結果的に駅周辺が栄え、古い町が寂れるということ。
さらに、最初から電車だった私鉄の駅は古い町の中心街を通るといった話である。
山手線は最初、目白と田端を結んで走る予定だったが、目白駅周辺の住民が反対して、池袋という新駅を作ったという。
確かに、池袋から大塚はかなり無理なカーブで曲がっている。
目白から今の都電荒川線の辺りを通って大塚に至る経路の方がスムーズだ。
同じ様な例は、中央線と京王線、総武線と京成線、東北線の主要駅の位置などを見ても頷ける。
でも、ここでぼくが言いたいのは、汽車を拒否した明治の人たちの頑迷固陋さではなく、中央の大規模開発に頼らず、自分たちの町を守ろうとした心意気に感動したということ。

結果論ではあるが、規制緩和とやらで、大店法が骨抜きになって、駅前商店街は次々とシャッター街になり、JRの止まるところをしらない駅ナカ戦略が、それに追い打ちをかける。
日本中の古い町の皆さん。

汽車を拒否してまで守った自分たちの町を、町おこしするのは今が絶好のチャンスかもしれませんよ。

いま中央に屈しては、ご先祖様に合わす顔がありませんぜ。

2013年3月 9日 (土)

「町と暮らしの研究所」という個人+αのプロジェクトをゆっくりと始めている。

先週は那須の芦野という町に行ったので、ブログをサボってしまった。

けっして書くことがないのではなく、書くことが多すぎて、フェイスブックに投稿してる。

それにしても芦野はいい町だ。

古代から続く町で、江戸期には奥州道中の重要な宿駅になり、松尾芭蕉の「奥の細道」にも登場する。

町の中心を奈良川という清流が流れている。

平成21年の美の里づくりコンクールでは農林水産大臣賞を受賞しているほどの美しい町だ。

そんな素敵な町に住む人たちと交流が始まって、地域通貨を利用した小さなバザーに参加した。

バザーや手作り品のマーケットの類いは、ずいぶん参加してきたけど、こんなにささやかな規模のイベントは経験がない。それくらい小さなイベントなのだ。

でもね。

これくらい人と人が親密に会話を交わして、アットホームな雰囲気で参加できたイベントも経験がない。

それは地域通貨のお陰なんです。

お金というものは人と人をオフセットにして、お金さえあれば、煩わしい人間関係を破棄して、人の助けを借りないで済むようにするために使われるのが、常識。

ところが、地域通貨というのはそれを使うことによって、人と人をつなげる方向に作用する。

だから面白い。

人の力を借りる。誰かとコラボする。1人で孤独な作業をやるのも嫌いじゃないが、人と人のつながりの中で生み出されるものはその何倍も価値のあるものが生まれると、信じている。

「町と暮らしの研究所」という個人+αのプロジェクトをゆっくりと始めている。

手始めに地域史研究の電子本をつくっている。

去年始まった路地裏文化研究会という集まりもその活動の一環だと思う。

それに加えて今年は芦野の町と関わりが深くなりそうだ。楽しみがまた増えた。

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

最近のトラックバック

最近のコメント

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31