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2013年1月 6日 (日)

キンドルの電子本で『路地裏のユートピア 昭和三十年代下谷根岸物語』を出すことにした。

キンドルの電子本で『路地裏のユートピア 昭和三十年代下谷根岸物語』を出すことにした。

無料配布するつもりだが、まだキンドルのソフトをダウンロードしていない方も多いだろうから「あとがき」だけでも、気軽に読んでいただきたいので、ブログに掲載します。

  最近、仲間数名と路地裏文化研究会なる団体を立ち上げた。
 僕以外は、社会的地位もある人たちなので、名前の公表は差し控えるけれど、個性的な顔ぶれが集って、楽しく散歩し、酒を酌み交わしたりしている。
 路地裏で育ったから、路地裏好きなのではなく、路地裏に対して愛憎半ばする感情が、長い間まとわりついていた。
 本文には書かなかった、若い時分には路地裏から脱出して、広い世界に、それこそシュバイツァー博士のように地球の果て までも行って、そこで暮らしたいと考えていた。
 
 結婚して、徐々に所帯じみてきて、そんな夢など、忘れかけていた時に、家族で沖縄旅行に出かけて、心の奥深くに流れている地下水脈に触れた気がした。
 三十数年の長い間訪れていなかったふるさと根岸を訪れたのは、その数年後である。
 いま思えば小泉改革に伴うミニバブルで、町こわしが急ピッチで進む直前、二〇世紀の終わりの頃だった。
 根岸はほとんど何も変わっていなかった。 
 都電こそ消えたが、弟が生まれた下谷病院は健在だったし、黒塀に囲まれた仕舞屋や、路地もそのまま残っていた。
 よくぞ昭和の終わりのバブル時代を生き抜いてくれたと、町に住み続けた人たちに感謝したことを思い出す。
 それからたったの十数年で、町は急激に変貌してしまった。
 海外の機関投資家とやらがお金を出して、古い町は壊されて、次々とマンションが建ち上がり、薄暗い路地裏は、さらに暗くなった。

 かつて音楽評論家の中村とうようは「地球のでこぼこ」と言った。
 でこぼこがあるから、人も町も面白い。
 でこぼこを平らにしようとする資本の力は圧倒的で、陽の当たる大通りは日本中どこも同じ様な店が並ぶ、個性のない空間に成り下がった。
 そんな風潮に対する異議申し立てをしたくて、路地裏文化研究会を作った。
 その設立趣意書にぼくは、こんな文章を書いた。

 かつて、横丁や路地裏や空き地は、東京や東京近郊の至る所に存在していました。
そこでは、決して贅沢ではないけれど、伝統を重んじ、季節感を生活に取り入れた、風土に根ざした趣味のよい「庶民の暮らし」があったように思います。
時代が進むにつれて、暮らしの中から、地域性や伝統的なものが薄れてゆくのは、仕方のないことかもしれません。
そこでぼくたちは、かつて横丁や路地裏や空き地で営まれていた庶民の生活文化を総称して「路地裏文化」と名付けることにしました。 自分たちの出来る範囲でいいから、路地裏文化を「残すため」、あるいは「思い出すため」、若い人なら「発見するため」といってもいいかもしれません。
とにかく有志で集まって情報交換する場を作りたいと考えました。
そして、もし可能なら、情報交換した結果を何らかの形で、外部に向けて発表したいと考えています。
路地裏文化全般を扱うという志は大きいですが、出来ることは限られています。
酔っ払った勢いで、気宇壮大になって、大風呂敷を広げるのではなく、地道に活動を継続し、少しずつ成果を出したいと思います。 

きっと『路地裏のユートピア』という本は、ぼくが路地裏文化研究会にたどり着くまでの、長い履歴書なのだと思う。

  表題作の「路地裏のユートピア」は、五年前に出版した『ふるさと』という画文集に寄稿した作品で、今回電子本化にあたって、少し手を入れた。
 「一葉と私」は三年ほど前に「流星」というずいひつ雑誌向けに書いた作品だが、文字数が多くなってしまい、「鶯」という作品に改稿したので、没原稿にした未発表作品。
 この本の趣旨には「鶯」よりも、こちらの方があっているので、この作品を採用した。
 「沖縄病のなおし方」は一番古くて、七年前、まだほとんど文筆に手を染めていない時期に、発表するあてもなく書いたエッセイ。エッセイと書いたが、読んだ人は小説だと言うし、書いた本人は論文だと思っていたようなジャンルを超越した作品。ある意味では、下手な常識や先入観を持たず、無心で書いた作品で、結構気に入ってる。この本に収録するに際して、最後の部分を書き直した。
 
 履歴書づくりはこれでおしまい。
 これからは、仲間と一緒に、路地裏文化再興の、新たな歴史を刻んでゆく。

ことしもよろしくお願いいたします。

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