交流している団体のリンク

  • 流山市立博物館友の会
    ブログ主が所属する千葉県東葛飾地域で活動する文化団体。発足から50年近く郷土史の掘り起こしを中心に、様々な活動を展開している。
  • ダムダン空間工作所
    建築家石山修武氏が創設した建築設計事務所。那須のセルフビルドでは多大なご支援をいただきました。
  • 開拓工務店
    自宅のリフォームでDIY作業に協力してくれました。カナダで修行してきた棟梁のユニークな感性が光ります。
無料ブログはココログ
フォト

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012年11月25日 (日)

荷風の言う「心の自由空想の自由」そこには何人たりとも侵略することは出来ないからね。

今年も残り、一月ちょっとになった。

17年生きた愛犬が死に、取材を始めてから、5年要した自著『ぼくたちの野田争議』を出し、55歳という人生の筋目を迎えて、不義理で申し訳ないと思いつつも、これまで続いてきた沢山のお付き合いを遠慮させていただいて、少しでも自由に考える時間を確保して、残りの人生をどうやって生きていこうか、じっくり考えてみることにした。

長いこと観られずにいた芝居や演藝や音楽のライブに通い始めた。

自分で作った那須高原の山小屋にも定期的に行き始めた。

自分のルーツである茨城の両親の家にも行ってきた。

歩きたいと思っても、時間がなくて行けないと思っていた東京の町を次々と踏破する。

そして、自分の考え方も大きく変化している。

茨木のり子風に言えば

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

ということだ。

損得勘定で、人とつき合うような、さもしいまねは、決してしない。

そして、世の中がたとえ、どのように変化しようと、「自分の心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能わず」(永井荷風『断腸亭日乗』昭和十六年1月1日)といった気分なのだ。

そう。荷風の言う「心の自由空想の自由」そこには何人たりとも侵略することは出来ないからね。

だから、人生は面白い。

2012年11月23日 (金)

だからもう、自前の小さなメディアを作りたい。「自前」という言葉にこだわりたい。

2週間ブログの更新をサボっているうちに、すっかり寒くなって、街は晩秋の装い。

紅葉がとてもきれいだ。

夏が苦手な僕にとっては、大好きな季節の到来で、いろいろ、新しいことを始めている。

例えば、電子本づくり。

iPadやアドビのDTPソフトも買ったし、アマゾンのサービスも使えそうだし、ものすごく電子出版の環境が整備されてきた。

15年以上も昔、電子本を作るツールであるエキスパンドブックというソフトを買ったけど、出来たモノを配信する手段がなくて、宝の持ち腐れになってしまった。

「パラダイス・ロスト」という有名な叙情詩を書いたジョン・ミルトンに『言論・出版の自由』(または『アレオパジティカ』)という本がある。

若いときに読んだので本の中身は覚えていないけど、出版の自由を勝ち取ることが、近代化の前提なんだということを、心に刻んだ。

3.11からあと、いろいろあって、ぼくはもうマスメディアを全く信用できなくなってしまった。

テレビは論外だけど、出版の世界も、何か大きな力で歪められている。

そう思う。

だからもう、自前の小さなメディアを作りたい。「自前」という言葉にこだわりたい。

世の中はどんどんおかしくなっているように見えるけど、マスメディアはいいニュースや、ぼくたちの暮らしに直結する大事なことは報じないということも、よおくわかった。

いまはまだ、準備の段階だけど、そんな世の中の動きに一喜一憂することなく、少しずつ自分のペースで作品をこしらえる。

暗い予感ばかりの2013年に、ほのかな明るい兆しが見えた気分。

自前のメディアとは関係ないけど、雨降りの秋空を眺めていたら、20代の頃好きだった上田知華を思い出してしまった。

彼女の作った作品は、今聴いても新鮮で、すべていい。

一般的には今井美樹の名曲の作曲者として、知られているのかもしれないけど、

本人が歌った曲もステキだ。

久しぶりに「さよならレイニー・ステーション」を聴いてたら、グッときてしまった。

2012年11月11日 (日)

今日、遊びに行った東京ディズニーランドには、絶対に作り出せない価値が、「ブリコラージュ」という言葉には、潜んでいるのだから。

「ブリコラージュ」という言葉が好きだ。

フランスの人類学者で思想家クロード・レヴィ・ストロースが唱えた言葉で、「器用仕事」なんて、意味不明な訳がついているが、「器用仕事」って要はDIYに近い意味だと思う。

ただ、自分の場合は、トッド夫妻が書いた『バイオシェルター』という本に出ていたように、この言葉をもう少し広い意味で考えてみたい。

「ブリコラージュ」とは、新しく何かを作り出すのではなく、すでに出来ている手近なモノや、

忘れらがちなモノに対して、新たな価値を加えたり、新たな光をあてるということで、20年前、この考え方にずいぶんと触発された記憶がある。

最近はやりの建物の古民家のリノベーションなんて、ブリコラージュの典型だね。

今住んでいる築40年の古い家をリノベーションして以降、この7~8年くらい、本を読んだり、人の話を聞いて、文章にすることばかり、ずっとやってきて、自分の手を動かして、モノを作ることをやってこなかった。

いろいろやりたいことや、行きたい場所があるのに、すこしばかり窮屈な生き方をしていたかもしれない。

そう思って、今夏から方向転換して、いろいろ背負っていた肩の荷を下ろして、音楽や浪曲のライブや芝居を観たり、那須高原行きを始めたり、本棚を自作したり、路地裏文化研究会という小さな集まりを始めたり、いろいろな理由で近年途絶えていた活動が復活し始めた。

その中心にはいつも「ブリコラージュ」という考え方がある。

新しいモノを消費するだけが、人生の喜びじゃないだろう。

モノを大事して使い続ける。

さらに、もっと進んで、忘れていたモノや人や町に光をあてる。

ノスタルジーと言われてもいいじゃないか。

今日、遊びに行った東京ディズニーランドには、絶対に作り出せない価値が、「ブリコラージュ」という言葉には、潜んでいるのだから。

2012年11月 4日 (日)

数百年間、川で暮らす民の血が、自分の中に流れている。

川の流れを、小さい頃から、いつもみつめていたような気がする。

茨城県の土浦市近郊にある美浦村というのが、母の実家がある場所で、その家でぼくは生まれた。

当時は台東区の根岸に住んでいたが、一年のうち、数ヶ月は茨城で過ごした。

家のすぐ脇を清明川という小川が流れ、霞ヶ浦に通じていた。

川辺には和船が繋がれていて、夜が明けるか明けないうちに、祖父と一緒に、川魚漁に出て、子どもながら仕事を手伝った。

そんな、数百年間、川で暮らす民の血が、自分の中に流れている。

そして、年を取れば取るほど、物の見方、考え方に祖父の影響を強く感じるようになった。

川を見ると、いつでも自分の帰るべき場所に帰ったような、そんなゆったりした気持ちになる。

あるいは、世俗の垢にまみれた自分の心が浄化されてゆくような、清らかな気持ちになる。

さっきも、夜の散歩で、家の近くの坂川に架かる橋の上から、新松戸のマンション街を眺めた。

すると、どこにでもあるマンションの部屋の燈りが、川面に映り込んで、水の上に絵の具を流したように光がにじんだ。

心の中で、ロギンス&メッシーナのWatching The River Run のイントロが鳴り始めた。

芦野のような古い建物のある町で、斬新なデザインの那須歴史探訪館に入館し、座布団に座って、絵や庭を眺めていると、時間がゆっくりと流れてゆくのがわかる。

先週は、父方の叔父や叔母が相次いで亡くなり、栃木県と茨城県の県境筑西市にある父の実家に行ってきた。

約30年ぶりに訪れた父の実家である。

子どもの頃、訪れた時は、ちっとも面白いと思わなかったが、江戸時代の名主の家なので、当時の槍かけなど、いろいろ古いモノが残っていて、いまとなっては大変貴重な建物だと感じた。

庭には樹齢400年の木犀があった。

若い頃は、そんなもの全く興味がなかった。話を聞かされても、うわの空だった。

けれど、少なくとも400年という歳月、わが祖先がここで、暮らしてきた。

Img_0876 Img_0882

リレー走者がバトンを渡すように、我が先祖が命をつないできた結果、いま自分がこうして生きている。

木犀の木は、そんな命のリレーを見つめてきたのかと思うと、厳粛な気持ちになる。

そして、昨日は栃木県那須郡になる古い宿場町芦野に行った。

Dsc01862

Dsc01859

Dsc01856

喧噪と車の渋滞にうんざりする那須高原から車で30分程度。黒田原の街の東にある古駅。

谷根千や根岸で、活動していた若い画家の大平夏澄さんが地元に帰って、いとこのお嬢さんと二人で、お里カフェ遊行茶屋というお店を切り盛りしている。

さらに、芦野里づくりプロジェクトアシノビトという団体を作って、地域で活動する。

こういう活動を知ると、東京で活動しているこっちも気合いが入る。

以前紹介した東京墨田区のご当地アイドル、帰ってきたキューピッドガールズも、アシノビトも、同じように、自分の住む町に誇りをもって、魅力をアピールしてゆこうとする気持ちは、けなげで美しい。

江戸一極集中ではなく、国土が均等に発展するように、それぞれの地域性に根ざした産業が奨励されたことも江戸時代の魅力のひとつ。

明治の後半から東京は人が多く集まりすぎて、もはや飽和状態。

そして、東京と同じように商業主義に毒されつつある那須高原は、すこしづつ魅力を失いつつある。

芦野のような古い建物のある町で、斬新なデザインの那須歴史探訪館に入館し、座布団に座って、絵や庭を眺めていると、時間がゆっくりと流れてゆくのがわかる。

子どもにはわからない大人の憩いの時間である。

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

最近のトラックバック

最近のコメント

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31